16話 武辺者、発見された洞窟の報告書を受け取る。
いままであった『〇×視点』という表記について『わかっとるわい』とツイッターで指摘があり、この話より表記を外しました。判りづらいなと思われましたらご一報ください。
薄暗く湿った空気が淀む洞窟内。壁のあちこちに吊り下げられた頼りない照明ランプがまるで蛍火のように点々と灯っている。領主軍斥候隊の古株パウラと新兵ジュリアは、リュックに詰め込んだ調査資材と温かい食事を背負い、足早に洞窟の奥へと進んでゆく。
斥候の任務といえば作戦地域の地形、敵の配置や戦力、状況を詳細に調査し、指揮官が迅速かつ的確な判断を下せるよう必要な情報を提供することだ。そのために斥候隊に配属すると、まずは物音を立てずに移動し相棒や他の隊員とは手信号で意思疎通を図る訓練を受ける。
ジュリアはつい先日、訓練隊を卒業して配属したばかりの小柄な新兵だった。今は訓練隊でも指揮を執るメリーナ小隊長から斥候教育訓練の一環としてこの洞窟調査の助手を命じられた。そしてジュリアの相棒・教育係として、斥候隊では豊富な経験を持つ大柄な古参兵パウラが選ばれた。ちなみにパウラの以前の相棒は結婚を機に先日除隊したばかりだ。
しばらく洞窟内を二人で進むと、壁面や床に×印がいくつも描かれている箇所が目に入る。先行している冒険者たちが注意すべき場所や危険な箇所に印を付けるのだ。パウラは足を止めて『要調査、一緒』と手信号を送ると腰に差した探索棒を素早く伸ばし床をコツコツと叩き始めた。ジュリアもパウラを見習って、探索棒を手に取って伸ばそうとする。しかし慣れないのか探索棒を伸ばすのに手間取る。
「慌てない、大丈夫、ゆっくり」
パウラは言葉を区切りながらぶっきらぼうに言葉を吐き出した。それを聞いてジュリアは「ひぇっ、はい!」と悲鳴に近い返事をする。パウラはまたやってしまったかと思い鼻頭を掻く。
パウラの喋り方は彼女なりの気遣いの表れなのだ。もともとパウラにはぼそぼそと呟くように話す癖があり、以前の相棒から「パウラ、怖い」と指摘されて以来、本人なりにはっきり話そうと努めているのだ。その結果、文節ごとに区切る奇妙な口調が定着してしまい、人からはぶっきらぼうに吐き捨てるような言い方に聞こえてしまう。
パウラのぶっきらぼうな口調はメリーナ小隊長からジュリアへ事前に説明があった。しかし世間知らずの若いジュリアには、そう聞かされてもパウラが常に怒っているようにしか聞こえない。しかもパウラは近視で目を細めるように何かを見つめる癖があるから、ジュリアは『今日もパウラ先輩、どんくさい私に腹立てている』と思って萎縮している。
ちなみに、もたつくジュリアを見てパウラは内心「かわいいなぁこの子」と思っていた。
ようやく伸ばせた探索棒でジュリアが床を慎重に叩くのを見てパウラはほっとしてため息を付いた。しかしジュリアはさらに緊張感を高めた。『ついに呆れられた』と思い込んでしまったのだ。
お互いの思いはちぐはぐだが、それでも二人は息の合った連携で安全確認を続けながら洞窟の奥へ奥へと進んでいく。やがてジュリアの探索棒が、これまでとは違う違和感を捉えた。しかし必死にコツコツ探索しているジュリアはその違和感には気付かなかったらしい。パウラは探索棒でコツコツとジュリアが見逃した部分を突く。
「……そこ。ジュリア、もう一度、確認、してみて?」
「あ、はい、パウラ先輩。ごめんなさい」
「優しく、突く」
とパウラが言ったのだが、緊張感が最高潮になっていたジュリアの耳には届いていなかった。パウラは優しく『確認してみて』と言ったつもりだったが、随分とぶっきらぼうな言い方に捉えてしまったジュリアの耳に『優しく』の言葉が届かなかったのだ。ジュリアは探索棒でその一点を力任せに突いた。
次の瞬間、ジュリアが探索棒を突き立てた所を中心に床が轟音とともに崩れ落ちる。土煙が舞い上がり暗い洞窟内に砂埃が立ち込めた。「きゃあああ!」と、ジュリアの悲鳴が土煙を切り裂くように洞窟内に響き渡る。
