175話 武辺者と、聖霊の光・1
文官執務室はキュリクス領の頭脳であり、領民やギルドからの訴えや他領家との付き合い、王宮とのやりとり、税務計算や政策決定など業務は多岐にわたる。そのため常に空気は張り詰め、書類の紙擦れや羽根ペンの音、魔導冷房機の唸りだけが響いている。
その一角、トマファは応接テーブルの向かいに並ぶ少女たちを見据えていた。本来ならイオシス一人を呼ぶ予定だったのだが……。
「弁護人を呼ぶ権利を行使されて来ましたわ!」
自身を弁護士だと言い張るルチェッタは中央にどんと座るとそう宣言した。
「べ、別に尋問じゃないんだがな」
トマファは苦笑するしかなかった。エイヴァはイオシスを、オリヴィアはルチェッタを抱きしめるようソファに腰掛け、エイヴァに至っては若干涙目をしながらトマファを睨みつける。この“おてんば四人組”、とにかく仲が良い。休みのたびに誰かの家──殆どがルチェッタとイオシスの部屋──でパジャマパーティをし、夏休みの今は朝から夕暮れまで四人で街中を走り回ってる。そんな中、イオシスへの呼び出しに心配した三人が無理やりついてきたのだ。ちなみにふんぞり返る少女ルチェッタに弁護士資格など持っているはずがない。
*
イオシスがキュリクスに住むことになったのは初冬に起きた失踪事件がきっかけだ。父と口論し家を飛び出した彼女が、何故かエルフの聖地『月読の泉』で発見された。保護された当時、彼女はエルフ固有のカルトゥリ語しか話せなかったため、事情を尋ねるにはアニリィの通訳が必要だった。しかし通訳を介すとどうしてもニュアンスに齟齬が生じやすい。それに言葉のわからない大人に矢継ぎ早に質問されるのも可哀想だということで、彼女が落ち着くのを待ってから改めて話を聞くことになった。
それから半年。彼女はキュリクスの生活にも馴染み、センヴェリア語ででも会話ができるようになったため当時何があったかを詳しく聞くことにしたのだ。
「──じゃあ、私はカツ丼で!」
「ルチェッタ嬢、今どきカツ丼出てくる取調室なんてありませんよ」
ルチェッタのせいで随分とドタバタしてしまい、質問開始まで随分と邪魔をされてしまった。記録官としてマイリスが居てくれればそんなことは無かっただろうが今日に限って彼女は不在だった。
「では、最初はこの絵について説明してもらえますか?」
大人であっても半年前の事を事細かに覚えてるものなど居ない、子どもであれば尚更だ。事件後すぐにトマファはアニリィに頼み、失踪当時の状況を何枚か絵に描いてもらっていた。その絵を元に質問すれば、少しばかり時間が空いてても思い出してくれるかもしれないと思ったからだ。
イオシスの前に黒く塗りつぶした中に黄色い輝きとカルトゥリ語の詩が書かれた絵を差し出した。四人の少女たちが一斉に覗き込む、イオシスは「これ描いたの覚えてるよ」と言い、エイヴァとオリヴィアは「なんだろこれ?」と言う。
「月の雫はやがて泉に落ち、深き眠りにつく」
ルチェッタがカルトゥリ語の詩を詠み上げる。彼女はイオシスとともに暮らすようになったせいかカルトゥリ語を理解している。しかし何のことかよく意味が解らない詩だなとトマファは感じた。
「なんか、うん、こんなかんじだったよー」
「確かイオシス嬢がお父様と喧嘩して家を出たときの絵だったね」と、トマファは羽根ペンを構える。
「そうそう、出てけって言われたから家の外でぼんやりしてたら歌が聞こえた、やさしい女の人の声だったかな?」
「この光るのは、星かな?」
「ううん、わかんない!」
わからないけど彼女の中で印象深かったからクレヨンでここまで大きく描いたのだろう。カルトゥリ語の詩も、なんとなくそんな感じだったから書いたと言う。意味を訊いても「うーわかんない」と応えるばかり。ルチェッタに頼んでカルトゥリ語で聞いてもらっても答えは「わかんない」だった。
「では、この絵は?」
二枚目の絵は、月読の泉に満月と先ほどの光、そして何かの影が3つ描かれていた。
「歌声に誘われて歩いたら、気づいたら月読の泉にいた」
「そうなんだ、ではこれは?」
「わかんない」
絵のあれこれを聞いても「わかんない」を繰り返す。ただ、イオシスの絵を見てトマファは強い違和感を覚えた。
「ねぇ、この日って満月だったっけ?」
「しらなーい」
イオシス失踪事件の頃は確か上弦の月だったはずだ。しかも報告書の発見時間から推定すると西の空に沈もうとする時間に三日月を描いてないといけないのに何故か地平線すれすれの満月を描いている。
「この3つの物陰は?」
