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151話 武辺者、盗賊を襲撃する・1

 キュリクス領主館・作戦室。


 昼下がりの空気はむっとするほど重く、開け放たれた窓からは蝉の声と熱気が流れ込む。長机の上には被害報告書と山道の地図が広げられ、赤い印がいくつも打たれていた。そのほとんどが北方の山間道沿い——印は交易隊の襲撃現場だ。


「まただ。昨日は北街道で荷馬車三台、護衛二人重傷。損害金は概算で金貨22ラリだとさ!」


 苛立ちを隠さず、武官長スルホンが報告書を机に叩きつける。タン、と乾いた音が作戦室に響く。


「夏の時期は連中も派手には動かんはずだ。むしろ秋の稼ぎ時まで泳がすモンだが……斥候隊も工兵隊も夏季訓練でおらんのが痛いな」


「まぁ、メリーナ姉さんがどうしても——」


 報告書を整えながら、軍略武官のウタリが口を開く。くねくねと身をくねらせ、静かな声に妙な抑揚をつけてメリーナの言葉を真似てみた。


『ボクのかわいい“子猫ちゃん”たちに夏の思い出を作ってあげたくて♡』


 作戦室の一角でクラーレがため息をつき、遠い目をする。


「……その思い出って、きっと一生付きまとう“地獄の夏”ですよねぇ」


 ボクッ娘口調で見た目もかわいらしいメリーナだが、彼女の訓練は苛烈そのものだ。兵一人一人の限界ぎりぎりを攻め、耳元で『ボクね、君の限界のちょっと先が見たいんだ♡』と囁く。それを一か月間も山籠もりしながら続けるのだ。これもかつてポルフィリ領で起きた山賊との遭遇戦で可愛い部下が大怪我を負ったことに責任を感じ、二度と悲劇を繰り返させまいと誓った結果だ。──だがその熱意に巻き込まれる部下は気の毒としか言いようがないが。


 意外と似ていたウタリのモノマネで場の空気が一瞬和らいだが、机上の地図がすぐに現実へと引き戻す。街道は細く谷間に沿って延びており、護衛の少ない商隊は格好の標的だ。警備業ギルドに護衛を依頼すれば資格を持つ専門職が派遣されるが、その分だけ利益は飛んでいく。しかも襲撃されれば商品や金だけでなく、命や信用すら失う危険がある。保険は存在するものの、命を落とせば元も子もない。早く何とかしてくれと悲鳴のような嘆願が運送業ギルドから入ってきてるのだ。


「現場付近には十数年前に閉鎖された廃鉱跡があり、そこを根城にしてると思われます」


 クラーレが地図の一点を指差す。北街道からシュツ村への分岐を過ぎた奥に廃鉱跡がある。昔は銀で栄えたが、産出量の減少と十数年前の地震で休山となり、のちに書類上廃鉱となっている。辺りは廃村と残骸のみが残るとオキサミルとテンフィ夫婦の測量記録にあった。


「根城にしてる根拠は?」とブリスケット。柔らかな声だが目は真剣だ。治安維持が専業だった元・第二近衛兵団副長として状況把握には妥協がない。


「地元の炭焼き職人が夜ごと灯りが出入りするのを見てるそうです。しかも辺りは鬱蒼とした森と廃村しかない。数人の盗賊どもですら勝手に小屋を建てれば目立ちますし、廃村では住めるような家の記録はありません。他にも洞穴などの記録もありませんし、襲撃現場の街道と廃鉱跡がほぼ同心円状ですからそこが根城と推定します」


 ウタリはクラーレと共に実地と聞き取りで確証を得た話を告げる。スルホンは腕を組み、「ならば正面から踏み込めばいい」と言うがウタリは首を振った。


「地形が悪すぎます。正面突破ではいくつもある側道から逃げられるでしょうし、正攻法での坑道戦は被害が大きいのが常です」


「では、どうする?」と、スルホンはイライラしながら言った。


 ウタリは廃鉱山の位置に指を置き、静かに言った。


「こうなれば夜間に偵察し、敵の配置と行動を把握します」


 スルホンが眉間に皺を寄せたまま腕を組み直した。


「夜間偵察など余計に危険だ。今のところ被害は夜間輸送だけだから運送業ギルドに夜間運送の自粛を言い付ければ済む話だろうに!」


 その言葉にアニリィが即座に口を挟む。


「何だよスルホン様。まさか……相変わらず幽霊が怖いんですか?」


 室内の空気が一瞬止まる。魔導送風機の唸る音だけが作戦室の中で響き渡った。スルホンの視線が鋭くなると強い口調で言い返す。


「馬鹿言え……あそこは昔から“出る”場所で有名なんだぞ!」


 アニリィはにやにやしながら机に肘をつき、わざとらしい声色で続ける。


「じゃあ、その幽霊サマに盗賊団を壊滅してもらえばいいじゃないですかぁ?」


「な……っ」


 アニリィの一言も一理ある。もし本当に“出る”ところなら、なぜそんなところに盗賊が住み着くだろうか。幽霊如きで恐れ戦いてるスルホンだが、その形相たるや幽霊の方が裸足で逃げ出すぐらいである。その形相が徐々に赤く染まっていく。


