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15話 武辺者の女家臣、愚痴る

(アニリィ視点)

 私に事務仕事なんか絶対に無理だと思っていた。だって報告書読んでも全然判らないし、そもそも脳みそが理解を拒絶しているんだから。だけどヴェッサの森の代官を任されてからは無理とか言ってられない。

 ヴェッサと私の間を取り持つモルポ商会主より、毎日のように届く報告書に目を通してサインをするか追加報告を求めるかをしなければならない。机に放り投げて数日漬け置けば処理してくれるような心優しい妖精さんもいない。そんな日々を過ごしている。

 で、有能文官トマファ君に処理をぶん投げたらオリゴさんに投げ返された、物理的に。



 しかも、新人文官のクラーレさんを雇い入れてから報告書がえぐい事になった。

 今日はその事について愚痴らせてほしい。


 スルホン様が言うにはクラーレさんは前職は農業研究所、若い頃は北方辺境師団のヴァイラ隊に従軍してた方だとか。国軍地方連絡所から取り寄せたクラーレさんの軍歴証明書を見ると確かに懲罰無しの優秀な任期制兵士だったと書かれていた。


 そんな話はさておき。そのクラーレさん、採用されて早々にブロドンさんたちが作る木製食器を削る機械の試作機1号を作った。最初見たときなんだこれと思った。一人用の小さな執務机のようなものの左右に太い木柱が立てられており、足元には不思議なペダルが二枚と大きな円盤と革ひもがついていた。他にも大小ハンドルがいくつか付いておりなんだか仰々しい。クラーレさんが言うにはこの足元のペダル二枚を交互に踏むと左右の円盤が周り、その動力を皮ひも伝って太い柱に取り付けられた軸を回すらしい。その軸には青銅製の円盤(フラホ)がくっついているのがこの道具のミソらしい。いやいや味噌もくそもないよ、なんだこれ。


「アニリィ様、こちらがノーム爺と開発した人力旋盤機です!」


 あ、はぁ。仕事終わりに作務師のノーム爺さんと二人作業小屋でトンテンカンと何か作業していたのは知ってたけどさ。見ればみるほどなんだこれ感がすごい。装飾なにもなしの無骨なへんてこ木製機械だ。だけど足元の板を踏むと作業机に置かれた軸がくるくる回る、これは面白い。思わずその軸に指を突っ込もうとしたらクラーレさんにすごい形相で叱られた、下手したら指が飛びますよって。


「この人力旋盤機をコーラル村の木製食器職人さんたちにプレゼンしたいので、良ければ連れて行ってくださいませんか?」


 あ、はぁ。正直めんどいなぁ思いながらモルポ商会のアンドレさんにブロドンさんへのアポイントを取ってほしいと手紙を書いた。私がヴェッサまで直接向かえけば話は早いんだろうけど行き来するだけで一泊二日かかるし、しかもモルススさんたちに案内をして貰わないとヴェッサで迷子になるからブロドンさんのところへは辿り着けない。本当にめんどいけど仕方ないよね。しかも初夏のこの季節だと耳を隠したいエルフの女将やエレナさんがおいそれと会ってくれるとは限らないし。それならモルポ商会を通した方が早い。それでも返事が来るまで十日は掛かった。その間、毎日のようにクラーレさんから『まだですか?』と尋ねられたのには参ったなぁ。確かに自分が作り出したものがどうなのかって気になるのは判るけどさ。


 その後、クラーレさんと二人でコーラル村まで行き、モルススさんの案内でブロドンさんの屋敷へと向かった。クラーレさんたちが作った機械と共に大量のアイスクリームを手土産に持って。



 分解して持ってきた機械をクラーレさんが一晩かけて組み直すとようやくブロドンさんに見せる事となった。ちなみにクラーレさんはカルトゥリ語を知らないので私が通訳をする。ヴァルトア様、手当ちょうだい。



