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170話 武辺者、ついに結婚へ・5

 執務室での混乱なんて日常茶飯事だ。しかし今回の混乱のタネは、先日館内を騒然とさせたトマファの結婚話の再燃だ。廊下には覗き見に集まったメイドや衛兵たちで溢れかえって緊張を高めていた。


「どうなってる?」「これぞ娯楽よ」


 とも声が飛び交っていた。そんな喧騒に対して一喝したのはユリカだった。


「そこで覗いてるあなたたち! 今すぐトマファ君を連れてきなさい!」


「は、はいッ!」


 ドタバタと駆けていく足音、やがて扉が再び開くと、車椅子のトマファが現れた。手にはいくつかの書類、そして肩にはいつもの空色のカーディガンを羽織っていた。手編みの温もりが残るそれはセーニャからの贈り物である。


「お前、いつもそのカーディガンだな。お気に入りなのか?」


 ヴァルトアの問いに、ミニヨやラヴィーナが色めき立つ。セーニャがそれをせっせと編んでいたのを彼女たちは知っていたし、編み物のやり方も彼女から習っている。観客のメイド隊はニヤニヤし、衛兵隊はひそひそ声で騒ぐ。その熱気の中で、ただ二人──プリスカとクラーレだけは、嫉妬を燃やすような鋭い視線を執務室の中へと向けていた。


 *


「……というわけで来てもらったんだが」


「はぁ……?」


 メイド隊の子たちは事情を告げずにトマファを連れてきたため、彼は訝しげに眉をひそめる。その彼を見てヴァルトアは気まずそうに話を切り出した。


「お前の妻にセーニャを、という案がある。ラヴィーナ殿下のご提案だ」


「……はい?」


「いや待て、もう一件ある。ゲオルギーネ公妃からハルセリア殿を、という書状も届いている」


「………………はぁぁぁぁ!?」


 トマファの声が執務室に響き渡る。まさかの縁談二件同時勃発。その時、鋭い声が重なった。


「ちょっと待ったぁ!」


 ついにプリスカとクラーレが飛び込んできた。観客の誰かが「ちょっと待ったコールだ!」と叫び、室内はさらに騒然となる。


 次々とセーニャ、ハルセリア、プリスカ、クラーレ、そしてラヴィーナまでが加わり、「私が!」「いや私が!」「おだまり!」と押し問答を始めてしまう。ミニヨやシュラウディアも巻き込まれ、廊下の群衆はすっかり見物客と化した。ついには「年貢の納め時よ!」「誰に張る?」と即席の賭場まで立ち上がり、リーディアとステアリンがこっそり胴元を務めているのを誰も止められなかった。てかむしろ、セーニャだプリスカだと“握り”始めたのだった。


「なんで僕の結婚話で見物席が満員なんですか!?」


 トマファは執務室の扉前で押し問答する人らを見て額を押さえ、声を震わせた。


「まぁ、お前の結婚話はこれが初めてではないわな」


 ヴァルトアの言葉に皆が驚く。実はこれまでにも商家やギルドからトマファへ縁談の打診があったのだ。そのたびに彼は、『特定の方やギルドとヴァルトア卿がつながりを強くすると、後々損をすると思います』と理由をつけて断ってきた。しかし真の理由は別にあった。


「自分は車椅子で……伴侶になってくれる方に迷惑を掛けるだけですから……」


 おずおずと本音を漏らした瞬間、女性陣の声が一斉に響いた。


「そんなのどうでもいい!」「全部抱え込むな!」「愛があれば大丈夫!」


 総ツッコミである。


「困難こそ、夫婦で乗り越えるものですわ!」とハルセリアが力強く叫び、 「私は全然気にしません」とセーニャは耳まで赤くして答える。


 クラーレは冷静に口を開く。


「普段は自分で全部やってるでしょ。介助が必要なのはせいぜいお風呂や遠出くらいじゃない?」


 するとプリスカが胸を張る。「この前一緒にオフロに入った仲じゃないですか!」


「はぁッ!?」


 一同が驚愕して場が静まり返ると、プリスカは得意げに説明を始めた。彼女はトマファに『たまには足を伸ばして入りません?』と提案し、日頃の疲れが取れるよう気を遣ったのだという。ただ、渋る彼に半ば強引に連れて行ったのだが。誤解を避けるために付け加えておくが、彼女は水着姿だった。外野からは「ここでプリスカが一歩リード!」と茶々が飛ぶ。場の熱気は最高潮だった。


