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187話 武辺者と、夜間学校

 ビルビディア大使館設置に関する覚書が結ばれたあと、一行は市街の散策へ向かった。案内役は文官長トマファとメイド隊副長マイリス。王子レオノールと老学士ガイアスは、その車椅子の横に並んで歩く。


 陽が沈んだ後のキュリクスだが街中は驚くほど明るかった。魔導外灯が整然と並び、商店の灯りと相まって夜の闇を押し返している。行き交う人々は表情を和ませ、兵士たちが巡回し、商人は笑い声を立てていた。かつて薄暗くなればどこも雨戸を締めていた街は今や別世界のようであった。


 レオノールは目を細めて「……何度見ても我がミラフォンとは見違えるよな」と漏らした。ビルビディアの王都ミラフォンには魔導外灯は無く、日暮れとともに街は静まりかえるという。ぽぉっと灯りが付いてるのは酒場と娼館だけ。光にあふれるキュリクスとの対比は鮮やからしい。トマファはただ淡々と「外灯の整備で治安も商売も改善したんですよ」と答える。その背に誇りがにじむのを、誰も言葉にはしなかった。


 キュリクスが通りに魔導外灯を整備するようになったのは、とある事件がきっかけだった。ヴァルトアが領主に就いてから街はどんどんと発展を見せたが、その繁栄の影で破落戸が裏路地に増え、ついに領主軍の警備隊が襲われる事態にまで至ったのだ。そうなれば領主の軍事力を軽んじられる恐れがある。そこで立ち上がったのは領主ではなく斥候隊長メリーナだった。執務室の靴ベラを手に街へ飛び出すと彼女は単身大立ち回りを演じ、破落戸どもをまとめて叩き伏せてしまったのだ。あまりにも派手な戦いぶりに民衆は喝采したが、正式な捜査権も無い立場での暴挙は処分を免れず、結局停職一日が言い渡された。その時、喝采を送った民衆たちも停職執行日に仕事を休むという事態になったのは別の話。


 やがて町内会や区画代表者からは「治安維持こそが領主の責務だろう」と叱責が寄せられた。そこでヴァルトアや武官長スルホンは警備隊を増やす方針を改め、魔導外灯を街中に設置し、光で闇を退けることで治安の向上を図ったのである。


 今もその名残か、西区を中心に玄関先には靴ベラがぶら下げられている。


 歩みの途中でレオノールは立ち飲み屋での失態を思い出すと笑い話をした。ビルビディアに比べてキュリクスのエール一杯が少ないとゴネたのだ。これもキュリクスでもエール一杯を統一すべきではという意見と店ごとの判断だろという考えで割れており今も解決には至っていない。というかむしろエール一杯を法で統一してるビルビディアがすごいと言うべきではないか。


「ところでレオノール殿下、ビルビディアはどうしてジョッキのサイズが統一されたんですか?」


「我が祖父が王太子をされてた頃ですから五十年以上前の話です。当時ミラフォンは店によってジョッキはバラバラだったし、この店は泡だらけ、こっちの店は泡が無いと統一感が無かったそうです。それに腹を立てた祖父が突然布告を出したんです。『来年からはエールはこの2パイントジョッキで提供する事! 泡とエールの境目はこの線にすること!』ってね。──祖父らしいというべきでしょうか」


「トマファ殿。ちなみに2パイントなのは今は亡きゼレベンド様が『このジョッキで三杯飲むぐらいが丁度いいから』と定めたそうですじゃ」


「三リットルも飲むなんてすごいですね」


 ガイアスは呆れた声で付け加え、マイリスは穏やかに受け流す。


「ミラフォンのエールは酒精度3.5%程度で飲みやすいんです。ですが祖父はちょっとばかし飲み過ぎの気がありまして、酒で色んな失敗があるんですよ──祖母の寝屋と間違えて侍女の部屋で眠りこけてたとか、目が覚めたら花街だったとか、玉座で用を足したとか」


「レオノール殿下も飲み過ぎの気がございますゆえ、気を付けませんとな!」


 ガイアスの言葉に皆が笑い、レオノールだけは顔を赤くして頭を掻いた。


 やがて中央市場を過ぎ、初等学校の校舎に光がともっているのが見える。声が響き、中には多くの人影がある。レオノールは足を止め、「こんな夜更けに?」と呟く。ガイアスも目を凝らすと「大人ばかりではないか」と驚いてた。