『ほぉ、アンドレ君が言ってた機械とやらはこれか』


『えぇ、今までの道具より早く安定して食器づくりが出来るかと、当家のクラーレが作ったのです』


『ふむ。少し試してみたいが良いか?』


『もちろん』



 それならばとブロドンさん、ある程度おわん型に粗く削った素材を軸に挟む。そして踏板を左右に踏む、ぐるぐると回る素材を見て小さく感嘆を上げる。そして恐る恐る鑿を近づけると細かい木片が辺りに飛び散った。足踏みを強くすると素材がうなりをあげてさらに早く回る。それに鑿をそっと近づけるとどんどんと見慣れたグラス型に彫られてゆく。



『これはすごいな。いままで片手でハンドル回してぐらぐら揺れる材料を見極めながら鑿を入れてたのに。この機械を使えば量産も容易かもしれんな』


『ただし、これはまだ試作です。ブロドンさんが毎日使っていて気になる点や改善点があれば逐一報告が欲しい、とクラーレさんが申しております』



 興奮気味に言うブロドンさんに対して冷静に応えるクラーレさんの言葉を通訳する。え、これまだ試作機なの、完成品じゃないの? 私と同じ感想をブロドンさんも思ったようだ。今までより高性能なこの機械にどうケチをつければいいんだとブロドンさんが漏らす。しかし私はクラーレさんの言葉を通訳する。


『こういう機械、初号機で完成品が出来るとは思いません。私も、一緒に考えてこれを作ったノーム爺さんも木製食器の職人ではありません。ですから職人目線でこういう機能が欲しいとかこういう治具を考えたとかあればむしろ教えて欲しいのです』


『なるほどな、わかった。そのかわり、もしこれが壊れたら?』


『はい、すぐに呼びつけてください。ここまで来るのに時間が掛かってしまいますが必ずお伺いしますよ』


 え、嫌なんですけど。だって遠いし飲み屋無いし。でも言われた通りに通訳するか、仕事だもん。


『――そうか、しばらく使ってみるゆえ今日はもう下がりなさい。だが使い勝手はもう完成してると儂は思うのだがな』


 そう言うと私たちは作業室から追い出された。ブロドンさん、新しい玩具を手に入れた子どものような目をしていたから色々と試してみたくて仕方がないんだろうなと想像つく。夕べは徹夜で組み上げていたクラーレさんにも疲れが見えていたので言葉に甘えてその日のうちにコーラル村に戻ることにした。


 理由? ヴェッサに飲み屋無いから。


 よほど疲れていたのかクラーレさんは銭湯で一汗流してからすぐに寝ると言うので、私は早々に雪兎亭で飲むことにした。ここはツケが利くので好き。しかもそのツケ、モルポ商会が交際費として落としてくれるからもっと好き。そして女将さんから連絡がいったのかエレナさんも夕鐘が鳴った頃に来てくれた。よし、これで記憶を飛ばしても大丈夫だよね!



 数日後、ブロドンさんから細かい改善点がモルポ商会を通じて私のもとに届いた、やはり使うにつれ気になる点が出てきたようだ。うむう、専門的過ぎて判らない。有能文官トマファ君に処理をぶん投げたらオリゴさんにまた投げ返された、物理的に。


 そして女将さんとエレナさんから正式にクレームが届いた。「アニリィさんの世話は大変なので深酒させないよう指導してください」だってさ。

 直接私に言ってよ、スルホン様とヴァルトア様、そしてオリゴさんからばちくそに叱られたじゃん。



 それならばとクラーレさんにぶん投げた。


「え、やっと来たんですね! この報告書、貰っていいですか?」


「えぇいいわ。良きに計らいなさいな」


 クラーレさんはブロドンさんからの報告書を受け取ると嬉々とした表情を浮かべて私の部屋を出て行った。私は笑顔でクラーレさんを見送ったんだけど、いつの間にか私の後ろに立っていたオリゴさんに、


