196話 武辺者と、豊穣祭のあとしまつ
豊穣祭の夜。
空に消えていった打ち上げ花火は突如として轟音と閃光に変わり、街北東部の城壁を吹き飛ばしてしまった。石壁がゆっくりと外側に倒れ込む様を見たヴァルトアはため息をつきながら閉会を宣言したが、その直後から領主館は大騒ぎだった。祭りの興奮冷めやらぬ民衆がそのまま館へ押し寄せ、
「街の防御はどうするんだ!」
「増税は勘弁してくれ!」
「レオダムに弁償させろ」
「いやあれは事故だ、レオダムは悪くない」
と口々に叫び立てたのだ。とはいえ崩壊事故が起こって一刻も経ってないのに民衆が集まってきても何もできるわけがないし答えようがない。そもそも月明かりの中で修繕なんて危険でしかないし、これからどうするか対応協議中だ。レオナやトマファなどの文官は「対応を協議した上で発表しますから」と宥めるしかなかったのだが民衆は納得するはずはなく押し問答にまでなってしまった。興奮状態の民衆に何を言っても無駄だろうが、下手な対応をすれば暴動待ったなしの緊張状態である。その混乱の中、民衆の前に割って進み出たのが酔虎亭の女将トトメスであった。腕まくりしながらやってきたトトメスは夫ダンマルクの肩にひょいと飛び乗ると、
「ンなもんソッコーで決められるわけねぇだろ! はよ帰れ! てか文句垂れる暇あンならウチ飲みに来い! ──エールは一杯目無料にするよ!」
と一喝、さすが元ヤンの気迫というべきか「エール一杯目無料」という魅惑的な一言のせいかで民衆はあっという間に解散していった。しかし不満は消え去った訳でなくふつふつと燻っており、もたもたしてる余裕は無いのは事実だ。
領主執務室。ヴァルトアは額を押さえつつ現地調査と修繕計画立案を命じるしかなかったという。ちなみにやらかしたレオダムは身柄保護のため領主館の留置所にしばらく居てもらうことになったのだが。
*
民衆や野次馬が見守る中、夜明けとともに土木ギルド長と工兵隊と共に測量技官オキサミルが現場に入った。オキサミルらが調査を円滑に行えるようアニリィが指揮する警邏隊とマイリスが非常線を引いて護衛に入ってくれている。
キュリクスの街には高さ3ヒロ、厚さ1ヒロ半程度の城壁にぐるりと囲まれているのだが、昨夜の爆発で北東部の城壁50ヒロが外側へ倒れる形で倒壊していた。その倒壊部をギルド長やオキサミルが基礎部をハンマーで叩いたりメジャーで計ったりして調査していた。工兵隊の面々はというと瓦礫をせっせと撤去すると土嚢袋を用意し、角材や土羽打ちや片手鍋でそれらをぺちぺち叩いて1ヒロほどの高さの防壁を50ヒロ作って帰っていったという。あまりの手際の良さに見ていた民衆が「気が付いたら出来てた」と漏らしていた。
あちこち調べていたオキサミルはふと地面を掘り始める。そこで彼が現場に入ってからずっと感じていた違和感の原因がはっきりとしたのだった。
「なぁギルド長さん、この基礎部や瓦礫に……鉄骨や補強材などの芯材が全く入ってなくねぇか?」
ギルド長は目を見開くと部下らに命じてつるはしであちこちの壁跡を叩き割らせたところ、補強はどこにも入っていなかった。ただ突き固めただけの土くれに煉瓦や大ぶりの石をあてがってモルタルで盛り固めただけの、まさにただの土壁と言って差し支えのないものが城壁として使われていたのだった。
「こりゃあ構造上、今まで倒れなかったのが奇跡みてぇなもんだ。おまけに控え壁にも補強が一つも入ってねぇ。──ついでに外側に石を貼っただけの安普請だな」
水平を出して建てられた壁は風や地盤の変動によって倒れやすい。これを防ぐには控え壁が必要だが、その控え壁自体が壁本体の重みに耐えるための補強も入っていなかった。今まで壁に塗り固められた表面が崩れたのを修復するだけだったが、早かれ遅かれ崩れる運命だったのかもしれない。領主館には城壁についての記録が一切なく、誰が、どのような工法で築いたのか不明だったのだ。崩壊した城壁が示すのは芯材を持たない土壁を歴代の領主が場当たり的に修繕してきた歴史だけだった。
「統一戦争では東西の入場門を突破されてマスチェラス兵がなだれ込んできたって話だからな──だからそっちの入場門や城壁はやたら立派だけど、この北部一帯の城壁と入場門は戦前のままだって昔、親父から聞いたな」
「ってことは──ここら一帯の城壁全部が芯材無しの安普請って可能性があるってことだよな?」
「あぁそうだ。ヴァル卿の旦那には城壁修理と補強を優先するか、それとも新たに建て直すかの二択ってぇ訳だな」