 「夜間学校ですよ。初等学校を修了できなかった人々に学びの場を開いています。昨年から始め、今は四十名ほどが通っています」


「ですがトマファ殿、こんな夜に学校をやってたら腹が減るだろうに。食事は弁当持参かい?」


 レオノールの質問にトマファが「簡単なものですが軽食が出るんですよ」と応えた。近所の礼節学校の調理実習のついでに軽食を用意して貰い、それを授業前に出していると説明した。ちなみに今日の軽食は雑穀パンと塩蔵肉、赤茄子のピクルスとリネジア・キュリジアというチーズだったそうだ。


 窓越しに見えるのは作業服姿の男や女、そしてメイド服の少女までもが机に向かう姿だった。黒板には数式が並び、教師が声を張る。別の教室からは「売上原価とは?」と女の声が響く。そこでは商家の子弟が簿記を学んでいた。学びに年齢も身分も問われない光景にレオノールは言葉を失う。


「教師も大変だな、朝から晩まで授業をするなんて」


と漏らしたレオノールにマイリスは「夫は仕事が楽しくて仕方がないと言ってますよ」と笑顔で応えていた。


「しかし夜間学校に簿記学校なんて相応の学費がかかるのだろう?」


 ガイアスが口にしたとき空気は変わった。トマファの声が一段低く、強く響く。


「──無償でやってるんですよ」


「な、なんと! 教科書も軽食も整えて無料だと?」


 ガイアスは驚いてたが、レオノールは深く息を吐き、「……教育は国の礎だもんな」と小さく洩らす。トマファは「庶民に学問は贅沢だと笑われましたが、無知は搾取を生みます」と淡々と語った。


「ちなみに領主軍の募兵条件は初等学校卒業以上なんです。さっき授業を受けていたクイラちゃんのように卒業できていない子は、夜間学校に通ってもらいます。そのため彼女は今は日勤ばかりのメイドですが、隊で文句を言う子は一人もいません。──兵士一人ひとりが命令書を読み、計算ができなければ務まらない。それがヴァルトア卿のお考えなんです」


 田舎の小作農の娘だったマイリスは学のないまま奉公としてヴィンターガルテン家へやってきた。文字の読み書きも計算もできず周囲のメイドたちの何倍も苦労したという。だが彼女は真面目さと器用さで昇進を重ね、やがて命令書を読めないのは困るとオリゴに諭され、夜間学校へ通うこととなったそうだ。最初は文字を書くにも額に汗をかいてたが、地道な努力を続けて今では読み書きや簡単な計算に不自由はない。もっとも手紙を書かせると“どこの王室に出す書状だ?”と言われる程堅苦しい文章になり、仲間たちから微笑ましく思われているそうだが。


「あと、ヴァルトア卿やユリカ様も夜間学校に通ってるんですよ」


「「えッ!」」


 先ほどの教室に作業着姿のヴァルトアや町娘姿のユリカが紛れ込んでいる。彼ら夫婦も学校を出ていないため、お忍びで学生をやっているのだ。教室の仲間たちはクイラ以外誰も気付いていないという。


「じゃあ、大使館設立の覚書で妙にそわそわしてたのは……」


「えぇ、出される軽食が早く食べたかったんですよ」


 マイリスの告白にレオノールもガイアスも大笑いするのであった。


 しばらくして授業を終えた人々が夜の校舎を出てきて「おや先生、おやすみなさい」と声をかける。トマファは少し照れたように「ではまた明日」と応じていた。トマファも週に二日ほど夜間学校で歴史学の授業を受け持っている。それに気づいた生徒たちが声を掛けてくれたのだ。


 レオノールはその光景を目に焼き付け、「この地に大使館を置くことは……思っていた以上の収穫かもしれんな」と静かに呟いた。未来を見据えるこのキュリクスを前に、彼の胸には確かな手応えが芽生えていた。



・作者註


おじま屋の母は、家が貧乏だったため夜間高校出身でした。

まぁ、当時じゃよくある話だったらしく、母も昼間は商工会議所で働き、夜は学校へ通ってたそうです。


お:「その、夜間高校時代の思い出と言えば?」


母:「当時、嫌いだった後輩をプールに沈めてた」

→その後輩は後に『弟の同級生の母親』として再会する


お:「はぁ!?」


母:「あと、数学が判んな過ぎて試験の解答用紙に『知るかダラ!』と書き殴ったら5点くれた」


お:「オカン、あんたダラやろ?」


母:「あんたの母親やよ?」



ぐぅの音も、出ねぇぜ!

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― 新着の感想 ―
そういえば、私が卒業した高校にも「定時制」は今もありますね。 メートル法みたいな共通単位は無さそうな世界に思えますから(読む方は作中独自の単位で言われても困るのでメートル法換算の方が楽です)、レオノ…
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