「アニリィ、ヴェッサの代官はあなたでしょ? なに笑顔で自分の仕事放り投げているのよ」


凄み(ドス)効かせて言われた。ちえー、仕方ないな。


 報告書が相当うれしかったのかクラーレさんはスキップしながらノーム爺さんの作業小屋へ向かったらしい。うわさ好きおしゃべり大好きのメイドたちが教えてくれたため探す手間はかからなかったけど、クラーレさんって本当におもしれえ女。作業小屋に行くとクラーレさんとノーム爺さんが報告書を読んで問題点を洗い出していた。その問題点は五つ。回転速度を早くすると軸受けから煙が出る、軸がブレる。逆に低速だと鑿を当てれば力負けして軸が止まる。それより鑿の刃がすぐ鈍らになり、無理して削ると素材がヤケる。まずはこの報告を改善するらしい。


 その日の夕鐘の終業後に機織ギルドの技師のアンさんを作業小屋へクラーレさんが呼んだ。そして件の木工旋盤機を見てもらって改善策を探すことになった。なぜ機織ギルドかというと同じ足踏み動力で糸繰機を取り扱っているから何かヒントくれるんじゃないかな、とトマファ君のアドバイスらしい。だけど気になった事がある。なぜ終業後なの? 勤務と直接関係が無いかららしい。でもそれはおかしい。これ仕事じゃん! だから私は仕事中にやるべきだと言った。


 三人はぽかんとしていた。変な事言ったかな私、そう思っていたらヴァルトア様がいらした。亜麻のワンピースに腰ひもの姿だから今からひとッ風呂だろうな。


「お前ら就業時間過ぎてるぞ、はやく帰れ」


 一喝されて結局解散となり、「お前がサビ残させてたのか」と私がみっちり叱られた。いまだ社畜根性が抜けないクラーレさんとモノづくり大好きのノーム爺さんのせいだと思う。クラーレさんが事情を説明したけど「終業後にすること罷りならぬ」と厳しめに言われたので結局解散、三日後に持ち越しとなった。


 そして今後は勤務時間中に改善作業をすることとなった。三日後の約束の時間に来てくれた機織ギルドの若い技師アンさんの見立てでは、


「この軸受けは鉄パイプを圧入しただけだから摩擦熱で木製柱が焼けるし金属軸も擦れて痩せてくる。そうすれば軸がぐらつく原因にもなるだろうから、ベアリングを圧入してみよう」


と提案してくれて金属加工を得意とする友人を呼んでくれた。その方は古参兵メリーナちゃんより小柄な男だった。ずんぐりむっくりで毛むくじゃらの彼を見てひょっとしてと思って声を掛ける。


「ねぇ、あなたってホビット……?」


「それよく言われるんだけど、確かにチビだけど人権あンだわ、――ドワーフだよ」


 どうもホビットとドワーフは違うらしい。ちなみに彼は時計技師のホビリオさんというらしい、すごく紛らわしい。


「これがベアリングだ、径はアンちゃんの通りに作ってみたぞ」


 私にも見せてくれた金属円筒形のそれはやたらずしりと重くて文鎮にちょうどいいかもしれない。これを木製柱に圧入することで軸受けから煙が出るような事はなくなるとアンさんが言う。ちなみにベアリングは柱と軸との摩擦を限りなくゼロにするための部品らしい。それをアンさんが組み込んで軸を回してみる。とにかく高速回転させてみろって事で体力バカの私に踏板を操作しろとノーム爺さんが言う。ひどいなーバカって。


「どうも金属製のこの軸が中心からズレているから高速回転させると母材がブレるみたいだな。まずは軸をつくるための治具作りから始めようや」


「それなら母材を支えるための治具も一緒に作りません? これって母材にネジ打ちして固定してたんです。例えばこういう形で母材を噛むような治具とか」


「おぅ、お嬢は面白い事を言う。こういうのはどうかね?」


 ホビリオさんがクラーレさんからの話を聞いてペンを走らせる。あら素敵と言うと二人であれやこれや案を出しては紙に書き込んでいく。



「足踏み動力にギアを組み入れるのはどう?」


「つまり足踏みペダルの上下運動から回転運動に替えた後に、速度重視かトルク重視かのギアを選択するとか?」


「そうですそうです、高速回転時に歯車同士が滑らないようヘリカル式にしてみるのも面白いかもしれませんよ?」


 アンさんとノーム爺さんのチームは足踏み動力をどうするかと攻めるらしい。それならばとホビリオさんは金属加工が得意な友人がいるからと言うとを呼ぶことに。使う鑿も専門屋を呼ぼうぜと鍛冶屋ギルドの友人までも飛んでくる。いつの間にか領主館すみの作業小屋の中ではこの木工旋盤機の改善をするには手狭となり、ヴァルトア様の好意で近くの倉庫を借りてあれやこれや研究する事になった。――責任者はもちろん私。このメンバーの中では役職が一番上だから。でも私、武官よ?


