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164話 武辺者の娘たち、夏休みを愉しむ =おまけ=

 夏の夜。キュリクスの立ち飲み屋酔虎亭居酒屋、その片隅に二人が樽を挟んで向き合っていた。


「……ぷはぁっ。何よこの“生ビール”とやらは! アンタも飲みなさいよ、マルシア」


 ダナスは豪快に杯を空けると、すぐに女将を呼んでお代わりを言い付ける。「ちょっとだけ待っててね」と小柄な女将は笑顔で言うと厨房へとすたすた歩いて行った。


「飲んでるよ。相変わらず豪快な飲みっぷりよね、ダナス」


 マルシアは苦笑しながらも杯を持ち上げる。マルシアたちがこの生ビールサーバーを開発した当初、『こんな冷たいエールは、ねぇ?』と、試飲会に参加した職人たちからの評判はいまいちだった。「それなら夏に合う、冷たくて美味しい生ビールを作ればいい」とダンマルク率いる酒場ギルドが酒造ギルドと試行錯誤を重ねた結果、ダナスが舌鼓を打つ黄金色の生ビールが生まれたという。


「はい、お待ちぃ。──ゆっくりしてってね」


 女将はジョッキとキュウリの麦糠漬を置くと、樽の上に積み上がった銅貨を三枚持っていった。今年は『野菜タダ配りお嬢』が居るらしく、ジョッキ一杯につき漬物が少しだけオマケで付くという。この漬物がまた、ビールと合うため杯が一つまた一つと空いていくのだ。


「アンタってまだ女学院に残って研究漬けなんだって? 噂になってるわよ。“錬金術を数学的アプローチで研究し続けてる変人教授がいる”って」


「よく言うわ、アンタだって論文で嫌というほど名前を目にしてるわよ。──ここ最近なら旦那と連名で魔素燃料の研究をしてるんだって? キュリクスのギルド員として」


 ダナスとマルシアはヴィオシュラ女学院の同級生だった。卒業後は互いに遠く離れていても近況は耳に入っており、久々の再会は自然と笑顔となっていた。しかし金属加工ギルドでの失敗討論会でダナスの顔を見たマルシアの表情は驚きよりも戸惑いだった。


「だってさぁ、ダナスって学生時代から全然変わってないじゃん! もう少し、こう、太ったとか髪が伸びたとかオシャレになったとかが全く無いってどういうこと?」


「いやいや、年のせいか白髪が少し増えて悩んでるんだぞ?」


 ダナスが耳の上の髪を描き上げると、確かに一本ひょろりと白髪が顔を出す。それを見てマルシアがふと吹きだしていた。


「ま、互いに似たようなもんか──じゃあ白髪染めの基礎研究でもする?」


「嫌よ! また私の栗毛を不気味な緑色に変える気でしょ!?」


「あれは事故だったって言ってるでしょ!」


 学生時代のダナスは自身の栗毛の髪が嫌だった。事あるごとに「頭に栄養が行ってないから髪の毛が枯れてるっぽくてバカっぽくて嫌」と言ってたのだ。そこで二人は夏休みを利用して黒髪染めを作ってみたところ、山の中の池の色みたいな深緑色に変わってしまった。しかもところどころまだらに黒く染まってしまったために、それを見たマルシアは「あ、池の中にオタマジャクシがいる」と言ってしまい、ついにダナスは泣き出してしまったのだ。


 その後、どう頑張っても元の色に戻す方法が判らず、夏休みで人目につかないからって事でダナスは丸刈りにした。深緑色でヴィオシュラで暮らすぐらいなら丸坊主のほうがマシだと思ったようだ。しかも調薬を担当したマルシアも責任を感じて丸刈りにしたため、丸坊主の二人を見た学友たちは『あの二人、また何をやらかしたの?』と思われたという。


 二人はそれを思い出して声を合わせて笑う。杯が軽く触れ合い、居酒屋のざわめきに溶けていった。




「そうそう、思い出した。……『キュリクス日報』で夏から連載されてる小説、読んでる?」


 マルシアが何気なく口にした一言にダナスの手が止まる。キュリクス日報は領内で最も読まれている朝刊紙で、地方の出来事から新都エラールや周辺諸国の政治経済に至るまで幅広く報じている。記事は硬派な分析で知られる一方、読者を惹きつけるために社会面や「今日の領主館駄メイド小話」と言った娯楽面も充実しており、その中でも小説欄は次回の展開が街の噂話になるほど人気を集めていた。


