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167話 武辺者の家臣、声を荒げる 後編

 領主館の応接間には昼下がりだというのに重い空気が漂っていた。トマファは腕を組み黙ってハルセリアを見つめている。クラーレは椅子に腰掛けたまま新聞を膝に置き、その紙面をひと撫でする。


「……今朝も読ませていただきましたよ。『おひつじ座のラー』先生の連載を」


 クラーレは小さくため息をつき、続ける。「小説の中の、学園の中庭でのキラキラした光景は目に浮かぶようでした。ヴィッテルとペレグリノが友人たちと笑い合う場面……なのに、ヴォスという留学生の王子が現れて、すべてを壊してしまう」


 彼女の声には熱心な読者としての思いがこもっていた。それを聞いてハルセリアの肩がぴくりと震える。

 その小説の中でヴォスはあちこちの女学生に手を出しては飽きれば捨てるといった卑劣な人間として描かれていた。ルルドにはヴィッテルという想い人が居るし、月信教の教え、純心からかヴォスには近づきたくはない。しかしそんな事を気にも留めずヴォスはルルドにしつこく言い寄り続ける。彼女が辛そうな顔をしているのを知り、それをたしなめるヴィッテルとペレグリノ。


「──それでもルルドがヴィッテルへの想いと純心を盾に、ヴォスから必死に抗おうとする姿……胸が痛みました。けれど彼女を護ろうとしたヴィッテルは……」


「……ヴォスと取り巻きたちに襲撃されて下半身不随の傷を負った」


 クラーレの言葉に重ねるようにハルセリアが呟いた。声は震え、両の目に涙がにじんでいる。


「ハルセリアさんの作品でも、学院やシェンゲン王国も『学生同士の決闘』として事件を隠し通した。平民出の学生など守るに値しないとばかりに。……そして加害者のヴォスは武勇伝を語るかのようにあちこちで吹聴した。そして残されたルルドは学院と王子相手に戦いを挑む、と」


「やはりトマファ君の事件をベースとした物語だという事ですね。ルルドがハルセリアさん、ヴィッテルがトマファ君、大柄の優男ペレグリノは……ブリスケ様かな? で、ゲス男のヴォスが──レピソフォン王太し……」


 クラーレは悔しげに唇を噛みしめる。ハルセリアは涙を拭おうともせず、強い調子で言い放った。


「あんな男、ただの僭称王太子じゃない! ──私は自分に火の粉が降りかかろうとも構わない。彼を傷つけた者も、その背後で事件を隠ぺいした学院も国も王宮も──地獄に落とすまで、私は筆を止めたくはない」


 応接間の空気は一層重くなった。クラーレは痛ましげに彼女を見つめ、トマファは二度ほど深く息を吐いてから静かに口を開いた。トマファの声音は冷ややかだった。


「ハルセリア嬢の気持ちや正義については理解します。ですがやっていることはあからさまな悪手でしかありません」


 彼は窓外に目をやりながら、言葉を区切るように続けた。キュリクス領旗と共にヴィンターランド家旗──戦乙女がはためいていた。


「ルツェル公国の現状、工業力はそこそこありますが軍事力転換技術としては微弱です。局所戦では健闘できるでしょうが、腐ってもエラール王宮です。近衛兵団や南方軍などの正規軍を動かせばルツェル国民を総動員して戦う事になるでしょう。──それだけでなくエラール王宮に臣従する領邦国も参戦するでしょうし、あなたの作品で腹を立てたシェーリング公国まで敵に回したら勝ち目はありませんよ」


 ハルセリアは嗚咽混じりに反論しようとするが声にならない、トマファの分析が何の一つも間違っていないから反論のしようがないのだ。クラーレは立ち上がりかけたが、踏み出せずに押し黙る。


「しかも隣国ロバスティア王国は国境沿いの鉱山地帯を露骨に狙ってます、それどころか拡大主義を隠す気すらない国家です。火蓋が切られたらどさくさにまぎれて領土を蹂躙していくでしょう。そうなれば……ゲオルギーネ公妃殿下のご実家・ビルビディア王国までもがルツェル公国保護のため参入します。そうなればセンヴェリア大陸を割る戦争ですよ」


 最後にトマファは彼女を見据え、言葉を強めた。「それでも……僕の考えを無視してまで、あなたの“想い人”のために復讐を続けたいのですか? ──僕はそんな事、望んでいません」


 その言葉にハルセリアの瞳は大きく見開いた。そして双眸からは大粒の涙がこぼれ、嗚咽が漏れた。応接間には重苦しい沈黙が満ちた。クラーレは拳を握りしめたまま言葉は出なかった。


 しばらくしてトマファは机の上に置かれた小さなベルをちりんと鳴らす、澄んだ音が応接間に響き渡った。すぐに当番メイドのマイリスが入室し、「どうしたの?」と首をかしげながら尋ねた。


