154話 武辺者、武芸者が通せんぼしてた
夏の陽射しが石畳を照らし、キュリクスの街は昼の喧噪に包まれていた。市場通りを抜け、物流倉庫の並ぶ東区へと続く大通りを四人の小さな影が元気よく駆け抜けていく。首からは、それぞれ色あせた小麦色の小さな木札──「見習い冒険者証」が揺れていた。
「ルチェッタ、そんなに急がなくても配達は夕方までに届ければいいんだよ!」
眼鏡の奥で不満げに眉を寄せるのはエイヴァ。だが大きな革のショルダーバッグを掛けて前を駆けるルチェッタは笑いながら振り返った。
「いいのいいの! 冒険者っていうのはいつだって迅速でなきゃ!」
「るちぇ、たのしそう! わたしこういうノリ、だいすき!」
その後ろでイオシスはスキップしながら声を上げた。かなりの速さで駆ける少女たちにスキップで追いすがるのだからイオシスの脚力は尋常ではない。その数歩あとにオリヴィアは少し息を切らしながらも黙ってその後を追っていた。彼女の腰には父から譲られた練習用の木剣が揺れている。
子どもたちの“冒険者稼業”は夏休み限定の特別な体験だ。領主館と冒険者ギルドが協議して時季限定で認めた“体験活動”であり、許されてるのは簡単な配達と薬草採取だけだ。ルチェッタは文官長トマファに「冒険者ならゴブリン狩りでしょ!」と提案したが、
「子どもに危険な事をさせる訳にはいけません。そもそもこの王国は児童労働禁止条約を批准しておりまして──」
と、相変わらずド真面目な回答が帰ってきたのでこの二つの条件で我慢したという。だから首から木片を下げた“見習い冒険者”たちが先ほどから街中あちこちで駆け回っている。だが彼ら彼女らにとって配達も薬草採取も本物の冒険だ。
四人が東区南端にかかるボンボル河にそろそろ差し掛かろうって時、通りの向こうから馬に荷駄を引かせた男がため息まじりにやってきた。荷駄を止め、先頭を駆ける四人組を手で制して苦笑いを浮かべる。
「お嬢ちゃん方、この先は行かないほうがいい。武芸者が橋で通せんぼしてるんだ」
その一言を聞いた瞬間、ルチェッタの目がきらりと輝く。彼女の大好きな冒険譚でよく見るシチュエーションだ。『俺様から一本取らねぇ限りは通さねぇぜ』と言って大きな橋の真ん中に陣取る武者修行の男。これは名を上げるチャンスだ、そう思ったルチェッタの表情はどんどんと緩んでゆく。
「ぶ、武芸者の通せんぼですって!? 私がお相手仕る!」
声を張り上げるや否やルチェッタは目を輝かせながら荷駄をひらりと避け、ボンボル河に掛かる橋へと駆け出していった。
「ちょ、ちょっとルチェ、待ちなさーい!」慌てたエイヴァも必死に追いすがる。「るちぇダメだよー!」とイオシスも駆け出し、最後にオリヴィアが「ちょっと休ませて……」と息を切らしながらも足を動かす。三人はルチェッタの頭の中でどういう展開に花開いたかが想像付いたのだろう、慌てて駆け出すことになったのだ。
四人がそのボンボル河に掛かる小橋に着くと、橋の真ん中に奇妙な男があぐらをかいて座っていた。無言で横に立てかけた大きな立て看板をバシバシ叩きながら通行人を睨んでいる。通ろうとする老婆でさえも睨みつけて看板を叩いていた。その看板には墨痕鮮やかな達筆でこう書かれていた、
「腕に覚えのある者、求ム。──相手が来るまで封鎖する」
と。相手をしなければここを通さないつもりのようだ。行き交う人々は足を止めて顔をしかめ、急ぎの物はやがて別の橋へと回り道する。商人たちは「こういう手合いは無視するのが一番さ」と言いながらルチェッタたちに飴玉を渡して立ち去っていった。