 ところでたかがこんな機械ひとつでどうしてここまで大騒ぎしているのか? 仕事だから? ブロドンさんの木製食器がキュリクスで人気となっているから? きっと違う。ここに集まっているのは純粋に機械工作が好きな人ばかりだからだと思う。そういう『好き者』たちが、クラーレさんやノーム爺さんの素人二人の好きとアイディアだけで試作したこの試作機が刺さったのだと思っている。そうじゃなかったら夜遅くまで作業なんかしない。


 最初は勤務時間内にとお願いしてたが結局は皆んな終業後にわらわらと倉庫に集まって作業するようになってしまった。ヴァルトア様やスルホン様は良い顔しなかったけど、気が付けばこれで美味しいもの飲み食いしてくれとお小遣いを置いていくようになった。他にも近所の安酒場の女将が夜食を届けてくれるようにもなった、これはトマファ君の計らいらしい。クラーレさんの思い付きがこんなにたくさんの人が関わった事業になるとは思わなかった。


 そして試作機を作っては改善提案を繰り返して完成度の高いものがブロドンさんのもとへ届く。そうなれば俺もぜひ欲しいとブロドンさんの親族からも注文が入る。仕組みが判れば俺も欲しいとキュリクスの数寄者も注文する。機織ギルドも足踏み動力機構をパクッて新型糸繰機を作り出し、他のギルドも加工品の動力源として活用を始める。なんとなくだけど街に活気が出てきたかな、そんな気がするようになった。

 飲みに行ったとき「あの領主様の家臣だろ? 俺から一杯ご馳走させてくれや」と職人気質のおっさんから言われるようになったのは嬉しかったかな。これで税収が増えたら給料あがるかな。

 そしてブロドンさんたちが作る木製食器がようやくモルポ商会で買えるようになった。予約待ちでなかなか入手できなかったからよかったと思う。ただし偽物も出回るようになった、コーラル村御謹製本物とかご丁寧かついいかげんなタグまでつけて。まぁ本物はモルポ商会でしか買えないしコーラル村では作ってないんだけどね。


 おかげで報告書の枚数も頻度も増えた。これで給料増えなかったらストライキだ、しかも私は武官だぞ!




     ★ ★ ★




(トマファ視点)

 文官用の執務室。机の上に積み上がる書類に目を通しては一つ一つ決裁する。ひと段落ついたかなって時にちょうど月信教寺院の昼鐘が鳴る。


「トマファ様、クラーレ様、お昼ご()()でございますぅ!」


 扉を思いっきり開け放たれると新人メイドのプリスカがワゴンを押して入ってくる。そして僕らの机にぽんぽんと食事を置いていくと「失礼しましたぁ」と叫んで扉を乱暴に閉めるとどたばた走っていくのが聞こえるのだ。


「――正直言って、パルチミンさんの業務ミスよりプリスカさんのほうが問題だと思いません?」


「えぇ僕もそう思いました」


 僕らがそんな話をしながら置かれた食事に手を付けようとしていたときに廊下から「ちょっとプリスカさぁーん!」と叫ぶマイリスさんの声とぱたぱたと足音が響く。あぁようやく教育係さんが動き出したみたい。僕ら文官とメイド組とは部署が違うのであのような破天荒なプリスカさんの行動について指導することは難しい。まぁ言ったら言ったまでだろうけど、きっと上官のオリゴさんは良い顔はしない。


