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193話・武辺者と、ルツェル大公と

 入場門にいた警備隊が幌馬車に身分証の提示を求めると、御者は旅券を三通差し出した。その一通にはルツェル公国籍の「パトリック・ジョセフ・マリア・マウリ男爵」と記されていた。異国の爵位持ちが先触れもなくキュリクスに訪れるなど前代未聞である。驚いた警備隊は急ぎルツェル大使館に照会したところ、ハルセリアとアンドラが駆けつけることになったという。


 この「パトリック・マウリ男爵」とは歴代ルツェル王族が“お忍び”で用いる通称だ。その名で入場申請をしてきた以上どんな仕事を放り出してでも向かわねばならない最優先事案である。──もし仮に赤の他人が騙っていたなら旅券不正使用としてひっ捕らえなければならないからでもある。


「ハルセリア様、アンドラ様。この方々は“パトリック男爵夫妻とその従者”で間違いありませんか?」


 入場門の警備主任が恐る恐る問いかけると、二人は静かにうなずいた。


「──ええ、確かに。この馬車はこちらで引き継ぎますので通していただけますか?」


 主任は怪訝そうに眉をひそめる。「は、ハルセリア様自らですか? ひょっとして……まさか」


「気になさらないで。旅の男爵様にすぎませんわ」


 ハルセリアは穏やかに笑みを浮かべ、隣のアンドラへ小声で告げた。「私、すぐに領主館へ走ります。そこの広場でしばらく休ませておいて!」


 そう言うや否やヒールを脱ぎ捨て、軽やかに駆け出した。残された警備主任はただ呆然と立ち尽くす。


「なぁ、アンドラ嬢……やっぱりこの男爵様、ただ者じゃないんだろ?」


「ま、まぁ“貴族様”には違いありませんから」


 アンドラは苦笑しながら馬車馬の轡を取ると指示通りに入出場待機場の広場へと導いた。そのまま腰の大剣に手を添えて護衛に就く。事情を察したのか数人の警備兵も短槍片手に護衛に加わってくれた。──なお不幸体質で災難を呼び込みがちなアンドラだが、剣術の腕はルツェルでも屈指である。旅先の酒場で異様に絡んできた酔客をまとめて叩き伏せたらその中に賞金首の盗賊が混じってたとか、師範から「貴殿は弟子にではなく師匠になってほしかった」とさえ言われた逸話すらある。そんな実力者が日常では階段につまずくのだから人の才覚とは不思議なものだ──とここに蛇足として記しておく。


 *


「ほら、あの幌馬車……レイジル夫妻のじゃないか?」


「あの夫婦、逮捕か?」


 領主“戦乙女”旗を掲げた騎馬隊に先導される幌馬車を目にした民衆たちは口々にささやいた。あの馬車はキュリクスとルツェルを往復する行商人夫妻のものにそっくりだったし、騎兵隊に導かれて走る幌馬車など誰も見たことがないので珍事に胸膨らませるのも無理はないだろう。メイド隊や斥候隊が人払いに出るが住民は「お疲れさん!」「また飲みに来いよ!」と気安く応じるばかり。中には「何があったんだ?」と問いただす者もいたが、「ごめんね、仕事で言えないんだ」と返されれば「そりゃそうか」とあっさり納得してたという。緊迫感よりも好奇心が勝っていたようだ。


 *


 幌馬車が領主館に入ると急ごしらえの整列を整えた警備隊の前で幌幕が静かに開いた。そこから現れたのは庶民の衣服をまとった大公フランツ・ヨーゼフ十世とゲオルギーネであった。大公は麻布混紡の上衣に麦藁帽、ゲオルギーネは町娘そのもの。意外と着こなしてた姿を見てヴァルトアは思わず吹き出しそうになっていた。さらに従者として降りてきたのは粗末な服姿のエルンスト・ルコック伯爵だった。ハルセリアが思わず「パパ!」と声を上げると、大公はその反応ににやりと笑っていた。


 ヴァルトアやクラーレら領主館の面々は慌ただしく正装に身を包み居並ぶ中、ユリカだけは訓練着のままだ。「向こうがお忍びなら、こちらも堅苦しくする必要ないでしょ!」と胸を張って居直る始末である。もし大公の供回りが大勢いたなら「無礼者!」と怒声が飛んだだろうが今回の訪問は明らかに先触れもなく突然のもの。ユリカの言う通り無理に正装で迎える必要はなかったのである。


