160話 武辺者の娘たち、夏休みを愉しむ・3
ギルドの一角、巨大な作業台の前。黒板には前に描かれていた図や数式がうっすらと残り、周囲では技師たちが研究や打ち合わせを続けていた。若い助手がお盆に載せたコーヒーを人数分出し、一礼して静かに離れていく。サンティナとモグラットが向き合うとモグラットがニヤリと笑った。
「領主ヴァルトア卿のお嬢らを連れてきたんだ、この前のシノワに続いてどんなウマい話を聞かせてくれるんだ?」
そう言うとモグラットはコーヒーをずずっと啜ると、「もしつまんねぇ話だったら火酒の一杯ぐらいは奢れよな」と笑う。話しぶりから察するに二人は飲み友達のようだ。
「面白いかつまんないかはモグラット師の判断に委ねますが、まずはミニヨ様の提案を聞いて頂けますか」
サンティナはそう言うと顔をミニヨに向けて一つ頷いた。それを見てミニヨは一つ深呼吸すると、胸に手を当てて勇気を振り絞るように話しだした。──要約するとこの一言だった。
「モグラット師……洗濯をもっと楽にできる機械って作れませんか?」
サンティナもコーヒーを一口飲むとミニヨの言葉を引き継いだ。
「ほら、領主館のメイドたちや洗濯婦って冬場でも冷たい水に手を突っ込んでかじかませ、腰を痛めながら洗濯してるでしょ。しかも決して綺麗な仕事じゃない」
「綺麗なもんなら洗う必要無いもんな」
「で、ミニヨ様たち御学友にちょっと心を痛める事件がありまして。──魔導エンジン使ってどうにか出来ませんかって提案なんですよ」
「ふむ……」
モグラットは顎に左手を当ててにらみつけるように右手に持ったコーヒーの入ってるカップを見る。そして時折表面をかき混ぜるかの如く少し回していた。
「洗濯も綺麗な仕事とは言わんが、本来なら立派な仕事だろうに。──何かあったんか?」
セーニャが苦笑を浮かべながら口を開く。
「実は今朝、こんなことがありまして……」
──今朝の洗濯場。
領主館の若いメイドが二人、洗濯板で衣類をこすり洗いしながら顔を寄せ合っていた。
「やっぱ、ちょっと抵抗あるよね……」
「別に匂いがあるとか汚いってわけじゃないんだけど……」
二人同時にひそひそ声で囁いた。
「他人のぱんつ洗い!」
その瞬間、通りがかったミニヨたち一行は思わず立ち止まり、互いに顔を見合わせてしまった。ラヴィーナは真っ赤になり、言い返したかったが声にならない。エルゼリアは「まぁ……」と口元に手を当てたが、羞恥と好奇の入り混じった複雑な思いが胸に渦巻いた。セーニャは無言でため息をつき、肩を落とす。その若いメイドたちがたまたま手にしてたのが、ラヴィーナの肌着だったのだ。
──そして工房へ戻る。
サンティナたちの説明を静かに聞いていたモグラットは腕を組みながら黒板に近づくとチョークを握る。カツカツと音を立てて大きな文字を書き出した。
「揉み洗い」「濯ぎ」「脱水」「洗剤」
「もし洗濯機を作るって言うなら課題はこの四つだ」
モグラットは作業机に腰掛けるミニヨたちに振り返ると声を低めて続ける。
「洗濯桶に強い水流を作って洗濯物を入れれば揉み洗いと同じ効果になる。洗濯板を使ったこすり洗いほど強くは無いが、充分洗浄力はあると思う。──だが水流が強すぎれば生地は痛むし弱ければ汚れは落ちん。そもそもどうやって水流を作り出すか、だな」
「洗濯物を濯ぎ洗いするのだって、桶の水をどうやって入れ替えつつ清水を入れるか?」
「脱水はそこにある加圧プレスで押しつければ出来るが、生地を傷めてしまう」
「そして最後は洗剤だ──これは創薬の領分だ」
モグラットは洗濯機を作る上での課題点を洗い出した。これらを一つずつ解決して開発や製造へとにつなげるるロードマップだった。
ラヴィーナは目を輝かせて両手を胸の前で握りしめた。
「まるで冒険譚の四つの試練ですわ!」
「夏の自由研究みたいですわね」
エルゼリアはおっとりと笑みを浮
かべ、さらさらとメモを取る。
ミニヨは真剣な眼差しで頷き、セーニャとシュラウディアは護衛の立場から静かに見守っていた。リーディアは「これは面白い夏になりそうですわね」と目を細める。
「……よし、こうしよう」
モグラットが板書を指し示す。
「洗濯機本体の開発と、洗剤の研究。二組に分かれて進めるのが効率的だ」
「わたしとラヴィーナは本体の方で!」ミニヨが勢いよく手を挙げ、ラヴィーナもうなずいた。
「当然、私たちも主たちの研究に同行します」セーニャとシュラウディアが揃って右手を上げた。
「なら私とエルゼリア様たちで洗剤ですね」サンティナは口の端を上げる。
「難しそうですが……がんばりますわ」エルゼリアは少し不安げに笑った。
「頑張りましょう、エルゼリア様!」リーディアは楽しそうに相槌を打った。
こうして──
・本体組:ミニヨ、ラヴィーナ、セーニャ、シュラウディア、モグラット。
・洗剤組:エルゼリア、リーディア、サンティナ。
二組に分かれた一行は、それぞれの決意を胸に、研究へと歩みを進めていくのであった。