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173話 武辺者、ついに結婚へ──後日談・3

 月信教の塔楼から朝の一番鐘が鳴る、キュリクスの朝は早い。


 その鐘の音と共に日勤隊は夜哨隊と交代点呼を受け、その日の課業指示を聞く。その後、食堂で腹を満たして持ち場へ向かう者、隊舎に戻って休む者に分かれる。文官や武官も朝二番鐘が鳴る前には自分の執務室を訪れて自室の掃除を行った上で事務仕事に入る。キュリクス領主の規則により時間厳守、遅れたら罰金と時間にかなり厳しめの労働環境だ。(なおアニリィは時々二日酔いで寝坊し、罰金払ってる)


 領主館で降って湧いた『文官長トマファとハルセリアの婚約』の報せは街を大きく揺り動かした。キュリクス領主とルツェル・ルコック家の公式発表以来、ルツェル公国章の二重月輪を掲げた正式な使者、麦束と柑橘の国章を掲げるビルビディア王国の祝賀特使が相次いで訪れ、街は祝祭めいた熱気に包まれた。特にルツェルとは技術交換と港湾利権の一部譲渡、ビルビディアとは大使館設立と技師派遣、そして航路選定に関する意見交換が行われる。新商売を探す商人も押し寄せ、街は今日もてんやわんやだ。


 辺境の平原にぽつんとある城壁都市キュリクス。夕鐘と同時に門は閉ざされて次に開くのは朝の大鐘だ。もし夕暮れに到着したなら使節だろうが行商団だろうが一行は城門前で野営して開門を待つしかない。だが商売気逞しいキュリクス民が幾人かいるらしく、その旅人らに酒や簡単ながらも温かい食べ物を出す屋台が夜通し店を開くという。


 その開門前のキュリクス市街は朝早くから大騒ぎだ。市場では行商人が声を張り上げる。


「婚約祝賀セールだよ! トマファ様とハルセリア様にあやかって今日は二割引だ!」


 子どもたちは夏休み最後のひと稼ぎ、首から“見習い冒険者”の木片をぶら下げて配達で走り回り、その子どもたちを当てにして銅貨一枚の簡単な食事を出す屋台。小さな子どもたちは斥候隊に混ざり紋章旗を振り回して大人にたしなめられた。老人は「昔はこんな賑わい、考えられなかった」と呟くと女将は笑みを浮かべて「領主様と文官長殿のおかげさね」と言った。市井の雑談が街の未来を語る言葉に変わりつつあった。


 衛兵隊は開門前の入場門の装飾真鍮具を磨きながら「ほら俺の顔が映るぞ!」と笑う。錬金術ギルドが最近開発した研磨剤で擦ると真鍮や青銅は鏡のように輝く――だが調子に乗って大剣まで磨き、切れ味落として砥師に泣きつく兵が続出してるという。砥師は「刃物に研磨剤なんて小僧でも判るだろ」と青筋を立てる。


 工兵隊は痛んだ石畳を見つけると開門前に修繕する。放置すれば車輪が穴を広げ、人や馬も危険にさらされ、馬車をも壊してしまうからだ。まずコンクリート入りの砂利を盛り、魔導転圧機で押し固める。単純に見えても技術が要るため、古兵が新兵に手順と理由を丁寧に教える。入隊して2年目のネリスは若き新兵たちに「コンクリートは素手で触っちゃだめよ」と言い付けていた。別の若い工兵は余った石灰で『祝(Félicitations)』の文字を道路に描いたところ、


「お前、お客様に“祝"の字を足蹴にさせてどうするんだ!」


と古参兵から厳しく叱られていた。


 斥候隊は街に並ぶキュリクス旗や花壇の様子を点検して見回る。花壇のごみを拾い、旗を結び直し、酔客を揺り起こし、危険物を取り除く──衛兵とは異なる目で街を見守っていた。


 ブリスケット率いる騎馬隊は馬車の護衛ルートを入念に確認してるが、「街が楽しそうで、警備してる気がしねぇ」と苦笑する兵たち。


 やがて朝鐘と共に入場門が衛兵隊の手によって開かれる。すると先触れの角笛(ホルン)が四本、ファンファーレを吹き鳴らす。まず現れたのはまず二重月の紋を掲げたルツェルの馬車列――深い群青の箱馬車が朝光を鈍く返す。キュリクス領主軍の儀杖隊が儀礼槍を立て、角度を揃えて敬礼する。続いて黄金の麦穂の紋を戴くビルビディアの使節団。紫檀材を貼り付けた箱馬車の内側から陽気な笑いがこぼれる。一方で入場門を見守るキュリクス衛兵隊の表情はどれも硬い。人波は左右に割れ、濡れた石畳の上で車輪が乾いた音を刻む。群衆の誰かが小声で「おめでとうございます」と囁いた――それは誰に向けたともつかないが、今日のキュリクスが確かに抱いた祝意だった。


