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168話 武辺者の地からすこし離れたルツェル王宮の話・1 =幕間=

 ルツェル王宮の一室。重厚な窓辺に昼下がりの光が差し込み、フランツ・ヨーゼフ10世と公妃ゲオルギーネがソファに並んで腰かけていた。昼ご飯を終えた二人はいつもこうやって並んで座り、食後のお茶を楽しむのが日課だ。結婚して既に三十年は経つが二人の距離感はいつも自然で、互いに言葉が無くても通じ合うよう微笑みあう。その光景は政略結婚で結ばれたとは思えぬほど仲睦まじいため、この夫婦はルツェルの理想的な夫婦像とまで言われている。──その傍らには胃のあたりを押さえて立つエルンストがいる、彼は大公フランツの忠臣でありながら同時に乳母兄弟として幼少から苦楽を共にした幼馴染でもある。そのエルンストから渡された報告書をフランツが読み上げる。


「んーと、なになに──『キュリクスは気候も民衆も良いところです。今は農業や工業の技術交換、技師の派遣交渉をしております。あと私事ですが、長年の想い人の近くで仕事が出来る事に誇りを持っております。これから先も、“栄光ある”ルツェルのために粉骨砕身の所存です』と。相変わらず元気な()だな」


 フランツが読み上げた報告書を静かに聞いてゲオルギーネがぱちんと扇子を閉じると、にこやかに告げた。


「ふふ。昔からそうだったわねぇ、あの子。“好きな人のために頑張っちゃう”娘だったもの」


「あぁ、シェーリング公国でのいざこざには儂も腹が立った、あれは想い人の名誉を守るための彼女の闘争だった」


 フランツはそういうと隣りに座るゲオルギーネに報告書を手渡した。彼女は指で追いながらハルセリアのかわいらしい文字一つ一つに目を通す。


「あの時は我が"栄光ある"ルツェルがシェーリング公国と断交になる寸前でした。ですがお妃様やビルビディア王のご助力で国外追放だけに留まったんです。──あの時は本当にご迷惑をおかけしました」


 エルンストは胃のあたりをさすりながら深々と頭を下げる、『よいよい』と言いながらフランツは手をひらひらと振る。



 ヴィオシュラ学院が出した処分に納得できなかったハルセリアは弁護士を伴って法務局へ再捜査を迫り、新聞社を通して『私闘』裁定の正当性を"公開討論せよ"と学院側に要求したのだ。法的手段に訴える姿勢は正しかったが、ビラを配ったり校門前でハンガーストライキをしたりとそれ以外の行動があまりにも過激すぎた。それに腹を立てたシェーリング公国はついに駐在ルツェル公国大使を王宮に呼びつけると断交を示唆したのだ。だがそこに待ったを掛けたのはなんと南部のビルビディア王国。


 公妃ゲオルギーネは断交示唆を耳にし、たまたまルツェル王国へ遊びに来ていた実兄であるビルビディア王に事のあらましを相談したという。ビルビディア王はシェーリング公国に駐在させている大使などを使って捜査資料をかき集めさせると、なんとハルセリアの熱い思いに理解を示したのだ。そして全くの第三者国なのに自国の新聞紙面で、


『少女が強硬に訴えているのは、きちんと捜査されたか不明だからだろう。それなのに断交を示唆とは、なにか都合の悪いことを隠してるとしか思えない。“愛ある学びを提供したい”と標榜するくせに、声を遮るどころか関係を切ろうとするなんて慈愛のない国を、果たして成熟した国家と呼んでよいのだろうか? そもそも国家とはかの哲学者が説いたように、国民が(イデア)を追求し正しく生きるための基盤を提供する存在である。その国民一人ひとりとはシェーリング公国民だけではない。きちんと税金を払い、法制度も守っているルツェルの少女も然るべきだし、我が“親愛なる”ビルビディアの民も含めて然るべきである。──これでは"親愛なる"ビルビディアの民を北方の学園都市に恐ろしくて預けることはて出来ない』


と談話を発表。ちなみに“談話”とはビルビディア王個人の見解を示すもので元老院や大臣の審議を経ていないので法的根拠はない、だからそれ自体には強制力も拘束力も存在しない。しかし遠回しに「留学生引き上げ」を示唆した為、シェーリング公国は慌てることになる。


