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183話 武辺者と、エルフの子たちとメイド

 領主館の貴賓室には今日からキュリクスに疎開することになった、八人のエルフの子どもたちが集められていた。まだ幼い彼らの目には石造りの壁や磨き上げられた床、棚に並ぶ本、豪華な燭台と木製食器、そしてテーブルに並ぶ見た事もないお菓子に釘付けとなっていた。これまで森の中でしか過ごしたことのない子どもたちにとってここはどれも異世界のように映っていた。


「ほら、こっちに座って。怖がらなくても大丈夫よ」


 マイリスが柔らかい声で促す。だが大陸共通語のセンヴェリア語しか話せない彼女の言葉は子どもたちにはほとんど通じない。互いに顔を見合わせ、戸惑いの色を浮かべる子どもたち。その間に入ったのがエレナだった。エルフ三家ヴァザーリャ家の娘であり、カルトゥリ語とセンヴェリア語の両方を話せる彼女は、落ち着いた笑みを浮かべながら通訳する。


『マイリス殿は“怖がらなくていい"と言っているわ。さあ、こちらへ』


 すると最年少のセレスが恐る恐る歩み寄り、椅子に腰を下ろした。次いで兄のアトラスも続き、やがて他の子らも連れられるように席に着いた。そこへ飛び込んでくるように現れたのはおてんば四人組のルチェッタ、イオシス、エイヴァ、オリヴィアだった。同郷イオシスの懐かしい顔を見て八人の子どもたちは表情を緩める。


『せっかくのお茶が冷めるわ、早く頂きましょう!』


 ルチェッタが流ちょうなカルトゥリ語で話した事にエルフの子たちは皆驚きの表情を見せた。子どもたちにとって『人間族でカルトゥリ語が通じるのは炭焼きだけだ』と聞かされていたため、どう見ても町娘の彼女が流ちょうに話すのを見て戸惑ってしまったのだ。横にいるイオシスがふにゃっとした表情をすると、


『ここのるちぇたち、この街の中でカルトゥリが話せる人だよ! だけど基本は、センヴェリア語だよ』


と伝えて貰った。



 領主館内では疎開してくる子ども達の世話をどうするかと議論は交わされた。保護者として来てくれるエレナ一人に元気な子ども達八人の世話は不可能に近いし、メイドを付けようにもコミュニケーションに課題がある。それなら年齢が近くてカルトゥリ語が出来るおてんば四人組も子ども達の世話に付けようと言う事でヴァルトアが呼び出すと四人組に直々お願いしたのだ。


「別にいいですわ、全然。──ですが普段はセンヴェリア語で話します」


 だが、その願いを聞いてルチェッタはきっぱりと宣言すると、こうも続けたのだ。「キュリクスにやってきたのに、どうしてわざわざカルトゥリ語で接してあげなきゃいけないんですか?」、と。


「いやなぁ、この地に慣れぬエルフ達を思えば──」


「ヴァルトア卿、これはむしろチャンスなのではなくて? 自称・二千年もの引きこもりがようやくキュリクスへ下りてきたんです。早いうちに人間世界に慣れておけば、後の統治に悪い影響はないと思いますわよ!」


 ヴァルトアは答えられなかった。その様子を見て文官長トマファはふふと表情を緩める。ついこの前九歳になったばかりのルチェッタに論破された形となってしまい、彼女の意見に従う形でエルフの子たちを任せたのだ。


「じゃ、じゃあ面倒を見てもらう間の給金についてだが──」


とヴァルトアが切り出した瞬間、ルチェッタはギリリッと睨みつける。


「ヴァルトア卿! 『エルフの子たちと仲良くやってくれ』てのは喜んで引き受けますわ。ですが『給金はこれぐらいだ』ってのはあまりにも失礼が過ぎるんじゃなくて!? 私にお友達を買えって言うのですか!」


 ここまで言われたらヴァルトアはぐうの音も出ない、思わず「失礼な物言いをした、済まぬ」と漏らすしか出来なかったのだ。



 おてんば四人組は子どもたちの席に混ざり、一緒にお菓子を食べている。四人それぞれ持ち前の元気さで雰囲気を一変させ、センヴェリア語とカルトゥリ語を織り交ぜながら話す。


「ねえねえみんな、一緒にケーキを食べましょう」


『苦手な食べ物はある?』


「名前はなぁに?」


「学校行くの、楽しみだね!」


 緊張感一杯だったろうがルチェッタたちの矢継ぎ早の質問に子どもたちは安堵の表情を見せる。ルチェッタとイオシスが冗談を言うとエルフの子ども達は大笑いし、エイヴァやオリヴィアも笑みを浮かべる。文化は違えど育ってきた環境や文化は違えど、笑いの輪は自然と広がっていった。