 トマファは顔を真っ赤にし、完全に逃げ場を失った。


 ヴァルトアは深いため息をつく。


「……トマファよ、年貢の納め時だ」


 *


 執務室はすでに戦場にも等しい喧噪に包まれていた。四人の候補者が互いの声をかき消すように叫び合い、空気を震わせる。


「料理は任せて! 毎日あなたの身体を考えて献立を作ります!」


「政務の補佐なら私! 一晩中でも机を並べて書類を片づけます!」


「また一緒に温泉入ろ? あのときみたいに、私が背中を流してあげる!」


「私は十年以上も、ただ一人、あなたを想ってきたのよ!」


 熱気は壁を震わせ、扉を叩く。本来なら領主館の治安や秩序を守るべきメイド隊や衛兵隊までもが「張った張った!」と声を上げて賭けを煽り、廊下はさながら即席の闘技場だ。ラヴィーナやミニヨ、シュラウディアまで入り乱れて騒ぎ立てる。ユリカの鋭い一喝ももはや熱狂の渦に掻き消された。いつもならオリゴが一喝するのだが、彼女は今日に限って有給休暇である。



「ええい、静まれ! 全員、気を付けッ!」


 ヴァルトアの低くも鋭い怒声が執務室に響き渡る。大気を切り裂くような彼の一喝に兵たちは一瞬で息を呑んだ。乱気流のような騒ぎが止み、全員が“気を付け”の姿勢を取る。──ここで騒いでいる者たちの殆どが領主軍の一翼を担う兵たちだ、上官の合図には敏感である。


 その隙間を縫うようにトマファの声が震えながらも響く。時折ハンカチで汗をぬぐいながら、一言一言はっきりと言葉を紡ぐ。


「……僕は、どれだけ頑張っても自力で歩く事も立つことも出来ません。それでも伴侶になってくれるって方に、わざわざ苦労を背負ってまで僕と一緒になる必要はないと思っていました。でもこれほど真剣に気持ちを伝えてくれる人たちの前で曖昧に笑ってやり過ごすのは、いいかげん失礼だと思いました」


 彼の瞳は伏せられていたが言葉には確かな決意が宿っていた。空気が張り詰め、みんなの瞳が一斉に彼へと注がれる。トマファは深く息を吸い込み、吐き出す。胸の鼓動が大きな音となって耳に響いた。



「……僕は、ハルセリア嬢を妻にします」



 静寂を裂く宣言に執務室は一瞬沈黙した。だが次の瞬間、堰を切ったように歓声と悲鳴が爆発する。外野は大騒ぎだ、賭けに勝った者は抱き合って喜び、負けた者は地団駄を踏んで怒鳴り散らす。ハルセリアはトマファの言葉を聞くやその場に膝をつき、両手で顔を覆った。頬は涙で濡れ、声が震える。その彼女の前にトマファは車椅子を付けると、そっと肩を抱きしめる。


「……ありがとうございます……ずっと想い続けてて……よかった!」


「ハルセリア嬢……いや、ハルちゃん、キュリクスとルツェルの未来のため力を貸して欲しい」


「うん、わかった──てか、久しぶりに“ハルちゃん”って呼んでくれたんだね」


 その姿に誰もが思わず息を呑み、胸を熱くした。中には感極まってもらい泣きするメイドもおり、賭けに勝ったものは二人の未来を応援し、負けたものは銅貨を払って静かに去っていった。


 トマファは涙でぐしゃぐしゃになったハルセリアを連れて執務室を後にしたそのあとすぐ、セーニとプリスカ、クラーレの三人はユリカに『失恋休暇』の申請をした。おかげで明日にはキュリクスを発つはずだったミニヨたちはセーニャの失恋休暇明けを待つことになる。



「はぁ~、トマファ君の相手があの憎たらしいルツェル女だなんて」


 失恋休暇の最終日。


 クラーレの提案でセーニャと一緒に飲むこととなった。実はセーニャ、隊長であるオリゴには『酒はほとんど飲まない』と伝えてたが、決して全く飲めないというわけではない。メイドや侍従という仕事上、何かがあればすぐに出動できるよう飲まなかっただけである。


「私は気分さっぱりしました──恋をするって良いですね」


 そう言って爽やかな表情のセーニャはジョッキに残るエールを一気に飲み干した。「おぉ、いい飲みっぷり」と隣で飲む金属加工ギルドの技師モグラットが小声で言う。そのセーニャは肩甲骨に届くほどの長髪をばっさりと切り、気分一新したようだ。


「セーニャ曹長って髪の毛短くすると、すごく明るく活発に見えるんですね」


 そう言うとプリスカが町娘姿で瓜の糠漬けをぽりぽりと食べていた。


「思い切って髪を切ったから気分が軽やかになれたんだと思います──あ、女将さん、エール一杯お願いします」


「あらセーニャさん、その髪型とても似合ってるわ。──それよりプリスカ、あんたは失恋休暇じゃなくただの“有給休暇”なんだから、お店を手伝ってよ。今日はなんだか忙しいんだから!」


