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198話 武辺者と、金属錬成への道・2

 建設に必要な耐火煉瓦の大量生産、設計および施工業者の選定、そして炉の建設──どれもが莫大な出費を伴うのは明らかだった。しかも城壁や領主館の新設、港湾の整備とお金のかかる事ばかりがここ最近キュリクスで続いている。


「ねぇトマファ君、炉を作るったって耐火煉瓦はどうする? キュリクスで千個ほど用意するにしても窯業ギルドがあっという間にパンクしちゃうと思うんだけど」


 文官執務室。羽根ペンをインク壺に放り込みながらクラーレが呟いた。同室のレオナは今日も鍛冶師のゲオルグのところへ行ってるしレニエは港湾整備の立ち合いでモバラ港へ出向いている。久しぶりに二人きりのためクラーレの声は少しだけ、ほんの少しだけ嬉しそうに弾んでいた。


「クラーレ嬢の出身ヴィルフェシスの近くにフューゲルって村があると思いますが、そこがローセキ煉瓦の生産が盛んです。見積を取ったのですが問題は運賃でした」


「まぁフューゲルって北部街道から少し離れた辺鄙な村だし、荷馬車隊も“片荷”でって言われたら運賃は高く設定してきますもんね」


“片荷”とは、行き、もしくは帰り荷が無い状態を指す物流用語だ。彼ら運送業ギルドも商売だから片道運送便だったなら運賃は高く言ってくるだろうし、しかも街道から外れた辺鄙な村へ行くのならギルドが定める運賃率表(タリフ)より高い値段を言ってくるもんだ。──ちなみにだがもし“片荷”であってもヴィルフェシスやエラールと言った大都市であれば“片荷”であっても意外と安くしてくれる。何故なら彼らも商売だ、空車で馬車を走らせるほど馬鹿ではない。


「じゃあどうする? 運賃高いけどフューゲルに荷馬車隊を組む?」


「──ハルセリア嬢に頼んでみようかと思ってるんですよ」


 ハルセリア、その名前を聞いた瞬間にクラーレの顔は曇った。あの得意げで自慢らしい態度の女の名前がトマファの口から出てくるたびに彼女は不愉快な気分になってしまう。しかも彼女のそんな気持ちに気付いていないのかトマファは羽根ペンを弄びながら冷静に続ける。


「ルツェル西部のファーレンシュタッドも耐火煉瓦の生産地ですし、キュリクスから定期便があるので傭車が頼みやすいってのもあるんです。運賃は下げられるんですが今度は関税が引っ掛かってくるんです」


「あぁ……面倒くさいわねぇ」


 国境を抜けるとなれば関税の申請書を書かなければならない。前にも技師交換で目の回る書類のやり取りでクラーレの気分はだだ下がりだった。そんな彼女がため息を付いたところ執務室扉をノックして優男がひょっこりと顔を出してきた。ナーベルである。見慣れない書類をいくつか抱えており、どうやらヴァルトアの執務室からの帰りのようだ。


「ルツェルからの煉瓦の輸入はエラール王宮に仕入量を申告すれば無税になるよ」


 そのまま文官執務室に入ってくるとクラーレに「邪魔するよ」と声を掛ける。彼女はすかさず立ち上がって「お疲れ様です」と言いながら一礼した。


「その申告先ですが、王宮財務局ですよね」


「あぁ、──僕の前の職場だよ」


「個人的な意見なんですがルツェルからの輸入の際、申告がネックなんですよ。エラール王宮を下手に刺激して『何のための仕入だ? 使途は?』と詰められるのではと思いまして。なにせ自国生産してるものをわざわざ他国から仕入れるんですからね」


「はは、トマファ殿の心配は確かにそうだよね。──ちょっと前、キュリクスとロバスティアのクモートで塩と果実酒のやり取りが活発化したとき、吏員が『なんですかこれ』って言ってたよ」