つまりギルド長の見立てでは崩壊リスクがあり、今回の暴発でたまたま露見したに過ぎないという。今のところ目立った事故は無いが、もし規模の大きな嵐や洪水被害、地震が起きればどこかで倒壊するかもしれないという。──むしろ、攻城戦となれば泣き所にもなりかねないということだ。
「解った、この話は領主館にきっちり持ち帰らせてもらうよ」
その頃、警邏隊と共についてきたマイリスが不安を口にする民衆の窓口となってくれていた。制服姿の警邏隊やアニリィが言葉をかけるよりも、領主館のメイドである彼女がにこやかに応対するほうが混乱を和らげる効果は大きかったのだろう。不安を抱える人々の心を慰撫するには、朗らかな性格の彼女がうってつけの存在だったと言えるだろう。
「この場所は夜哨が立ちますので皆様はご心配なさらぬよう、夜は鍵をかけてお休み下さい。あと、この崩壊でお家が壊れた方がいらっしゃいましたら調査します」
マイリスの一言に「俺んち壊れた!」と叫んだ男がいたが周囲が「元からだろ!」と突っ込まれ大笑いとなっていた。中には「マイリスちゃんが修繕の指揮を執ってくれたら俺達頑張って働くよ!」と言う青年まで居たという。
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「北部一帯の城壁を建て直すのならこれぐらいの費用が掛かると思います」
領主執務室でテンフィがヴァルトアの前に見積書を差し出した。「補強工事でしたら随分と安く済むでしょうが、長期的な目線で見れば『お得感』はありませんね」
「だが、領の歳入を考えたら建て直す余裕なんかないぞ」
ヴァルトアは額を抑えながら唸ってしまった。テンフィの出した見積額で建て直せたとしたら数年間は何もできなくなってしまうだろう。かといって臨時徴税なんかしようものなら民衆のヘイトが崩壊の原因を作ったレオダムやその家族に向いてしまうだろう。しかしそんな金は無い、つい半年前、貿易港整備のために多額の投資をしてしまったのだ。トマファが車椅子を前に出ると一通の羊皮紙を執務机の上に置いた。
「それでしたら民衆向けに小口公債を、大店の商家向けにキュリクス公債を募りましょう。──それしかありません」
「こ、公債だと……!? つまり民に借金を頼むってのか?」
「父上、むしろ民衆に“キュリクスの株主”になってもらうですよ、未来を一緒に築くのです」
ナーベルはトマファの案に首肯した。「今、キュリクス市街や周辺領、ルツェルやビルビディアでの父上の信用は高いと思います。この信用を担保に出資してもらって建て替え原資にするんです」
「でも借金は借金だろ。返せなかったら信用は瓦解するし、借金は身を亡ぼすぞ」
ヴァルトアは借金にどうしても肯定的になれなかった。かつてキュリクスでも指折りの大商家から融資を持ちかけられた時も渋い顔をし続けたほどである。またツケ商売にも馴染めず、領主館にやって来る怪しい商人たちに対しても必ず現金払いを求め、嫌な顔をされていた。
貴族相手の商人にとってツケ商売は“うま味”が大きい。売掛金を積み重ねれば、後から高金利の貸付金に切り替え、利子で大きく儲けられるからだ。そのため現金払いしか受け付けないヴァルトアは、彼らにとって「ケチ」どころか「魅力のない客」と映ったらしい。だがヴァルトア自身はあくまで現金主義を貫き、借金に縛られるのを徹底して避けてきたのである。──ちなみにヴァルトアが借金・ツケを嫌がる理由は統一戦争の頃、陣借商人への酒代のツケが払えず大変な目に遭ったからだ、まさに借金で身を亡ぼしかけたのである。
*
トマファはさらに一通の羊皮紙を差し出した。
「ではこういう案を重ねてみてはどうでしょう。募った公債を元に城壁を北へ伸ばし、市街を拡張しませんか?」
「な、なんだと……!」
執務室が揺れた。執務椅子に座るヴァルトアが立ち上がるだけでなく、ソファにゆったり腰掛けていたスルホンもナーベルも立ち上がるや執務机に駆け寄ったのだ。そして三人で顔を並べてトマファが差し出した羊皮紙を覗き込んだ。そこにはキュリクスの北部城壁からさらに北側へ城壁を拡張し、それに伴い領主館や練兵所を移転するという思い切った案だった。
キュリクスは急激な街の発展に伴いまず街の中心部や領主館周辺への人口と施設の集中が深刻な課題になっていた。領主館や練兵所を拡幅しようにもすでに空き地が無いため無理だし、領主館そのものがそこまで広くないのだ。いい例が文官執務室で、当初はトマファだけ、数か月後クラーレがやってきたから二人で使う想定だった。しかし今ではレオナやレニエも加わり四人が肩を寄せ合って執務している。来客用のソファやテーブルも置いておきたいのにしばらくすればトマファの妻ハルセリアまでやって来るとか。となれば書架を撤去するか壁を叩き壊して拡張するしかなくないのだ。そうなると書庫や倉庫、さらには武官執務室にまで影響が及ぶため、執務室を二階三階に移すべきかと論議となったこともあるのだ。しかし車椅子のトマファが二階に移るとなればメイドたちへの負担が大きくなるし、階段昇降の危険も無視できないため現実的ではない。──ちなみに領主執務室は現在一階に移っている。