「ところでトマファ君、聞きました? キュリクス西の森の話」


「あ、はい。昨日、創薬ギルドの少年が見つけたって洞窟ですよね、それが?」


「えぇ。今朝から冒険者ギルドか領主軍斥候隊かどちらが探索するかって揉めているんです」


「――ちょ、ちょっと待ってください、探索は絶対だめです!」


 僕は思わず車椅子を動かそうとする、するとがたんと机が揺れてお茶が入ったカップを派手に零す。


「あらら、トマファ君どうしたの、大丈夫?」


「クラーレさん、急ぎ冒険者ギルドと斥候隊に探索の禁止を申し伝えてください!」


「え、ちょっと、判ったわ」


 クラーレさんは机に置かれた呼び鈴を鳴らす、これが聞こえたら当直メイドがお昼休み時間でもやってきてくれるはずだ。今日の当直は――



「――はいはーい、プリスカ、来訪した!」


 窓のほうから声が聞こえ僕とクラーレさんが窓を見ると、太目の木の幹に跨いで座りパンに齧りついていたプリスカが居た。まだ廊下からマイリスさんがプリスカさんを呼ぶの声が聞こえるのだが。


「プリスカさん、そういう時は謙譲語で参りましたって言うんでしょ?」


「あ、そうでした、プリスカ参りました! ――ってこれじゃ私が降参したみたいですね、あはは」


 いや、急ぎの用件で呼びつけたのにどうして暢気なの二人とも。


「プリスカさん、申し訳ないのですが使いっ走りをお願いします!」


「はいはーい! トマファ様。どこへ走ればいいですか?」


「プリスカさんは冒険者ギルドへ走って、ギルマスに僕名義で探索中止命令を口頭でお伝えください」


「わかったよぉ、ではプリスカ、参る!」


 そう言うとプリスカさん、木の幹から身軽にほいっと飛び上がり、まるで鉄棒競技のようにくるくる回るとそのまま地面に飛び降りた。それを見送ってからしばらくして扉がノックされマイリスさんが入ってきた。


「お呼びでございますか、トマファ様、クラーレ様」


 今までプリスカさんを館内中走り回って探していた様子だったのにそれを微塵にも感じさせないようマイリスさんが入ってきた。オリゴさんにしてもマイリスさんにしてもここらへんは本当にメイドの鑑だと思う。


「今しがたプリスカさんには冒険者ギルドに走ってもらいましたが、マイリスさんは誰でもいいので武官に探索中止命令を大至急お伝えください」


「承知しました。スルホン様が在室中でしたのですぐにお伝えしてきます」


 そう言うと扉を閉めることなくマイリスさんは走っていった、大至急の伝達時は礼節なんて言ってられない。


「ところでトマファ君、血相変えて中止ってどうしたの? 君も行きたくなった? やっぱ男の子だねぇ」


「違います。未探索の洞窟内って毒ガスの危険性があるのです」





 洞窟内での死因リスト(冒険者ギルド発表)

1位:遭難

2位:魔物との遭遇戦

3位:転落・墜落

4位:負傷(毒、麻痺、飢餓含む)

5位:毒ガス




「これ見てください、隣国ロバスティア王国の冒険者ギルドが二十年ぐらい前に発表した記録ですが」


「毒ガス……? なんか罠的なやつ?」


「いえ、ロバスティア王国は火山が多いお国柄ですから、洞窟内で漏れ出た火山性ガスの影響での中毒死でしょうね。他にも空気が薄かったり腐っていたりしての死亡例もあるみたいですが」


「空気が腐っていたら臭いでわかりません? ほら、温泉のにおいも濃かったら死ぬってよく聞きますし」


「硫化水素ですね、あれも空気中にわずかに含まれているだけだと卵の腐った臭いがしますが濃すぎると臭いが感知できず気が付いたら死亡って事例もありますよ」


 身体に害をなすガスは他にもある。臭いで危険察知できればいいのだが無臭で身体を蝕む者もあるし、特にその手の事故は洞窟探索ばかりでなく鉱山開発でも多くの事故事例がある。鉱山の場合は粉じんによる爆発事例はよく聞くが毒ガスによる事故事例も枚挙にいとまはない。


