184話 武辺者を追い出したあとの新都エラール・12 =幕間=
新都エラールは荒廃が始まっていた。道路や橋のところどころに穴が開き、民は泣きついてきても国庫が底を見せており直す術がない。ついに官僚たちへの俸給に遅れが出始めたことでやってられんと退職届を机において郷里に戻る者もおり、さらに王宮は混乱を来たすようになってしまった。そんな中でもレピソフォンは庭園の椅子に腰かけ、紅茶を楽しんでいた。
そのエラール王宮の自慢だった庭園も管理する者がおらず芝は伸び放題。秋薔薇が咲き始める頃なのに四季咲の薔薇がぽつぽつと花を付けている程度の寂しい庭園で一人紅茶を飲む姿は、まさに滑稽そのものだろう。
「下々の苦労など、王太子たる私には関わりのないことだ」
彼の優雅な言葉とは裏腹に庭園には荒廃の影が広がっていた。特に薔薇はこまめに手入れをしないとすぐに花が落ちてしまう。枯れてみずほらしく花弁が散った庭園ほど観てて心傷むものは無い。
そこへ南西辺境のブランデン侯爵がやってきた。脂汗をにじませながら笑顔を貼り付けてこびへつらう。
「殿下に忠誠を尽くしております」
とおべんちゃらを捲し立てる。それを見てせっかくのお茶が台無しじゃないかとレピソフォンはげんなりとしてしまった。いけ好かない借金塗れの侯爵だが無碍にはできぬ身分。ため息をつきつつも、手を振って座らせた。そこへメイドが現れ、カップとケーキを“ドンッ”と音を立てて置く。そしてブランデンをひと睨みすると静かに去っていった。それを見てレピソフォンは眉をひそめる。
「礼儀がなっていないな」
しかし彼女のその態度の裏には理由があった。ただでさえ賃金が遅れてイライラしてるのに直前にブランデン侯が彼女の尻を撫でていたのだ。しかしエラール王宮でもメイドの退職が続いており、これ以上彼女らが辞められるのは非常に困るのでレピソフォンも強くは言えないでいる。
「借金の利払い期限が、明日なのです。不渡りになれば破滅です……」
お茶を飲みながらブランデン侯が漏らす、彼の泣き言にレピソフォンは顔をしかめてしまった。せっかく優雅な朝を愉しもうとお茶をしてるのに不愉快な男がやってきて、さらに不愉快な事を吐き出したのだ。しかしレピソフォン自身も借金を抱えており、今まで国庫で穴埋めさせてきたが今や財は尽きている。彼の胃が軋む。しかしもう少し待てば麦の収穫期に入って税収が得られるのだ。彼の封土からも年貢は来るし、各領邦からも年貢は上がってくるのでもう少し、もう少しの辛抱なのだ。
「借金についてですが民も苦しんでおります、土地を取られたと泣く者も」
ブランデン侯の言葉にレピソフォンはため息を漏らした、目の前の男はもう年貢が待てないのだ。
「……徳政令、かぁ」
その声を、近くにいた日刊エラールの記者が聞きとめてしまったのだった。
翌朝。日刊エラールには大見出しが躍った。
『エラール王宮、徳政令発布か!?』
王宮を信用できなくなってる民衆はその記事を見て失笑を浮かべるしかなかった、またしょうもない飛ばし記事だろうと。それよりも道路や橋を直したり、民衆の生活を第一義とした政策を少しは考えろと漏らすばかりだった。利払いに困る民衆もこの新聞記事に関心を示さず、冷ややかだったという。
しかし債権者である商人たちは溜まったものじゃない。今の今まで商人だとバカにしてきたくせに何かとツケ払いで買い物しておいて、徳政令となればその債権は回収不能になってしまう。借金がチャラになって喜ぶ者がいるなら悲しむ者は同じだけいる。そのため商人たちは動き出した──貸し剥がしに走ったのだ。
「おい、てめぇ! 居るの判ってンだぞぉ! 出てこいやぁ!」
堅気にはとても見えない、いかにも荒事専門といった面構えの男たちが民家や貴族家の扉を叩きつけ、怒声を張り上げる。夜討ち朝駆け辞さぬ様子でエラールの街中には罵声と破壊音が絶えなくなった。商人たちは自らの商売を守るため債権回収の手間を惜しんでやくざ者に債権を安値で売り払ってしまったのだ。結果、回収屋は買い取った債権を金に換えるべく玄関を破壊し、家の中から金目の物を巻き上げる乱暴な取り立てに走ってしまった。こうなれば治安はもはや崩壊したと言ってよく、新都エラールからは商人や民衆、さらには貴族までもが逃げ出し始めたのだった。
そうして王宮は、混乱を鎮めるために――皮肉にも、本当に徳政令を発布した。呆然とする侍従がぽつりと呟いた。
「……飛ばし記事が、現実になってしまった……」
その発布があった朝から市場は騒然だ。魚屋の店先で怒声が飛ぶ。
「昨日まで三枚で銅貨2枚だった干し魚が今日は一枚しか買えねえだと!?」
「市場が止まったんだよ! 漁師も売りに来ないし仲卸が金を持って逃げちまった!」
八百屋の婆が涙目で叫ぶ。
「八百屋が売る野菜が無いってどうなってんだい!」
露店ではパンの値が倍に跳ね上がり、群衆が押し寄せる。庶民が口々に叫んんだ。
「徳政令って俺たちを救うはずじゃなかったのか!」
「昨日よりパンが高いじゃないか!」
エラール銀貨を差し出しても商人は首を振った。
「エラールの貨幣なんざもう信用できねえ。銀の延べ棒か国外の貨幣を持ってきな!」
人々の顔からは安堵が消え、代わりに焦燥と怒りが渦巻いていた。
「じゃあね、僕は君の事好きだったよ」
「私も、あなたの事が好きだったわ!」
エラールから地方へ出る停車場では小さな子たちだけでなく、いい歳の大人ですらこんな事を言って別れを忍ぶようになっていた。北のヴィルフェシスへいくもの、西のマインツへいくもの、南のルツェルへいくものと様々だ。定期便なのに片道運行、次発未定の看板掲げて馬車はエラールから走り去ってゆく。
エラールの混乱ぶりに国外の反応はあまりにも冷淡だった。まだエラール王宮との接点を模索していたロバスティアの使節すら大使を引き上げることを決定した。彼らは「信義なき政権と交渉する価値はない」と切り捨てたのだ。ビルビディアの銀行はエラールに本店を置く銀行取引を即時停止した。するとエラール国債は紙くず同然となり、額面の百分の一ですら買い手がつかない状況となってしまった。──いや、一人だけ買い漁るものが居たが。ルツェル公国の商人らは肩をすくめ、「我らのお客様はキュリクスの市場だな」と冷笑した。新聞各紙には風刺画が躍り、レピソフォンがケーキを頬張りながら「徳政令!」と叫ぶ横で民が逃げ惑う姿が描かれたという。
「一人の愚かなる王子の言葉で、国家は崩れる」