「どうだ、キュリクスの行商人から買った服だ。着心地が良くてな」


 下りてきた大公はわざとらしく()()を付けて歩み、ヴァルトアの前で軽くターンして見せる。ゲオルギーネも満足げに「このドレス、軽くて涼しいのよ!」と声を弾ませていた。


「先触れも出さずに来てしまったこと、まずは詫びよう。──初めまして、ヴァルトア・ヴィンターガルテン卿」


「ははッ! ──陛下におかれましては、わざわざこのような場所まで──」


「おべんちゃらは止せ。それにキュリクスの方々も肩の力を抜いてくれ給え。ちょっと用があって勝手に来ただけだ」


 そう言うと大公はゲオルギーネと並んで跪く者の肩を軽く叩き、立たせてあげていた。ゲオルギーネはユリカの顔を見て「あなたが噂の“エラールの女傑”ね?」と笑みを向けると、「私程度が女傑を名乗ったら他の豪傑女に叱られますよ」とユリカは謙遜していたが、果たしてこのセンヴェリア大陸で彼女を叱り飛ばせるような豪傑は何人いるんだろうか。それどころかゲオルギーネは『センヴェリアの貴婦人』と名高い人物である。そんな人から褒められてユリカはまんざらでもない表情を浮かべていたが。


 大公は跪くハルセリアに近づくや「ハルセリア嬢、久しぶりだな」と穏やかに声を掛けた。だがハルセリアは深く頭を垂れ、「陛下におかれましてはご機嫌麗しゅう──」と口上を述べかけた。その言葉を大公はやわらかに遮ると身を屈めて耳元でささやいた。


「良かったな……ようやく好きな人と一緒に居られるようになって」


 その一言にハルセリアの肩がびくりと震え、小刻みに身を震わせながら「はい」と押し殺した声で応えたのだった。


「そして君が文官長トマファ殿か」


 車椅子に座るトマファの前に、大公はわざわざ膝を付いた。視線を合わせぬようにと背を折るトマファを、大公は両手で肩を支え無理させまいとする。その眼差しは気さくさと温かさに満ち、張り詰めた空気をふっと和らげた。


「事情によって跪くことが出来ません御無礼──」


「よいよい、そんな些事。君の話はハルセリア嬢から散々聞いている。──少し我儘なじゃじゃ馬だが、頼んだぞ」


 ぽんぽんと肩を叩いては優しい声を掛けられ、トマファは顔を赤らめ「御意」と答えるのがやっとだった。──なお、この時の大公は“気さくに庶民へ肩を叩く”振る舞いを見せていたが、宮廷でも実は同じで、門番や商人らの肩をぽんと叩いて世間話を始めては側近に咎められたこともある。どうやら生来の性分らしい。


 その様子を見て、ハルセリアの父エルンストは涙目になりながら長女の未来の夫を眺めていた。


 *


 領主館の貴賓室。食事がまだだと言う大公のため卓を囲んでの会談となった。


 急な食事会となったが料理メイドたちは胸を張り「ルツェル料理ならすぐお出しできますよ」と言うのでさっそく腕を振るってもらったのだ。給仕には新人メイドたちが抜擢されたが、メイド長オリゴは彼女らには『ヴァルトア様の古い友達だから気楽に接待しなさい』と言い付けたという。そう、彼女らには客人の正体をあえて明かさなかったという。他国の君主が砂埃まみれの庶民服を着ていると知ったらきっと皿を落としかねないからという配慮だろう。──なお、この“古い友人”という表現は後に新人たちの間でしばらく謎めいた噂を呼び、「統一戦争時の戦友なのか」と井戸端会議の格好の話題になったそうだ。けれど早々に『あの客人はルツェル大公フランツ・ヨーゼフ十世と公妃様よ』と知らされあちこちから絶叫が響いたのは余談である。


 食事をしながらの会談は交易の話から始まったのだが、大公は「実際はハルセリアの旦那見物だ」と早々にあっさり白状した。ヴァルトアが「なぜ突然に?」と尋ねると、ゲオルギーネが答えを引き継いだ。


