169話 武辺者、ついに結婚へ・4
朝からうだる暑さだったキュリクスにもようやく涼しい風が吹くようになり、秋採れイモ初入荷の知らせが市場に入ってきた。蝉の声も僅かに小さくなり、もうそろそろ長いと思っていた夏も終わりである。
ミニヨたち学院組の三人は洗濯機の完成に引き続き、魔導エンジンで負圧を作ってゴミを吸い取る『掃除機』たるものを完成させた。彼女らは領主ヴァルトアの前で実践してみせてくれたのだが、
「これ、すごく、うるさくないか?」
と雑な感想を漏らすしかなかったという。しかし床の隅のゴミを気持ちよく吸い込むため、メイドたちから好評だという。──なお後日、研究開発費の請求がヴァルトアの元に届いたという。先の洗濯機よりかは安く済んだが、メイド長オリゴから「新人メイド三年分の賃金ですよ」とお小言をもらい続けたという。
ミニヨ達が領主館に寄付してくれた洗濯機や掃除機の初号機を見てヴァルトアはオリゴに一言呟いたという。
「俺はデザイン云々の知識はないんだが、一つ聞いていいか? ──なんで白地に花柄なんだ?」
これは開発者の一人、ラヴィーナの美意識だった。『もし自分がこの道具を使うなら、真っ白な筐体で花柄が良いわ! お気に入りのティーカップのように、白磁の花柄模様にしたいのよ』と言い張って採用したという。──なお金属加工ギルドの営業たちがいざ販売してみると『この花柄模様を無くしたら、一体いくら安くなりますか?』と顧客から聞かれたという。
「評判は……まぁいまいちですね」とヴァルトアの問いにオリゴが応えたという。
昔あったよね、花柄のポットや炊飯ジャー。
(知ってるやつはおっさん認定な)
ミニヨたちがヴィオシュラへ戻る前日のこと、執務室の扉が開くと彼女らはヴァルトアと妻ユリカのもとに姿を現した。キュリクス訪問中、お忍びで来てるラヴィーナを『男爵令嬢ロザーナ』として扱ってくれたことに彼女が感謝を述べた。
「いやなに、本当に大したお構いも出来ず申し訳ございません」
「こんな田舎ですからご不便があったと思いますのに、お心遣い感謝します」
ヴァルトアとユリカは普段は立式で自然に接していたが、最後の日は跪いて挨拶した。なおヴァルトア夫妻にとってラヴィーナは異国の王女だ、しかもお忍びで入場してるのでそれなら礼儀など払う必要は無いと断じる人は居るかもしれない。しかし『礼を尽くすことで相手から歓心こそ買えど不審を買うことはない』というトマファのアドバイスを受けての行動である。
最初は面食らってたラヴィーナだったが「よいよい」と笑顔で応えた。なにせ歓迎パーティなど一切行なわず、普通の客人として扱ったのだ。食事についても「チーズや生クリームをもうちょっと足して欲しい」と言われただけで何でも食べてくれた。特にクラーレが持って来る糠漬けが大のお気に入りで、粉チーズをかけて食べたという。
ラヴィーナはにこやかに一礼し、「面を上げなさい」と言うやいきなり核心を突くよう話を続けた。
「ところで、我が親友ミニヨの侍従セーニャ殿についてだが──文官長トマファ殿に嫁がせてはどうかしら?」
あまりにも唐突だった。ヴァルトアは思わず顔を挙げ眉をひそめる。ユリカに至ってはぷっと息を吐き出すと顔を挙げた。
ついぞ一ヶ月ほど前に『トマファ結婚か!?』のデマが領主館を駆け巡り、館内が半日ほど浮ついたのだ。デマだと判明した途端、みんなが「なぁーんだ」といってそのまま業務に戻ったのだが、たかが文官一人の結婚で大騒ぎするのも"アットホームな職場(笑)"たる宿命だろう。
ラヴィーナの提案を聞いてミニヨはわくわくと父の反応を待ち、セーニャはその場で真っ赤な顔して固まっていた。リーディアはにこにこ楽しそうな顔で事態の成り行きを見守っている。
「な、なにを仰るのですラヴィーナ殿下──家臣への結婚の提案なんてお戯れが過ぎますぞ」
ヴァルトアは困惑した。というのもあの騒動のあとすぐ、オリゴやユリカから『セーニャとトマファは相性が良さそうだから、領主命令でとっととくっつけなさいよ』とせっつかれたのだ。ヴァルトア自身もトマファには「結婚は良いもんだぞ」と折りに触れ言ってるのだが、あまりにも言い続ければ「マリハラですよ」と言われかねないのだが。
ちょうどその時、扉を叩く音が響いた。返事をする間もなく扉が開くと封蝋された書状を抱くハルセリアが堂々と入ってきた。
「あら、あなた……エルンスト伯の」
ラヴィーナがそう言うやハルセリアは仁王立ちする彼女の姿を認めた途端、彼女の表情は凍りついて跪く。
「そう言えばキュリクスにも”栄光ある”ルツェルの大使館が出来たんでしたね──その大使ごときがヴァルトア卿の元に、なんの御用かしら」
「あ、はい。公妃ゲオルギーネ様よりのヴァルトア卿宛の急ぎの書状をお預かりして参りました」
そう言ってハルセリアが顔を挙げた途端、ラヴィーナの隣に控えていた侍従の少女を見て、息を呑んだ。
「ディア……あんた、なにをしているの?」
「てかお姉ちゃんこそ、王宮の仕事どうしたのよ?」