「大丈夫、けが、ない? ――!」
とジュリアに気遣うとパウラは穴から漂う違和感と異臭を即座に感じ取った。突然の崩落で腰を抜かしたジュリアを軽々と抱えると穴から離れた。斥候としての直感だった。
すると崩れた穴の奥から五体のゴブリンが顔を覗かせた。その中にはひときわ大きく筋肉隆々の個体も混じっている。ゴブリンたちは突然天井が抜けた事に驚き、最初は互いに顔を見合わせて状況を把握しているようだった。しかしパウラたちの姿を捉えると彼らの醜悪な顔が歪む。特に上位種と思われるゴブリンは涎を垂らしながら獲物を定めるようにジュリアを見つめていた。そしてゴブリンたちは錆びた剣や棍棒を手にとると、獲物を目の前にした獣のような顔をして、穴から這い出てきた。
「ぱうぱぱぱパパパパッ!」
ジュリアの目には醜悪な眼がいくつも映ったのだろう、ありったけの悲鳴が洞窟内にさらに甲高く響き渡る。取り乱すジュリアを抱えたままのパウラは探索棒をゴブリンめがけて投げると腰の後ろの短剣を引き抜いた。
「キシャァァァ!」
洞窟内に異様な雄叫びが轟き、錆びた剣や棍棒を振りかざして小柄なゴブリンたちが襲い掛かる。飛び切りの獲物にゴブリンたちの目は狂気から歓喜に代わっていた。それを見てジュリアはあっさり意識を手放した。
「――まったく、敵の前で【おねんね】とは粋な新兵ちゃんね」
パウラの後ろからさわやかな声が聞こえた途端、ジュリアの身体すれすれに何かが一閃する。間髪入れずにパウラの横にも何かが飛び去っていった。
「アニリィ閣下、遅いです」
「パウラちゃん堪忍ね。もう少し丁寧に書類を書けって、ウタリっちに叱られてたら遅れちゃったわ」
アニリィは軽口を叩きながら矢を番え短弓を引き絞る。そして放たれた矢は正確にゴブリンの額を、肩にと突き刺さる。しかし最後に飛び出して来た大柄なゴブリンは錆びた大剣を振り回しつつパウラに飛びかかる。
ジュリアを肩に抱えながらパウラは防御の姿勢を取った。しかし膂力充分な躯体で振り下ろされる大剣を受け止められる自信はパウラには無かった。だが自分はどうなってでもいい、肩の上のジュリアだけは守るって一心だった。パウラの短剣から覚悟がにじみ出る。
「パウラちゃん、右、飛んで!」
その声にパウラは迷わず反応するとその脇をアニリィが駆け抜けると、腰に差した短剣を引き抜いた。その動きは人間とは思えないほど俊敏で大柄なゴブリンの前に躍り出る。それを見てさらに興奮するのゴブリンは大剣を大きく振りかぶる。しかし大剣が洞窟の天井に当たり動きが一瞬止まったのだ、その一瞬の隙を見切ってアニリィは短剣を左に小さく払った。
自分の身に何があったのかを悟るに時間はかかったのだろう。大柄なゴブリンはしばらく茫然と立ちすくんでいたが、突然大剣を離すと自分の首元に手をやった。ドス黒い液体がその掌から溢れ出ると床を汚した。アニリィはゴブリンの頭に躊躇することなく短剣を突き立てた。
「洞窟内で大剣なんか振り回すバカがどこにいるのよ」
アニリィはそう漏らすと短剣を引き抜いた。崩れ落ちるゴブリンには一瞥もくれず横で倒れるパウラに手を差し伸べた。
「閣下、すまない、わたし、腰、抜けた」
「お疲れ様、ジュリアちゃんを守ってくれてありがとうね。地上の衛生隊には救助信号送ったから、彼らが来たら一緒に帰りなさい。私が二人の仕事を引き継いで奥の荒くれ者たちにこれ、届けておくね」
アニリィは腰だめからボロ布を引き出すと短剣を丁寧に拭い鞘に納めた。そして二人のリュックをほいっと担ぐと、「じゃあね」と言って洞窟の奥へと走っていった。
「アニリィ閣下。――まじ、ありがと」
アニリィはリュックを背負い暗い洞窟を駆けていた。手にしていた明かりはさっきゴブリンとやり合ったときに床に投げ捨ててしまい、手元にはない。足元は見えづらく岩がごつごつしている。落とし穴や罠があってもおかしくない。それでもアニリィは気にしなかった。
――どこに罠があろうが、発動前に駆ければいいのよ!
