197話 武辺者と、金属錬成への道・1
領主館の会議室にはキュリクス領の地図が貼られ、各地域の産業報告や徴税官がまとめた人口統計が書き込まれていた。さらに村長や代官からの嘆願メモも、上がってくるたびにメイドたちが書いてはもピン留めされていくため、地域ごとの問題点や頻度が一目で分かるようになっている。今日の会議はまたもや空気が重々しい。今週上がってきた嘆願をの集約したまとめをトマファが淡々と読み上げた。
「ここ最近、金属製品の需要が急激に伸びたせいで地金の供給が全く追いついていません。例えば農具が破損しても村の鍛冶屋からは『修繕用の地金がキュリクスから届かない』と村長や代官から苦情が寄せられています。──金属加工ギルドに増産を要請していますが、ギルド長曰く『すでに限界』とのことです」
「地金鍛冶のゲオルグさん夫婦も必死に叩いて生産していますが、これ以上の増産は品質にばらつきが大きく出てしまうため不可能だそうです。他の鍛冶屋さんにもお願いして増産してもらってますが、昔からキュリクスは夕鐘が鳴れば作業を止める慣習もあるのでまさに“頭打ち”なんです」
レオナが立ち上がると現場の声を伝えてくれた。かつてはロバスティアのクモートが通商破壊を仕掛けてきて地金生産が滞ったこともあったが、今回の問題は生産そのものが追いつかないという深刻な問題だった。うーむと唸ったかと思えば机を拳で叩いて立ち上がったのは武官長スルホンだった。居並ぶ参加者の一人だけがびくんと肩を震わせる。
「それじゃあ街道整備も城壁修繕も何もかも出来ないではないか! ただでさえ兵たちの武器の更新だって滞ってるんだぞ!」
スルホンがいきり立つのも仕方がない。半年前から金属加工ギルドに予約していた長剣や槍穂先の納品について「遅らせて欲しい」と二度に亘って通告してきたのだ。領主軍を預かる武官長としてはいい加減我慢の限界だった。
「スルホちゃん、怒鳴ったって仕方ないでしょうに」
眉間に皺を寄せながら隣に座るユリカが窘めた。スルホンの怒鳴り声一つで顔をしかめる者はいないのだが、彼に向って窘められるのは領主ヴァルトアかその妻ユリカぐらいしかいない。──あとはアニリィぐらいだろうが、彼女は相変わらず大口を開けたまま眠りこけている。
「なんとか地金とやらを近隣から買い漁ってきて生産するのは出来んものか? てか、生産を遅らせてるのはギルドのせいなんだからそれぐらいの損失ぐらい被るべきだろうに! ──あの、レオナ嬢。……何か案はございませんでしょうか……?」
先ほどまで怒声を上げていたが、レオナに対しては猫なで声に近い声色へと変わる。会議に出るには似つかわしくない、あちこちに焦げ跡が残る作業着姿の彼女だが正真正銘のエラール王族である。身なりは粗末でも少し前までは一国を背負う立場にあった彼女にはスルホンも頭が全く上がらない。話す人に対して態度をあからさまに変える人物をあまり好ましいとは思わない彼女はむぅとした表情を浮かべると一つ咳払いをしてから続けた。
「ギルド長にも確認しましたが、近隣領の地金は品質にばらつきが大きすぎて話にならないそうです。中には銑鉄まがいの地金が混じっているから手を出したくないと。──ルツェル西部ファーレンシュタッド製の地金なら手直し工程を減らせると言われましたが、納品単価を考えたらコストが全く合わないので検討の余地はない、とのことです」
「そんなもん言い訳ですよ! 注文を受けたんだから今すぐ作ればいいだろうに……」
「後になって『不良品を掴まされた』と文句を言わないと約束できるのなら、スルホン様ご注文分の剣や穂先の納品は可能だそうですよ」
「ちっ、ああ言えばこう言いやがって!」
「スルホちゃん!」
苛立つ彼を再びユリカが窘めた。今回の納品遅延はギルドも領主館も想定していた需給予測が大きく外れた結果でありギルド側だけを一方的に責めるのは筋違いだ、むしろ関係を拗らせてしまった方が後々の問題になるだろう。かつては自慢だったキュリクスの地金品質の高さが今や生産を鈍らせる要因となっていたのは明白だが。
重苦しい沈黙の中オキサミルが分厚い文献を広げた、たまたまキュリクス図書館で見つけた古い研究論文らしい。
「ならば……これしかないだろ、大規模炉──反射炉の建設だな」
しかしその「反射炉」という言葉だけでは誰も理解できず、一同は顔を見合わせた。クラーレが隣に座る小柄な人物へ笑顔で声を掛ける。
「ミルドラスさん。反射炉についてご存じだったら説明していただけますか?」
名を呼ばれたミルドラスはびくりと肩を震わせ、耳まで真っ赤にしてクラーレから目を逸らした。会議室の中がざわめくがレオナが苦笑して取りなした。
