153話 武辺者、盗賊を襲撃する・3
・お詫び
諸所の事情により作品中の宗教名を変更致しました。
ご迷惑をお掛けしました。
盗賊団の拠点制圧から数日後──。
盗賊たちの証言を手がかりにウタリは連中の背後に潜む黒幕の影を追った。やがて辿り着いたのはポルフィリ領都ジリノスの銀行員シュランク。商隊や金の動きを握る立場を悪用して盗賊に情報を流す——強盗行為の幇助犯の男だ。
ウタリはアニリィ、ブリスケット、クラーレを伴ってにシュランクが勤める銀行へ向かった。昼下がりの強い日差しが照りつけ、乾いた石畳に靴音が小気味よく響く。キュリクスよりは規模こそ小さいがさすがポルフィリ領都ジリノスだ。中央通りには色とりどりの布を広げた行商人や、軋む車輪を引く荷駄の往来が絶えず、客の呼び声や馬のいななきが混じり合っていた。そこへキュリクス領の武官制服に身を包んだ男女四人が歩いているのだ、目立たないわけがない。重厚な造りのガラス戸越しにて窓口に座るシュランクと思しき男の姿を捉えると、ウタリたちは視線を交わし合い、静かにその扉を引いて中へと入っていった。
盗賊たちの証言からジリノスの銀行員シュランクが『強盗罪の幇助犯』に該当すると判断したウタリは領主ヴァルトアに逮捕状を請求した、容疑は盗賊たちへの情報漏洩だ。
銀行員は商売というより交易に係わる様々な情報を一手に握る立場にある。商隊への金や手形の流れ、預金額や借入額に与信額、それに売買品目や数量の詳細である。現金決済であっても銀行は必ず挟むし、手形決済であれば絶対だ。金貨を見せびらかして売買するにしても、その金の純度、発行国の信頼や為替レートに応じて両替が必要になるため買い手からは敬遠されがちだ。たとえば店先で金貨を差し出しても店主はすぐに真贋を鑑定できない。鑑定スキルなんて便利なものがあればいいだろうが、そんなものは“作者の都合が良い”娯楽小説の中だけの世界だ。それにもし本物だとしても両替の手間や手数料ですら売り手は嫌がるもんだ。だとすれば買い手は自分の金をまず銀行で手形化して商談したほうがいい。そうすれば値引き交渉も円滑に進むだろう。
つまるところ銀行員は、いつどこでどれぐらいの規模の売買が行われ、護衛の有無やルート、出発時刻まで知ることができるのだ。それらの情報を盗賊に流せば彼らも仕事がしやすいだろう。闇雲に襲って返り討ちに遭う心配もないし商隊が来ずに待ちぼうけを食らう必要もない。頭領の中で損益分岐点を定め、決まった時間に襲えばいいのだからこれ以上楽な商売は無い。そのアガリの一部を銀行員に回せば互いにウィンウィンである。
ウタリは出金伝票を書くシュランクに歩み寄ると、軍属認識票と共に静かに逮捕状を突きつけた。
「キュリクス北部の盗賊騒動について詳しい話を聞きたい。──キュリクスまでご同行願えますか?」
声を掛けられて顔を上げたシュランクは、ふと眉をわずかに動かし、「判りました」と言うと驚く事も騒ぐことも無く意外とあっさりと両手を挙げて立ち上がったのだ。ウタリたちは一瞬声を失った。他領で騒ぎを大きくして混乱を招く事を目的とした捕り物ではない、ちょうど昼時で客もいない時間帯を狙って入店し、身柄を確保したのだ。
シュランクを外へ連れ出すとブリスケットが手錠をかける。その横で、クラーレは書類に目を通しながら、黙秘権と弁護士依頼権について淡々と読み上げた。彼女のその姿は落ち着き払っており、口調も一定で事務的だった。それを一つ一つ聞きながらシュランクはすべて笑顔で「はい」と応えていた。
アニリィが腰縄をつけようとしたその時、シュランクの視線が遠くの蒼晶宗の教会へと向いていた。夏の強い日差しを受け、鈍い光を放つ丸屋根と白い壁。その建物は周囲にどこか厳かな空気を漂わせていた。蒼晶宗はポルフィリ領や隣のフルヴァン領に多い精霊崇拝の一派である。アニリィもその方向を見やるが特に何かが見えたわけではない。わずかな沈黙が場を包む中、シュランクはそれに小さく黙礼して静かにこう言った。
「持病がありまして……あの、お薬を飲んでもいいですか?」
アニリィが軽く頷くと彼は上衣の内ポケットから小さな鍵束を取り出した。そしてシュランクはその鍵束に付いてた銀色の細長い筒をひねって中身の白い錠剤を掌のひらの上に転がした。
「──本棚の奥」
シュランクは軽く呟うとためらいなく白い錠剤を口に含む。しかし突然の行動にウタリと移送について話していたブリスケットがぎょっとした表情を浮かべる。二人はちょうどシュランクが薬を口に含んだ瞬間を見届けてしまったのだ。
「ん? ちょっとアニリィ先輩、勝手なことさせないで下さいよ!」
ブリスケットは眉をひそめながらアニリィの顔をうかがった。周囲の空気がわずかにざわめく。
「あぁ悪い悪い。持病があるなら一服ぐらい良いだろ?」
そう言って苦笑いを浮かべるアニリィをよそに、ブリスケットがシュランクへ「いま飲まれたの、何の薬ですか?」と訊く。シュランクはふと口端をわずかに緩めると静かにこう言ってのけたのだった。
「──青酸カリです」
その言葉に全員が驚く間もなくシュランクは白目を剥き、口端から泡を吹きながら崩れ落ちた。どさりと倒れる音が石畳に響き、通りの空気は一瞬で凍りついた。近くにいた通行人たちは息を呑み、固まったようにその場を見つめている。
「おい、誰か医者を呼んでくれ!」
ウタリの悲痛な叫びが街に響く。ブリスケットは崩れ落ちたシュランクの胸元を力任せに引き裂くとアニリィは一拍置かず心臓マッサージを開始し、ブリスケットが交互に心肺呼吸を施す。通りのざわめきが遠のく中、必死の救命も虚しく──医者が駆けつけ、短く診察すると静かに死亡を宣告した。
「盗賊に商隊の情報を漏らした罪の呵責でしょうか」
血色を失って立ち尽くすウタリにクラーレが低く問いかけた。彼女は静かに首を横に振ると冷たい声で答えたのだった。
「いや……私たちはとんでもない“幽霊の足”を掴んだのかもしれない」と。