そう言うがごとく、彼女は風のごとくに洞窟を駆け抜けていく。
「よっす大、小、ヒゲ。弁当持ってきたぞ」
アニリィは奥で調査をする冒険者三人とようやく合流することが出来た。この三人はキュリクス指折りの探索者だ、よく背の順で並んでいるのでアニリィは『大・小・ヒゲ』と呼んでいる。だがしかし、見た目はオヤジな三人だが実はアニリィとわりと年齢が近いらしい。
「おう、おせーよ。こっちは腹ペコで仕事してんだぞ」
小が文句を垂れるとアニリィが差し出したリュックを受け取った。大も作業の手を止めてアニリィに振り向く。
「……ん? なんか随分と明るくねぇ? てか姉ちゃんの手、光ってね?」
「そうそう、明かりを落としちゃってさぁ! 私、暗いのこわ~い乙女だから火魔法を灯してきた」
アニリィが軽く指を鳴らすと、掌からさらに明るさが増した火球を出す。三人はそれを見てぎょっとして身を竦めた。
「あら、火魔法使いは苦手?」
「おい、てか、この地階は火気厳禁だ――」
ボンッ!!!
小が何かを言いかけた次の瞬間、爆風が洞窟内に響きまわる。轟音、光、熱風。空気が弾け、視界が一瞬真っ白に染まる。そして、何秒かの沈黙のあと――。
「……っぶな――おい、みんな生きてるか!?」
「ギリギリ無傷、でもたぶん3機くらい死んでる」
「腕ある! 足ある! 顔は――わかんねぇけどイケメンは多分無事!」
煤まみれになりながら、三人はなんとか起き上がる。アニリィはというと、同じく真っ黒になりながらも、ケロッとした顔で立っていた。
「やっべぇ、またスルホン様に叱られることやらかしたかも?」
「かも、じゃねぇよ! やらかしたんだよ!」
「つーか、帰り道なくなってんだけど!!」
小のあとに大が叫ぶと皆が同じ方へ顔を向けた。アニリィがやってきた通路は完全に崩落、土砂と岩に塞がれてあったはずの道は形跡すらない。
「……おいおい嘘だろ」
「こいつ、道ごと吹っ飛ばしやがった……」
「いやー、わたし、やっちまいました?」
アニリィは崩落した岩壁を見て、腕を組んでふむふむと頷く。大と小が茫然としながら崩れた壁を二度三度と叩く。
「あぁ、見事にやっちまったんだよ」
「どうすんだよこれ、帰れねぇじゃねぇかよ!」
二人がそれぞれ呆れたり叫んでいるのに、アニリィはのんびりと自分のリュックを降ろし始めた。
「帰れないならここをキャンプ地とする! はい、チーズと干し肉。あとこれ、今日の目玉。どーん!」
どこからともなく出てくるワイン瓶三本と手慣れた動きでカップまで取り出した。
「はい大と小、赤と白どっちがいい? 私は両方!」
「――こんな状況で誰が飲めるかよ!」
「おめぇこんな状況で何言ってんだ?」
「え、じゃあ二人分空いたね。じゃあヒゲ、肴どれがいい? 領主軍のレーションもあるよ」
「俺、ワインより火酒派」
「おっけー、じゃあこれあげる。ヴァルトア様からのご褒美で貰った特別酒。それと干し芋もあるぞ」
アニリィはリュックからスキットルと干し芋を取り出すとヒゲに放り投げた。それを難なくキャッチすると栓を開け、カップに注ぎ、干し芋を齧る。そしてワインの栓抜きに苦戦するアニリィを見てヒゲが手を伸ばす。
「……ちょ、待てよガイヤと姉ちゃん。勝手にくつろぎ始めんなよ!」
「栓抜きはもっと優しく回す! ――おいこら、短剣でサブラージュ(※)すんな!」
「「そして飲むんかい!」」
「飲まんとやってられんぞ。まぁしばらくしたら救助が来るから待ってろよ、マッシュ、オルテガ」
「そうそう。こういうときはイモ食って屁こいて寝るに限る!」
「……」
