165話 武辺者を追い出したあとの新都エラール・11 =幕間=
その日、エラール王宮を揺るがせたのは剣戟でも陰謀でもなく、一冊の低俗な週刊誌だった。
名を「週刊文集」という。
銅貨たった五枚程度で買える週刊誌面には三つの爆弾が並んでいた。
まず一つ目は、辺境都市の新聞「キュリクス日報」に掲載された連載小説である。ペンネームは『おひつじ座のラー』。その内容は横柄な留学生の王子が徒党を組み、同級生を一方的に木剣で殴った話だ。本来なら暴行事件、場合によっては殺人未遂事件として逮捕されてもおかしくない事件だったが、「決闘」と強引に処理され、被害者の声は握り潰された――そんな物語である。あまりにも生々しく書かれた暴力シーンなど、作者はその様子を見てたのではと思えるほどリアルで酸鼻を極める内容などから辺境都市では人気となっている、と掲載されていた。
二つ目は、ルツェル公国“H嬢”からエラール王宮に送られた返書の分析記事だ。エラール王宮はかつて「ルツェル公国の王族の娘を嫁に寄越せ。お前もどうだ、側室にしてやる」などと書き送った手紙に対し、内政局補佐官のH嬢は「控えめに言ってバカなんじゃない?」と返したという。これはもう今年の「エラール新語・流行語大賞」にノミネートだろう。だがその手紙の追伸部分には、彼とその取り巻きが学院時代に同級生を集団暴行し、重篤な障害を負わせた件が記されていた。
そして三つ目は総まとめ。『キュリクスで人気の小説、そのモデルはレピソフォン“僭称”王太子の過去ではないか』と、大書きされていたのだ。詳細は来週号まで待て、と書かれている。
まさに文集砲がさく裂した。
その低俗誌のスッパ抜きは宮廷の石壁よりも硬いはずの権威を揺らした。
「本当にあった話なのか?」
「読みたいぞ、その小説!」
「若き日のヤンチャ武勇伝か、だせぇ」
王宮に問い合わせが殺到し、王宮の官房長の定例会見で記者からも質問として上がったが、「個別の返答は控える」としながらも汗をぬぐう仕草に民衆は疑念を抱いた。もちろんこの話はレピソフォンの耳にもすぐに入った。王宮のありとあらゆる権限を使ってかき集めたキュリクス日報の小説を読むことでレピソフォン自身も記憶の底に沈んでいた事件についてようやく思い出したのだ。そんなこともあったな、と。
彼ら王宮はハルセリアからの返書で『控え目に言ってバカなんじゃない』ばかりに目が行ってたので、追伸文にまで目が行ってなかったのだ。過去の過ちそのものよりも、醜聞が広まったことにレピソフォンは腹を立て、顔を真っ赤にして怒鳴る。
「カルビン!出版を差し止めろ!作者を連れて来い!」
カルビンは政務官命令で出版差し止めと作者情報提供を要求したが、キュリクス日報は鼻で笑ったという。『報道と出版の自由、そして取材源の秘匿は王国法で保障されてますんで』、と。――こうしてレピソフォンの命令は無視されたのだ。
王宮も低俗誌も『おひつじ座のラー』の正体を探したが、容疑者探しは迷走した。暴行事件の被害者ではないかと誰もが疑ったが、どれだけ調べても被害者の名前は判らない。エラール王宮自身が過去にもみ消した事件をシェーリング公国に改めて訊くこともおかしな話だし、首謀者のレピソフォンや腰巾着のカルビン自身が誰をヤッたかを忘れているので「謎の被害者A」というのが本命視されている。
ルツェル公国のハルセリアではないかとの噂も出たが、エラール王宮は直前にルツェル公国大使を怒らせてほぼ断交状態なので問い合わせすることすらできない。それどころか週刊誌の記者がルツェル公国へ行こうと出国審査をしたところ、なぜか『出国禁止処分』となり、調べることができなかった。これについては『情報統制だ』と記者が訴えたが、その声は空虚に響いただけだった。たまたまルツェル公国に伝手がある記者がハルセリアについて王宮に問い合わせたところ『当国の官吏一人一人についてあれこれ応える気は無い』と返されたという。
そして同時期に留学していた王国民ではないかと、当時留学してた学生に取材しても「アレとは係わりたくない」と口を閉ざされ、結局、正体は闇の中に消えた。
もとより民衆からレピソフォンに人気はなかった。街中どころか娼館にまで悪評が広まっていた。本来、性を商売するところでは客の情報なんて洩れる事はないはずなのに悪評が広まったのは、彼がよほど質の悪い客だった証左である。しかも正統な王太子が消息を絶って以降、“自称”王太子を名乗った経緯も胡散臭い。これまで減税や『適切な刑罰』といったポピュリズム政策でなんとか取り繕ってきたが、文集砲をきっかけに「やはりインチキ王太子ではないか」と民心は一気に冷えていったのだ。
「決闘の話は実話らしいぞ」
「やっぱり暴君の器だな」
「そもそも王太子ってホンモノなのか?」
「だいたい、出自もインチキくせーじゃん、あいつ」
レピソフォンの実母ポンパイヤは聖心教の巫女だった。エラール周辺ではマイナーな聖心教の巫女に現王が手を付け、生まれたのがレピソフォンだ。それでも侯爵位を与えられていたのだから、大人しくしていればここまで悲惨にはならなかっただろう。少なくとも聖心教徒は彼に不信感は抱かなかっただろうし、多少の事なら目を瞑っただろう。これはひとえに彼自身の責任である。しかし低俗誌は次々とレピソフォンに関する醜聞を取り上げてきた。それほどまでに彼は悪事を積み重ね過ぎたのだ。
「ヴィオシュラ学院時代の成績順位表、同級生がチラ見せ!?」
「他にもあった! レピソフォン王太子の“暴力”履歴書」
「疑惑の“ロムド山地で冬山戦闘訓練事件“、真相公開か!」
「部下の“嫁盗り”で急に信仰に目覚める貴族子女たち──B氏彼女に手を付けた代償とは」
酒場や市場ではレピソフォンの噂だけでなく、腰ぎんちゃくの政務官カルビン・デュロックの話も飛び交った。こうなってしまえば民の口に戸を立てる事なんか誰にもできるはずがない。
追い打ちとなったのは急進的すぎる財政政策だった。財源を確保しない状態での減税、レピソフォンたち自身の浪費、そして自身に都合の良い官僚への総とっかえで国庫はとっくに底を突いていた。そのため政務を回すための予算、来期に取っておくべき剰余金など残っているはずもなかった。担当官僚たちは「もうやってられん」と次々辞職し、郷里へ逃げ帰っている。結果、道路の看板一つ直すにも賄賂が必要となり、民衆は口々に嘆いた。
「ノクシィ一派の頃と何も変わらないじゃないか」
こうしてエラール王宮は、たった一冊の低俗な週刊誌によって足元から崩れ始めたのであった。