 ヴァルトアとトマファは遠目からその光景を見守っていた。まだ戸惑いと不安は残るだろう。だが無邪気な笑い声がここでの新しい生活を受け入れる一歩となる。コーラル村の炭焼き職人以外の人間と交わることに子どもたちはまだ慣れていない。けれどこうして少しずつだが人間族と共に生きていく道を歩み始めているのだった。


「なぁトマファ──お前、ルチェッタ嬢になにか入れ知恵しただろ?」


「さぁ、何の事でしょう?」


 車椅子の文官長はふふと笑みを漏らすと決裁書類をヴァルトアの執務机に置いた。 



 なおエルフの子たちの住むところは安眠館が落札した。せっかくの子ども達をバラバラに住まわせるのは可哀そうなので『大人一人、子ども八人、部屋は五つ、朝晩の簡単な食事つき。しかも期間は一か月単位』という条件を宿屋ギルドに条件を提示し入札を募ってもらった。しかしその前後でトマファとハルセリアの婚約、ルツェル・ビルビディアからの使節や商人らの大量訪問でキュリクスに商機がやってきてしまい、他の木賃宿が入札を避けたのだ。長期滞在は一泊一部屋あたりの単価はどうしても下がってしまうし、子どもたちが夜中に騒いで他の客が敬遠するのを恐れてってのもあるだろう。──一般客と揉めるかもしれんから修学旅行客は取らないってホテルがあるのと同じ、もしくは修学旅行客を取った時は一般客は別のホテルに振ってしまうのと同じだ。


「なんか悪いな、ロゼット嬢」とヴァルトアが声を掛けたが、「いえいえ、むしろ落札して正解だったかもしれません」と彼女は笑って応えていた。なんと月信教徒が多いルツェル人商人の殆んどが教会の宿坊を利用し、ビルビディア人商人らは運送業ギルドの宿舎を利用したのだ。使節らは高級な旅籠を利用するため、木賃宿は「それなら領主館の入札を受ければよかった」と漏らしていたそうだ。




 ――夜、練兵所にて。


 夜哨用の松明に照らされた稽古場で、木人相手に槍を繰り出す一つの影があった。夜間学校の帰りに立ち寄ったのだろう、メイド服姿のままクイラは何度も突きを繰り返し、肩で息をしながらも止めようとしなかった。あの晩の悔しさが胸の奥でずっと燃え続けていたのだ。


 あの大柄なオークに歯が立たず、あろうことか槍の穂先を落とされるという不始末までやらかした。あの時ネリスがカバーに入り、アニリィが止めを刺してくれなければ護衛対象のイオシスを危険に晒していただろう。このままではアニリィの侍従になりたいという希望も絵空事に終わってしまう。そんな悔しさがこみ上げるたびに穂先が木人を打つ音が響き、瞳からこぼれる熱い雫が流れ落ちる。拭うことすら忘れ、ただひたすらに突きを繰り出した。


「悔しい?」


 背後からの冷たい声に動きが止まる、振り返るとオリゴが訓練用の短槍片手に無表情で立っていた。こんな時間にも係わらず制服姿の彼女は無言で槍を手に取り、構えを取る。促されるままクイラも構えると次の瞬間には激しい打ち合いが始まった。


 訓練用の梵天が付いた穂先がぶつかり合い、乾いた音を響かせる。しかしクイラの突きや払いはことごとく弾かれ、切り崩すことができない。十合、二十合と続けても結果は変わらなかった、むしろ首元や手首に穂先が寸止めされた。やがて息が上がり、槍が震える。オリゴはナイフ格闘術に優れてるのは知ってたが槍術まで出来るとは知らなかった。オリゴは構えを解くと静かに口を開く。


「報告書、読みました──あなたはやるべきことはやった、イオシス嬢の護衛は無事に果たせた。ただ、相手が悪かっただけ」


「それを……言い訳にしたくないんです」


 クイラはうつむくと絞り出すように応えた。きっと自分が不甲斐なかったからヴェッサの掃討戦では声が掛からなかったんだと思ってた。土汚れの付いたピナフォアが、崇高な自尊心についた汚れにように思えた。オリゴはふぅとため息をつく。


「なら、今より強くなりなさい。そして──早く寝なさい」


 冷淡に聞こえるその言葉だが、オリゴなりの温もりと優しさだった。そしていつもとは違う優しげな目線を送るとクイラは槍を下ろし涙を拭いながら小さく頷いた。夜の練兵所には、まだ熱を帯びた息遣いだけが残っていた。

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