181話 武辺者と、オークが遺したもの・3
「カミラー、間者は大丈夫か?」
ヴァルトアの問いかけに窓の梁に生えた少女が微かに枝葉を振った。
「では緊急軍議を始める」
ヴァルトアの一言に出頭した文武官の顔に緊張が走る。夜の領主執務室は蝋燭の炎がいくつも揺れ、机上に影を落としていた。オーク襲撃事件の疲労がまだ抜けぬままさらに厄介な文が届けられたのだ。
「モルスス殿の代筆による書状です」
トマファが封を切ると羊皮紙を広げて代読する。その声は落ち着いていたが便箋に踊る文面や内容には切迫感が漂っていた。
──森に異形が潜んでるかもしれんゆえ、掃討隊の派遣を依頼したい。
──その間、我が集落の子どもたちを一時的に街へと疎開させてほしい。
「ふむ……」
ヴァルトアは顎に手を当て、低く唸った。
「──ヴェッサの森の自治は関知不要と言われエルフ三家に任せてきた。だが支援を要請されたなら領主の責務は果たさねばならん。後々の関係悪化を避けるためにも派兵しよう」
ヴェッサのエルフたちは当初、『二千年前の第一次人魔大戦後に与えられた所領安堵はいまも効力を持つ。名目上の領主が誰に替わろうと我らには関わりがないし関知もしないでほしい』という態度を示していた。しかしアニリィやクラーレの尽力により関係は少しずつ改善し、いまではアニリィが代官として連絡を取り合い、ささやかながら文化交流も始まっている。さらにエルフの少女イオシスを捜索したり留学させたりしたことで関係は一段と深まったし、登山道を通商路としての一時活用は随分な進歩とはいえるが、盤石とは言い難い。しかし派兵や疎開要請となれば彼らの姿勢は大きく軟化したといえるだろう。
「判った、俺とアニリィで当たろう」とスルホンが力強く応じ、 「了解っす。森の道はある程度勝手知ってますから」とアニリィも頷いた。 「では、会議後にクラーレ嬢と兵站と輸送の打ち合わせを進めます」とウタリが手際よく引き取る。
ヴァルトアはさらに問いを投げた。
「ところで、疎開とは、子どもは何人だ? ヴェッサのエルフや炭焼きたちの人口は50人程度とは聞いてるが」
「予定では男女あわせて八人です。ヴァザーリャ家のエレナさんが保護者として帯同してくれるそうで」
アニリィが答える、その八人とはヴェッサの集落に住む六歳以上の子どもたち全員だった。ちなみにエレナとはモルススの妻で、アニリィとは仲が良いエルフ三家ヴァザーリャ家の首領の娘である。
「子ども八人か……だが宿舎はすでに一杯だぞ」
スルホンが肩をすくめる。領主館の敷地には宿舎があり、イオシスはそこでルチェッタと同じ部屋に住まわせている。しかし他の部屋にはアニリィやクラーレ、エレナといった独身者が住んでおり、子どもとは言え八人も住まわせる余裕は無い。
他に宿泊できる施設はというと、前にラヴィーナ王女が使っていた客舎があるがそれを開放させれば良いという訳でもない。高位貴族や他国の使者が急にやってきて、『避難民が客舎を使ってますのでこちらで手配した宿屋を使ってください』なんて言える訳がない。
「領主館内に天幕を張ってそこに放り込む訳にもいきませんし、練兵所内の隊舎って訳にもいきませんしね」
ウタリは首を振った。子どもたちは天幕でのお泊りは嫌いじゃないだろうが、やはり天幕は夜露に濡れない程度のものであり住むためのものではない。一泊させる程度なら彼らも喜ぶだろうが帰還時期の見えない疎開で天幕暮らしはストレスを溜め込むだろうし、そもそもそんな生活をさせてたと知れたらせっかく築き上げたエルフ族との関係性にひびが入りかねない。あと隊舎は立派な軍事施設だ、民間人を収容する機能がそもそも無い。沈黙が落ちる、蝋燭の火が小さくはぜた。
「──あのっ!」
声を上げたのは記録係として執務室の隅に立つロゼットだった。姿勢を正し、小さな胸を張る。「お歴々の皆さま、発言をお許しください」
「どうした、ロゼちゃん?」とウタリが眉を上げる。
「それなら、ウチの実家を借り上げません? 西区の安宿ですし、この時期は閑古鳥で……安くても借りてもらった方が家計的に助かるんで」
全員が一瞬顔を見合わせた。次の瞬間、 「……あ」と脱力したような声が重なった。彼女の実家は『安眠館』という、行商人や冬季の出稼ぎ労働者が長期に逗留する木賃宿だ。値段の割には綺麗な部屋だし料理もそこそこ旨い。飲み屋街や花街も近いし、気さくな女将アクウィリアの接客もあってか繁忙期は常に満室となる。しかしこの時季は閑散期らしく女将の口癖は『店先でスイカでも売ろうかしら? 若い頃みたいに』らしい。──若い頃は『真夏のたわわなスイカ娘』と呼ばれていたが、それは別の話。
だがトマファはすぐに冷静さを取り戻し、釘を刺す。
「しかし安眠館をそのまま指名すれば必ず“利権だ、利益供与だ”と騒ぐ者が出てきます。それなら宿屋ギルドに条件を示し、入札で決めさせるのが筋でしょう。大人一人、子ども八人、一か月単位の借り上げ、食事や掃除の可否……そのあたりを明記すれば宜しいかと」
トマファの言い分はもっともだった。実を言うとちょっと前、東区の飲み屋から『領主館のメイドに西区出身者が四人も居るから館の文武官や兵たちが酔虎亭に入り浸る』と苦言を呈されたことがあったのだ。だがプリスカが領主館の面々に熱い営業をしている訳でなく、それぞれが自身の選択で酔虎亭に通ってるし、そもそも東区の飲み屋は高くて毎日通うには領主館の面々の俸禄では心許ないのだ。ちなみに領主ヴァルトアですら酔虎亭にお忍びで通ってるのも安いからである。──ちなみにあと二人の西区出身者のメイドはクイラの同期のポリーナとモリヤである。
「うむ、尤もだ。──トマファ、調整を頼む」
「御意」
疲れをにじませながらも会議はようやく結論を得た。しかし蝋燭の炎が揺らめく執務室に次なる課題が待っていることは誰も口にしなかった。