156話 武辺者、禁断の研究に手を付ける・2
暗闇の奥で轟く音と眩い閃光が走った。地下実験室に真ん中に置かれた魔導回路が赤熱した蛇のように光を脈打たせ、そして爆ぜる。
魔導学を専攻してたカンナ・マールは学生時代に『魔導理論命令学』という課目にハマっていた。魔導回路にスイッチ信号回路や増幅回路を組み込むことで魔素エネルギーを集中と分散して魔導処理させる。そんな仕組みを扱う学問は、魔導師界隈でも錬金術師業界からも殆ど見向きもされなかった。後に国家錬金術師になってから彼女は暇を見つけては研究を続けていた。ただ錬金術中央ギルドの上層部にとってその研究は利権に乏しい分野だったため、いい顔はしなかった。そのためカンナは自費で研究資材を買い、勤務後にひっそりと研究を続けていた。
そう、あの日までは──。
「カンナ! やめて!」
テルメは必死に叫んでいた。だがカンナは自律魔導回路に魔素エネルギーを注ぎ込む。幼なじみであり共に錬金術師を志した友。その瞳は夢に取り憑かれ、身も心も研究に全て注ぎ込んでいた。そんな彼女にもはや誰の声も届かなかった。そして充填したエネルギーを開放させた瞬間、実験室全体が白光に飲み込まれる。熱風が吹き荒れ、爆裂する音がテルメの鼓膜を破った。
「カンナァァァッ!」
濃縮した魔素圧は誰もが想定してた以上のエネルギーを発して爆散した。実験室に置かれた薬品や実験道具を破壊しただけにとどまらず、本来なら厳重保管しておくべきリンや硫黄などの危険な薬品、古い書類束、ウェス代わりのボロ布に引火、着火したのだ。あまりの爆発の勢いにギルドでは自身での消火を早々の消火を諦め、王国軍への出兵を要請したという。
テルメは飛び込もうとした。涙で視界が歪み、身体が勝手に動いていた。しかしその肩を鋼のような手が押さえつける。王国軍の将軍だった。
「戻れ! 死ぬぞ!」
「離してっ! あの子が、あの子がまだ──!」
「もう遅い!」
将軍の怒号と共にテルメの腕は押さえ込まれる。爆炎が吹き荒れる地下実験室の扉が閉ざされるまでテルメは絶叫を続けていた。
──そして現在。テルメは自室の寝台で跳ね起きた。胸が激しく上下し、頬を涙が伝っている。枕はすっかり濡れていた。
「……また、あの時の夢を見てしまいました」
まだ夜明け前、静寂の中に彼女の言葉だけが響いた。この夢は何度目だろうか──目の前で爆ぜる魔素、燃え盛る研究室、そしてカンナの「失敗しちゃった」と泣き笑いの顔がよみがえってしまう。あと何度この夢を繰り返すのだろうか、いったい何度カンナの夢を思い出すのだろうか。二度寝するにもこんな気分で寝付けるとは思えない、テルメは身支度を整えるそのまま錬金術ギルドへ出勤することにしたのだった。
ギルドの廊下は薄暗く静かだった。それもそのはず、夕べは居残り研究をする予定は聞いてないし、そもそもこんな時間に出社してくる研究員も居ない。しかし研究室だけがぼんやりと灯っていたのだ。『誰か電気を消し忘れたのかな』と思い、テルメは研究室の扉を静かに開けた。そこには机に向かってノートを広げるドリーの姿があった。
「あら、ドリーさんおはようございます」
テルメの突然の出社にドリーは驚いた表情を見せたがテルメもまた目を見張ってしまう。よれよれの研究用白衣にうっすら伸びた無精ひげ──どうやらドリーは夕べ研究室に泊っていたらしい。
「あぁテルメさん、おはようございます」
「ドリーさん、夕べは宿泊手続き取らずに実験してたんですか?」
「あ、あぁ──ちょっと研究したいことがあってね」
ドリーは机に広げていたノートをそっと閉じ、背中に隠すような仕草をした。今、彼が取り組んでいる研究に急ぎのものはないはずだし、仮にあったとしたら研究内容は互いに共有されて無ければならないはずだ。それなのにこんな朝から早くに研究室に居て、コソコソと何かを隠す理由はないはずなのに……。気になったテルメはドリーが隠したノートを覗き込んだ瞬間、すっと血の気が引いた。
「ドリーさん、その研究──自律人形を制御するためのの魔導回路、ですよね」
「──あ、あぁ。実は……」
ドリーが顔を上げ、ぎくりと固まった。開いていたのは禁書室に保管されていた魔導回路の写しや辞典類──そして『魔導理論命令学』のテキストである。これらを使ってやる研究と言えば、夕べ見た夢の事が再び脳裏をよぎる。