「もう公務続きで疲れたのよ! 元老院にお願いして、やっと休暇をもらったのよ」


 ゲオルギーネによれば大公世子マリウスが来年あたりに婚約宣誓式を控えており、その打ち合わせや他の公務が次々と舞い込み、目が回るほど忙しかったという。さすがに疲れ果てて「休みが欲しい」とエルンストに駄々をこね、ようやく休暇を得てこうしてキュリクス下りとなったのだ。もっとも“お忍び”とはいえその準備は本格的で手が随分と込んでおり、まるで間諜の潜入かと警備主任が本気で疑ったほどである。それについて問いただすと、


「陛下が『エルンスト、お忍びなら本物の荷馬車と衣服を仕入れて参れ!』って無茶を言いましてね。──んでたまたま王都に来てた行商人夫妻に営業権といくらかの金銭で分けてもらったんですよ」


とエルンストが応えていた。ヴァルトアやユリカ、トマファは心の中で『いやいや、やってることがまんま間諜だよ』と思ったという。その行商人こそがレイジル夫妻であり、騎兵隊に誘導されていた見覚えある幌馬車を見て民衆らが驚愕してたのである。



 チーズと生クリームたっぷりの鳥煮込みを食べて満足気味の大公がふと真顔で口を開いた。


「トマファ殿。──ところで我が国から爵位を受ける気はないか?」


 突然の物言いに室内が凍りついた。大公の横に座るゲオルギーネやエルンストはもちろん、ユリカ、クラーレ、そしてハルセリアまでもが目を見開き、驚きに息をのむ。そのざわめきの中でただ一人トマファだけが落ち着いた表情を崩さなかった。


「エラール王宮より陪臣の立場すら持たぬ身なのに他国から突然爵位を受けたとなればあちこちで不要な緊張を招きましょう。それではヴァルトア卿の御威光を損ねることにもなりますし、今後のキュリクスにも影響が出てしまいましょう──それでももし授爵を強要されるなら……自分はキュリクスもヴァルトア卿も捨てて遁世せざるを得ません。僕は外様ですがヴァルトア殿の直参でありたいので」


 大公は眉をひそめたが、やがて大きく頷いた。


「そうか。──もし世捨て人になるならハルセリア嬢はどうするつもりだ?」


「彼女に任せます。僕は僕自身のために迷惑を被る人は居て欲しくありませんし、彼女自身が迷惑だと思うのなら僕なんて切り捨てて頂いて構いません。──愚者は一人で死ぬべきです」


「……それなら私はついていきます。例え先が茨の道であっても主神は決して乗り越えられない試練は課さないと思いますから」


 ハルセリアが額と胸と肩を右手で触れながら「主神と月と精霊の御名に感謝」と聖句を唱えると大公もゲオルギーネ、それにエルンストやトマファも静かに聖句を唱えた。月信教徒は誰かが祈りを始めるとつい自分も聖句を口にしたくなるのは変らない。


「ふむ……なるほど、話の筋は通っている。──だがな、貴殿の内政手腕はヴァルトア殿も評価しているはずだ。それなのにエラール王宮はそれにふさわしい評価をしていない。君の忠義に報いないその不誠実なやり方は、儂にはどうにも納得がいかんのだ」


 トマファは少し青臭い考えかもしれませんがと前置きしつつ微笑んで提案した。


「それでしたら大公陛下とヴァルトア卿とで友誼を結ばれてはどうでしょうか。僕はヴァルトア卿の直参ですから、その主人と『一献の仲』というのも悪くありません」


 それを聞いて大公は目を丸くすると豪快に笑い飛ばした。


「それもよいな! それならば夕鐘が鳴ってから酒場に行こうではないか!」


 大公の提案にゲオルギーネとユリカが即座に「いいわね!」と声を揃える。


「じゃあ、温泉にでも浸かって長旅で溜め込んだ砂埃を払いに行きましょうよ」


 ユリカの一言で大公らを連れ出すとそのまま領主館近くの温泉でしばらく汗を流すのだった。


 *


 月信教の塔楼より夕鐘が鳴り響いた頃、一行が向かったのは『酔虎亭』だった。大公が「庶民と混ざって飲む」強くと言い張り、貸切を拒否したため店内は仕事上がりの常連客らと領主館の兵たちとで大宴会となってしまった。常連客たちは最初こそ『あのヴァル卿とその客人』との姿に目を白黒させてたが、やがて「なんだか面白い人だ」と肩を組んで杯を差し出し、貴賤入り乱れての大騒ぎとなってしまった。