 いっぽう、領主館でも準備は慌ただしい。厨房では一番鐘が鳴る前から──


「ビルビディアの客人は香辛料を利かせた料理を好まれるわ」


「ルツェルの方々は生クリームとチーズを好むわよ」


と料理メイドたちの口論が響き、作業台には香草や砂糖袋、採れたての野菜まで積み上がって朝から料理に勤しんでる。領主館内で働くメイド隊や衛兵隊、それに文武官に領主への食事を作りながら賓客向けの食事も作る。その料理メイドたちの陣頭指揮を執るのは、ステアリン伍長だ。


「んー、やぱり最終コーナーは混戦になるから大外の“白い彗星”のガー・アズ〇ブルが来るはずよ」


と、競()新聞を眺めていた。──仕事しろ。


 文官執務室も朝から慌ただしかった。クラーレが赤ペンを握り草稿の山を確認する。そこへマイリスがコーヒーを差し入れると「あぁ、ちょうど飲みたかったのよ」と感謝の溜息が漏れた。各国の発給文章に対する返答文はトマファとハルセリアが徹夜で草稿を用意し、最終稿の確認はレオナとレニエ、清書は達筆なクラーレの役目だった。これにヴァルトアの署名と朱印があればキュリクスの正式な返答となる。トマファたちはルツェルとビルビディアの要人らと朝から夕刻まで会議を続け、その後は晩餐会。さらに返答文を用意する──彼ら二人の日々は苛烈だった。しかしクラーレやレオナ、レニエは文官としての一般業務をこなしつつプロトコール(国際儀礼)に則った返答の清書をしてくれた功績は大きいだろう。彼ら若き二人だけでは絶対に片付かなかっただろう。


 有給休暇明けのプリスカは、すぐに館の忙しい日常へ放り込まれた。フラれた未練を抱えつつも彼女はトマファと一緒に居たかったし働きたかった、そのため二人の会議になるべく立ち会っていた。しかし飛び交う言葉は標準語のセンヴェリア語のはずなのに内容はちんぷんかんぷん。そして各国でお茶の好みが違うので、一杯出すだけでもこれほど緊張したことはなかったという。メイド長オリゴから交代を言い渡され、メイド控室代わりによく使ってる文官執務室に戻ったプリスカは自分でコーヒーを淹れ、一口飲んでため息をついた。


「マイリス副長、あとクラーレさん。──私、トマファ君から選ばれなくてよかったかもしれないです」


 プリスカの突然の一言にクラーレは怪訝な顔を浮かべるし、マイリスは「あらまぁ」と言いながら笑顔を向ける。


「どうしてそう思ったの?」


「だって、トマファ君やあの“ルツェル女”の元に訪れるのって異国の政治家や貴族ばかりでしょ? もし私があの“ルツェル女”の代わりに座ってたとしたら、どんな話していいか、どんな表情で話を聞いてていいか分かんないですもん」


 それを聞いてマイリスは微笑んで頷いた。


「そうね。でもルツェルとビルビディアにとっても今のキュリクスは絶対に放っておけないから、わざわざ特使を送ってでもご機嫌伺いしてるのよ。しかも誰よりも先んじて、ね」


「てことは、あの“ルツェル女”はトマファ君の妻として横に居るだけなの?」


「まずねぇ、その“ルツェル女”って表現、すごく失礼だから止めなさい。──クラーレさんもだよ?──せめてハルセリア様とお呼びなさい」


 普段は物腰の柔らかいマイリスだが彼女の厳しめの言葉を聞いた瞬間、プリスカの表情が曇る。彼女やクラーレにとってハルセリアは居丈高な立ち振る舞いと傲慢な物言いがどうしても好きになれないのた。だから二人して唇を尖らせて不満げにむぅとむくれる。


「ハルセリア様は横に居るだけじゃないわよ。彼女もトマファ君同様、優秀な官僚なんだから彼の横にただ座るだけじゃなく妥協点や違和感を探してるわよ。──ルツェルでは“爆弾娘”“狂犬”とか言われてた方ですから、納得いかなかったら、また使者を蹴っ飛ばしてしまうかもね」


 マイリスがふふっと笑い、クラーレ用に二杯目のコーヒーを入れていた。その時、隣の応接間からハルセリアのかなり手厳しい叫び声が響いた。


「あなたたちビルビディア商工会との通商条項の確認をします。まず一、港湾使用権は“無期限”なんて認められません。半年ごとの時限、長くて一年、更新は双方合意に改めなさい。二、関税免除は片務ではなく相互主義が基本ですよね? この文章だったらキュリクスの関税自主権について曖昧です。──バカにしてんの? 三、四、違約金条項及び排他条項は話にならん──小領地だからってナメてんの? 五、技師派遣は実費精算、成果の知見は共同権利よ。──なによ、特許取得順って。そんなに開発利権欲しいなら自分一人で開発なさい! 六、紛争解決地はキュリクス、仲裁人は第三国。──これはオッケーね」