「はぁい──」


 プリスカの実家、酔虎亭での『失恋残念会』。安くて美味しい肴をつまみに、三人は失恋の痛みを笑いやおしゃべりに変えていった。もっと言えば、参加者は三人だけではなかった。彼女たちの横にも酒を愉しむ女たちが並び、結果の愚痴をこぼす者もいれば、酔っぱらって意味不明な事をはしゃぎながら語る者もいて、クラーレとセーニャの周りはすっかり賑やかな宴席と化していた。


「てかさぁー、あんたの姉さんって"栄光ある"ルツェル大使でしょ? それが異国の文官長と結婚ってどうかと思う訳よー。ねぇ聞いてる、シュラウディア」


 トマファの選択で恋に破れた三人だけが悔しがってる訳ではない、ラヴィーナもその結果に悔しがっていた。彼女にとってハルセリアは“爆弾娘”のイメージが強く、冷静沈着な文官長とはどうしても相応しくないと感じていた。それなら言葉は少なめだけど仕事熱心で真面目で落ち着き有るセーニャの方が、文官長におあつらえ向きだと思っていたのだ。しかしラヴィーナにとって伯父母のルツェル大公がハルセリアを強く推してるため、強く異を唱えることもできないため、ここ数日は悶々と過ごしていたという。


「はい、ばっちり聞いてますよ、ラヴィーナ様ぁッ! わ、た、し、は! 元気でーす!」 


「てかあんた、顔真っ赤じゃない!」


 シュラウディアは……もう既に酔いつぶれて壊れていた。シュラウディアは実姉の結婚に喜んでいるというより、久々の酒で箍が外れていたのだ。ちなみにだが、彼女がセーニャやエルゼリアに「一杯飲まない?」と誘っても何故か「お断りします」と真顔で言われてしまうらしい。かといって一人で飲むにはちと寂しいため、ここ最近はなかなか酒にありつけなかったのだ。ちなみに彼女は酔っぱらうと記憶が完全に飛ぶらしく、ヴィルフェシスでの一夜について何の一つも覚えていない。


「ですが我が姉、あの“爆弾娘”も十数年越しの悲願が叶ったんですよ! まさに“処女の一念岩をも通す”ってところですよ! 時期に……文官長の“マグナム”で“通される”んですかねぇー?」


 シュラウディアは手酌で杯を傾けながらどんどんとワインと空けていった。そのせいか、口から出てくる言葉がたまに卑猥だ。


「──どう思う? セーニャ」


「シュラウディア──あんたって、飲むとお淑やかさが消えてすっかり“アニリィ様”よね」


「お、そーだ! アニリィ様にこの前お会いしたけど、本当に“イケメン”な武官よね!」


「あの人、女よ」


 ミニヨがそっと補足する。それを聞いて「あ、そーなんですね! おっぱい無いから男だと思ってましたー! ……あれ? 今日は周りを見渡してもみんな、おっぱいがちっぱいだー!」と訳の分からない事を叫ぶシュラウディアに主人のラヴィーナだけでなくミニヨやエルゼリアは顔を真っ赤にして胸元辺りを確認していた。


「ところでシュラウディアさん、さっき話に出てた"まぐなむ"って何ですかー? 大サイズのワインボトル? エルゼリアは知ってる?」


「はい! リーディア様、たぶん“大砲”のことです!」


 失恋残念会に交じってラヴィーナたちも酔虎亭へとやってきたのだ。実はセーニャの失恋休暇のせいでヴィオシュラへの帰国が数日遅れたのだった。──ちなみにだが、女将トトメスがさきほど言っていた通りプリスカは失恋休暇が認められなかった。去年の秋ごろに一度使ったからである。(38話参照)


 *


 ヴァルトアは額を押さえ、深い溜息をつく。ルツェル大使館のアンドラ参事が朝早くに領主館へ訪れ、大公からの密書を届けに来た。その内容を見た瞬間、彼は頭を抱えて息を漏らした。


「……ルツェル大公は一体、何を考えてるんだ」


「きっとハルセリアちゃんの結婚が嬉しくて仕方なかったのよ」


 ユリカは小さく笑い、穏やかに言葉を添えた。届いた密書には『“栄光ある”ルツェルの有能な文官を嫁に迎えてくれたことへの謝辞』と共に、こう記されていた。



『キュリクスとルツェルの関係発展および向上のため、ルツェル大使ハルセリア・ルコックを本日付で解任。同日付でキュリクス領主館付きの文官に任ずる。なお“爆弾娘”なので、取り扱いには注意されたし』




「これって厄介払いを押し付けたんじゃねぇの!?」


「またも賑やかになるわねぇ」


 ユリカはにやりと笑うと大公からの密書を持ってきたアンドラに「委細承知とお伝えください」と言った。

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