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176話 武辺者と、精霊の光・2

 領主館本館の三階と四階にメイド居住区がある。プリスカやロゼットと違い、実家が遠くにある少女たちが二人一部屋で住んでいる。この区画は夕鐘が鳴っても消灯時間まではざわめきに包まれており、廊下を歩く音や笑い声、整髪料と石鹸の甘い香りが漂っている。


 夜間学校から帰ってきたクイラはメイド服を小脇に抱え、寝間着姿で自室へと戻ってきた。扉を開けた瞬間、思わずため息をついた。床には下着やタイツ、ピナフォアが散乱しているのにサンティナはベッドに寝そべり揚げイモ片手にワインをラッパ飲みしていたのだ。


「ただいま戻りました」


 クイラは自分のメイド服などを部屋隅の洗濯籠に入れると、床に散らばるサンティナのそれも拾って放り込む。


「おかえり苦学生! 今日もお疲れさん──あ、片付けありがとね」


 サンティナは悪びれもせず笑い、ワイン瓶を掲げる。クイラは肩をすくめて洗濯籠を指差した。


「そこの洗濯籠に入れるだけじゃないですか。もうちょっと頑張ってやりましょうよ」


「うーん、ガーターはうまく入ったんだけど、あとは入らんかった」


 サンティナはメイド隊唯一の"貴族令嬢"だ。マナーや礼法だけでなくナイフ格闘術にも優れ、洗濯や掃除も卒無くこなす立派な武闘メイドだ。──しかしながら私生活がとにかくだらしない。片付けはしないし自室の掃除もおざなり、机の上なんてメイク道具で溢れかえってる。


「それにしてもクイラちゃんもセーニャ曹長やオリゴ隊長みたいな事言うようになったねぇ。立派立派! 一杯飲む?」


「遠慮します、サンティナ兵長」


 そう言いながらクイラは翌日分のメイド服をタンスから出してハンガーに掛ける。ついでにサンティナのメイド服も引っ張り出すと、しわや折れ、ほつれが無いか確認したうえで丁寧に吊るした。彼女のだらしなさはオリゴや副長マイリスの悩みのタネの一つらしく、『このだらしなさが無ければ、すぐにでも曹長に引き上げられるのにね』と漏らしている。なおサンティナと同室となった部下たちは大体が二週間も立たずに部屋替えを希望してくるという。その理由たるや


『あの人と同じ部屋だと"黒いカサカサ虫"が夜中に湧きそう』


と口を揃えるとか。しかし今の同室人クイラとは不思議と馬が合うらしく彼女から部屋替えの希望は出たことがない。サンティナも部屋の掃除とかメイド服の準備などクイラがやってくれる気安さがあるから文句はない。ただし、休みが重なっても二人で何処かへ出かける事は無いらしい。


 部屋の隅にはクイラの机があり、そこには古道具屋で買った月信教教会風のドールハウスが置いてある。彼女は仕事明けや学校帰りにはそれに水とお菓子を供え、手を合わせるのが日課としており毎晩欠かさない祈りの習慣だ。それも彼女が月読の泉から持って帰ってきてしまった『ヴォナティ』にも休ませる場所は必要かなと思い用意してあげたのだ。そのヴォナティに感情があるかは解らないが、彼女が祈るときらきら鮮やかに光りながらそのドールハウスに入ってゆく。漏れ出る光のせいで教会のステンドグラスが鮮やかに輝き、妙な神々しさを放っている。


 クイラがしばらく祈るとヴォナティも落ち着くのか明かりが徐々に小さくなる。それを合図にクイラは水とお菓子を下げるとそれを口にする。それは普段の日勤を終えてから夜間学校に通うのはさぞかし大変だろうと、オリゴ隊長が差し入れしてくれる夜食だ。ほぼ毎日祈るもんだからサンティナはワインを飲みながらクイラの信心深さに歓心を持つようになっていた。


 クイラは仕事のミスを殆どしない。皿やコップを割ったりお使いを忘れる、間違えるという失敗を犯さない。洗濯業務もトイレ掃除も嫌な顔一つしない。ごく稀に領主館に住み着く猫にまとわりつかれてるぐらいである。しかも仕事中は真面目すぎるぐらいに真面目で同僚たちと雑談することもない。しかしサンティナはというと、今日とんでもないミスをやらかしてオリゴからみっちり絞られた。明日までに出さなきゃいけない始末書もごちゃごちゃの机の上に放り投げっぱなし。そんな彼女はふと疑問に思ってしまう。──このヴォナティって、クイラを守る精霊なんじゃね? と。


「ねぇ、私もそのヴォナティってのに祈ったらお願いごと叶う?」


 サンティナが頬を赤らめ、揚げイモをかじりながら言う。顔が赤いのは酒のせいか下らない想像のせいかは解らない。突然の彼女の言葉に机の上に参考書を広げようとしていたクイラは怪訝な顔をする。


