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150話 武辺者と、「夏のすいか」・2

 西区の花街はずれにある『山猫庵』は、昔から冒険者や傭兵、やくざ者が集まる煤けた安酒場だ。小さい頃から「何があっても近づくな」と言われていたが、連れ去られたアクウィリアを取り戻すには彼奴に頼むのが手っ取り早い。意を決して扉を引き開けた。


 むっとする酒と汗と煙草の匂いが鼻を刺す。魔導ランプの淡い光が天井からぶら下がり、煙草の煙がその光を霞ませていた。薄暗い店内、片隅では賭け札に高じる男たちが白銅貨を卓に投げつけ、壁際の影の中では別の卓の連中が喧嘩の前振りみたいな言い合いを続けていた。


 俺は息を切らせながら奥へ駆ける。そこに――無駄に胸元をはだけさせた大柄の男が、片膝を立ててグラスをくるくる回しながら酒を揺らし、キャミソールにホットパンツ、猫のような眼をした女の腰を片腕で抱き寄せていた。


「頼む、助けてくれ。俺の目の前で西区の女、アクウィリアさんが攫われたんだ!」


 俺の声に幼なじみの男は気だるそうに顔を上げ、グラスを置く。


「……俺さぁ、昔っからお前みたいな青ひょうたん、好きになれねぇんだ」


 小さい頃は「シャルはべんきょー出来んだなー!」と洟を垂らしながら言ってた男だったが、今ではこの西区の顔だ。子どもの頃は肩を並べて泥だらけになって遊んだ事もあったが、今では背負うものも居場所も違う。だが俺は官憲を頼るよりも彼奴に頼ることにしたのだ。しかし返ってきたのは突き放すような声音。そうだよな、幼なじみとは言え生きる世界はもう違うんだよな。思わずため息を付いた。


 すると腰に腕を回されていた女がその手を振り払い、立ち上がった。


「ダン、あんたそれでいいの? 西区の女の子一人も守れない首領なんて聞いたことないわよ!」


 ――そうだ、俺が頼んだこの幼馴染こそがダンマルク。そして彼に噛みつき、睨みつけてる女こそトトメスだ。ダンマルクは鼻を鳴らし、舌打ち混じりに言う。


「……チッ。行くぞ、お前ら」


「「うすッ!」」


 店にいる客らは一斉に椅子を引き、床板を踏み鳴らして立ち上がった。椅子の軋む音と重い足音が店内に響く。そして店主がどさりとメイスや木剣といった物騒な物をカウンターの下から引っ張り出して来た。トトメスに言われれば大人しく従う、昔からダンマルクは変わっていない。


「ありがとうございます! トトメちゃん」


 頭を下げた俺にトトメスは店の奥から色んなものがぶら下がった分厚い革ベルトを腰に巻き付け、金具をカチリと締める。続けて革の編み上げブーツに足を滑り込ませ、紐を素早く結びながら、口元に挑むような笑みを浮かべた。


「何言ってるの、シャルポ君。君も行くんだよ?」



 俺たちの即席の作戦はこうだった。 ――ダンマルクは正面からローバー団を率いて突入。 ――トトメスと俺は裏口から忍び込み、アクウィリアを救出する。



 クルーズ団の拠点――東区ボンボル河岸に並ぶ物流倉庫の一角だった。昼間は荷車や船が行き交う賑やかな場所だが、夜になれば河面の湿った匂いと虫の羽音だけが漂う、異様な静けさに包まれた場所だ。だが今夜はその一角から酔い声と笑い声が漏れ聞こえていた。


 倉庫の裏手は街灯の明かりも届かず月明かりが波間に揺れるだけ。板壁の隙間からは魔導ランプの黄色い光がこぼれ影を伸ばしていた。裏口には二人の見張り。片方は酒瓶を口に傾け、もう片方は煙草をくゆらせながら空瓶を足先で転がしていた。酒精と煙草の匂いが風に乗って漂ってくる。


