189話 武辺者と、秘密の日記帳騒動・1
夕陽の差し込む学校近くの公園。小さなベンチに四人が肩を寄せてひそひそ声を交わしながら一人の少女がペンを動かしていた。彼女たちの手に置かれているのは小さな革張りの手帳で、栞紐には小さな花の刺繍が見える。その手帳からは少女たちの秘密が漂っていた。角は少し擦り切れているが、きっと大事に扱われているのだろう。
『……“この前、イオシスをからかってきた男子がいて、すっごく腹が立った”』
ペンを握るルチェッタが静かに書きつけた。
夏休みが明けて新学期が始まると、イオシスの髪型はお下げから三つ編みシニヨンへと変えた。この夏に背も髪もぐんと伸びた上に、ヴェッサのエルフたちは10歳になるとそういう髪型にする習慣があるらしい。ただ、周りからはおしゃれにも目覚めたと思われてるらしく、急に大人びた雰囲気をまとうようになったイオシスをクラスの女子からは羨望のまなざしを、男子たちはからかうようになってしまったのだ。
その光景をふと思い出したのか、勝気なルチェッタの横顔がわずかに赤く染まると唇をきゅっと結ぶ。腹立たしさをこらえるかのようにペンを握ると一文字一文字書き綴っていった。
「わたし、そんなに気にしてないんだけどなぁ……でも、そんなの書き残さないでよ、ちょっぴり恥ずかしい」
イオシスがふにゃっと笑いながらも、耳まで赤くしてルチェッタが書き込んだページを覗き込んでいた。大柄な体を小さく縮めるようにしてたが、その表情はどこか楽しそうであった。
「でもさぁ、あんたのこと守ろうとするルチェッタって、やっぱかっこいいと思うけどなぁ」
エイヴァがルチェッタの肩に頬をのせにこにこと笑う。彼女は学校や街では「金穂屋の娘」というレッテルを貼られてしまう。そのため普段から周囲の思いや色眼鏡を汲み取って言葉や振る舞いに気を配っていた。しかしこの四人組といる時だけは年相応の少女らしい表情を見せるのだった。なおエイヴァがルチェッタに送る熱視線には誰も気づいていないのだが。
「なっ、なによ急に!」
ルチェッタが赤面してペンを止めると三人がいっせいに笑う。オリヴィアは眼鏡を押さえ、心配そうに声を潜めて口を開いた。
「……だけどさぁ、この日記帳が知らない人に見られたら……大変なことだよね」
「「「しーっ!!」」」
オリヴィアの言葉を聞いて三人が一斉に人差し指を口に当てて「シーッ」とやると、また四人で笑い合った。ささやかな秘密を共有するこのひととき、しかも言葉ではなく文字で残す楽しさ。革張りの日記帳の中に広がる秘密の世界は彼女たちにとって何よりも面白い冒険譚だった。やがて月信教寺院の夕鐘が鳴り響く。公園で遊ぶ子供たちが帰り支度で慌ただしくなる中、その日記帳は公園のベンチの下に置き去りにされてしまっていたのだった。
その日の夜。
街を巡回していた警備隊が革張りの手帳が落ちてることに気づき、公園ベンチの下から拾い上げた。金色の小さな鍵付きのそれは花装飾のレザーカービングが施されており、別に不審な様子はない。花装飾やちらりと覗く栞紐の刺繍があまりにもかわいらしく、乙女趣味な落としものとしか見えなかった。
「ずいぶんかわいらしい落とし物だな……」
「最近ビルビディアから来てる女行商人の手帳じゃねぇの? ま、念のため領主館に届けておくか」
「実はとんでもない落としモンだったりして──ほら、最近はルツェルやビルビディアとの交流が盛んだから、あのロバスティアのスパイ秘密通信だったりして」
「おいおい、本当にそうだったら面倒くせぇじゃん、冗談でもそんな事言うなよな」
兵士たちは互いに冗談を言い合うと懐から取り出した拾得物切符に必要事項を書き、その後も西区や市場通りの巡回を済ませてから領主館へと届け出ることにした。
