139話 武辺者、家宅捜索をする
キュリクスの夏もひと段落、夜風が涼しく感じられる頃。
蝉の声がまだ残る安息日の午後、領主館の執務室に官憲隊隊長ヌクレオシドが分厚い封筒を抱えて入ってきた。封筒には「捜査報告書」と押印があり、中には数十枚もの書類が収められている。
「ついに証拠は揃ったみたいですね」
文官長トマファが静かに告げるとヌクレオシドは「えぇ、ご確認願いますか」と言った。彼が差し出した報告書には東区の『ワルファリ興業』に関する違法賭博および無届貸金業の調査結果について書かれていた。賭場の見取り図、胴元や博徒の素性、金貸しの帳簿、調書の写し──官憲隊がこつこつまとめ上げた証拠書類だ。
「……あとは鉄火場のショバと証拠を押さえれば、連中らの親玉の尻尾を掴めるかと」
ヌクレオシドたちが積み上げた説明を聞いたヴァルトアは捜査報告書に軽く目を通すと、顎を撫でた。
「……では家宅捜索を実施する」
即座に机の端に置かれた「捜索差押許可状(通称・令状)」にサインを走らせ、そして執務室の外で待っていた武官アニリィと隊長メリーナ、そして精鋭部下二十名を呼び入れた。
「アニリィ、メリーナ姉さんと共に指揮を執れ」
「任せてください。派手にやらせて頂きますよ!」
アニリィの隣には、夏山訓練を終えたばかりの斥候隊兼工兵隊隊長メリーナが腕を組んで立っていた。こんがりと焼けた肌に険しい目つきのメリーナ。そしてその背後には同じく日焼けした斥候隊と工兵隊の精鋭二十名が控えている。鍛え抜かれた体躯と山奥での鍛錬帰りの彼女たちは無駄にギラギラとした殺伐さを漂わせ──街の住民なら思わず目をそらすほどの迫力だった。
「メリーナ姉さん。判ってると思うけどこれは家宅捜査だ、──拠点攻略じゃないからな」
「大丈夫、ボクらはみんな腕が鳴り胸が躍ってる思うから! ねぇ、みんな♡」
「「うっす!」」
彼女たちはなぜか誇らしげにサイドチェスト、モスト・マスキュラー、ダブルバイセップスのポーズを決め、鍛え上げられた筋肉を強調していた。この一か月でのバルクアップをどうしてもアピールしたいらしい。ヴァルトアは小さくため息をつき、翌朝──週明け早々の奇襲を命じるのだった。
*
週明けの早朝、一番鐘が鳴る前の事。
薄い朝靄が漂う練兵所前には隊長メリーナを先頭に精鋭二十名が整列していた。訓練で日焼けした精悍な顔立ちと攻城戦さながらの装備が並ぶ光景は、もはや“やりすぎ”の域に達している。メリーナは真剣な面持ちで破城槌、魔導切断機、鉄バールを持つ工兵隊、革製大盾やメイス、短槍を構える斥候隊を一人ずつ確認していく。朝日が物騒な品々を鈍く照らした。
「破城槌、よし!」「魔導切断機、よし!」
メリーナが声を揃えて指差呼称し、場の空気は一気に軍事作戦の様相を帯びる。そこへ営舎からアニリィが現れ、胸ポケットに収めた令状をちらりと確認すると再び押し込んだ。彼女は過去に令状を忘れて家宅捜索へ出かけた事があるため、今では点呼前に必ず確認するのだ。
「では出陣!」
アニリィとメリーナを先頭に、物々しい集団は練兵所を出て東区へ向けて静かに行進していく。まだ朝早いというのに近所の人々や新聞記者が物々しい一隊が早朝から街を闊歩する様子を見て集まってきたのだ。新聞記者は手帳と羽ペンを構え、野次馬たちは好奇心を隠すことなくその行列に付き従っている。
メリーナが一歩前に出て群衆に向かい「2ヒロは下がれ!」と声を張り上げる。だが背丈と可愛らしい声質のせいで迫力は半減、犬を散歩させていた年配の婦人から「あらまぁ、ごめんねぇ」と柔らかく返される始末であった。
一隊は東区の一等地から少し外れた邸宅前で足を止めた。アニリィはファサードを見上げ、「こんなドア、三回蹴れば開くわね!」とニヤリと笑いながら軽口を叩いた。その一言に記者がくすりと笑い、近所の青年が「やべぇ、本気だ」と小声でつぶやいた。
野次馬たちは興奮気味に「討ち入りなのか?」「領主様、何をする気だ?」とささやき合い、子供たちは兵士たちの物々しい装備を目を輝かせながら遠巻きに眺めていた。
邸宅の玄関前に到着すると隊員たちは素早く隊列を整えた。工兵隊が破城槌や魔導切断機、鉄バールを構え、斥候隊は大盾とメイスを構えて突入援護の態勢を取る。朝の陽光に武具が鈍く光り、その光景はどう見ても攻城戦の一幕だった。
「隊長! ポーチが狭くて破城槌が振れません!」
破城槌を構えた工兵が焦った声を上げる。直後、別の工兵が構える魔導切断機から「ギュイィィン!」と甲高い音が響き、その音に驚いて近所の犬たちが一斉に吠え出した。