「すみません。この方、極端に女性に弱いんですよ」
怪訝そうな空気の中ミルドラスは俯いたままぽそぽそとレオナにだけ囁いた。
「……炉の炎を……天井で反射させて……鉄を……安定的に融解……」
レオナが「ありがとね」と小声で返し、皆に向けて改めて伝えた。
「反射炉とは煉瓦造りの炉で、天井で炎を反射させ、不純物の少ない鉄を安定して溶かし出す仕組みです。これにより今より高品質な地金の生産を飛躍的に拡大できるそうです」
会議室にどよめきが広がった。すでに高品質なキュリクス地金を凌駕するものが大量に生産される。それはまさに夢物語のような話だった。しかしオキサミルが示した文献を見る限りただの煉瓦造りの煙突にしか見えないのだが。その様子を見届けるや領主ヴァルトアはゆっくりと立ち上がった。
「今、足踏みしてても始まらない! 道具も、武器も、機械も、その礎は鉄なんだから、反射炉建設──これぞキュリクスの新たな狼煙だ!」
力強い言葉に会議室は沸き立った。だが次のひと言で全員がずっこける。
「……だが、金がなぁ……」
こうして、反射炉建設をめぐる大事業が動き出すこととなった。
*
このミルドラス。技官として雇い入れられたロバスティア出身の少し風変わりな“男”である。まるで少女そのものの見た目でルチェッタたちおてんば娘と並んで歩いていれば「新しい友達ができたのかな?」と勘違いされかねないぐらいであるが、れっきとした男だ。ちなみに身長はメリーナよりは高いがプリスカよりわずかに低い、つまり男性にしては随分と小柄だ。ちょっと前にもキュリクスの銭湯で男湯に入ろうとしたら断られて女湯に放り込まれそうになったという。
かつてはヴィオシュラ技術院で冶金学や精錬学を専攻していたが最終年次で退学。その後はルツェル西部のドワーフ集落ファーレンシュタッドに長く滞在して金属加工や錬金工学に十年ほど携わっていたという。そこでドワーフ族の妻ナタリヤを娶ったが後に鍛冶師見習いとして諸国を転々とし、やがてキュリクスへ流れ着いて金属加工ギルドの研究員になったと履歴書に書かれていた。その縁からレオナとは顔なじみで「多少は会話できる」程度の関係と聞く。
見た目は少女っぽいのに女性免疫はゼロで、相手が女性だとすぐに顔を赤らめて口ごもってしまうほどだ。先ほどもクラーレに話しかけられただけで赤面し目を合わすこともできなくなるし、メイド達に声を掛けられても逃げ出してしまう。何せ雇用初日にプリスカから、
「新しい技官さんですねってミルドラスさんじゃないですか、よろしくね!」
と声を掛けられたとたんに逃げ出してしまい、館内で追いかけっこを始めてしまったという笑い話もある。ナタリヤとレオナ、金属加工ギルドの受付嬢クラメラ以外とはまともに会話できない。しかも男性相手でも流暢に話せるわけではない、俗に言う“コミュ障”というやつである。そんな彼がどうやって妻と結ばれたのかは誰もが気になるところだ。
領主館の技官募集に応募した動機が妻ナタリヤから「いい加減、ふわふわしてないで地に足をつけなさい」と尻を叩かれたのが応募の決定打だったそうだ。ギルド長からは「ミルドラスは口下手だが書いてくる論文は非常に論理的で、何より面白い奴だぞ」と太鼓判を押されていたが、ミルドラスはロバスティア出身だ、採用をどうしようかと躊躇われたのだ。そんな折、領主館側で採用に躊躇があるとギルド長から聞いたのか、『ロバスティアは地域によって宗教も違えば民族性が違うので一概にロバスティア人と言われてもピンと来ない件』というタイトルの小論文を書いて寄越して来たという。ギルド長の言う、まさに「面白い奴」だという事で採用された経緯がある。
とはいえ冶金分野の知識と技術には確かな実力を備えており、反射炉の構想など工業化に欠かせない発想を提案できる貴重な人材であろう。
*
「ミルドラス君、今日はどうする?」
会議後、とぽとぽと歩いて退室したミルドラスにレオナが声を掛けた。
「あ、──はい。ナタリが……きょう……飲みたい……」
「ナタリヤさんとデートならお邪魔できないわね──残念!」
「──すみません」
あまりにもぽつぽつとしゃべるのでせっかちな人ならイライラしてしまうだろう、だけどレオナはそんな彼と話してても苦にならないようだ。申し訳なさそうな表情と照れたかのような表情を浮かべながら彼は頭を下げる。
「じゃ私、ゲオルグさんたちと酔虎亭に行ってるから、もし気が向いたら一緒に飲も?」
「──わか、りました」
「じゃねー、ぶーん!」
絨毯地の鞄を抱えてレオナは颯爽と廊下を駆けていった。さらさらとなびく彼女の髪をミルドラスはぼんやりと眺めていたのだった。