 ルツェルの一部官僚から“狂犬”と呼ばれるのは、まずはハルセリアの口の悪さだ。「バカにしてんの?」なんて序の口、伯爵令嬢なのに頭に血が上れば、笑顔でさらりと「ナメてんの」「クソボケが」と言い放つのだ。なかなかにたちが悪い。


「以上が最低線です。今ここで修正し判を。──イエスかノーか!? 返答できないなら、交渉内容と相手を改めて出直してください」


 直後、扉が蹴り開けられ、商人たちが「申し訳ありませんでしたぁ」と叫びながら飛び出していった。


「──ほら、ビルビディアの商人たちがまたハルセリア様を怒らせた」


「あのルツェ──んぐ、ハルセリアさんって、ずいぶん短気よね」


 マイリスにギロリと睨まれたせいか、言い直したクラーレの言葉にマイリスはさらにふふっと笑う。


「違うわ。図々しい交渉人はわざと自分に都合の良い条件を出してくるの。そういう“ハードボール”を威圧で弾き返すのも彼女の交渉術よ。キュリクスが長期的に損すると感づいたハルセリア様らしいわね」


 ヴィオシュラでの一件でもそうだがハルセリアは『絶対に曲げない、気に入らなかったら納得するまでガン詰めしてでも説明させる』という、頑固さや融通の利かなさが際立つ。だが彼女は手渡された書状の条件を即座に損益計算し、将来的につじつまが合わなくなると気付けば『では私の目の前で再計算してください。それが無理なら考慮の余地すらありません』と言い切るのだ。


「結婚って夢と希望が溢れてると思ったけど、トマファ君との場合はそれは無いのかなぁ」


 プリスカが一杯目のコーヒーを飲み干そうとしたときにふと漏らした。


「そんなことないわよ。キュリクスとプリスカちゃんの夢と希望のために二人は矢面に立ってるのだと思うわ。いつものトマファ君もハルセリア様も穏やかな方ですから、二人きりだとプリスカちゃんの思い描く夫婦なのかもしれないわよ?」


 マイリスはそう言うとクラーレの元に二杯目のコーヒーを出したのだった。


 街も館も、慌ただしくも明るかった。──領主館で降って湧いた婚約騒動は、今や「領内の結束」を示す象徴となっていた。


 *


 一方その頃、エラール王宮では。


 文()砲がさく裂して政争と醜聞に溺れる官僚たち。執務室の一隅で一人の文官がだらしなく椅子に座りながらぼやいた。詰将棋と醜聞の報以外彼らは何も動かさない。現に彼ら文官の机の上には地方領主からの書状が山と積まれていた。だが彼らは確認を怠り、地方からの問い合わせにも返答がない理由だ。その山には未だ「無地主のアルカ島の領土編入について」の書類が今も埋まっている。──一年以上も前にトマファが認めた書状だ。もちろん「ルツェル大使館設置について」のお伺い状も眠っている。


「なんか辺境キュリクスの文官長が、ルツェル女と結婚だとよ」


 口髭をなでつつ詰将棋を指してた文官は鼻で笑った。 「ふぅーん、いいね、若いって」


 それ以上の反応はなかった。南部世界は大きくうねり動いていた。だが新都エラールだけが変わらず“蚊帳の外”にいた。


 *


 キュリクス領主軍儀仗隊。他領主や貴族といった賓客の公式訪問の際に敬意を表し、途上を護衛するために編成される部隊だ。専属部隊ではなく「クラブ活動」の延長のような存在で、メイド隊・衛兵隊・糧食隊に看護隊など様々な隊員が混ざり合う混成隊である。週二日、日勤課業が終わった後に練兵所の隅で二時間ほど訓練を行い、行進や栄誉礼、儀礼槍の扱い方を学ぶ。そして締めくくりは決まって一杯のエールだ。


 ──その儀仗隊の隊長こそ、アニリィである。


「よっしゃあ! 今日のルツェルとビルビディアの一団を見送ったぞぉ! ヴァルトア様とトマファ君から“お酒代・チップ”が出たぞー!」


「うぉー!」「飲むぞぉ!」「ビバ・タダ酒!」


 儀礼服のままアニリィは飲み屋へ駆けていき、もちろん他の隊員も儀礼槍を片手に続いた。そう、酒好き隊員が寄り集まっているのだ。中には“熱心なアニリィ信奉者”も居るが、殆どは『儀礼よりも酒』という連中ばかりである。


「パウラ先輩! はやく行きましょうよ」


 ジュリアの声に、パウラは無表情で遠く地平線へ溶けていく一団を見つめながら答える。


「そうだな」


 なお、領主軍の面々からは儀仗隊なんて呼ばれない。『呑兵衛団』と呼ばれている。士気は酒によるらしい。

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