 空気が薄ければ気付くでしょって声もあるが低酸素濃度の空気を一度吸い込んで死亡したって事例もある。未探査の洞窟ならどのような危険が隠れているかは判らない。ひょっとして洞窟内で何かあったから、そこに住み着いていたゴブリンが湧き出て西の森に住み着いているのかもしれない。


「ですから慌てて止めたんです。なにか事故があってからでは対策もへったくれもありませんからね」



 その後、僕は昼休みを返上してヴァルトア卿に探索中止の緊急命令に対する顛末を書いて報告する。ちょうどお昼休みに銭湯に行っていたのだろうか、亜麻のワンピースに扇子で仰ぎ涼んでいたところだったが報告を聞いていただいた。


「なるほど、事情はよく判った。むしろよくそんな古い情報を知っていたな。俺も毒ガスの話は聞いたことがあるぞ」


 そう言ってヴァルトア卿が昔聞いた話だと断った上で近所の方が古井戸内で倒れていたって事故事例を教えて頂いた。その古井戸には昔、山賊が宝を隠した横穴があると聞きそれを探そうと古井戸に入った人が身動き取れなくなり村人総出で救出に向かったらしい。その人は残念ながら帰らぬ人となったが昔からその井戸は『人食い』と呼ばれていて決して覗いてはいけないと言われていたらしい。


「たぶんな、覗き込んだらその毒ガスを吸い込んで具合が悪くなるから駄目だぞと年寄りは言ってたんだろう。しかしそれに尾ひれがついてお宝伝説が生まれたと。まるでこの前のコーラル村とヴェッサの森の話の逆バージョンだよなって、トマファから報告受けた時に思ったぞ」


 そう言いながら笑ってお答えになっていた時に控えめなノックがする。「どうぞ」とヴァルトア卿が静かに応えると扉がゆっくりと開かれてオリゴさんが来客を告げる。そして埃まみれの衣服を身にまとい、顔を怒りで真っ赤にした冒険者ギルドマスターのフレデリクが案内されて入ってきた。その目はまるでぎらぎらと輝き口元は少し歪んでいた、隠しきれない怒りが漏れ出ているのだろう。僕とヴァルトア卿を睨みつけるとのしのしと執務室に入ってきて案内されたソファにどかりと座った。


「お前さんが文官のトマファ殿か。――貴殿の命令を受けて探索の停止はしたが、俺たちの仕事になんて横やりを入れやがる」


「えぇ、探索の前に未調査です。そして西の森はヴァルトア卿の私有地であり洞窟も同様です、そこで不慮の事故が起こると所有者であるヴァルトア卿にご迷惑がかかります。ですから調査の上安全が保障されるまでお待ちいただけませんか?」


「へっ、所有権? 安全? そんなもん俺たちの辞書にはねぇんだよ! 俺たちは冒険しに来てんだよ!お前らの都合なんざ、知ったことか!」


「じゃあ僕が今もってる辞書を差し上げます」


「その辞書に洞窟の攻略法でも載ってるなら役に立つかもしれんな!」


 そう言うとギルマスは懐から煙草を取り出すと火をつける。しかしマッチが湿気っているのか火が付かない。ヴァルトア卿を見ると一つ頷いたので僕は火魔法で指先を灯す。ありがとよというとフレデリクは煙草の先に火をつけた。



「ねぇ、斥候隊に洞窟の探索中止命令が出たけどどういう事よ」


 今度はアニリィさんがまるで扉を蹴破る勢いで開け放つと大声を挙げながら執務室に飛び込んできた。その勢いはまるで猛獣そのものでヴァルトア卿含めて執務室にいた者たちは突然の闖入者に思わず身構えた程だ。彼女の長い髪が勢いに乗って大きく揺れる。


「あ、トマファ君! ちょっと聞いたよ、今、探索停止にしているけどくわしく事情を聞かせて!」


 僕の姿を見つけるやそう言ってずかずかと寄ってきた瞬間にオリゴさんはすっと足を出す。アニリィさんはオリゴさんの足に引っかかり盛大に転んだ。よろめきながらも体勢を立て直そうとしたが、結局、床に突っ伏してしまったようだ。