ラヴィーナの侍従シュラウディア、実はハルセリアの末妹である。容姿はよく似ており、面差しや驚いた表情まで姉妹らしくそっくりなのだ。なおハルセリアは父エルンストから、
『シュラウディアは王宮からの極秘任務のため、数年ルツェルを離れるそうだ』
と聞かされてたため、二人は一年ぶりの再会である。ハルセリアはシュラウディアの連絡先すら知らなかったため、キュリクスに赴任してることを知らせることができなかったのだ。そのためハルセリアは自分がなぜキュリクスに赴任しているかの経緯を大使館設立の経過から簡単に説明した。もちろんエラール王宮と激しく揉めた話は若干ぼかして説明していたが。
「ふぅん、さすが”ルツェルの爆弾娘”ね。──てか、いまは親友の侍従についてヴァルトア卿と大事な話をしてるのです。とっとと伯母上の書状を卿に渡してお帰りなさい」
「……御意」
実をいうとハルセリアはラヴィーナの父であるフェリク・パルミエ公を苦手としていた。そもそも彼女がシェーリング公国と揉めた際、ルツェル王宮内でも彼女の扱いを巡って意見が割れたのだ。大公フランツとゲオルギーネ公妃は理解を示して好意的に接したが、大公弟フェリク・パルミエは激怒、兄弟喧嘩にまで発展したという。そのさなかにシェーリング公国が断交を示唆、ゲオルギーネ公妃が実兄であるビルビディア王に助けを求めた──という経緯があるのだ。
いつものハルセリアなら『ヴァルトア卿、書状をお預かりしております』と笑顔で渡すのだが、ラヴィーナが居るため顔を青ざめながらヴァルトアへ書状を差し出ていた。ヴァルトアも恭しく受け取ると封を切ると中身に目を走らせた。その瞬間、顔が強張る。そこにゲオルギーネ公妃の直筆一文がでかでかと書かれていた──。
「ヴァルトア卿、あの伯母上はどんな無茶を押し付けてきたんです?」
「え、えぇ……」
ヴァルトアは震える手でその書状をラヴィーナに差し出した。彼女はそれを受け取り目を落とした途端、彼女も顔が強張らせると絶叫していた。
「文官長トマファ殿を、我がハルセリアの婿に迎えてはどうか」
室内は一気に騒然となった。片やラヴィーナやミニヨがセーニャを推し、片やゲオルギーネがハルセリアを推してきたのだ。二つの縁談爆弾が同時に炸裂したのである。
*
「ハルセリア、あんた、諦めなさい!」
「こ、これはゲオルギーネ様のめ、命令でございますれば”栄光ある”ルツェルの上意、いえ、もはや天意かと」
「お黙り! シュラウディア、あんた、この”色ボケ”姉を黙らせなさい!」
「ラヴィーナ様、それは無理です! この姉はトマファ様が好き過ぎてシェーリング公国に一人で喧嘩を売るような”爆弾娘”ですよ?」
”栄光ある”ルツェルの女たちはトマファの相手を誰にするかで大喧嘩だ。セーニャ推しのラヴィーナはハルセリアに諦めろと言うし、ハルセリアはゲオルギーネの応援を背に受け舞い上がっている。シュラウディアは姉のヤンデレっぷりを嫌と言うほど知ってるため止めようがない。なおトマファ本人は不在だ。
混乱して嬌声響く執務室にメイド隊の面々が扉から覗き込む、いくつもの爛々とした目がヴァルトアたちの元へ注ぎ込んでいた。それを見てヴァルトアは苦し紛れに口走る。
「な、ならばいっそ……二人同時に娶ってはどうだ?」
その瞬間、恐ろしいほどの冷たい空気が執務室の中を覆った。
「じゅ、重婚なんて主神への冒涜です! 夫婦は太陽と月、一対一の誓約を重んじるものですよ!」
ハルセリアは顔を真っ赤にして叫んだ。月信教では事情があって側室を持つことになったもしても強い忌避感を持たれるため、ヴァルトアの提案はあまりにも馬鹿げていた。なお月信教徒が非常に多いルツェルで不倫や重婚は重罪と定められており、ルツェル人に『既婚者なんてみんな遊びまくってるでしょ?』なんて開き直ったかのように言おうものなら『オメェだけだよ、反省しろ!』『不倫は文化じゃねぇ!』と罵倒されるという。
「奥方が二人も居たらどう順番を付けるおつもりですか! どう愛するんですか! まさか──二人揃ってベッドで愛するなんて……もぉ♡」
ラヴィーナは早口でまくし立てていたが、自分がとんでもないことを口走ってたことに気づいたのか後半部は顔を真赤にするとモゴモゴ言って一人悶えていた。
「え、ですが私は側室でも二号でも別に構いません」
セーニャは小声ながらしっかりと答えた。彼女は北方の漁村出身のため精霊崇拝者だ、妻が複数居ようがそんな教えがないため気にもしない。漁師は夫が操業中に海洋遭難死すれば一家が露頭に迷ってしまう、そのため寡婦や子どもたちをまとめて引き取る習慣もあるのだ。セーニャの家も実母以外の母親が二人居たという。ただ、どこの家も第一夫人が強い権力を持つというが。
三者三様の反応がぶつかり合い、場は収拾がつかない大混乱である。シュラウディアは冷ややかに姉と友を見比べ、ミニヨは興奮で頬を赤らめている。ヴァルトアは額を押さえ、心の中で呻いた。
──どうする俺……いや、どうなるトマファ!?
こうして、当の本人がいないまま縁談話だけが暴走するのだった。
不倫は文化!(キリッ)
──ぷーくすくす
なお、『不倫は文化』事件から30年近く経っているという事実。