三人、顔を見合わせたのち――
「「「黙れ呑兵衛!!!」」」
※サブラージュ(sabrage)
コルクごとワインの瓶口を切り飛ばす抜栓方法。危険なので真似しないように。
★ ★ ★
西の森で発見された未探索の洞窟についての調査速報が毎日のように俺の元に届く。昨日の調査では洞窟に潜行していた冒険者が怪我をしたという報告が、そして一昨日はアニリィが爆発事故まで起こしたと武官頭のスルホンから口頭であった。なおアニリィらは今朝早く派手に爆発魔法をぶちかまして天井を抜き、自力で帰ってきたのだが。
それらを踏まえて俺はスルホンと、現場で報告書を書いて届けてくれるウタリとで今後の対応について話し合うことになった。
「これがスルホンから報告のあった、冒険者ギルドの探索職が魔物の群れと遭遇戦になり、二人が手傷を負ったという報告書か」
「ほかにも一人が転んで軽傷を負ったという報告書も出ておりましてな。このまま怪我人が出るようなら、冒険者ギルドには一旦調査を停止してもらって体制を整えるべきかと。一昨日の斥候隊の遭遇戦もありましたから」
調査速報を読み返しながらスルホンは眉間に深い皺を寄せ苦悶の表情を浮かべた。ウタリもスルホンの横で、「ヴァルトア様の判断に従います」と言う。
一昨日のパウラとジュリアの遭遇戦ではケガこそなかったのは幸いだ。しかしジュリアは不甲斐ない自分を恥じて除隊を申し出てきたという。
「なぁ、ウタリよ。ギルドマスターのフレデリク殿は、何か言ってたか?」
「『こんなの怪我のうちに入りませんぜ』と、気にも留めておりませんでした」
「まぁ、『未探索の迷宮』なんて冒険者の心をくすぐる言葉だからな。おいそれと他人に譲る気はないんだろう。――ところで怪我をした冒険者にはいくらくらいの見舞金を包めばいいんだ?」
「「はぁ?」」
俺の問いかけに、スルホンとウタリが思わず間の抜けた声を上げた。あれ? 俺、何か変なことを聞いたか? キュリクス西の森は登記上は俺の所有地らしいし、そこで怪我をしたのだから俺に責任があるんじゃないのか? ほら、よく子どもが遊具で怪我をしたからといって、所有者である学校を訴えた事例もあるくらいだし。怪我の話を聞いて一体いくらかかるのかと不安だったんだよ。
「ヴァルトア様。当家と冒険者ギルドとの間にはまず労使や請負関係が成立しておりません。たまたま探索する場所が一緒で共闘することになったというだけですから。あと洞窟に入る冒険者と労使関係にあるのはギルドです。当家が冒険者に業務指示をするような命令関係もありませんから請負関係も成立しておりません」
「すまんな。俺、そういう法律関係は得意じゃなくてな。ウタリ、できれば分かりやすく説明してくれると助かるんだが」
俺がそう言うとウタリは本棚から王国労働関係法令集を持ってくると、慣れた手つきでページを開く。ここが請負契約と労使関係の論拠となる条文ですと言い指し示す。細かい文字がびっしり書かれた法令集だ、老眼の俺とスルホンにはそこにピントが合わない。
しかし若いウタリはそんなことも介せずに判例でも今回の事例では労使関係は否定されているという。というか地方領主の執務室の本棚には王国法法令集を用意しておかなければならないと地方領主法に書かれているらしい。そのため本棚の半分には見慣れない背表紙の本がずらりと並んでいた。初めて気が付いたぞ。まぁ俺が本棚に近づくなんて仕事が終わったあとにくいっと一杯飲むためのちょっと高級な火酒を出す時くらいだからな。