大都市エラールならこうした武芸者騒動の話は翌日の朝刊の隅に小さく載る程度の、たまに聞く話だ。だが辺境の小さな街キュリクスでこんな騒動が起きれば大騒ぎとなってたちまち人々の噂になる。娯楽に飢えた人たちは一目見ようと集まってくるものだ。しかしルチェッタたちに飴玉を渡して言った商人のように通行を妨害された者たちからすれば迷惑以外の何でもないが。
「わぁ……ほんとに武芸者だよ」とエイヴァが目を丸くする。しかしすぐに口をへの字に結び、不愉快そうに眉をひそめた。武芸者がこういった騒ぎを起こすと剣術を習っている自分まで奇異な目で見られそうなので嫌なのだ。
「ねえ、誰か衛兵隊の人を呼んでこようか?お父さん、今日は東門の鑑札担当だったはずだし」と、オリヴィアは不安げに尋ねた。彼女の父親はキュリクス領主軍の衛兵隊隊長だ。こういう治安を脅かす輩が出ればすぐに衛兵隊に伝えるようにと教え込まれている。
しかし、ルチェッタは好奇心に目を輝かせながら拳を握りしめ、一歩前へ踏み出して言った。
「──私、勝負したいわ!」
それを聞いてイオシスが慌てて袖を引き、小声で必死に止めていた。
「るちぇ、だめだめ! ああいうの、かまっちゃだめだよ!」
ルチェッタを除く三人に緊張が走ったその時、橋のたもとから聞き慣れた間延びした声がした。
「あらぁ~? ルチェッタ様たち、なにしてるのー?」
振り向けばメイド服姿のパルチミンが買い物かごを下げて立っていた。ほわほわとした微笑みを浮かべて近づいてくると、ルチェッタたちから事情を聞く。パルチミンは一つ溜息をつくと困ったように小首をかしげた。
「ここ公道ですよぉ? 通せんぼは、みんな困っちゃいますぅ」
そう言うとパルチミンはすたすたと橋の真ん中の男へ歩み寄り、「お腹でも痛いんですかぁ?」と訊いて首を傾げた。武芸者は看板を力強くバシバシ叩いて応じる。しかしパルチミンは「口内炎が腫れて話せませんか?」と続けると武芸者はますます板を激しく叩く。周囲からは「ずれてるなぁ」「あのメイド、煽ってるのか?」「いや、本気で心配してるんじゃ?」と様々な声が飛び、笑いが漏れていた。
やがて通行人や近所の人々が武芸者とメイドの珍妙なやり取りを見るために立ち止まる。パルチミンの天然な問いかけに武芸者は看板を叩いて反応するだけのやり取りだが芝居小屋のように沸いた。橋の周囲は既にお祭り騒ぎであった。
何度かのやり取りをしても看板を叩くだけの武芸者にやがてパルチミンは手を打ち鳴らし、大声を挙げた。
「どなたか、この方と剣を競ってくださる方はいませんかぁ?」
場は静まり返る──はずだった。ところが一人だけ目を輝かせて右手を高々と挙げるその少女はルチェッタだった。
「はーい! 私がやります!」
「ちょ、ちょっと待って!」イオシスとエイヴァが慌てて空高くに突き上げようとするその腕にしがみついた。「だめだよるちぇ! 無茶だって!」
「離して! 冒険は何事も挑戦するものよ!」とルチェッタがじたばた。「冒険と無謀は違いますわよ」とエイヴァが窘める。三人はもつれ合い、右へよろけ、左へ揺れる。とうとうオリヴィアが慌てて支えに飛び込み、小声で「わ、わたしまで倒れるぅ!」と叫んだ。
子どもたちの様子を見て観衆は大笑い、場は完全にドタバタ喜劇の舞台と化した。
「お前さん、領主館のメイドだろ? あんたがやればいいんじゃねえか?」
行商人がにやにやしながらパルチミンに言うと、周囲の男たちも「おー、いーぞ!」「見たい見たい!」「これも治安維持活動の一環だろ!」と囃し立てる。
「えー、勝手に果し合いなんて受けちゃったら、ヴァルトア様やオリゴ様に叱られちゃいますよー」