「いったぁー!何すんのよオリゴさん!」


 アニリィさんが床に突っ伏したままオリゴさんを睨みつけている間も、オリゴさんは微動だにしなかった。むしろまるで氷のように冷たい表情を浮かべて見下ろしており、ひっくり返されたアニリィさんの怒りなど全く気にしている様子がない。


「アニリィ、来客中なのですから執務室での騒動は遠慮なさい。それに探索中止命令はヴァルトア様も承認されております、個人的な感情で行動されるのはお控えなさい。あとノックぐらいしろバカ」


「今日は昼間っから賑やかだな本当に」


「ヴァルトア様、せめて来客があるかもしれないのですから領主館の営業中ぐらいまともな格好をしてください。なんですかその風呂上りのおっさんみたいな恰好」


 ――あ、言われてみればそうだった。こういう時でもオリゴさんって冷静なんだな。


 その後、ヴァルトア卿には着替えてもらい、アニリィさんとフレデリクさんとで充分な安全対策を行いながら共同で探索する方法を話し合ってもらった。アニリィさんたち斥候隊は大型ふいごを使って送気し洞内に入る冒険者たちの食事を手配する。フレデリクさんたち冒険者は地図作成道具を手に洞窟の地形や構造を記録もらう事となった。やはり洞内は慣れている人が最初に探索すべきだろうと話し合いで決まったのだ。あとは洞内に入る冒険者にはガス検知用のカナリアの様子を確認したり、落盤の危険性がないかの確認を願う事となった。事故が起きてからでは遅い、話し合うアニリィさんとフレデリクさんの表情は未知への期待と危険への警戒が入り混じっていた。






(とある新任女兵士、ネリスの日記)

 訓練生六日目

 私はレンジュ訓練生の誘いは断った。練兵所は高い壁に囲まれていて深夜でも哨戒兵がいるし正門だって警衛兵が見張っているのだから逃げ切れるわけがない。しかも私には夢がある、訓練がきついから逃げ出しました、そしてクビになりましたなんて恥ずかしい思いはしたくない。


 レンジュ訓練生は結局あっさり見つかり静かに隊舎へ戻されたそうだ、しかもあろうことかメリーナ小隊長に見つかって。そんなことしたらシゴキがきつくなるでしょうが! 深夜なのに同室の子たちがそんな話をしていた。夜中に騒いでいると古参兵さんたちにまた叱られるよ、ホント。



「はーいおはよう、今日の当番、人員を掌握し取締に報告!」


 朝二番の鐘が鳴り日朝点呼が兵舎の前で始まる。いつも通り笑顔のメリーナ小隊長、そして当番のマルガリート訓練生が今日の当番のため大声で応じる。


「女子班、総員10名、事故なし、現在員10名、健康状態異常なしです!」


「おはよう!」


「「おはようございます!」」


「今日は暑くなるみたいだからね、体調には気を付けるように。以上!」



 びっくりするぐらい何もなかった。

 メリーナ小隊長はいつも通りニコニコしながら訓練を指揮し、レンジュ訓練生は黙々と訓練に取り組んでいた。


 小休止の時に古参兵の方とマルガリート訓練生との会話が聞こえてきた。訓練が辛くて逃げ出しちゃう子は毎回何人も出るらしい。だけど練兵所から飛び出したって事例は古参兵の方は1例しかないと聞く。しかし連れ戻されて日朝点呼に出ればお咎めはないらしい。


「え、練兵所から逃げ出した子がいるんですかぁ?」


 マルガリート訓練生の声が大きい。きっとわざとだ、こういう噂話が好きなタイプなのだろう。それに声が大きすぎて夕べ脱走未遂をしたレンジュ訓練生にも聞こえているだろう。だが彼女は黙って俯いていた。――マルガリート訓練生は私が最も苦手とするタイプの女だな。