 俺とトトメスはその影に身を潜め、息を殺す。心臓の鼓動が耳の奥で激しいリズムを刻む。周りが静かだからやけに大きく響く。少し離れた場所では、正面突入の準備をするダンマルクとローバー団の面々が、闇に紛れて息をひそめていた。ダンマルクが掌のひらをぱたぱたと開閉する、手信号だ。


 トトメスが小さく指を二本立てる――ダンマルクたちが突入した後に裏口突入組の作戦遂行って合図だ。俺は頷き、足音を土に吸わせるようにして前へ進む。あと数歩、というところで倉庫の正面から轟くような怒号が響いた。


「今だ!」


 トトメスが腰のポーチから銀色の筒を取り出し、ピンを引き抜き投げつけた。次の瞬間、裏口の真ん前で閃光が弾け、見張りたちが悲鳴を上げて目を押さえる。酔っていたせいで反応が鈍ったので、俺たちはこの二人をボンボル河に放り込み、難なく扉を蹴り開けた。


 二発目の閃光弾白光が倉庫裏口を満たした瞬間、トトメスが飛び込み怯んだ見張りの顔面に膝を突き立ててなぎ倒す。俺はその隙にアクウィリアを見つけ、駆け寄った。「助けに来た」と短く告げると彼女は驚いた顔で俺を見つめたが、すぐに頷く。そしてナイフで縄を切り、駆けだした。


「来たわよ!」


 トトメスが叫び、俺とアクウィリアは倉庫の奥へと駆け出した。だが通路の先から赤バンダナの男たちが二人、ナイフを構えて立ちはだかる。


 俺はとっさにアクウィリアを背中にかばい、椅子を蹴飛ばして進路を塞いだ。木脚が床を叩く軽い音が響く。その間にトトメスが懐からスティレットを抜き、鋭い金属音とともに相手のナイフを弾き飛ばす。そしてもう一人の脇腹へ、踏み込みと同時に重い蹴りを叩き込んだ。編み上げブーツのつま先に鉄板が仕込んであるのだろう、ものすごく鈍い音が響き渡る。


 トトメスにナイフを飛ばされた男が俺に殴りかかってくる。荒い息をつきながら俺は男を蹴り上げるとその腕を掴み、空樽が積み上がる壁へと叩きつけた。樽が揺れ乾いた衝撃音が響いた。そしてアクウィリアの手を強く握り、俺たちは隙を突いて駆け抜けた。


 裏口を抜け、夜風が頬を撫でる。遠くではダンマルクの怒号とローバー団の勝鬨が響いていた。ここまでくれば大丈夫、人気のない路地裏で俺たちはようやく足を止めた。


「……助けてくれて、ありがとうございます」


 月明かりの下、アクウィリアの頬は紅潮していた。俺は胸の鼓動を抑えきれず、息を整えながら言った。


「よかったら一緒に……ダンスパーティ、行きませんか」


 俺はどうしてこんな事を言ったのか判らない。領主の決定を下らないと心の中で吐き捨てていたが、どうしても彼女と踊りたかった。逃げる途中、風に揺れる街角のポスターが目に入った。金色の飾り枠に楽しげに手を取り合う男女の絵と「初夏の主神祭・ダンスパーティー開催」の赤い文字。その鮮やかな色彩が瞼に焼きついたまま、あの会議の後に何度も夢想した光景――アクウィリアの手を取り、夜通し踊る自分――が重なった。二人で手を取り合って踊り明かしたい、その衝動が口を突いて出たのだ。俺の言葉を聞いたアクウィリアは少し目を丸くし、それから柔らかく笑った。


「それじゃあ断れないじゃないですかぁ……ふふ、こんな状況で言うなんて」


 少し離れた場所でダンマルクは腕や額に傷を負いながらも立っていた。トトメスが手際よく包帯を巻きつつ、「男なら我慢しろ」と口を尖らせる。ダンマルクは舌打ちしながらも二人の様子を見てどこか満足げに笑っていた。



