157話 武辺者、禁断の研究に手を付ける・3
それからテルメとドリーは勤務後にこっそりと自律人形の基礎研究が始まった。禁書室に蔵書されてるものを研究するのだ、大っぴらには出来ないだろう。
まず最初に取り掛かったのがスケルトンに刻まれていた魔導言語の解析だった。アルカ島の地下室で見つかった監獄長が書いたであろう実験ノートや魔導言語を翻訳していくにつれ、どのようにしてスケルトンが自立運動していたかが判ってきたのだ。
彼らの基本的な行動原則は「侵入者の認識」であった。スケルトンの側頭部に二か所、振動感知用の魔法陣があり、そこにある一定の空気振動を感知すればその発信元を侵入者と認識するようプログラミングされていたのだ。他にも骨一つ一つに個体識別入りの魔導言語が刻まれており、殴ろうとも斬ろうとも、すぐに修復してしまう機能も付いていたのだ。要するにこれら技術を悪用すれば特定の振動に反応し続け、壊されてもすぐに復元する不死の軍団を作り上げられる恐れがある。
「こんな技術、エラールの連中らが嗅ぎつけなくて良かったわ」
ある程度の解析を終えたドリーは溜息をついた。このセンヴェリア大陸は今、領土紛争こそいくらかあれど基本的には平和だ。それもひとえに農業生産や貿易、軍事バランスが国同士で釣り合いが取れてるからに他ならない。しかし、このスケルトンのような自立人形の技術が漏洩すれば軍事バランスは崩れ、再び大陸を割っての戦乱に入ってしまうだろう。
「このスケルトンはどうやって攻略したんだ? 地下研究室の破壊? それとも魔素エネルギー切れを待った?」
「さっき、崩しても骨は魔導言語によって復元するって言ったでしょ? 破壊しても破断面が同じなら吸着して元通りになる。それならって事で酢をかけて破断面を少し溶かしたの。そうすれば復元しても強度は維持できないから攻略できたの」
「うーん、答えを聞いたら呆気に取られちゃうね攻略だね」
ドリーは思わず舌を巻いてしまった。魚嫌いの武官長スルホンに骨まで美味しく食べて欲しいという妻エルザの思いで作られた夕飯が攻略のヒントになったという。唐辛子と玉ねぎで調味した甘酢に素揚げ魚を漬け込んで一晩寝かせると小魚の骨が柔らかくなる。エルザの出身地やキュリクスでは昔から夏の肴としてよく食べられているそうだ。
他にも身体に書かれている魔導言語が濡れて消えてしまわないよう水を嫌がるシステム、稼働させるための魔素が切れたら一時撤退して補充するシステム、他にも得意な武器の設定や同士討ちをしないよう互いが認識できるシステムまで実装されていた。
「だけどドリーさん、これだけ多量の魔導言語、頭蓋骨や骨盤の中に一つ一つ書くのも大変だと思うんだけど」
実装するシステムが多くなればなるほど情報容量は増える。つまり書き込める場所には限界があるのだから詰め込める魔導言語にも同じく限界があるはずだ。
「スケルトンは監獄跡から遠くても20ヒロ程度しか出てこなかったんでしょ」
「えぇ。最初の拠点は攻め立てられたけど、後方に下がったら追撃が無くなりましたね。確か地図に記載してあったはず──これです」
「他にもスケルトンから振り切った兵たちの証言をアルカ島の地図に落とし込んでみると、地下研究室を中心とした同心円の外には出ていない。 このことから地下研究所に書かれた魔法陣と、頭蓋骨に刻まれた魔法陣が魔素を信号としてやり取りしていたのではないかな?」
「つまり、研究室で発信した信号を受け取ることでスケルトンが情報処理してたって事……ですか」
「そう。知覚原則や行動原則、危機回避原則に個体識別原則は基本原則としてスケルトン一体一体に丁寧に書き込んでたけど、その他のシステムについては外部に依存してたと考えた方が自然じゃないかな?」
つまり地下研究室からスケルトンたちに行動パターンの応用システムが送信される。例えば侵入者の場所の位置、攻撃命令の決定、日の出による撤退などの決定を信号として送り、スケルトン内部で処理をさせれば一体一体に膨大な魔導言語を書き込まなくても済むってことだ。そして、その信号外だと応用システム情報が届かないから出られないし、出てしまえば攻撃命令システムが作動しない。──ってのがドリーの推理だ。
「じゃあ、ランバー接骨院のホネ先生に攻撃性が無いのも……?」
テルメが訊く。このキュリクスに一体だけアルカ島のスケルトンが混じりこんでいる。どういう訳か一体だけ逃げ出しており、ランバー接骨院の院長が保護しているのだ。時には整復師の教材として、時には治療に来る人たちにけなげに手を振る愉快な骨格標本『ホネ先生』として余生を過ごしている。彼が他人を傷つけないのもシステム情報を受信できないからなのではないだろうか?
「だと思う。──てか、ホネ先生回収しなくていいの?」
「ランバー先生が『ウチのスタッフ引き抜きは辞めて下さい』って言われました」
テルメの一言に、ふと空気が緩む。「ちょっとお茶淹れますね」と言うと彼女は席を立つ。
「ところでドリーさん、この研究に名前を付けませんか?」
「そうだな……」
アルカ島のスケルトン騒動について、『状況的にスケルトンを作れる人は監獄長以外ありえない』とテルメは報告書で断定していた。確かに監獄島という閉鎖された空間であれだけ大掛かりな研究室が作れる囚人なんて想像が出来ない。しかし今となっては当時の記録なんてそう簡単には見つからないだろうし、検証する事だって無理な話だ。仮に監獄長の名前が判ったとしても、今更人となりを調べる手段もない。
しかし、せっかく共同研究するのなら名前があった方が良い。そのため二人で話し合い、人魔大戦記の大道芸人から『プロジェクト・コッペリア』と名付けたのだった。
「──やっぱりカンナ・プロジェクトの方が良かったかい?」
「そんな名前にしたら、彼女、あの世でのたうち回ってますよ」
──真剣な研究なはずだが、廊下を通るギルド員たちから見ればいつも二人で一緒に残業しているようにしか見えていない。
「ねえ、あの二人って最近いつも一緒よね」
誰かのささやきがすぐに広まり、あっという間にギルド内の噂になった。しかもドリーは愛妻家で有名だったから噂は尾ひれをつけて拡散するばかりだ。「夜な夜な研究室で逢瀬を重ねている」とまで言い出す者まで現れる始末。マルシアも『最近ドリーちゃん、帰りが遅いなぁ』くらいにしか思っていなかったが、そんな良からぬ噂を耳にすれば心中穏やかでいられるはずがない。しかも相手は自分の後輩・テルメだ。
「これが本当の──NTR?」
胸に芽生えた不安は次第に不信感に膨らみ、ついに彼女は真実を確かめるべく研究室のドアを勢いよく開け放った。
「ちょっとドリー!? テルメちゃんと何をこそこそやってるのよ!」
マルシアの剣幕にドリーは「ひぃっ」と飛び上がり、椅子をきしませながら慌てて手を振った。
「ち、違う! 本当に研究なんだって!」
「研究に決まってるでしょう!」と、むしろテルメが即座に声を張り上げる。ドリーは冷や汗を流し、声が裏返って「ほんとだってば!」と叫びながらあたふたと机の前で右往左往する。机の上の紙束がばさばさと落ち、床を叩く音が響く。周囲は慌ただしい足音や悲鳴まじりの声で騒然となり、さらに入口の扉が壊れたためにフリードが飛び込んできたりと場はますます滑稽な騒ぎに包まれるのだった。