「あぁ。そいつはまるで猫みたいな奴でな、私が哨戒兵交番だったんだが走りながら向こうの壁を超えていったのを見てな」


 はぁ、そんな人間いるわけないでしょ? 笑いながら応える古参兵にマルガリート訓練生は質問を続ける。


「えぇー、その人、訓練が辛くなったからなんですかぁ?」


「ほら、パーラーのアイスクリームの噂を聞いてな、食べに行きたいからと夜中こっそり抜け出したんだよ。――まぁ夜中だからやってなくて正門にすごすご戻ってきたんだよ」


「ってことは今なにしてるんですかぁ?」


「あぁ、無事に三か月の訓練期間を終えて今はオリゴ隊長の元に配属になってるはずだ。名前は確か――プリスカ君だったかな?」


「オリゴ隊って、領主館のメイド隊じゃないですかぁ! ってことは私も希望すればそこに入れるんですかぁ?」


「あぁ。訓練隊を卒業する前に必ず希望は取るよ。ただ、その希望通りになるとも限らんけどね。ちなみに一番人気はメリーナ小隊長の斥候隊だぞ」


 へえ、この訓練隊を卒業してメリーナ小隊長のところかぁ。ちょっとアリかな? 頭に入れておこう。


「ちなみに仕事は楽だけどなかなか入れないのは糧食隊だ、料理学校の経験者が入る特別隊で、貴殿ら訓練生に「ちゃんと食べまっしぃ」と言いながら料理を爆盛りしてくれるシーラさんっておばちゃんいるでしょ? あの人が隊長」


 あの人シーラ隊長っていうんだ。ってか太ったらぜったいにあの人のせい、まじ恨むよ。


「んでな、訓練生全員聞いておけ。今夜、お待ちかねの体重測定あるからね!何キロ増えたか楽しみにしてな!」


 古参兵の一言でみんなの顔がどんよりと曇る。

 確かに皆んな、へとへとに訓練したあとのシーラ隊長の「あんた食べまっしぃ」攻撃に抗えず、美味しい食事を腹一杯に詰め込んでたっけ。きっと翌日の訓練で多少は痩せたかなと期待していたのに古参兵のこの言葉。

「まさか…」と誰かが呟く。誰彼となくお腹あたりに手をやると皆んなおもわずお腹や胸、お尻に手をやり始めた。

「私、痩せたよね?」と別の誰かが言葉を続ける。私らの脳裏にはメリーナ小隊長の厳しい叱責と過酷な訓練が思い出される。

「ねぇ、私、筋肉……ついたかな?」とクイラ訓練生が青ざめた顔で自分の腹をさすり絶望的な表情で天を仰ぎながら言う。あ、こいつも体重気にするんだ。

「お腹痛いからパスとかって駄目かなぁ」と誰かが今夜の体重測定から逃れる方法はないかと漏らす。


「安心して皆んな! 全員もれなく体重増えてるから。ってかこんだけ厳しい訓練してしっかり食ってて痩せたら、まじやばだよ! きゃはは」


 そうメリーナ小隊長が笑いながら言う。「大丈夫、武士の情け!夕飯前に測ってあげるから、訓練が終わったら速攻でお風呂入って汗かいて体重落としなさいね!」


 いやいや無理でしょ。訓練後に風呂で体重落とすって下手したら死んじゃうよ? 私はそう思ったけど、皆んなぼそぼそと「今日はサウナにしよう」「風呂ね、おっけー」と口々に言ってるのが聞こえる。怖いよあんたら!


 で、結局体重測定から逃げられるわけでもなく、風呂で体重落ちるわけもなく、残酷な結果はメリーナ小隊長の口から聞かされるのだった。


「はい、ネリス訓練生、 XX(ちょめちょめ)キロね。」


 あ、はい。3キロ太りました、これ絶対筋肉太りですよね?


「はーい、ネリス訓練生。体重増えた? ちゃんと食べなさいね」


 シーラ隊長の言葉は私の耳にしっかり届いた。こうなったら食べてやる! 明日は休みだけど増えた分走り込んでやる!

ダンジョン探索、やってみたいですよね。

「酸欠・硫化水素中毒の防止」について厚労省もガイドラインも出ております。

冒険者の皆さま、ご安全に!



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現時点でも構いませんので、ページ下部の☆☆☆☆☆から評価して頂けると嬉しいです!


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