パルチミンが頬に指を当てて困ったふうに言う。だが武芸者は看板をバンバン叩いて彼女を指さした。まさに「お前が相手しろ」と言わんばかりである。
ついに観衆の期待に押され、パルチミンは小さくため息をついた。「……じゃあ、ちょっとだけ手合わせしてみますぅ?」
武芸者が嬉しそうに立ち上がると、会場はさらに大歓声に包まれたのだった。
両者は橋の中央に立ち、観衆は円を描いて固唾をのんで見守る。武芸者は長い木剣を選び、パルチミンはオリヴィアから借りた子供用の短い木剣をひょいと構えた。
「えー!? それじゃ短すぎますよ!」ルチェッタが叫ぶと、観客からも笑いとどよめきが広がる。
「えへへ、本当ならこれぐらいの使い慣れたサイズが良いんですぅ」
だがパルチミンはいつもの調子で微笑みながら言うと、観衆がざわめき、彼女がスカートの裾にそっと手をやる。人々の視線が集中する中、太もものガーターからひょいとナイフを一本抜いてみせた。
「この長さが好きなんですけどねぇ」
鈍色の刃物が鋭く光るが、腕試しで刃物なんか使えば官憲が飛んでくる。だから彼女はルチェッタたちが腰から下げていた木剣を見回し、一番短いオリヴィアのものを借りることにしたのだ。しかしパルチミンの軽口が余計に緊張を煽り、場が静まり返る。
武芸者がふらりと前に出る。木剣の切っ先が左右に揺れるたび、観衆が息を呑んだ。パルチミンは目を細め、短剣を中段に構えて微動だにしない。
「じゃあ、どこの剣術道場でも同じ、互いの剣先が触れた瞬間から試合開始、判定は面と籠手、突きと胴でいかがかな?」
パルチミンが静かに聞くと武芸者は小さくうなずいた。
一瞬の沈黙──風に揺れる川面の音さえ鮮やかに聞こえる。
次の瞬間、剣先がかちっと軽く触れ合った。途端にパルチミンは身を屈めながら木剣が閃く。まるで雷光のような一撃が武芸者の胴を打ち抜いた。
鈍い音とともに武芸者はゆっくりとその場へ倒れ込み橋の上に転がった。観衆からどよめきが起こり、次いで嵐のような歓声が巻き起こる。息をつめていた子供たちも「やったー!」「パルチミンさんすごい!」と飛び跳ね、街角は歓声と拍手で揺れたのだった。
「パルチミン先生! 弟子にしてください!」子供たちが口々に叫ぶ。さらに驚くべきことに倒れた武芸者は慌てて土下座して、「拙者も弟子にしていただきたい!」と甲高い声で叫んだのだった。観衆はその男の声を聞いて一瞬凍りつき、次の瞬間どっと笑いが弾けた。実はこの男、地声があまりにも甲高かったのだ。そのため看板を叩く仕草で意思を示していたようである。
「えええ!? い、いやいや私はそんな立場じゃ……!」
パルチミンは両手をぶんぶん振って慌てふためいたが、その場の勢いで「パルチミン師範」なる呼び名まで飛び出してしまう始末、この祭り騒ぎは夜まで続いたという。
*
翌日のキュリクス日報──いや、なぜか今日の新聞には号外が入っており、そこには『東区スポーツ』と銘打たれていた。
【橋上ドリームマッチ! 無敗の武芸者、メイド伍長に秒殺される!!】
『観衆200人超が目撃! 武芸者、看板バンバンも空しく一撃沈! メイド隊伍長パルチミンの華麗な一閃に町中が熱狂。まさかの「パルチミン道場」開幕か!? 次号は特別付録・キュリクスのアイドル・イオシスちゃんのふわふわ語録!?』
そんな大仰な記事を読み上げるオリゴの顔は、無表情を装いながらも目元がぴくぴくと震えていた。
「……パルチミン。あなた、何か申し開きしたいことは?」
「えへ……その……はい、始末書書きますぅ……」
こうして、街を熱狂させた「橋上決戦」は、メイド伍長の始末書一枚で幕を閉じたのであった。