あと、キュリクスへ来た頃はヴァルトアの私兵はメイド隊を含めても百人程度だったのが今では動員できる領主軍は二百人を優に超えている。こうなると練兵所もぎゅうぎゅうで、現在は新兵募集すらできていない状態だ。
「北側城壁を取り崩したところに領主館と練兵所を移すんです。──つまり街の中心部をずらすって表現が正しいかもしれません。そして綺麗に造成すれば住宅事情も改善できるでしょう」
キュリクスは急激な発展に伴い、住宅問題も深刻化していた。政変や経済悪化から逃れてエラールやロバスティアから流入した民衆は、『家賃が高い』『家が狭い』と不満を口にするようになっていた。このまま放置すれば街のあちこちでスラムが形成され、治安悪化を招きかねない。──そこで街を拡幅し新たな住居地を造成して解決を図ろうという、いわば力業の方策であった。
「マジで金がかかるな……」
「ですが父上、いま手を打たなければ街の成長を止めるどころか、息の根を止めることになりかねません」
頭を抱えるヴァルトアに、ナーベルが静かに言葉を重ねた。「僕にできるのは公債発行のスケジュールと返済計画の策定です。トマファ殿には新聞屋への政策発表と、工事日程の管理をお願いできますか?」
「お任せください」
ナーベルの問いかけに、トマファは小さく頷いて応じたのだった。
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その日のうちにキュリクス中の新聞屋が速報を打つと各種ギルドや飲み屋に無料配布されたという。キュリクス日報発行の速報より抜粋する。
「城壁崩壊“事故”で領主館が政策発表。民衆向けに公債発行へ」
先の豊穣祭閉会イベント時に発生した城壁崩壊“事故”について、領主館は調査の結果を発表した。崩壊の原因は城壁内部に芯材がなく強度が不足していたことであり、今回の爆発はそれを露見させたに過ぎないという。領主館は「複数の条件が偶然重なった結果であり、あくまで“事故”として処理する」と説明した。併せて領主館と練兵所を北部城壁跡地に移転し、城壁を北側へ拡幅する計画も公表された。建設費用については民衆向けの小口公債を発行し、さらに商家向けの大口『キュリクス公債』を募集する方針である。募集要項や利率などの詳細は近日中に発表される見込み。
なお、事故の原因となった花火を担当した錬金術師R師については「厳重注意処分」とし、花火開発に関わった錬金術ギルドに対しては「口頭注意」とする処分が示された。
*
「ふぅ……なんとか混乱は収まったようだな」
ヴァルトアは小さくため息をつき、窓際に立って北部城壁を眺めた。ここはユリカが執務を取る二階の部屋でキュリクス北部が一望できる。
「現在の進捗ですが、城壁と水堀、それに領主館や練兵所、道路の縄張りが終わったそうよ、ヴァルちゃん」
「早いな」
「えぇ、資金調達がうまくいったからね」
大口の公債はあちこちの領主から引き受けたいと名乗り出、民衆からも小口だけでなく大口を買いたいとの声が上がったのだ。おかげで資金調達の第一弾は無事突破でき、今後も第二弾、第三弾と計画を回しながら拡張工事を続ける段取りが進んでいる。
また城壁全体の構造検査で、北部一帯の芯材に補強が一切入っていないことも判明した。倒壊リスクを考慮したため拡張工事は当初の想定以上に大規模になっている。ナーベルが安全のためにと調達計画を多段式にしておいたのが功を奏したと言っても過言ではないだろう。
「ところで領主館が移転した後、この地はどうするつもり?」
ユリカも窓辺に並び一緒に外を見やった。ちょうど初等学校の下校時刻らしく子ども達が楽しげに歩いている姿が目に映る。
「キュリクス学院を復活させたいそうだ。──未来の子たちに将来を託したいとな」
二人でぼんやりと外を眺める。日没が早くなってきたのか夕鐘がまだなのに空は僅かに茜色に染まりつつあった。もともとこの領主館や練兵所はキュリクス学院の跡地に建てられたものだ。それが復活するとなれば街はさらに発展するだろう。
「──で、学校って儲かるのか?」
「ヴァルちゃん。それ、トマファ君に訊いちゃだめだからね!」
そう言うと二人は顔を見合わせて大笑いするのだった。