 初夏の主神祭のダンスパーティー。会場の照明が落ち、魔導ライトが新たなカップルを照らす。会場のざわめきが「おお……」という感嘆に変わった。そのざわめきの中にはダンマルクとトトメスの姿もあった。


 その光の中から現れたのは、まるで物語の世界から抜け出してきた王子様とお姫様――シャルポとアクウィリアであった。タキシード姿の彼と、淡い水色のドレスに身を包んだ彼女が手を取り合い、舞台中央へ進む。スポットライトを受けたドレスの布地がきらりと揺れ、アクウィリアの微笑みと視線、そしてドレスから溢れそうなたわわなお胸が会場を魅了したのだ。


 ――が、音楽が始まった瞬間、会場の空気が変わった。


 シャルポは真剣な表情のまま、まるで壊れた機械人形のようにカクカクと動き、アクウィリアも負けじとぎこちなく回転する。足元が絡まり、二人そろって一瞬静止した瞬間、客席からくすくす笑いが漏れた。その様はまさにゾンビの盆踊り。さらに酔ったカモメの求愛ダンスのような奇妙なステップに移るたび、「おっと!」という声や拍手が飛ぶ。曲のラスト、じゃーんと鳴ったときには絡み合ったマリオネットのように固まり、会場のあちこちから爆笑とどよめき、そして絶叫が巻き起こったのだった。






 会場の爆笑が遠ざかり、その笑い声が次第に別の喧騒へと重なっていく。気がつけば場所は領主館のメイド隊の納涼会。麻のワンピース姿のプリスカがグラスを掲げて言った。


「──って、これが私の知ってる夫婦の出会いのスベらない話でした」


 プリスカはわざとらしく間を置き、ドヤ顔でそう言い放つ。寛いで聞いていたメイド隊の子たちは、テーブルを叩きながらゲラゲラと笑い転げ、床に転げ回る者までいた。


「プリスカちょっと待てぇ! それ、私のパパとママの話じゃないのよ!」


 それを黙って聞いていたロゼットは顔を真っ赤にして勢いよく立ち上がり、慌てて身を乗り出して叫んだのだった。





 あの夜の笑い声は三十年近く経っても薄れることなく人々の記憶に残っており、キュリクスの街でダンスパーティーが開催されると聞くと


「あぁ、安眠館の夫婦の若い頃を思い出すわね」


「ロボットゾンビダンスよね」


「よくもまぁ出ようと思ったよね」


と、まるで昨夜の宴の続きのように生き生きと掘り返し、語るのだ。


 ただ、その一件のあとあれよあれよと二人は結婚、七人もの子宝を授かったという。そしてアクウィリアはすべての子どもに『絶対にダンス教室に通いなさいねぇ』と言っては通わせたそうだ。もっとも当の子どもたちは初日は嫌がっていたものの、数か月もすれば発表会で堂々と踊るまでに成長し、親戚中で『ダンスの才能を遺伝させなくてよかったわね』と笑いを誘ったという。


 ダンマルクとトトメスも、シャルポやアクウィリアと同じ頃に結婚。ちなみにプリスカの両親である。

ブクマ、評価はモチベーション維持向上につながります。


現時点でも構いませんので、ページ下部の☆☆☆☆☆から評価して頂けると嬉しいです!


お好きな★を入れてください。




よろしくお願いします。



・久しぶりの作者註


今回の話はとある古いミュージカル映画を久しぶりに見て一気に書き上げてしまいました。まぁ、はっきり言って今回はその映画のオマージュです。『ジェット団・シャーク団』とか、街の不良集団のいがみ合いとかその映画のエッセンスがぽろぽろと。しかも唐突なダンスパーティ(笑)


なお、主人公トニーが一目惚れしたマリアのために歌うシーンは、秀逸。あとトニーとマリアがひっそりと結婚式を挙げるシーンはマジで泣ける。そして唐突なラスト、マリアのセリフ。


音楽も素敵です。一度は見て欲しいな。

『ウェストサイド物語』

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