「ああ……あれか。第一話から漁って読んださ」


「ねえ、あの話──どう見てもヴィオシュラの話よね?」


 その瞬間、ダナスの笑みが消えた。杯を持つ手がぴたりと止まり、視線が横にすっと逃げる。


「……その通りよ。今でも不愉快極まりない事件だったって思い出す」


 その連載小説は一人の女学生の視点で綴られ、表向きは「とある学校の学生同士の決闘」と発表された事件を題材にしていた。物語では横柄な王子が徒党を組んで一方的に暴行する様子が生々しく描かれており、その暴行事件の真実を訴える女学生の声は抑え込まれ、結末は「決闘」として強引に処理されてしまうのだ。しかも今朝の新聞ではその女学生が国外追放処分になるところまで話が進んでおり、街中でも「小説とはいえこれはひどい話だ」と話題になっている。


「やっぱり、あの小説の通りなの?」


「私はあの時、“検証委員”の一人だった。……だが突然、委員会は解散させられた。『決闘だった』で片づけられ、真相を掘り下げることさえ許されなかった」


 学園都市ヴィオシュラで発生した事件について、学園都市の当局はすぐに検証委員会を立ち上げて調査に入ったのだ。その一人が若かりし頃のダナスで、勉強熱心な学生が木剣で滅多打ちにされた事件の動機を調べるために周辺の聞き取り調査をして回っていた。しかしその検証委員の行動に突然ストップをかけたのは領主でも学院でもなく、意外にもシェーリング公国の法務局だったのだ。店内のざわめきが一瞬遠く感じられ、空気が張り詰める。マルシアは少し身を乗り出した。


「……その被害者の学生、覚えてる?」


「顔は……ぼんやりと、ね。名前は確か──ト、なんだったかな?」


「トマファ殿、今のキュリクス領主館の文官長よ」


 沈黙が流れた。ダナスは深く息を吐き、目を細める。


「……やはり、そうだったんだ」


 キュリクスに逗留して数日経った頃、領主館本館を車椅子で走る青年を見てどこかで見たことある顔だな、と気にはなっていたのだ。しかしなかなか思い出せずに居た頃にふと見た新聞の小説欄。自分が調査してた内容よりも一歩も二歩もより深く踏み込んで書かれており、きっとあの事件の近くに居て、見てた人の作品だと思って間違いない。ダナスはあの頃の嫌な記憶をふと思い出してしまい、新聞社に「この小説の作者を教えて欲しい」と尋ねたが、


「報道と出版の自由、そして取材源の秘匿は王国法で定めがあるんで」


とけんもほろろに突っぱねたという。ペンネームは『おひつじ座のラー』と書かれており、誰が書いたかは判らない。マルシアの一言で車椅子の青年と被害者学生が今ようやく結びついたのだ。


「じゃあ、作者の『おうし座のラー』ってトマファ文官長の事?」


「違うんじゃない? ──てか、そのトマファ殿で面白い話があるの」


 マルシアは杯を傾けたまま、声を潜める。


「トマファ殿、どうやら“キュリクス学院”を復活させようと考えてるらしいわ」


「学院を? ……ほう、それは面白いわね」


 先ほどまでの胸の奥にうず巻く不快な気分とは違い、すごく楽しそうな話だった。キュリクス学院。統一戦争の戦火で失われたが、かつてはこの地に存在した総合学院だ。その名残は今も金属加工や錬金術、創薬や酒造の技術系ギルド、看板屋や光画屋、絵師にレタリング屋といった美術系業種に息づいている。


「もし興味があるなら、話が固まった時に詳しく伝えるわよ」


「ぜひ頼む。……てかその話ってどこまで進んでるの?」


「実はね──」


 二人は同時に杯を掲げた。視線が交わり、笑みが戻る。


「じゃあ、久々の再会に――」


「そして、いつか復活するかもしれない学院のために──」


「乾杯!」


 杯が高らかに鳴り、居酒屋の喧騒の中で静かに狼煙が上がったのだった。

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