「というか、洞窟内でケガをしたから見舞金を出すって理屈が通用するなら、人の土地で勝手に怪我をしたらその土地の所有者に治療費を請求できますよ。怪我をすれば誰かが治療費を支払ってくれるという、冒険者には優しい世界になりますね」
ウタリは面白くなさそうな表情をしながらそう言った。というかウタリは冒険者に対して当たりが冷たい気がする。
で、さっきの学校の遊具における怪我についてだが、学校は提供する遊具には整備義務を負っており、整備不良や構造的な欠陥・瑕疵が原因であれば学校側に発生した事故に関しての責任が発生するらしい、とウタリが言う。しかし今回の冒険者のように探索中の洞窟で何が起こるか分からないということを承知の上で入っていくのだし、直接的な労使関係が結ばれていないのなら当家が責任を負う必要はない、と続けた。
それならば、とスルホンがウタリに尋ねる。
「じゃあ、ウタリ。冒険者と冒険者ギルドって、一体何なんだ? 何のために存在するんだ?」
「存在理由は主に三つです。冒険者の身分保障、仕事の紹介。そして徴税代行です」
例えば、どの国でも農民などが他の土地へ逃げ出すことを嫌うため、身分を証明できない者は関所は通れない。そういう逃散農民が関所を通るのなら衛兵へ高額な賄賂を握らせるか関所破りをするだろう。
しかし冒険者という稼業は、都市や国をまたいで渡り歩くのが常だ。そのため冒険者が関所を通過したり宿場町などに入ったりする際には、ギルドが発行する身分証を提示することで、ギルドがその者の身分を保証しているという証明になる。その“お礼”として、関銭や通行税は、行商人などに比べて割安に設定されているし、逃散農民とは区別される。
その冒険者たちには、身分を保証する代わりに登録料を徴収し、レベルや信頼度に応じてランクを設定したうえで、それに見合った仕事を紹介している。
もっとも、依頼者から支払われた冒険者への報酬には領主が徴税権を有している。人様の土地で勝手に商売し金銭を得ている以上その利益に対する納税は当然というわけだ。冒険者ギルドはその納税手続きを代行してくれるのである。
と、ウタリはここまではわかりやすく説明してくれた。しかしこのあとに「租税の根拠を明らかにするためには、国家権力と私有財産権との歴史的な関係が~」と、難しい言葉を並べ始める始末。もちろんウタリの説明はここまでしか覚えていない。租税法律主義がどうとか言われても俺の頭で理解できるわけがない。詳しく説明するウタリの横で話を聞いていたスルホンも分かったような顔で何度も頷いていたがきっと何も理解していないだろう。あいつも俺と同じ、そんなに頭は良くはない。
「――ということで、領主と冒険者ギルドとの関係性は……聞いてます?」
「も、もちろんだ。なぁ、スルホン」
「当たり前じゃないか、ははは」
と、大の大人が二人で顔を見合わせて声を上げて笑ってみせたが、ウタリが何を言っていたのか一ミリも理解できなかった。この後トマファにも同じ質問をしてみたのだがさらに難解な単語が出てきたため俺の脳みそが理解を完全に停止したのは言うまでもない。
幸い、怪我をした冒険者は軽傷だったし、ギルドマスターのフレデリクからもこのまま探索を続行させてほしいと言われたため、補助役の斥候隊には洞窟に潜行する際の安全に配慮しつつ業務続行を命じた。
除隊を申し出てきたジュリアは、直属の上官であるアニリィに慰留させるよう言っておいた。まぁメリーナ姉さんの訓練を受けきったら自分は万能だと思い込んでしまうだろう。しかし新兵は失敗してナンボ、やらかした分強くなると俺は信じている。
あと一つ、処理しないといけない問題がある。
