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179話 武辺者と、オークが遺したもの・1

 練兵所内にある看護衛生隊舎。深夜、その奥の処置室には立入禁止の立て札とともに冷たい灯火が照らされていた。氷結魔法で凍りついた十一体の異形の遺骸が並べられており、薬品の匂いと湿った金属臭、そして獣臭が満ち溢れていた。深夜にも関わらず医師二人と看護師が一体一体記録を取りながら解剖を行っていた。


「……やはりこの解剖個体002号も首から下と上、皮膚や毛髪の組成が違う」


 若い医官、アルベルト・クラウスが額に汗を浮かべ解剖刀を持つ手を止めた。冗談好きの彼だがその声は真剣そのものだった。


「頭部や首の裏は上毛と下毛のダブルコートだが、頚椎から下の生え方は人間のそれと一緒だな」


「しかも首辺りのこれ……無理やり継ぎ合わせたみたいだしな」


 隣で覗き込んでいた軍医、コンラート・ヴェーバーが低く唸る。ピンセットで首の周りの獣毛を捲るとミミズ腫れが続いていた。「検査してみねぇとわかんねぇな」と口癖のように付け加えた。


「じゃあこの解剖個体002号の頭部解剖を始めましょう」


 アルベルトが宣言すると、記録係の看護師カタラナが解剖所見書を置くとカミソリで指示されたところの毛を剃り落とす。コンラートがメスで皮膚を切開して頭皮や骨膜をめくり、アルベルトが穿顱器で頭蓋骨に小さな穴をいくつも空けていった。本当なら解剖個体001号の頭部解剖をと思ったが、鉄槍であちこち強く殴ったのか損傷が激しく、比較的"程度の良い"002号から頭部解剖をすることにしたのだ。


「なんだか若い頃、解剖学の導入実習でやらされた犬の頭蓋骨より硬いですね」


 アルベルトがぼそりと言うと「おめぇ充分若ぇじゃねぇかよ」とコンラートが笑う。そのやり取りを聞いてカタラナが苦笑を浮かべる。しかし皆、マスクで口元を隠してるから彼女の苦笑は二人には見えなかっただろう。ちなみに豚の頭蓋骨は相当に厚くて硬い。生半可なドリルで穿孔することは不可能で、豚の頭部を金属棒で殴っても棒が曲がるといった話もある。


「てか、アルベルト殿はいくつだよ」


「アニリィ閣下の五歳ぐらい上です。まぁヴィンターガルテン家に仕官したのは彼女と同じ時期ですが」


「んだよ、俺よか十五歳も下じゃねぇかよ! んたっく、若ぇっていいなぁ──ん?」


 アルベルトが開けた穴にコンラートは細手のニッパーを差し込んで開頭部を作っていたその時、ふと眉をしかめる。そしてニッパーから刃の薄い解剖刀に持ち替えて穿孔穴に静かに突っ込んでいった。


「なんかさぁコイツ、硬膜が無ぇぞ? しかも脳みそに触れてる感じもしねぇ」


 頭蓋骨のすぐ下には脳実質(みそ)を包むように硬膜やくも膜、軟膜がある。このうちくも膜と軟膜の間は脳脊髄液で満たされているため、脳実質は頭蓋骨の中でぷかぷかと浮かんだ状態になっている。その頭蓋骨を切り開いてるのに外側の硬膜が無いどころか脳脊髄液すら漏れてこない、脳実質にすら触れない事に驚きを隠せなかったようだ。解剖個体001号とは違って心臓をひと突きされているので脳実質を撒き散らしたとも考えづらい。アルベルトも僅かな開口部からピンセットを突っ込むとコンラートが言ってる意味が分かったようだ。


「すぐにのこぎりで開頭しましょう!」


 今までなるべく丁寧に解剖してたがこれは異常だと思った二人は慌ててのこぎりで大きな開口部を作り、頭蓋骨をめくりあげた。魔導灯で患部を照らすカタラナが怯え半分、興味半分の声で口を挟む。


「……頭の裏、なんか刻まれてますよ。模様……? これ、魔法陣じゃないですか?」


 アルベルトが覗き込むと、コンラートも顔を曇らせた。


「……やはり脳が入ってない、空っぽだ」


 場が静まり返る中、記録用の帳面をめくっていたカタラナが小声でつぶやいた。


「……これってオークじゃなく……娯楽小説とかに出てくる人造人間とかキメラの類じゃありません?」


 自分でも荒唐無稽なことを口走っている自覚はあった。そもそも人間が人間に似せた生命を人工的に作り出すなど夢物語であり不可能とされてきた。仮にできたとしても医学界や宗教界も決して歓迎しないし、そもそも常識や倫理が許さないはずだ。──だが、三人の前に横たわるものはあまりに現実離れしていた。


「毛の組成どころか筋肉の質やつき方も人間離れしてる。──だが気になったところもある、この解剖個体にも腋の下に変な入れ墨が施されてるんだ」


 アルベルトは遺骸の左腕を持ち上げると腋の下に手のひら大の濃紺の入れ墨が施されていた。これはよく見れば魔法陣というより、紋章だ。


「あと、この大柄な解剖個体004号には肩から背中、腕に大きな入れ墨もありますなぁ」


 コンラートが医務室の隅に置かれた大柄な遺骸を指差す。背中から真っ二つに切り裂かれた大柄なオークの背中には龍と虎と月の入れ墨が施されていた。


「ま、こんな立派な紋々をどっかり背負ってんだ、犯罪者照合をかけてみたら何か出てくるかもね」


 沈黙を破ったのは剣柄に手を掛けながら壁際に腕を組んで静かに様子を見守っていたアニリィだった。有り得ないかもしれないがもし凍り付いた遺骸が動き出したときのための護衛として立ち会っていたのだ。彼女は冷えた空気の中で肩をすくめ、苦笑いを浮かべて言った。


「ひょっとしたらこいつら、カタラナちゃんの言う通りかもしれないね──私の知り合いにこういう"冗談みたいな話"が好きな連中がいるから、医学所見をできるだけ詳しく集めておいてほしい」


 ヴェッサの森で回収された十一体の異形。その正体は空想の怪物か、それとも人の手で造られたものか──医務室の灯火は心細く揺れ、影が長く伸びていた。



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