「マイリスさん。急で申し訳ないんですが、レオナさんを呼んでもらってもいいですか?」


「いいよぉ。今、プリスカちゃんとプリンを作ってるから、ちょっと呼んできますね」


 マイリスが去り、やがて濃紺のブラウスにピナフォア姿のレオナが入ってきた。その彼女を見た瞬間、ハルセリアははっと息を呑んだ。肌は日焼けしてるがその顔立ちと髪色を見た途端、椅子を弾かれたように立ち上がり、跪いて深く頭を垂れた。双眸を見開いたまま小刻みに震え俯き、喉は緊張で張り付いたように固まり、声を絞り出すことすらできなかった。


「あ、あのぉ……」


 自分に跪く女を前にしてレオナは一瞬たじろいだ。しかし彼女は一つ咳払いをすると厳かな声でこう告げる。


「──面を上げなさい」


 その声を聞いてハルセリアはさらに深く頭を下げる。これでは話にならない、そう思ったレオナはハルセリアの正面に膝をつくと彼女の耳元でこう言った。


「そんなんじゃお話できないから、ちゃんと椅子に座ろうね? すぐに出来立てプリンを持ってくるから」


 そこで初めてハルセリアは顔を上げた。笑顔のレオナがハルセリアの肩を叩き、「座ろっか」と声を掛けた。


 *


「こ、この方ってひょっとして……」


 皿に盛られたプリンをスプーンで掬い、美味しそうに口へ運ぶレオナを見て、ハルセリアはようやく声を紡ぎ出した。トマファも美味しそうにプリンを掬って口に放り込む。


「そう。エラール王宮の正当な王太子セルヴェウス殿下──()()()方です。レピソフォンの政変を察知してロバスティアに政治亡命しようとしましたが果たせず、今は名も変えてキュリクスの文官として働いています」


 トマファの告げた言葉にハルセリアの表情がさらに凍りつく。エラール王宮の官房長からはセルヴェウス王太子は病気療養中だと聞かされていた。しかもレピソフォンが政権を握る前後に、消息不明と報道された王太子が今まさに目の前にいるのだ。おまけにスカート姿はあるが元気そうな顔をしてプリンを美味しそうに食べている。その彼女がハルセリアのほうへ顔を向けた。


「改めまして。ルツェル公国のハルセリア・ルコックさんだよね? お久しぶりぃ、三年前にパルミエ公と共に王宮の舞踏会に来てくれたよね?」


「お、覚えていてくださり、光栄に存じます!」


「ふふ、昔っから人の顔と名前を覚えるのは得意なの」


「その割には地図は全然覚えられないんですよねぇ、レオナちゃんって」


 レオナの横でちゃっかりプリンを食べているのはプリスカだ。お客様用とは別に自分用に作ったものを応接室で食べている。なおプリスカの言う通り、レオナは極度の方向音痴で今だに領主館内で迷子になってい。


「せ、セルヴェウス殿下って、ど、どうしてキュリクスにいらっしゃる──」


「今は"レオナ・ドリーヴ"よ、セルヴェウスじゃないわ。まぁ、この前もそう呼んでたお嬢様がいましたが」


 トマファはスプーンをそっと机に置いた。「食べないなら残り食べようか?」と言うプリスカに彼はそっとプリン皿を差し出した。その皿を取ろうと伸ばしたプリスカの手を、クラーレが弾いた。「みっともない真似はやめなさい」と言いながら自分の元へと引き寄せようとしており、二人してトマファの食べかけプリンを取り合っているのだ、──みっともない。


「前王マスチェラス様には男子は二人、現王クセノフォン陛下とレピソフォンのみでした。で、現王陛下は王后様一筋で、唯一人の子が彼女です。次子を望もうにも、その、年齢的に期待はできませんでした」


 二人が結婚してもなかなか子に恵まれなかった。周囲からは側室をとの声もあったが、現王はすべて無視して王后のみを愛した。しかし授かったのは娘だった。


「現行の王位継承法では女性に継承権はありません。ですからこのままでは次代はレピソフォンに王位は継承されるのですが、前王マスチェラス王妃の王太后様は熱心な月信教徒でした。そのため聖心教の巫女であるレピソフォンの実母を側室と認めず、彼を庶子扱いとしたのです。しかしこのままでは王位は空位となるかレピソフォンに移ってしまう。そこで彼女は王女として生まれながら王家の都合で王太子セルヴェウスとして育てられたのです」


 トマファは静かに続ける。「ここから先は僕の独り言です。その独り言を聞いてルツェル公国へ報告しても新聞屋に売っても構いません。──遠くない未来、キュリクスはこのレオナ嬢を正当な王統として立とうと考えてます」


 応接間の空気は一瞬で張り詰めた。トマファはエラール王宮に叛意があることを静かに白状したのだ。しかしその声音には迷いがなかった。それを聞いてハルセリアは手にしたスプーンを取り落としそうになる。