「お前なぁ、火気厳禁の場所で火球出して爆発事故ってコントかよ!」
「だって暗かったんですよ? しかも冒険者にお酒渡したら笑って許して――」
「許されてねぇよ! あのあとヴァルトア様がフレデリク殿のところへ菓子折り持って謝罪に走ったんだからな! てか業務先に酒を持ち込むってどんな精神しているんだ小娘ぇー!」
スルホン、そんなに怒鳴っても相手はアニリィだぞ。きっとなんで叱られてるんだろって顔で聞いてると思うぞ。
二人の面談する声が執務室に丸聞こえだった。俺はスルホンから聴書を受け取ってからすぐに懲戒処分の辞令書が出せるよう羊皮紙にペンを走らせる。
「あの、ヴァルトア様――これって」
オリゴが俺にお茶を出した際に、王国書式に則った辞令書を見る。
「アニリィへの懲戒辞令だ、あいつまたやらかしてな」
「あの爆発崩落事故ですよね、てかケガ人ゼロって本当に奇跡ですよ。――それよりヴァルトア様、減給三か月は判ります。それにプラスして『礼儀再履修のためメイド隊へ出向一か月』ってなんですかこれ。私らメイド隊はこんなペナルティ貰うほどのミスはまだしておりません!」
アニリィのやらかした事は重大だ。
しかしパウラとジュリアの斥候隊がゴブリンの巣を突き崩して囲まれたところをアニリィが短弓と短剣で撃退したのは見事だったと言わざるを得ない。とはいえ検分したギルマスのフレデリクから、
「回収したゴブリンのうち一体は上位種のホブゴブリンだった。それを短剣で頸を斬りつけてから脳天一突きとは恐ろしい『酔いどれ女勇者』だな」
とドン引き報告書を回してきたな。てか、アニリィのあだ名が酷すぎる、あれでも嫁入り前だぞ?
なおホブゴブリンはどういう条件で発生するかはよく判っていない。ただ、ホブゴブリンが洞窟から出てキュリクス西の森にふらついていたとしたら名うての冒険者パーティでも手に負えないらしい。スルホンが一軍を引き連れて討伐しなきゃいけないシロモノだ。つまりアニリィの到着が遅れていたらパウラとジュリアがどうなっていたか想像するのが恐ろしい。
それを踏まえてアニリィには『減給三か月(十分の一)、減給期間の飲酒禁止』の懲戒となった。
「ヴァルトア様、お願いですからアニリィの減給処分を見直してください。我が家に毎食、飯をタカりに来るんです」
しばらくしてスルホンから泣きが入った。
お前の部下だろ、少しは面倒みてやれ。
(とある新任女兵士、ネリスの日記)
訓練生11日目
訓練隊は10日を1クールとして訓練プランを組んでいるらしい。
昨日までは練兵所のあちこちをひたすら歩いたり走ったり。それが今朝から短槍を持った訓練が加わった。きっと2クール目に入ったからなんだろうと思う。メリーナ小隊長の「基礎体力向上も目的だからねっ!」ってクールごとの達成レベルが設定されているのかな。
短槍訓練初日は朝から短槍を使った戦闘訓練で、今日は「構える」と「斬る」動作、それからハイ・ポート(胸の前で槍を持ちながら走るやつ)だけで午前が終わった。訓練用の短槍は見た目以上に重い! 短槍を言われた通りに振っているけど、短槍に振り回されているのが自分でもわかる。周りの訓練生もたぶんみんな同じ、短槍に踊らされている。
しかし軸もブレず短槍を扱う訓練隊がひとり。唯一、武道経験がある相棒のクイラ訓練生。あれだけ重い短槍に振り回されることなく穂先を一閃させる、ちょっとかっこいい。――メリーナ小隊長のほうがすごいけど。そのメリーナ小隊長が言うには、
「クイラ訓練生は幼少の頃からフィオライゼ剣術を嗜んでいたからみんなより上手く見えるかもね! でもみんな安心して! ボクが責任持ってみんなを一人前の兵士に鍛え上げるからっ!」