 漬物にチーズをかけろと大公が言い出し、店は騒然。「そんなのありか!」「トトメちゃんが怒るぞ!」と客たちが騒ぐ中、女将トトメスが「盛るぜぇ、超盛るぜぇ!」とチーズをどばっと大盤振る舞い、場は爆笑の渦となった。ちなみに糠漬けに粉チーズは意外とよく合う。


 余興も賑やかだった。オリゴとマイリスの投げナイフ芸は圧巻だった、二人の頭の上に置かれた林檎にお互いためらいもなく投げ合うのだから誰もが息を呑んで見守り、成功すると大騒ぎだ。──失敗したら別の意味で大騒ぎだろうが。


 そしてプリスカとパウラのダンス。猫耳を付けたプリスカに対し、パウラは男装姿。二人はタンバリンを手に激しいパ・ド・ドゥを繰り広げた。もともと毒蜘蛛に噛まれて死ぬまで踊り狂う伝承を題材にした舞踏で豪快そのもの。観客は手拍子を打ち、熱気に包まれる。踊り切ったあとにアンコールを求められても二人は肩で息をしながら「ちょい無理」と苦笑し、大公はそれ見て腹を抱えて笑っていた。


「まぁ、一杯飲んでからでいいので、もう一つばかり踊ってくれまいか?」


 本来なら舞踏に興味を持たない大公がそう言うのだからゲオルギーネもエルンストも驚いていたが、そこまで言われたらと言う事で二人はタンバリン片手に再び踊るのだった。しかもパウラは真面目な顔して正統派の踊りを、プリスカは西国風のコテコテな”笑わしに来てる”踊りを。それを見て大公も大げさに笑い転げていたという。


 そのあとはゲオルギーネとユリカが自国のワイン談義に花を咲かせていた。


「いいえ、ルツェルはチーズや生クリームだけではありませんわ、ワインも産地なんですの!」


「いーや、ルツェルは寒冷すぎて酸味が強すぎますわ! それならまったり穏やかで果実味があってキュリクスのワインは最高ですわ!」


「そんなことございませんことよ! 酸味は強いですが、繊細でエレガントな香りがしますもの!」


「そこまで熱くなるなら飲み比べると良い。どっちも俺の娘エミリア推薦のワインだ」


 ダンマルクが両国の酒とチーズをそっと並べておいた。二人はそれぞれ飲み比べを始めると、「ルツェルワインのイメージが変わった」「キュリクスって火酒だけじゃないのね」とそれぞれ感想を漏らすのだった。


「酒は人の営みの結晶だ。どの地の味が優れてるなんてこれ以上に野暮な話は無ぇ」


 ダンマルクはそう言うと黙々と皿を洗うのだった。──ちなみにエミリアから「そろそろ二人での初酒造です」と嬉しそうな手紙が届いたのか、終始ダンマルクの機嫌は良かったという。ちょっと前まで酔虎亭の厨房で不貞腐れた顔をしながら手伝いをしていた長女が、ようやく手に入れた幸せを充分に愉しんでいるようで父親としても嬉しいのだ。もちろんエミリア、ドロテアたちのエンノーラ蒸留所が作るソースは今も酔虎亭で大事に使っているし、サーグリッド・フォレアルの新酒も楽しみにしているのだが。


 大公は杯を傾けながら「自由闊達な領地だな」とつぶやいた、だがその直後小声で続ける。


「だが自由は諸刃の剣だ」


 それを聞いてたトマファとハルセリアは表情を引き締めたのだった。


 *


 翌朝、大公一行は早々に出立した。「また、ふらりと来るさ」──笑顔でそう告げて去っていった。地平線の向こうに消えていく幌馬車を眺めながらヴァルトアがぼやいた。


「次に来るときも、先触れは無いんだろうな」


「でしょうね」トマファは苦笑する。ヴァルトアは深いため息を漏らしたのだった。



「どんだけせっかちなんだよ、あの大公」

・作者註


漬物にチーズは、合う。

マヨネーズも、合う。


我が家でタルタルソースを作るときはラッキョウ漬けと粉チーズ(パルミジャーノチーズ)を使います。酸味が効いて美味しいですよ。

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