 ナーベルは近くにあったレニエの椅子を寄せるとそこに腰掛けた。クラーレは「すぐにコーヒー用意します」と言うと執務室奥へと引っ込んでいった。


「あれの仕掛け人、君だろ?」


「えぇ。──吹っ掛けられた喧嘩を買ってしまっただけです」


「はは、業務日誌には『正当な対応として』と書かれてたし、街ぐるみで果実酒を作ったり奇抜なアイデアで流通させたりとやり口は面白いなと思ったけど、やっぱり『殴り返し』だったんだ。──虫も殺さぬ顔をしていて意外と好戦的だったんだ、ね」


「返す言葉がありません」


 クラーレがコーヒーとクッキーをゆっくりと置くとナーベルは「ありがとう」と小声で言う。そして一口、口の中を湿らせるかのように啜るとカップをそっとサイドボードに置いた。


「一つ粗探しされない方法がある、砥石として仕入れるんだよ」


「砥石、ですか?」


「煉瓦は種別によって申請用紙の書式が変わるから王宮は『何故耐火煉瓦を大量輸入した?』と警戒するかもだけど、砥石になると元々仕入れがある。しかもルツェル側に出国税として仕入値の5%支払えば良いわけだから、問題ないと思うよ? もし通関検査で突っ込まれても、ルツェルの書類で砥石になってるし出国税も払ってるから文句は言えなくなる」


「てか、それってただの品名偽装ですよね?」


「──『粗悪な荒塩』として返品する荷樽にホウ素を隠すよう“草”たちに指示してた君が言うかね?」


 ナーベルはそう言うとにやりと笑った。この笑い方はヴァルトアやブリスケットと同じだった。怜悧な官僚イメージが強いナーベルだが、弟のブリスケットと同じく茶目っ気の多い男だ。ナーベルはもう一口、舐めるようにコーヒーを啜ると話を続けた。「せっかくハルセリア君という“有能な味方”がいるんだ。使える手はどんどん使って耐火煉瓦を仕入れようじゃないか──十万個!」


「じゅ、十万個!」


 クラーレが飲んでたコーヒーを吹きかけた、慌ててハンカチで顔辺りを拭おうと巻きスカートのポケットをごそごそと探り始めるがなかなか見つからない。ナーベルはポケットからハンカチをスマートに取り出すとクラーレに差し出した。あまりにも様になっているため、気障な感じは抱かない。クラーレは少し顔を赤らめながらもハンカチを受け取り、口元を拭った。


「ミルドラス君が徹夜で引いてくれた設計図と計算煉瓦量がこれだよ」


 ナーベルが先ほどまで持っていた資料から幾片かの羊皮紙を取り出すと二人に差し出した。一枚目は木炭筆で書かれた全体図のラフスケッチ、二枚目からは煙突内や炉内の細かいスケッチが続く。その絵一枚一枚はまるで光画のようでオキサミルが見せてくれた資料よりも外観や構造が判りやすく描かれていたし、最後のページにはおおよその煉瓦数や細かい工程手順が書かれていた。


「ミルドラスさんって本当優秀なんですね」


 クラーレがコーヒーカップを両手で包むように持ち、口に運んだ。「ちょっぴり無口ですけど」


「ミルドラス君は口下手なだけで別に無口なわけじゃないし、考え無しって訳でもないぞ? トマファ殿も採用面接で立ち会ってたから判るだろ?」


「えぇ。彼の業務日誌は何が起きてるかなどがきっちり書き込まれてますから、今の技術系ギルドの問題点が洗い出せてて助かってます。──あとは、何かあればこの工程手順のように文章で判りやすく書いてくれますからね」