とのこと。うーん、本当に大丈夫かな。ちなみにクイラ訓練生はこの時ばかりは勝ち誇った表情を浮かべていた、ちょっと嫉妬する。
ハイ・ポートの訓練とは短槍を抱えて掛け声を出しながら駆け足で走るんだけど、これが想像以上にキツい。ただでさえ今日は暑いのに、声出して、走って、槍持って――息が切れる。私は体力ないからすぐバテた。でも槍を腰ベルトのあたりに引っかけて支えるとちょっと楽になることを発見。よし、これで誰にも迷惑かけなくて済むな……って思ったのも束の間、今度は腰が痛くなった、数分でギブ。
笑顔で掛け声しながら走るメリーナ小隊長と古参兵たち。
あの人たちはたぶん、いや絶対に、ちょっとおかしい。
――うん、たぶん絶対にちょっとおかしいって変な言葉だけど、それがしっくりくる。街の若い子(私含む)がよくいう『アタオカ』だよ。
午後からは座学だった。練兵所の訓練は走るだけじゃない。
今日は短槍の戦闘術の座学に加えて、短剣を使った近接戦闘についても少し。洞窟内や鬱蒼とした森の中は長剣長槍だと扱いに困るから短剣や短弓を使うらしい。
「街中でこれでもかって大剣を背中に担いでる冒険者いるでしょ? ほら、ボクの背丈より長い大剣。――その顔よく見ておいたらいいよ! あ、これがバカの顔かって」
メリーナ小隊長のその一言に皆が笑う。
「あんな大剣をここぞとばかりに見せびらしてる冒険者なんてねぇ、大体がフルアーマーの素〇ンだから」
その一言で全員がドン引きしてた。いや、マジで引いた。
他にも地面掘ってえん体を積んで、天幕を立てる方法もまずは座学から、そしてロープワーク。思ったより覚えることは多くて、後日小テストもあるらしい。
意外と私、編み物が趣味だったからかロープワークは得意だった。メリーナ小隊長の見本を一度見ただけで、頭の中で理解が出来てすぐに真似できた。それを見て「すごいね、ネリス訓練生!」って褒めてくれた。ちょっとだけ、嬉しかった。でもさっきからメリーナ小隊長のセクハラ発言が頭をよぎる。
一方でクイラ訓練生は明らかに苦労していた。太いロープをあっちに引っ張り、こっちに繰り出しながら「わかんねぇ」ってぼやいてた。
「ほらぁ、ボクの真似っこしてやってみようよ、クイラ訓練生!」
と、メリーナ小隊長がにこにこ声で教えていたけど、クイラ訓練生は終始ふてくされてた。
まぁ、人には向き不向きってものがあると思う。
ちなみに今日で訓練生生活も十一日目だけど、私はクイラ訓練生とは今だ一言も喋っていない。訓練初日のあの一件以来ずっと、クイラ訓練生は私に目を合わせてくれないし、私も別に話しかける気にならなかった。まぁ無理に仲良くする必要もないと思ってる。いつか話す日が来るのかもしれないけど、それが明日でも十年後でもどっちでもいい。どうせ年季が明ければ、私は除隊するんだし。
というか、私、誰ともろくに喋ってないや。
※ハイ・ポート
わかりやすい例えは『ファミ●ンウォーズのCM』
(理解した奴はおっさん確定な)
※参考文献
租税法 (第3版)
田中 二郎【著】
有斐閣(1990/01発売)
財政学原理
島恭彦・林栄夫【編著】
有斐閣(1965/06発売)
★本日のおまけ★
『冒険者と労働者災害補償保険法(労災法)』
現代日本で冒険者とギルドとの関係は「派遣労働者および日雇い労働者」です。ですが日雇い労働者を派遣労働者として取り扱うのは2012年の労派法改正にともない成立要件が厳しくなっております。ですから派遣労働者として考えてください。