 大陸屈指の穀倉地帯を持つビルビディアから疑念を持たれるのは得策ではないと考えたシェーリング公国は強硬策を断念せざるを得なかった。その結果、ハルセリアへの処分は「ペルソナ・ノン・グラータ」を宣言し国外追放とした。彼女にとっては『納得の行かない結果』だろうが、彼女自身、国家間の緊張は望んではいない。結局ハルセリアは処分を甘んじて受け入れるとルツェルへと帰国したのだ。その後、ルツェルの女官学校を出て王宮に勤めている。


 なおルツェル公国から『あの事件の詳細はどうなった』という問いかけには『まだ調査中だ』としか返ってこない。なお事件から十年経った今も『調査中』らしい──「ナメてんのか」とゲオルギーネが漏らしている。


「あのじゃじゃ馬娘も、キュリクスの地でがんばってるなら応援しようじゃないか!」


 フランツの気楽な意見にエルンストが胃のあたりを撫でながら苦笑しつつ頭を下げる。


「娘ハルセリアも年頃です、はやく落ち着いてくれれば父としては有難いのですが……」


 エルンストの呟く声には娘への愛情と心労がごちゃまぜになっていた。先ほどまで報告書を読んでたゲオルギーネがフランツに一枚の報告書を差し出した。


「あら、"あの"アンドラ参事からの報告書も届いていますわ」


 報告書を受け取ったフランツが目を通すと、眉を上げる。


「ふむ……『喫茶店に大使館など馬鹿げてると思いましたが、民は“いつでもルツェル・スープが飲める”と大喜びしてます』と書かれているな」


「へぇ、あの鳥と玉ねぎの濃厚スープがキュリクスでも頂けるのね! 私もルツェルに嫁ぐまで口にしたこと無かったけど、今じゃあのスープがないとお腹の調子が良くないのよね!」


 ゲオルギーネの声が弾む。『ルツェル・スープ』とは王都ファドゥツシュタットより東側で提供されるスープである。たっぷりの野菜くずを炊いてベーススープを作り、食前に玉ねぎと鳥肉とスパイスを入れ、そしてチーズと生クリームで味を整えるのだ。この料理が作れないルツェル女は嫁の貰い手が無くなるとまで言われ、最初に覚えさせられる料理だと言う。なお沢山のチーズと生クリームを使うため異様に濃厚で、ルツェル以外の人からは好き嫌いが別れる料理だ。


「なるほど、そうやって民心を掴むとは。……文官長トマファ殿は本当に面白い人物だ。ぜひ我が“栄光ある”ルツェルにその力をどんどん貸してもらいたいものよ」


 フランツは感心したようにうなずく。ちなみに喫茶店に大使館と言い出したのはクラーレである。物件探しに無理やり突き合わされた彼女が適当に『ここで良いんじゃない』と言ったところ、喫茶店『エンバシー』の女将がまさかの快諾。本来なら彼女の手柄だが、ハルセリアやアンドラの報告書には申請書類の作成やギルドとの橋渡し役として頻繁にトマファの名が挙がっていた。そのためフランツたちからは全て彼の実績だと思い込まれているのだ。なおハルセリアの報告書にはクラーレの名前は一つも上がっていない。──ハルセリアも何かとつっかかってくるクラーレが苦手なのだ。



「以前も陛下のお申し出を……ヴァルトア卿が丁寧に断ってきたではありませんか」


 エルンストが苦い顔で口を挟む、フランツは少し残念そうに唸る。


「そうだったな。いっそのことルツェル公国の男爵位でも与えてもよいかと考えていたのだがな」


 ゲオルギーネが笑いながら扇子で夫の肩を軽く叩く。


「もう、あなたって何でもかんでも性急なんだから。突然爵位なんか押しつけてきたら、エラール王宮どころかヴァルトア卿からも警戒心を持たれるわよ。ねぇ、エルンスト君?」


「さ、左様でございます……(うぷ、胃薬、胃薬……)」


 エルンストは懐をごそごそ探る。フランツは昔から思ったことは深く考えもせずに言葉にし、すぐ行動せよと言う『衝動的な性格』なのだ。少しでも行動が遅ければ機嫌を損ねるし、反論しようものなら烈火のごとく叱りつけてくる。彼の事を評価するなら暴君だったらいささか大げさだ、“我儘マイペースな王様”といったところだろう。その『衝動的な性格』に振り回されるエルンストはといえば心労からか慢性的な胃痛を抱えているのだが、フランツは自分のそういった“短所”を理解した上で“我儘な王様”を演じてるきらいがある。