「まぁ、『ロバスティア人だからって一緒くたにされても』って小論文だっけ? トマファ殿に似て意外と挑戦的な性格はしてるよね、彼。あと業務日誌は僕も助かってるよ」


 領主館の文官は毎日業務日誌を書く事となっており、その日誌も週ごと、月ごとに問題点を集計していって、誰がどういう業務をやっててどういう課題があるかが後で見返しても分析しやすいように工夫がされている。元々はトマファ一人で領主館の事務作業を受け持っていたから備忘録として付けていたものが、今では文官も増えたせいで業務上コミュニケーションツールとして、そして記録簿としても役に立っているのだ。


「で、だ。いまキュリクスでは金のかかる事業をいくつも抱えてるのに、反射炉建設はウチだけでは到底まかない切れん。だから商会から出資を募る仕組みを再び仕立てて資金調達をしなければと思ってる」


 ナーベルがそう言うと額を抑えながら唸り、続けた。「だが、これ以上民衆らから出資を募るのは無理だ、むしろ民衆の不安が信用不安に繋がりかねん」


「ヴァルトア卿の寄親クラレンス伯に頼るべきではと思ったんですが、公設穀物会所の件で苦しんでるのに無理の重ね重ねは無理だと思いました」


「ふむ──だがトマファ殿、君はクラレンス伯に貸しを作ったんだろ? なにせビルビディアの安い麦を伯にほぼ"右から左"に流したといか」


「あれは僕が持ってた()()の麦の在庫を今年の相場で渡しただけですよ」


 現在、エラールの政情不安から来る信用不安のため主食の麦や薪などの生活必需品には価格コリドーが設定されている。失政が続きすぎた結果、民衆や他国への信頼破綻が起因しての政情不安、信用不安だ。そうなれば貨幣価値はどんと下がり、主食たる麦やパンの値段は唸りを上げながら跳ね上がってゆく。そうなれば暴動や政変も起きかねない。その混乱を治めるため生活必需品の価格設定が緊急で組まれたのだ。その価格コリドーを取り扱う責任者としてクラレンス伯が対応しているが、彼の麦在庫がそろそろ底を付きそうだという事でトマファがヴァルトア名義で在庫の権利を売り渡したのだ。ちなみに"右から左"とは仕入値のまま売却する事を指す。


 トマファは涼しい顔をしてカップに口を付けると机から一通の羊皮紙を取り出した、キュリクスの倉庫屋が発行してる預かり証の写しだ。そこには穀物商『金穂屋』発行の売上伝票も付いていた。


「そういえば去年のビルビディアは近年稀にみる大豊作だったから随分と安かったはずだが、それを今年の相場って──善意の“右から左”に見せかけてちゃっかり利益を出してるのかよ」


「倉庫代や手間賃として少し頂いただけですよ」


 ナーベルはこの車椅子の青年を心の中で『存外にこいつ、狸だよな』と呟いた。しかし反射炉建設の足しになるほどの利益ではない。領内の現金は下手したら底を付きそうになっている。


「あのぉ、反射炉の建設費ですけど。出資者に炉の完成後の『鉄の優先供給権』を与えるとかで募るのはどうでしょう? そうすれば金属加工品を多く取り扱う商会も本気で投資してきますよ」


 クラーレが咀嚼してたクッキーをコーヒーで流し込むとそう言った。反射炉の権利を株式化するという、つまりモバラ港整備と同じ手法だ。しかし資金が足りてないのに下手に権利をぶら下げて投資を募ると、後にその反射炉の権利が複雑化して使用や整備管理に支障が出てきてしまう。モバラ港の好例は、発行株の半分をヴァルトアが、1/4をルツェル公国が握る事で権利の分散を防げるようになってるのだ。


 文官執務室の扉がノックもなくバンと開くとプリスカが顔を覗かせた。その後ろには新人メイド二人が付いている──それでいいのか教育係。


「あ、トマファ君にナーベル様、ここに居たんですね! お、おぉー、お客様です!」


「お客様?」 


 トマファとナーベル、クラーレが三人顔を見合わせると、その客が待ってるという応接室へと向かうのだった。

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