──深夜の領主館。その日は週末だったせいか夜哨メイドも窓口・見廻り一人ずつの最低限しか配置されていない。そこへ警備隊の兵士二人がやってきたのでクイラは起立し敬礼する。
「やぁ、夜哨メイドさんおつかれさま──落とし物の受付頼む。拾得物切符は付けてあるよ」
「承知致しました──では、受領半券は詰所での保管をお願いします」
「あい、了解よ」
クイラは拾得物切符に押印してから半券を千切ると兵士たちに手渡した。彼らも慣れてるのかそれをポケットに仕舞う。週末の夜間窓口なんて仕事なんかほとんど無い、かといって街なかで大事件が起きれば真っ先にこの窓口に連絡が入ってくるためここを無人にすることは出来ないのだが。──だから窓口当番だったクイラは参考書や教科書をひろげて勉強に励んでいた。ちなみに夜間の窓口勤務になった際、飲酒以外は何をしてても良いってことになっている。編み物に勤しむ者、カード占いを愉しむ者、漫画を描く者、本を読む者、居眠りする者と様々だ。
「君、いつも夜間窓口の仕事に入ってると勉強してるよね」
警備隊の一人が言うのでクイラは「そろそろ初等学校の卒業認定試験なんです」と応える。
「そうか、がんばれよ」
警備隊の二人は親指を立てると静かに出ていった。扉が空いた瞬間、ひんやりとした空気が館内に滑り込む。クイラは規則通りに拾得物切符の内容を記録簿に転記して文官執務室へ送る手配をした。
「……さて、交代まであと半刻、もうすこし勉強しよ」
クイラは小さく呟くと記録簿を閉じ、背筋を伸ばして再び参考書へと視線を落とすのだった。
*
翌日。
街の空が茜色から瑠璃色に、そして黒く染まる頃にも係わらずルチェッタとイオシスは人気のない、綺麗な路地をうろついていた。
「絶対、この辺で落としたはずなのよ!」
ルチェッタは苛立ちまじりに声を上げ、石畳の隅を何度も見渡した。
「んー……でも、昨日は市場のほうにも寄ったし、公園と中央通りとエイヴァちゃん家と……どこでなくしたんだろうねぇ」
イオシスはそう言ってルチェッタの手を取りながら一緒に捜し歩く。どうやら四人で回していた交換日記をルチェッタがどこかに無くしてしまったらしく、そのため昼過ぎから二人でキュリクス中をずっと探し続けていたのだ。ルチェッタが顔を蒼白にして探し回る一方、イオシスはまるでルチェッタとの散歩を楽しんでいるかのようだった。彼女にとってこの捜索は冒険そのものかもしれない。
二人が暗がりを覗き込んでいるときだった。
「おい、こんな時間に子供が何してる!」
「え、やば!」「逃げなきゃ!」
夕鐘が鳴っても子どもだけでぷらぷらと街を出歩いてれば警備兵に補導されてしまう。そんな話は二人も耳にしていたはずだった。にもかかわらず探し物に夢中になってた二人は警備兵に捕まり、詰所へと連行されていたのだった。
「私はアンガルウ準男爵家の娘、ルチェッタですわ! 今すぐ私たちの身柄を解放なさい!」
「るちぇ、そんなぷんぷんしてたらだめだよぉ」
「──解放するもなにも、こんな時間になって花街付近を子どもが二人してほっつき歩いてた理由を教えて欲しいんだがなぁ」
顔を真っ赤にして警備主任を怒鳴り散らすルチェッタにその横で彼女を諫めるイオシス。調書を取ろうとする警備主任は困っていた。年若い女性警備兵のレンジュがお茶を勧めるが、興奮状態のルチェッタの頭にそんな言葉が入ってくるわけがない。本当なら二人を切り離して事情を聴こうとも思ったが、二人ともしっかり手を握ったまま離れる気も無いらしい。
「もうじき保護者の方がいらっしゃいますので、私たちは一旦離席しましょう──じゃあお茶とお菓子を置いておくから少しだけ待っててね?」
レンジュに促されて警備主任と取調室を後にした。──そんな時、アニリィが息を切らせながら詰所へと駆け込んできた。軍服姿で腰から大剣をぶら下げたままの彼女は額に浮く汗を手首で軽く払ってから、軽く身なりを整えると二人に敬礼した。
