194話 武辺者と剣術指南
領主館裏庭の鍛錬場。秋の陽射しを浴びながらルチェッタ、エイヴァ、オリヴィアの三人は一心不乱に木剣を振っていた。弧を描く剣先。息は弾み、汗が額から流れ落ちる。彼女たちの前で腕を組む剣術指南のアニリィは憮然とした表情で一言漏らした。
「……んー、良いんじゃない?」
三人は最初こそは嬉しそうに顔を見合わせていた。褒められた、と。だがどれだけ稽古を続けても返ってくるのは同じ言葉ばかり。
「──うん、良いんじゃない?」
「……またそれですか?」
ルチェッタがぼそりと漏らし、エイヴァもオリヴィアも視線を交わす。
「具体的に“腰を落とせ”とか“肘をこうしろ”とか、そういうのは……」
「適当すぎないですか、アニリィ様……」
三人の訓練の隅で見ていたイオシスが口を開く。
「アニリィ様。他にアドバイスは無いのですか?」
アニリィは肩をすくめ、あっさりと答える。
「無いッ!」
「ええええーー!?」
三人の叫びが鍛錬場に響いたのだった。
*
「……だったら、他の先生にも習った方が上手くなるんじゃないかな……」
ルチェッタは木剣を握り直しながら思わずぼやいてしまった。それが耳に入ったのかエイヴァが「例えば、メイド隊のパルチミンさんとか」と続けると、オリヴィアも「武官のウタリ様とか……」と加わった。
普段はぽわぽわした感じで職務に当たる領主館メイドのパルチミン。しかし橋の上で通せんぼしていた流浪剣士を一瞬で打ち倒すような武闘派でもある。暇さえあれば作務師のノーム爺とチェスを打っているウタリも剣術指南役のグレイヴから「筋が良いお嬢」と評されるほどには長剣術に秀でている。
その言葉にアニリィは眉をぴくりと動かし、再びにやりと笑った。
「へぇ、浮気?」
彼女はゆっくりと歩み寄り、訓練用の木剣を肩に担いで弟子たち三人の前に立ち、真剣な声で告げた。
「いいか、剣は小手先の技じゃ強くならん。肘の角度や肩の動きを百遍言われるより毎日きちんとした姿勢で千回素振りした方が身体が覚えるもんよ」
三人は思わず息を呑んだ。アニリィは持ってた木剣を中段構えの状態でスッスッスと足さばきを見せながら続ける。
「足さばきも、重心移動も、型も──まず“身体に染み込ませる”こと。毎日やることでどんなコンディションでも正しく打てる。頭で理解するんじゃなく、自然にできるようになるってのは、そういうこと」
「……なるほど。良いから“良いんじゃない”しか言わないのですね」
イオシスが頷く。アニリィは中段構えのままうんうんと頷き、またもやにやりと笑った。
「そう。ブレた素振りだったり、気の抜けた素振りを続けてたらあれこれ言うよ? だけど今、三人は良い素振りを続けてる。だから私は今、口を出さないだけ」
アニリィは木剣を上に持ち上げたと思った瞬間、鋭く弧を描く剣筋が空気を裂き、ヒュンと風が唸る。ただの素振りだったが子ども達の目には達人の剣筋をまざまざと見せ付けられたような気がした。
「今年から聖夜祭にちびっ子向けの剣術大会が追加されるそうね──楽しみにしてるわよ」
ルチェッタが木剣を握り直し、深く頭を下げる。「ごめんなさい、アニリィ様の真意を疑ってました」エイヴァは気合を入れ直して「もっと振ります!」と言い、オリヴィアも「もっと打ち込んで基礎を叩き込みます!」と声を張った。
アニリィは満足そうに頷き、そしてまた一言。
「うん、良いんじゃない?」
三人は苦笑しながらも再び木剣を振り始めた。鍛錬場には少女たちの掛け声と空気を切る音だけが響き続けたのだった。
*
「領主さんよぉ──ウチらの弟子に余計な指導はやめてもらえませんかねぇ?」
とある日。
領主執務室に二人の若い師範が怒鳴り込んできた。聞けばこの二人、キュリクスで剣術道場を開く若造の師範で一人は北方スコーラ流、もう一人はエラールで主流のブリッツ流。──つまり、エイヴァやオリヴィアが通う剣術道場の師範だった。
街のちびっ子剣術大会の後から少女たちの腕前が急にめきめきと上達したため師範たちは鼻高々になっていた。ところが休日に領主館の鍛錬場でアニリィが素振りを見てやっていると耳にし、文句を言いに慌てて押しかけたのだ。口角に泡を溜めて怒鳴る二人にヴァルトアの側に控えたオリゴが何かを言いかけたが、彼は静かに右手を上げて制した。
「商売の邪魔? アニリィは素振りしか教えてないはずだぞ。……まさか、素振りまでお宅の独占か?」
二人はぐっと口を噤む。ヴァルトアはなおも低く問い質す。「それに、アニリィはスコーラ流もブリッツ流も含めて多数の免許皆伝を持っている。文句があるなら家元に直接言ってもらおうか?」
師範たちは顔を青ざめさせながらも逆上したように声を張り上げる。
「な、何だと! あの“酔いどれ”の小娘がそんなもん持ってる訳ねぇだろ!」
その瞬間ヴァルトアは頷くと、オリゴは執務室の書架から一冊の書類を抜き取り、机上に差し出した。そこに並んでいたのはスコーラ流、ブリッツ流、ヴォルフ・シュヴェルト流、フィオライゼ長剣術──いずれも『アニリィ・ポルフィリ』の名で記された免許皆伝書であった。
「こ、こんなものが……!」
「見ての通り免許皆伝書だ。お前らも師範を名乗るなら家元の許しぐらい持ってて当然だろ? ……まさか、持ってないのか?」
師範たちは生唾を飲んだ。免許皆伝書とはその流派の家元が一人前だと認めたからこそ与えられるものだ。むしろ街の剣術道場の師範をする程度の級数ならある程度のカリキュラムをこなせば誰でも簡単に取れてしまう。冷や汗を垂らす師範たちを見据え、オリゴはさらに一冊を取り出して差し出した。今度は『ヴァルトア・ヴィンターガルテン』の名が記されたいくつもの免許皆伝書である。その中にはスコーラ流やブリッツ流の皆伝書まで含まれていたのだ。
「おめぇら。──まずは“兄弟子”に対する口の利き方を剣技で教えてやろうか!」
「ひ、ひぇ~!」「すんませんっしたー!」
久方ぶりの怒号に領主館が揺れたのだった。
*
余談だが──後日、スコーラ流とブリッツ流の家元からの使者がそれぞれ領主館に訪れたという。彼らは深々と頭を下げ、
「若い師範がご迷惑をお掛けしたようで申し訳ありませんでした」
という謝罪の書状を差し出したとか。それに泡を食ったように驚いたのはむしろヴァルトアの方であった。彼は慌てて筆を取り、
「こちらこそ、家元殿の大切なお弟子さんにパワハラまがいの真似をして申し訳ありませんでした」
としたためた返書を用意し、さらに土産としてキュリクス・クッキーを添えて持たせて帰したという。──その話はキュリクス日報の『今日の領主館』ってコーナーにスッパ抜かれてしまい、読者はその記事を聞いて大いに笑い、ネタにして酒の肴にしたそうだ。
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