(日雇い派遣が成立する要件は本編と関係ありませんので割愛します)
なお労働関係法令(例:労災法・雇保法・健保法等)の成立は、冒険者が仕事を受注した際にギルドを介して発生します。ですから労災法の適用は仕事を受注した瞬間から発生するため、もし移動中に転んだ(通勤災害)、装備品の準備中に指を切った(業務災害)場合はすぐにギルドに報告しましょう。
なお業務中のケガは派遣先でその旨を担当者に話したうえで労災保険を使用したいことを伝え、ギルドにの労災申請をします。もし派遣元の冒険者ギルドが傷病証明をしてくれない場合はまずは労働基準監督署に相談してください。冒険者の方がご自身で事故等の発生状況を記載し、ギルドが手続きをしてくれないことを説明したうえで労働基準監督署にご自身で労災申請の手続をすることもできますよ。
詳しくは近所の社会保険労務士さんへご相談ください。
(エラールスポーツより抜粋)
カットしたウタリの発言
「今でこそそれなりに大人しくなりましたが昔の冒険者なんて酒飲んで威張り散らす低俗な輩だったじゃないですか。ギルドもそんなイメージを払しょくしたくてコンプライアンス研修をしたり粗暴な人間を排除したりと躍起ですがね。――とはいえ冒険者なんてただの日雇いか派遣です。たとえ冒険者ランクがAだろうがSだろうが『ただの非正規雇用者』ですよ」
『冒険者と労働者災害補償保険法(労災法)』は、中の人が仕事中に実際に電話を貰ったネタです。
現代日本で迷宮が現れたってなろう作品はいくつかあります。
ではそこで冒険者が大怪我をした際、労災になりますかって質問があったんです。
(春休みなんだなぁ、学生さんはと懐かしい気持ちになりました)
本来なら電話でこのような質問は受け付けてはいないのですが電話口の声がものすごく若く、「君、学生さん? じゃあ今回限り応えるね」とネタ化したものです。
現代日本で冒険者稼業をされている方はいないと思います。僕の知ってる限りだと、藤岡弘、さんでしょうか? 故・川口浩さんって思った人、おっさん確定な!
(四十代半ばの僕ですらギリ知らないぞ、嘉門達夫さんの歌で知ったぐらいだし)
で、実際に冒険者を労働者として定義した場合、どう扱うか?
冒険者ギルドを派遣事業者にし、冒険者を派遣労働者として取り扱うで問題ないと思います。
それに冒険者は建設や港湾労働をすることはないでしょうから禁止業務にもあたりません。
社労士や弁護士業務が出来る冒険者なんかそうそう居ないでしょうし。
個人的に大好きなFU●A先生の作品の、おせっかい主人公(例・マ●ル)ならやりかねませんが。
ですが『護衛業務』はダメです。警備業法に引っ掛かります!
→とはいえ違法派遣が多い業界です。なにせ道路整理してる交通誘導員(警備員さん)が、ダンプが汚した道路を箒で掃いただけでも労派法上アウトな世界です。
他には『特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律(通称・フリーランス新法)』における個人事業主としてってのも考えました。ですが冒険者ギルドと労基法9条との関係、いわば『使用従属性』を勘案したら無理があるかなと判断しました。
ですので『冒険者=派遣労働者』となり、労災法では上記の処理となると思います。
仕事を趣味にからめる社畜の鑑・中の人でした。
ブクマ、評価はモチベーション維持向上につながります。
現時点でも構いませんので、ページ下部の☆☆☆☆☆から評価して頂けると嬉しいです!
お好きな★を入れてください。
よろしくお願いします。