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162話 武辺者の娘たち、夏休みを愉しむ・5

 金属加工ギルドの会議室。夕鐘が鳴ったあとのギルドは驚くほどに静かで、窓の外は茜色に沈みほの暗い三日月が顔を覗かせていた。会議卓には何度も横転して傷だらけになった洗濯機試作四号機と、泡が乾ききらずに白く残るバケツが並んでいる。鉄と油と泡の匂いが目の前のものから漂い、会議室には失敗の記憶が生々しく残っている。


 実はその後も繰り返された起動実験。洗濯機はうねりに近い振動を起こし、水をこぼすまいと機体を押さえるのに必死だった。身体が軽いミニヨは実際に吹き飛ばされてしまっている。安全帽がなかったら怪我をしてただろう。ラヴィーナもセーニャも支えに走ったが、シュラウディアから「危険ですから離れてください」と叱られる始末。


 洗剤組も何度かの実験で泡まみれとなり、髪や服に泡を乾かしきれずべとべとさせたままの姿だった。少女たちと従者、技師に教授陣、誰もが疲労の色を隠せていない。それでも次の一歩を探すための議論が始まる。


 まずは洗濯機班の解決策から取り掛かることになった。演奏会前のように、指揮者がタクトを振る前のように会議室は重く黙り込んでいた。それもそうだ、ミニヨ達は毎度毎度派手に失敗してギルド内を水浸しにし、あちこち頭を下げ回り過ぎて首も腰も痛いのだ。その沈黙を破ったのは技術リーダーのモグラットだった。


「きっと洗濯槽ドラムがまだ軽すぎたから回転時のバランスが崩れたんだ。なんだったら機体をアンカーで固定するだけでなく、ドラムをもっと重くしよう」


 機体が揺り動くなら物理的に機体を押さえつけてしまえばいい。彼の提案は力強いが、同時に力任せでもある。それを聞いてシュラウディアがふと眉をひそめる。


「今でも充分重いと思いますが……さらに重くする、──のですか?」


 冷静な疑念にミニヨが腕を組みながら考え込む。「今ですら機体が相当重いのに、さらに重くして、それに水まで入れたら相当な重さになりますよね」と同調する。


「モグラット師、これ以上重くしたら魔導エンジンや回転軸、それに変速ギアへの負担が大きくなると思うんですが」


 シュラウディアの意見はご尤だった。洗濯機は既に二人がかりですら持ち上がらないほどの重さなのだ。それをさらに重くするとなれば、洗濯槽を強引に回すためエネルギー損失も大きくなるだろうし、軸受や歯車の負担も大きくなる。仮に運用出来たとしても何度か動かしたら部品が摩耗して交換となれば、何のための『労働軽減の機械』であろうか。


「もっと土台や固定脚広くして、支えを増やせば安定するんじゃないですかね」


 セーニャが椅子に座りながらガッと脚を広げて補足する。支えを増やしてをイメージを掴みやすいようにの配慮であろうが、あやうくスカートの中身が見えそうであった。しかし突然の彼女の落ち着いた声と行動が少しだけ場の緊張を和らげた。


「まず先に、安定を害する原因を探すほうが良いかと思います。重ければいいという発想は安直過ぎます」


 シュラウディアがため息をつき、場の空気が再び張り詰める。だがラヴィーナがすかさず「でも重厚感は大事ですわ!」と胸を張り、突拍子もない調子で放言して場に苦笑が広がる。


 シュラウディアはラヴィーナ従者として付き従う乙女だが、実は伯爵家の娘でそれなりの教育を受けている。学歴だけで言えば自国の高等礼節学院を出ている才女でもあるのだ。そのため、時にはミニヨたちよりも的を得た事を言う。


 重くして安定を図るべきと考えるモグラットと、先ずはふらつきの原因を模索したいシュラウディア。考えが全く異なるために空気が急に張り詰める。その空気を揺さぶったのはアルディだった、彼は勢いよく立ち上がる。


「一回、全分解してみませんか?」


 技師たちが顔を見合わせ、黙って頷く。モグラットはふん、と鼻を鳴らすと工具を手に立ち上がった。外装、魔導エンジン、ギア、軸受などと一つずつ分解されていった先、やがて底の回転盤が露わになる。部品一つ一つが丈夫な金属板で出来ているはずが、それだけが見るも無惨にボコボコと凹んでいた。一部は派手に曲がっており、取り外すのにも苦労したぐらいだ。


「これ、元からこんなに歪んでるんですか?」


 アルディが驚きの声を漏らす。この回転盤は洗濯槽のドラム底に設置されており、水流を生み出すための部品だ。魔導エンジンから生み出される回転エネルギーを高トルクかつ高回転で回しており、今回の洗濯機制作ではそこまで重要視してる部品では無い。むしろモグラットにとってはギアボックスの開発に注力してきたのだ。


「いや、俺が研磨したときは綺麗だったはずだ」


 モグラットが必死に弁解する。しかし何かに叩きつけられたかのように凹み、曲がり、歪んでいる。洗浄用に放り込んだのもギルドでウェスとして使う予定だった雑巾だ、別に硬質なものを放り込んだつもりもない。──ではなぜこんなぼろぼろになっているのか。