「しかしキュリクスも工業や農業の力が足りず、味方も援軍も望めない。財政も心もとない。何もかも足らないから、必死に内政をしてるんです。──ハルセリア嬢、もし本当にあいつを地獄に落としたいと思うのなら、お互いに、もうすこし時間を掛けません?」


 ハルセリアは震える肩を抑えながら、涙の中でトマファを見つめていた。激情はまだ収まらない。だがその奥底に初めて『大義』という光が差し込んだのだった。




 * * *



 ハルセリアが領主館へ来る、二時間ほど前。


「暑いねぇ、プリスカちゃん」


「マジ暑いっすねぇ、レオナちゃん」


 文官執務室にはシュミーズ姿で魔導冷風機の前に陣取って寝そべっているレオナとプリスカ。レオナはちょっと前まで山奥の村で井戸掘りをしていたせいか肌はすっかり小麦色、プリスカも先日女友達と川遊びに出かけたらしくほんのりと陽に焼けていた。


「ねぇレオナちゃん──キュリクス日報のあの小説、読んだぁ?」


「うん今日は完全に鬱展開だったよねぇ──ヴォスのダーティさを演出するための回とはいえ、なんかムカつくよねぇ」


 これでも二人とも勤務時間中だ。今日はなんと領主ヴァルトア夫妻とメイド長オリゴは菓子商ギルドの慰安旅行に招かれて留守、叱る人も居ないので気が完全に緩んでる。さらに二人とも身体に疲れを溜め込んでいるせいか、エステに行きたいと愚痴までこぼす。


「トマファくぅーん、足もんでぇ!」


「プリスカ君! そんな事できるわけないじゃないですか!」


 トマファは困った顔を浮かべるが、二人に提案する。「エステは無理ですが……お二人に一芝居打っていただきたいんですよ。──お礼としてランバー接骨院の特別マッサージ券!」


「えッ!」「本当に!?」


 なおマッサージ券は銅貨2枚。




「──つまり、ハルセリアさんの怒りがこれ以上暴走して火種を撒き散らさないための一芝居ってことね? でも、大丈夫? 私、身バレしたら大変な事になるんだけど」


 キュリクス領主館には月に二度、エラール王宮から指名手配状が届く。強盗殺人の賞金首や盗賊団の首領の他に『セルヴェウス王太子』とその女官たちの名前も挙がっている。つまり()の所在がバレたら近衛兵団が確実に飛んでくるのだ。


「ハルセリア嬢は直情的で激情家ですが、政治センスは悪くないですよ。ルツェル公国の『次代の女宰相』って称号も伊達じゃあないですからね。それにレオナ殿の事を漏らしても彼女にはメリットが何もありません、むしろレピソフォンのメリットになるなら徹底的に“やらない”って選択肢を選ぶ方ですよ」


「それならいいよ? キャラ設定とかどうする? なんか盛る?」


 レオナはノリが良く、面白い事だととことん付き合ってくれるタイプだ。


「あ、はい。──将来的にレオナ嬢を正当な王統として立とうかな? と考えてると言うつもりです」


「え、立たないよ?」


「知ってます。だから“立とうと考えてる”と言います」


 トマファのやり口は完全に詐欺師である。しかし彼女がこのまま直情的に動けば、要らぬ緊張を国中に広げてしまう。それを避けるための一芝居なのだ。それに今後、キュリクスとルツェルは技術協力で交流は盛んになる。その旗振り役が共通の秘密を持つことで結束力が高まるのなら安いもんだ。そしてハルセリアの事だ、この空手形についてもいずれかは気付くだろう。しかしその頃にはレピソフォン政権は瓦解しているだろうが。


「プリスカ君、プリン好き?」


「うん! トマファ君と同じぐらい好き!」


 それを聞いてトマファもレオナもふふと笑みを漏らした。あれだけ好き好き言っててプリンと同じぐらいって……『じゃあプリンと結婚すれば?』と横で書類を仕上げながらクラーレは思ったという。


「ハルセリア嬢ってプリン大好物なんです。準備して頂けますか」


「やだ! 私、あのルツェル女、嫌いだもーん」


 そう言うとプリスカは薄手のシュミーズ姿でごろごろと転がった。トマファにしたら目のやりどころに困る。というかそもそも、下着が完全に透けてるため目のやりどころの騒ぎではない。……シュミーズも下着だろうけど、というか若い読者にシュミーズと言って通じるのだろうか?


「わかった、チケット二枚、二枚付けるから!」


「じゃあ、またデートしましょ?」


「はぁ!? 何言ってるの、この猫娘!」


 プリスカのその言葉を聞いてついにクラーレがキレた。持ってた羽ペンを投げつけるとプリスカに食って掛かるのだった。


「猫じゃないもん! 犬派だもん!」


「うるせぇ、とっとと仕事しろ猫娘!」


「あーもうめちゃくちゃだよ!」

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