「あと……それ禁書室に保管されてた報告書の写しですよね、どういうつもり?」
テルメの声は冷たく怒気を含んでいた。本来、禁書室に入るにはギルド長フリードの許可が必要だ。政争で嫌気が差して王宮を離れ、キュリクスに腰を落ち着けたドリーは王国で二人しかいない『国家魔導錬金術師』であり、しかも魔導エンジンの開発で準男爵位に叙爵された優秀な男である。そのドリー夫妻がキュリクスの錬金術ギルドへ研究員として再就職した際、入口の鍵の用意が足りないと言われフリードからマスターキーを渡されていたのだ。そのマスターキーを悪用して禁書室に入り資料を勝手に盗み出した、とテルメは思ったのだ。つまりフリードの好意を踏みにじる行為であった。しかもその資料がアルカ島で発見された『動くスケルトン』の技術だし、領主ヴァルトアやフリード達の手を借りて探索報告書を捏造して封印したものなのだ。テルメにとってはこの実験情報が漏洩すれば、再びカンナが起こしたような惨事を招きかねないと考えていた禁断の記録、パンドラの箱。──それをあっさりドリーが掘り返したのだ。
ドリーは唇を震わせ、それでも必死に言葉を絞り出す。
「……ぼくは……夢を、諦めたくないんです」
テルメの眉が動く。ドリーの眼差しは真っ直ぐだった。かつての友と同じ光を宿していたからこそ、心が揺さぶられる。
「私は……その実験のせいで友を失ったの。あの暴走で、目の前で」
テルメは苦く呟いた。拳を握りしめ、声を震わせながら続ける。
「夢っていうけど、自律人形作ってどうするの? 戦争に投入するつもり? それとも人魔大戦記のコッペリアのように人々の笑いを誘うための道具? ──この研究は人を殺すわ。現に……、あの子は夢を抱いたまま逝ったもの」
「カンナ嬢の事だよね」
ドリーは静かに言った。久しぶりに自分以外の口から聞く友の名前にテルメははっとしてしまう。カンナの事故は既に五年ぐらい経っており、彼女の名前を聞き及ぶことは殆どない。彼女については実験安全マニュアルの中に、
「魔素エネルギーは膨張して爆発する恐れがあります、実験の際は手順の再確認と安全装置の使用を忘れないで下さい。(K氏魔素暴走事件・エラール)」
と掲載され、記録の中で“K氏”として残っている。彼女の名前が出てきた事で、テルメの心にうず巻くどす黒い気持ちは少し晴れてくる。
「自律人形の夢に一番触れたいのは、マルシアなんだ──彼女、子どもが産めない身体だからね」
ドリーとマルシアが結婚してもう十年、しかし子どもはなかなか授からなかった。そんな夫婦に下された産婦人科医の残酷な診断はマルシア起因の不妊症だった。子ども好きな夫婦に突き付けられた診断にドリーやマルシアの両親は離婚を勧めたし、マルシアが自ら身を引こうと申し出たこともある。だがドリーはマルシアを選んだ、子どもについては諦めが付いたし、後悔する気もなかった。しかしマルシアはそうではなかった。彼女の部屋にはいくつもの人形が置いてあり、食事の時には椅子に座らせ、時には一緒に風呂に入って丁寧に洗ってやるなどまるで生きているかのように世話を続けているのだ。そんな妻を見てドリーは、自律人形が出来たらマルシアの心の傷も少しは癒えるのではないかと願い、淡い希望にすがっている。
「基礎研究はまだまだ足りないのは事実だ。今日明日で出来るとも思ってないし、いつ完成するかもわかんない。だけどカンナ嬢が見たかった世界の先は僕も見てみたい。研究者に理論の完成だけが嬉しい事じゃない、次世代にもその理論が息づくことだと思うからね」
「つまり、ドリーさんはカンナの夢を継ぎたいって事?」
「あぁ。どれだけ失敗を積み重ねるかは判らないけど、一つ一つ理論を積み上げて形にしてあげたら、きっとカンナ嬢も嬉しいと思う」
ドリーの言葉を聞いてテルメはふと目を閉じた。真っ暗闇の視界に、あの日のカンナが笑みを浮かべている気がした。そしてカンナは「た・の・む」と口を動かす。目を開けてすぅと息を吐くとテルメは自身の机の鍵を開け、何冊かの古いノートをドリーの前に差し出した。
「あなたが継ぐっていうなら、私も……手伝っても良いかな」
カンナが命より大事にしていた研究ノート──その遺稿をテルメは託すことにしたのだ。ドリーはそれを見て深々と頭を下げる。
「……こちらこそ、お願いします」
重い沈黙の中、二人の間に新しい絆が結ばれたのだった。