「では、どうすればトマファ殿へ報いれるかのぉ……」


 フランツが顎に手をやった、するとゲオルギーネがさらりと言い放つ。


「簡単なことよ。ハルセリアちゃんと結婚させればいいのよ!」


「なるほど、それは名案だ! さすがギーネちゃん」


 フランツはぽんと膝を打つと何度もうんうんと頷いた、彼はあまりの名案で瞳をきらきら輝かせている。対してエルンストはぎょっとした顔で「な、な、何をおっしゃるのですか陛下!?」と声を上げ、手から胃薬の小瓶を落としてしまう。


 エルンストには三人の娘が居るのだが、長女ハルセリアをいい加減嫁に出さないと周りから『行かず後家』と言われかねない。数年前までなら良縁をと話を持って来てくれた人がいたのだが、全てに『想い人が居ますから』と断っている。相手に会おうともしないどころか、どこの誰で、どういう家柄で、性別すら聞こうともしない。最近ではお見合いを持ち込んでくる者すら現れなくなったぐらいである。それに彼女は文官としては優秀だが、あまりにも好戦的な性格ゆえ男性側が忌避しているという噂もある。なお次女は既に結婚し、三女は留学中だ。長女だけがこうして縁談を跳ねのけ続けている現状に、父としての複雑な想いが募り、エルンストは小さくため息を漏らす。


「そういえば、我が娘に付けていただいたアンドラ参事は優秀ですが……赴任した先がどうにも不幸に傾いてしまう、そんな不思議な子です。その彼女が面白いと送ってきた切り抜きがこれですか」


 アンドラはキュリクス日報の連載小説にハマっているらしく、わざわざ切り抜きにして報告書とともに原稿用紙5枚もの読書感想文まで送ってきたのだ。もちろんその小説はあの『おひつじ座のラー』である。なおアンドラはその作者と同じ屋根の下で過ごしているとは露ほどに思っていない。


「キュリクス市井では流行っているそうですが……登場人物に救いがなく、結末も悲惨ね。──でも、暗い物語ほど人は惹かれるものよ。律儀に切り抜いて送ってくれるあたり、アンドラちゃんって真面目よね」


 ゲオルギーネは肩をすくめくすりと笑った。フランツはアンドラが送ってきた読書感想文を読み、不服そうな表情を浮かべて横のサイドボードに置く。


「儂はやはり悲劇や舞踏見物は好かんな。腹がすくほどの喜劇や面白いバレエなら見てやらんでもないが、それなら狩りの方が好きだわ」


 ルツェル大公としての公務に舞台鑑賞もあるのだが、彼は悲劇や舞踏にはまるで興味がなく、桟敷席でうたた寝することもしばしばである。数年前だが学生演劇コンクールで優勝した学校の特別公演に、フランツ夫妻が招待された時なんてひどいものだった。観客の涙を誘うヒロインのクライマックス。彼女が台詞を放とうとした、まさにその瞬間、場内にフランツの豪快ないびきが響き渡ったのだ。悲哀の極致は一転、観客を爆笑の渦に巻き込み、翌日の新聞には『大公の大いびきで悲劇が大喜劇に!──ファドゥツシュタット高等礼節学院演劇部』と、大きな見出しが躍ることになった。なおフランツとエルンスト、さらに特別公演の総指揮を務めていた"悲劇"の文官アンドラまでもが演劇部を訪ねて土下座謝罪に行ったのはいうまでもない。ついで、どうでもいい話だがその時ヒロインを演じていたのはエルンストの末娘である。


 ゲオルギーネは「だからあなたは芸術に疎いのよ」と笑い、フランツも照れくさそうに肩をすくめた。そんな二人を横目に、エルンストは「はぁ……」と深いため息をつき、胃を押さえていた。


「よし、決めた!」


 フランツは急に立ち上がると一枚の上質な羊皮紙と筆ペンを手にしてゲオルギーネに差し出した。


「国父たる儂が指示したとなるとセクハラとやらになるやもしれん。ギーネちゃん、キュリクスのヴァルトア卿に打診できるか? ハルセリア嬢の婚姻の話」


「えぇよござんす、構いませんとも。ちゃちゃっと書いて差し上げますわ! ──ちょっと強気に書いてみます? 『婚姻の儀、断ったらどうなるか判ってるだろうね?』って」


「お后様、本当におやめください! 私ども文官の胃袋が千切れ飛びますから!」


 エルンストはそう叫ぶと瓶をあおり、胃薬を一気に飲み干すのだった。

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