玄関前で腰に手を当てたアニリィが、「突入は一発で決めるわよ!」と気合十分に号令をかける。だがその瞬間、野次馬の子供が「あの人たち強盗?」と大声で叫び兵士の一人がむせた。メリーナは近づこうとする新聞屋に向かって「もっと下がって! 危ないやろがい!」と叫ぶが、記者は半笑いで「はいはい」と気のない返事を返される。
兵士たちは完全に戦闘モード、しかし周囲は好奇心と失笑が入り混じり、緊迫感とコメディが同居する奇妙な空気が家宅捜索する玄関前を支配していたのだった。
「突入ぅ! 領主館の強制捜査じゃあ!」
アニリィの堂々たる号令が静まり返った住宅街に響き渡った。工兵隊が一斉に玄関をガンガン叩き、「はよ開けんかい」って叫び声と共に衝撃音があちこちに反響する。先ほどから鳴いていた小型犬がさらにヒートアップし、通りの奥から別の大型犬の吠え声まで加わった。
メリーナは報道陣に向かって「もっと下がらんかい! 常識やろがい!」と叫ぶ。その剣幕に押されて一歩引く記者もいれば、肩を震わせて笑いをこらえる記者もいた。
そんな中、斥候隊の一人、ジュリアが門柱の上に飛び乗った野良猫に鋭く威嚇され、「ちょ、怖い怖い!」と本気で後退した。その様子に野次馬たちの笑いがこぼれ、緊張感の中にも妙な温かさが漂ったのだった。
アニリィが何度も扉を叩き、声を張り上げているとやがて静かに扉が開いた。中からはいかつい顔の男──一人はスキンヘッド、もう一人は顔に大きな傷を持つ男が現われた。その姿に場の空気が一瞬ぴりりと引き締まる。兵士たちは武器を構えたまま、玄関に姿を現した男たちを顔を見つめた。
アニリィとメリーナは胸ポケットから令状と領主館発行の身分証を取り出し、堂々と名乗りを上げた。
「私はアニリィ、横にいるのはメリーナ、領主館より警察権を与えられた武官です。ワルファリ興業さんには賭場開帳容疑と出資法違反容疑が掛かっています。あなたが話すことはすべて記録され、法廷で証拠として用いられる場合があります。黙秘する権利と、弁護士を呼ぶ権利があります。これらを理解したうえで、今から令状に基づき家宅捜索を行います」
男たちは一瞬きょとんとし、次の瞬間こう告げた。
「アニリィ姉さん、ワルファリ興業さんは隣だよ」
「寝起きドッキリにしてはタチが悪いわよぉ」
どうやら二人は、以前アニリィと酒を酌み交わしたこともある知り合いだった。
アニリィが「えっ、じゃあ……」と声を詰まらせ、メリーナはこめかみを押さえて深くため息をつく。工兵隊の一人が「破城槌、持ってき損……」とぼやき、斥候隊は目をそらして咳払いした。
通行人や記者がどっと笑い、子供たちが「なーんだ!」と叫ぶ。記者の一人は「これは記事になるな」とニヤリと笑った。
一隊は全員で一礼していそいそと隣家に移動し、再びアニリィが「おらぁ!」と号令をかけるが先ほどまでの迫力はどこへやら、声に張りはなかった。メリーナたちの後ろで野次馬が「声が枯れてきましたね、隊長たち」とひそひそ笑っていた。
しかし隣家で家宅捜索のミスがあったにもかかわらず、ワルファリ興業は朝から平然と鉄火場を開いており、そこへ改めて踏み込んでいったアニリィたちは博打に興じていた者たちを一網打尽にしたという。
そして家宅捜査が終わるとアニリィたちは誤って突入した家の住人に深々と頭を下げ、夏山訓練の残り物の保存食を詫びの品として手渡したという。それは謝罪の品としてはやたら豪勢な量だったし、二人の男たちは「気にしなくてもいいのにぃ」と言いながらもお詫びの品を受け取っていたという。
領主館に戻ったアニリィとメリーナは、ヴァルトアへ家宅捜索が無事に終了したと胸を張って報告した。アニリィは「えー…まぁ、ちょっと寄り道がありまして」と曖昧に笑うが、ヴァルトアが片眉を上げた瞬間、横からメリーナが「寄り道(=誤突入)だよね」と冷静に補足する。
もちろん同行した官憲隊の報告書には、余白を埋める勢いで特大サイズの文字で「誤突入」と殴り書きされており、それを目にしたヴァルトアから館全体を揺らすほどの大きな落雷が落ちたのだった。
そして翌日のエラール日報の社会面には昨日の騒動を面白おかしく綴った記事が躍る。見出しはこうだった――
『アニリィ閣下、またやらかす』
『捜査対象者の隣家に大挙して「開けんかい!」』
『ボクッ娘隊長、「2ヒロ開けんかい!」はかわいかった』
記事の本文には突入時の野次馬の笑い声、野良猫に威嚇される斥候隊ジュリアの様子まで、余すことなく書かれていたという。
──もちろん、この新聞を読んでヴァルトアの二度目の大きな落雷が落ちたのは言うまでもない。