「いやぁ、ウチのルチェとイオシーがご迷惑かけたみたいで──補導?」
「あ、アニリィ閣下、お疲れ様でございます! えぇ、一時間ほど前ですが二人で花街近くで遊んでおりましたので身柄を拘束させていただきました」
警備主任が敬礼しながら理由を話す。その横のレンジュも敬礼しながら「ですがルチェッタ嬢が興奮状態でして困っておりました」と続ける。アニリィは申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「休日で飲み屋街が忙しくなる時間なのに、ウチの子たちが警備隊に迷惑をかけてしまって本当に申し訳ない──面会できる?」
「えぇ、是非」
警備主任とレンジュに促されて三人で取調室に入る。アニリィは取調室に置かれた粗末な椅子にどかりと座ると「迎えに来たぞ」と言ってにこりと笑う。
「私は説教臭いことは大嫌いだ。それにルチェとイオシィが良い子だと信じてる。──反論はある?」
アニリィはそう言うと長い脚を組んだ。彼女の表情は怒りの感情は露ほど見えず、いつもルチェッタたちに向ける優しさと落ち着きある表情を見せていた。それを見てか先ほどの興奮状態が嘘のようにルチェッタの顔色がすっと落ち着いてくる。しかしイオシスと繋がった手は相当に力が入ってるのか指先が白くなっていた。
「ありません」
ルチェッタの即答にイオシスは頷いて応える。それを見てアニリィは唇を一文字に引き締めて続けた。
「夜は危ないから、出歩くなら大人と一緒じゃないとだめだとは教えたと思うけど──反論は?」
「「ありません」」
「私は今日、夜間演習があるから帰りが遅くなるよとは伝えたはずだし、夕飯は当直メイドのサンティナちゃんにお願いしておいたはずだけど──花街で何してたの?」
「お、大人には言えない理由があるのよ!」
この時ばかりはルチェッタはむきになって強い調子で言い返す。イオシスが「あのね、じつは──」と口を開きかけたが、ルチェッタに口を塞がれた。アニリィはその様子に眉をひそめつつも心の中で『……反抗期なのかな?』と苦笑いする。
「主任殿、レンジュちゃん。──ウチに連れ帰って厳しく叱っておくから、今回だけは容赦頂けないか?」
「いえ、アニリィ閣下がそう仰るなら異論はございませぬ!」
警備主任が最敬礼で応えるのでアニリィは供述調書を受け取ると『友人とかくれんぼして遊んでたら夕鐘に気付かなかった。花街あたりで隠れてたら補導された』とさらさら書く。あまりにも手慣れた書きっぷりにレンジュは舌を巻く。
「ルチェ、イオシィ、サインしな。──拒絶してもいいけどそうなれば今度は“豚箱”でお泊りパーティになるわよ?」
「判ったわよ、書けばいいんでしょ!」
ペンを受け取ってサインしようとしたところでアニリィはルチェッタの頭に軽くチョップする。
「よく覚えておきな。──供述調書にサインするってことはそこに書かれた内容を全て甘受したってことになるから、まずは必ず目を通しな。インチキ調書だったとしてもサインした後は取り消せないんだからね」
ルチェッタはぷぅと口を膨らませると調書を指をなぞって読み、署名を入れた。それに倣ってイオシスも署名する。
「私も酔っぱらって詰所に放り込まれてインチキ調書にサインさせ──」
「アニリィ閣下、それはインチキじゃなく”事実”ですよね?」
「──だから二人も、気を付けな?」
警備主任のツッコミを華麗に受け流すと、アニリィは二人の頭を両手で撫で、深々と一礼してから宿舎へと連れ帰った。アニリィを真ん中に、二人の少女を左右に立たせて歩いていく姿はまるで親子のようだった。宿舎に戻ってからも彼女は二人になぜ花街の近くにいたのか理由を問いただすことはなかったのだった。
とはいえ、アニリィが二人を全く心配してないというわけではなかったのだが。