「それとももしかしてそこに根付く盗賊共って、幽霊サマと同衾して寝てるんですかね? いやらしぃ〜、スケベ! え、でも夏は涼しいかな!?」


 スルホンの顔色が紅潮し机を叩こうとした瞬間だった。ブリスケットが穏やかな声で割って入った。 「スルホン様も落ち着いてください、ここは戦陣ですよ」


 続けてアニリィにも視線を向ける。 「アニリィ先輩も大人げないですよ。はい、反省~」


 場の緊張が和らぎ、ウタリは静かに言った。


「斥候隊も出払っていますから兵員不足は否めません、だからこそ最低限の人数で偵察をやりますよ。私とクラーレ、アニリィ、そしてブリスケット殿。この四人で」


 クラーレは無言で頷き、アニリィは満面の笑みを浮かべた。 「おッ、いいじゃん。久々にウタリっちと一緒に課業かぁ!」


「スルホン殿、僕たちで偵察してきますから、果報は寝て待てでお願いします」


 主君ヴァルトアの次男として幼い頃から知ってるブリスケットが身を正して頭を下げたのを見て、スルホンはため息を付き「気を付けてくれよ」と言うと出兵命令書にサインをした。あとは文官長トマファのサインが入れば正式命令書となる。


 こうして奇妙な顔ぶれの夜間偵察隊が決まった。でも誰しもが気付いていた——この時点で、もうただの偵察では終わらないって予感が漂っていることを。


 *


 鬱蒼とした山道は月明かりも乏しく、空気はひんやりと湿っていた。樹々の葉が擦れる音が響き、遠くから野犬の低い唸り声が聞こえる。


 四つの影が静かに進む。先頭は無言のウタリ。次いでブリスケットが周囲に視線を走らせ、護衛のように隊列を支える。アニリィは片手剣の柄を撫でつつ軽く鼻歌を口ずさみ、最後尾のクラーレはメイスを握り、緊張で肩が強張っていた。


「……この先を左に曲がれば廃村に入るはずですよ」クラーレが小声で言う。「じゃあ、そろそろスルホン様を連れてきて先頭に立たせます?」アニリィが茶化す。「いじわるばっかり言っちゃだめですよ、アニリィ先輩」ブリスケットが苦笑した。


 ブリスケットがアニリィの事を「先輩」と呼ぶのは士官学校での直接の先輩・後輩だからだ。しかし幼年学校から兵科学校を経て士官学校へ行ってるアニリィはエリート中のエリートだろう。翻ってブリスケットはヴィオシュラ学院を経て士官学校へ行ってるのだから彼も相当に優秀である。なおウタリも士官学校卒だが彼女の場合は飛び級組なので二人とはそもそも卒業期がズレている。


 やがて廃村を抜けた先、わずかに開けた斜面の向こうに坑道口がぼんやりと浮かび上がる。黒い覆いを掛けた蝋燭が風に揺れているため、入口周辺だけが淡く照らされている。その入口には見張りが酒瓶片手に立ち、灯りのせいで影が岩肌を這っていた。そこから金属のこすれる甲高い音と、奥で反響するくぐもった笑い声が静寂を破って漏れている。どうやら稼ぎにありつけたから一杯ひっかけてるのだろう。


「見張りは二人。ってことは中は多くても十五人程度か」


 ウタリが低く告げる。前日に鉱属技師ギルドで借りた坑内図では出入口は三箇所と記されていた。明るいうちに探索したところ、そのうち一つは崩壊し、もう一つは空気として使用していた。――実際に出入りできるのはこの目の前の入口だけだ。十五人程度というのも、ウタリの楽観的な予測で言ってるわけではない。入口から少し離れたところに打ち捨てられてたゴミの量や足跡の数、襲われた商隊の証言からおおよそ割り出した結果である。


「そういえば出入口はここだけってウタリ隊長言ってましたよね。──普通なら白アリやキツネでも、巣の中に天敵が来たときための逃げ道くらいは確保するものですが、この盗賊どもは逃走経路すら作らずただ入口を固めているんですね……それって攻め込まれたらただの袋の鼠ですよね?」


 クラーレが呆れ気味に漏らす。ちなみに退路がある状態で攻め込めば、少数で攻めても敵を取り逃がしてしまい、結果として大きな損失や徒労を招くだろう。かといって多数を引き連れて遂行するには費用が掛かり過ぎる。逆に退路がなければ少数でも力押しすれば短時間で制圧できるだろうが損失は出てしまう。つまり正攻法で挑むなら多少の損害は避けられないのだ。こういった情報収集は本来斥候の仕事だが、今は不在だから仕方がない。


 その時アニリィが足を踏み外す。小石が転がる音に見張りが顔を向けたが、すぐに別方向から野犬の遠吠えが響き、見張りの注意が逸れた。ブリスケットが素早くアニリィの腕を引き戻して低く囁く。


「暗いですから気を付けてください、先輩」


「悪い悪い。助かった、ブリスケ殿」


「なぁ、せっかくだから試してみたいものがあるんだ。──お前ら、始末書の一筆啓上まで私に付き合ってくれんか?」


 暗がりの中、ウタリが腰の小袋から銀色の筒を数本取り出した。

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