「……ヴォナティにそんな力は無いと思いますけど」


「じゃあ、試しに祈らせてよ」


「べ、別に構いませんけど」


 そう言うやサンティナはワイン瓶をドールハウスの前にどんと置くとその前で膝をつく。そして両手と額を床に擦り付けて祈り始めたのだ。


「──“早く結婚できますように!”」


 あまりにも豪快な祈りっぷりの兵長を見てクイラは呆れ顔を浮かべる。だがその豪快な祈りに耳を傾けてくれたのかヴォナティふわりと明滅して応えてくれたのだった。



 その人の妄想力が強ければその人の話は大きくなるとはよく言ったものだ。翌日、花卉市場の事務所へお使いに出たサンティナはたまたま貰った抽選券でガラポンを回したところ、見事に二等・温泉宿泊券の大当たりを引き当てた。()()は無理だったのかもだが、温泉で"()()"は良くなるかもしれないとそう思い至り、そしてあまりの嬉しさにサンティナは『ヴォナティ様』とあちこちに吹聴して回ったという。するとメイドたちから「奇跡だ!」と大騒ぎになるのは時間の問題だった。


 *


「想い人に気持ちが伝わるらしいよ」


「仕事で失敗しませんように!」


「素敵な人に会えますように!」


 サンティナとクイラの部屋は一気に礼拝所と化した。若いメイドたちは夜間学校から帰ってきたクイラを待ち構え、上階に住む少女たちも次々と祈りに来る。いつしか祭壇前には五体投地出来るようムサラまで敷かれる始末。そして古びたドールハウスの前には供え物として高級菓子ばかりが積み上がるようになってしまった。


「ねぇクイラちゃん、どうお祈りすれば良い?」


「このお願い、叶うと思う?」


と聞かれるがクイラは「きっと、たまたまですよ……」と困惑するばかり。というかクイラのお祈りも願いや聖句を唱えてる訳でない。ただ「今日、なにがあったか」を思い出してただけだ。だがしかしヴォナティに祈った後に「今日はオリゴ隊長に叱られなかった」「街で素敵な男性と目が合った」と言う子が増えてゆく。そうなれば私も私もとわざわざ高級菓子を持ってクイラの部屋にやってくる子が増えたのだ。そしていつしかサンティナやクイラの二人で食べきるには不可能なぐらいの菓子が古びたドールハウスの前に積み上がってゆく。


「サンティナ兵長、このお菓子どうしましょう? 持って帰ってくれって言っても『お供えだから』と言って置いてくメイドばかりで困ってるんですが」


「私もこれ以上食べたらデブになるだろうし、捨てるなんて勿体無いし……メイド控え室にそっと置いておくか」


 供え物のお菓子の山は控室に流れ込み、メイド達の休憩のお茶請けとして消費されるようになったという。


 それに疑問を持ったのはプリスカだった。普段はマイリスが焼いてくれたクッキーやカッププリンがお茶請けとして出され、それを喜んで食べてたプリスカだったが、今ではキュリクスの高級菓子。たとえキュリクスの経済がよくなってるとはいえメイドの休憩のお茶請けに高級菓子とはいささか規律が緩いのではと思うようになったのだ。商売人の子なのでそこらへんの感性は聡い子である。


「なんか最近、メイド控室のお菓子、高級品ばかりなんですよ」


「おかしいですね。メイド隊のおやつ代は変動ないですよ? マイリスさんからも『誰かが控室にお菓子を持ち込んでるみたい』と報告はありましたが」


 プリスカは実家通いのためメイド居住区で噂になってるクイラの部屋の奇跡について知る由もない。ただ漠然と高級菓子が休憩室に溢れてるという謎しか見えなかった。文官長トマファとはいえメイドのプライベートには関与する気は無いし、マイリスから重要度のかなり低い問題提起として聞いてる程度だ。


 しかし奇跡というのは不思議なもんで、誰かがその恩恵に与れば自分もその恩恵がやってくると錯覚してしまう。


「光が部屋を横切った!」


「ヴォナティ様の歌が聞こえる!」


「きっと明日もいい日だわ」


 三階四階のメイド居住区ではそんな奇跡に肖った噂まで飛び交うようになっていったという。



 そしてある日のメイド控室。


「そういえばクイラちゃんって詩作が好きなんですよね? 何か詩を読んでみて!」


 休憩中、仲間にせがまれクイラは戸惑いつつヴォナティと心を合わせる。すると不思議と胸の奥から美しい言葉があふれてきた。


 いつもは夜間学校の同級生ゾエと詩作日記を互いに書き、交換して批評しあうのを楽しみにしているし、週に二度は詩の朗読の授業もある。胸の奥から紡がれる言葉をさらに美しく織り込むと、謡を入れて朗読した。




月の光が泉に落ちて水面を揺らす


それは遠い空の涙が地上の心に


そっと触れるよう


泉は月の夢を映し


月は泉の秘密を知る


静かに互いを照らし


互いに満ちる


あなたの心が


誰かの泉を照らすように──




 朗読を終えると寮の仲間たちは一斉に拍手する。サンティナは「やだ、もう詩人じゃないクイラちゃん!」と茶化すが、クイラ自身も意外と満足な出来だったせいかふっと柔らかく笑ってしまった。普段張り詰めた表情しか見せない彼女の微笑みに皆が思わず目を見張る。賑やかな昼休みに温かな光が差した瞬間だった。

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