「なんかこわーい」
「そっか──途中で何か覚えてることは?」
イオシスは小さく首を横に振る。トマファは表情を変えず三枚目、四枚目の絵をイオシスの前に出して訊く。これはこーだった、でもこれは解らないを繰り返すうちに状況はなんとなく掴めてきた。
「──つまり泉で詩を聴いていたら光に包まれて、目を開けたらクイラさんが手を伸ばしてたって事?」
「そう! やっぱトマファちゃん頭良いね!」
幼子に『ちゃん』呼びされてトマファは羽根ペンを止めてふと苦笑いしてしまった。行方不明当時の彼女の足取りは依然不明瞭、三日間も雪山にいて少しの泥汚れが目立つブーツとしもやけ程度の軽傷という点も説明できない。推測であれこれ書けばトマファの作文になってしまうし、長老たちとの面談では「月読様のご威光です」と言うばかりで調書が整わない。半年以上前の事だから彼女に聞いてもこれ以上は何も出てこない。無理に聞けば『トマファにとって都合の良い』情報が出てくるかもしれない。──潮時だ。
「ほかに覚えていることは?」
イオシスは首を傾げ、考え込む。そして──「プリン食べたい!」
ルチェッタやオリヴィアも「私も!」「調書だけじゃ愛想ないですよ」と賛同し、結局とっておきのプリンを出す羽目になった。「おねだりはだめー!」と最後まで反対していたエイヴァが一番嬉しそうに食べていたのは言うまでもない。そのプリンは『麦の月』の女将・サーシャが「文官さんたちで食べてください」と持って来てくれたものだった。……なお後日、クラーレから「私のプリン無くなった」と一週間もぷちぷち文句を言われたのは、また別の話。
*
「さて、クイラ嬢。あなたが連れてきたその“光”について詳しく話してもらえますか」
背筋を伸ばしきりりとした表情でクイラは答える。彼女もイオシス失踪事件の不思議な現象に関わっており、イオシスを発見した泉から『ヴォナティ』と呼ばれる光を連れ帰り、そのまま彼女の側に居ついてるという。しかも彼女の合図で光ったり消えたりするらしく、簡単な意思疎通も可能と報告を受けている。その『ヴォナティ』と半年生活してみてどうなのかを詳しく聞き取るために来てもらったのだ。
「ヴォナティは今日も元気です。──元気がいいと黄色やピンクに光るんですよ」
「では元気が無い時は紫や青に変わるんですか?」
「みたいです。──ですが、ヴォナティって何なんでしょうか? 何か判らないのに元気かそうでないかって変な話ですよね?」
クイラはそう言ってふっと表情を緩めた。その瞬間を見てトマファは思わず「珍しいものを見たな」と思ってしまった。普段から笑顔を見せないメイド隊の彼女は、常に張り詰めた面持ちで過ごしている。仲間の冗談にすら笑みを浮かべないからこそ、その柔らかな笑みはひときわ際立って見えた。
「僕もよく判りません。コーラル村やキュリクスの図書館で月詠の泉について調べてはいるのですが、そもそもヴェッサの森の情報すら無いんです。ですからクイラ嬢と話してみて、何か判るかなって」
「うーん、それでしたら寝る時に“まぶしいから光を抑えて”と言えばすっと消えるし、倉庫で探し物をする時に“光って”と願えば照らしてくれます」
「言葉でなくても通じる、と?」
「はい。言葉でも反応しますが、必ずしも必要ではないようです」
トマファは、夫婦が言葉なく通じ合うようなものかなと首を傾げつつ羽根ペンを動かす。
「勤務中や夜間学校へ通ってるときは?」
「さすがに静かにしてもらってます。ゾエさんたちと学校から一緒帰る時は灯り代わりにしてますが」
「まるで生活魔法みたいですね」
そう言うとトマファは指先からぽっと火を灯す、竈や煙草の先に火をつけるには便利な生活魔法だ。ちなみにゾエというのは彼女の夜間学校の友人で、文章表現や詩作で目を見張る才能を持つと学校から太鼓判を押されている少女だ。
「ですが──嬉しい時、悲しい時、楽しい時はきらきらします」
「……という事は、感情があると?」
「感情というより、気持ちが歌となって生きてるのだと思います」
「歌、ですか?」
「ヴォナティって、光りながら歌ってるんですよ」
トマファは額を押さえた。メモには“コントロール可能・感情で光る・歌う光”などと浮世離れした言葉が並ぶ。どうまとめれば良いものか。
「クイラ嬢の話をこのまま報告書にしたら、ヴァルトア卿は確実に頭痛を覚えるでしょうね」
トマファが漏らした言葉に呼応するように、クイラの頭上でヴォナティがひときわ明るく瞬く。それを見てトマファは再び深く溜息をついた。