「ひょっとして……」


 マルシアが口を開きかけたところで、会議室の扉が開いたかと思えばゆったりとした声が響いた。


「キャビテーションよ」


 ダナスが「遅れてごめん」と一言謝ると席につく。そして彼女のその言葉に一同の動きが止まり、視線が一斉に集まった。彼女は回転盤を指で叩きながら説明する。


「昔ね、揚水用のスクリューを動かし続けてたら羽根がすぐ壊れて使い物にならなくなったって話があってね」


 シェーリング公国は山がちな地形なため、あちこちに灌漑用の揚水場が設置されている。その揚水用スクリューの改良版を鍛冶屋ギルドが販売したところ、あちこちで揚水不良のクレームが頻発。スクリューを調べたところ金属製なのに破断が認められため、ダナスは製造元から「異物混入による破損なのか、人為的破壊なのか」の原因追求の依頼を受けたことがあるのだ。


 錬金生成学を専攻するダナスにとって分野の違う依頼であったが、昔馴染みからの頼みとあっては断れない。そこから流体力学とスクリューの効率について研究をしたことがあったという。するとスクリューの羽根が水中で力強く廻ると水圧に急激な変化が起きて気泡が発生し、それが金属羽根を叩き壊すことを発見したという。


「液体などの流体下でこの回転盤を高トルクで急に回したんじゃない? そのせいで水から気泡が生じ、金属板を壊食したのよ。それだけじゃなく、横転の理由やうねりの理由も過度のトルクで共振を起こしたんじゃないかしら?」


 静まり返る室内。ダナスの難解な説明がやっと理解されたのか、シュラウディアがぼそりと突っ込んだ。


「やっぱり力押しでは駄目ってことですね」


 ラヴィーナは誇らしげに胸を張り、「バレエのピルエットもドゥミ・プリエからルルヴェに行かないとうまく回れませんものね!」と頷きながらクルリと回る。軸のズレもなく綺麗に回ったせいかその場の重苦しさが一瞬笑いに変わった。しかしエルゼリアが「プリエが少し浅いです」と聞こえないレベルで呟いてたが。


「……つまり回転盤の設計変更と回転数制御が必要ですね」


 ミニヨがまとめ役らしく言葉を置く。解決策の糸口が見えてきたのか、彼女の表情も少し解けたようだった。


「この回転盤の凸部はもっと少なく。回転数も徐々に上げる。そして――水流を生ませたいなら、ドラム自体をゆっくり逆回転させれば相対的に水流が作れるわ」


 ダナスの提案に皆が息を呑む。モグラットは頭を抱えながら「ギア比から全部見直しだな……」と呻き、肩を落とした。だがマルシアが「脱水機能にはまだ高速回転を活かせるわよ」と優しくフォローし、ラヴィーナは「では名前は“逆回転の女神”に!」と唐突に言い出し、全員から突っ込まれて再び笑いが生まれていた。



 続いて洗剤班の番だ。沈んだ空気を背負って立ち上がったのはエルゼリアだった。彼女は肩を落としながら「泡が止まらなくて……」と報告する。隣でリーディアも「……どうしても発泡性が……強すぎまして……」と呟いた。洗剤班も苦戦が続いている。二人が見つけた主剤は混ぜると発泡性が強くなり、どんどんと泡まみれになってしまうのだ。そして水をかけても泡は溶けずに残ってしまい、この泡をどうすべきかで行き詰っている。


 サンティナが記録板をめくり、無感情に「ここに“お酢をかけて泡を消した”とありますが」と読み上げると、エルゼリアが勢いよく顔を上げる。


「そうなんです! 片づけるときに酢をかけたらすぐに消えたんですよ。──ですが洗濯物にお酢を入れるなんて変ですし、お酢臭くなっても困りますし、何で消えたかがわからないんです」


「それはね、酸が界面活性()を打ち消すのよ」とマルシアが頷く。 「それなら“泡抑制副剤”としてpH調整剤を少量加えればいいのでは?」とアルディが冷静に提案した。「つまり泡を“敵”ではなく“管理”するんですね!」ミニヨが声を弾ませる。こうなれば洗剤班の『泡との戦い』にもゴールが見えてきた。エルゼリアたちを差し置いてアルディとマルシアがあれこれと意見を交わすなか、ダナスが二人に優しく微笑みかけた。


「エルゼリアさん、リーディアさん。洗剤主剤のアプローチは良かったと思うわよ。あなたたちの試行錯誤がなければ、この発想には辿り着けなかったもの」


 二人は思わず顔を見合わせ、頬が同時に赤く染まった。緊張で強張っていた空気がようやく和らいだ。黒板に数式と化学式が次々と並んでいく。チョークの音が絶え間なく響き、計算が走り、修正が加えられていく。アルディが真剣な面持ちで計算を書き込み、マルシアが補足の化学式を加える。そのたびにダナスが赤チョークで「そこ違うでしょ」と訂正していく。モグラットは腕を組んで唸りながらも感心した表情を浮かべ、学院組の三人はぽかんと口を開けて見守るしかなかった。


「なんだか私たち……」ミニヨが小さくつぶやく。 「完全に置いていかれてますわ!」ラヴィーナが大げさに嘆く。 「やっぱ基礎学力って大事だと思う……」エルゼリアが苦笑する。 「いやいや、お嬢ちゃんたちもすげぇよ!」モグラットが妙に楽しげに笑っていた。


 やがてサンティナが静かに立ち上がり、記録板に一行を刻んだ。


「再試験は、明朝に。成功を目指しましょう」


 冷静な声が響き渡ると、皆の胸に新しい期待の灯がともったのだった。

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