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136話 武辺者の侍従、帰郷する・6

 幌馬車はテイデ山を迂回する街道を下り、コーラル村との分岐を過ぎて南へと進みはじめた。少女たちは車体の木枠にそっと手を添え、風に揺れる外の風景を覗き込む。


 かつてヴィオシュラへ向かった頃にはまだ建設中だった物見やぐら。今ではすっかり完成し、ヴィンターガルテン家の旗が高くはためいていた。見張り台の警備兵たちは、通りかかる幌馬車を見つけるとにこやかに手を振ってくる。


 このあたりから街道はよく整備され、車体の軋みはほとんどない。物見やぐらを過ぎてしばらくすると、赤煉瓦の屋根が並ぶ町並みが視界の向こうに現れた。その奥には月信教寺院の白い鐘楼が空へ向けて突き出している。


 ちょうど一年前の今頃、ミニヨは両親に錬金術師になりたいという夢を打ち明けた。エラールの礼節学校から進学先を変えてほしいと、ずいぶんな無理を言ったのだ。しかし理解ある家臣や周囲の尽力のおかげでヴィオシュラ女学院に入学でき、今では好きな勉強に全力で取り組めている。夢の一歩を踏み出させてくれた廻りには感謝しかない。


 だが、あの決断があったからこそ、エルゼリアやラヴィーナと出会えたと思っている。友人と呼べる存在ができたのは、人生で初めてのことだ。そんな彼女たちを両親に紹介できるのは、少し照れくさいけれど、やっぱりうれしい。


「……キュリクス、ひさしぶり」


 ミニヨがぽつりと呟くと、隣のセーニャがちらりと視線を向けた。

「やっぱり片道五日間って、遠いですよね」


 ミニヨは小さく笑って「そうね」と返した。王国を縦断しての長旅だった。途中、シュラウディアが酒に酔って暴走したり、物売りに怪しげな薬草を買わされそうになったり、宿の手違いで全員が上級客室に押し込まれたり──シュラウディアがもう一度暴走したり。五日間とは思えぬ濃密さだった。


 テーブルを挟んだ向かいには、リーディアが旅の途中で買った不思議なお菓子を一口かじり、本を閉じて言った。 「旅の終わりは、新たな旅の始まり……って言うわよね?」


「お気に入りの詩か何かかしら?」とラヴィーナが茶化しながら、そのお菓子をつまみ口へ放り込む。そして顔をしかめた。 「この生姜味ビスケット、絶対変な味よ! お父様に『銘菓です』って送ったら、どんな顔されるかしら」


「ラヴィーナ、嫌がらせ目的で送るなら、私が全部食べるわよ?」


 この生姜味ビスケット、途中で立ち寄ったクリル村のニルベ領主──文官長トマファの父からの歓待品だ。意外にもこの味を気に入ったのはリーディア、セーニャ、そしてシュラウディアである。


 そのシュラウディアはというと、馬車の前方でダナスと並んで眠っていた。「むふ、キャベツ……」と寝言を漏らし、肩を寄せ合っている。旅のあいだ、なぜか妙に気が合ったこの二人は、昼間にしゃべっては寝て、夜に眠れず大騒ぎするというサイクルを繰り返していた。なお初日に半裸で暴れた件については誰も蒸し返さないように気を使っている。


「まもなくキュリクスの入場確認です。書類の準備をお願いします」


 御者から声がかかると、ラヴィーナは鞄から櫛を取り出し、隣で眠る侍女の髪を静かに整えはじめる。彼女にしては珍しく、口元には柔らかな笑みが浮かんでいた。


 それを見て他の者たちも身だしなみを整え始める。南風が吹き抜ける幌馬車の中では、整えた髪もすぐに乱れてしまう。それでも少しでも整えておきたかったのだ。


 小さな丘を越え、石橋を渡ったとき、ふいに土と草の匂いが濃くなった気がした。


 ミニヨはそっと目を細めて、呟いた。


「……ただいま、キュリクス」


 *


 キュリクス入場門前には、物見やぐらの狼煙や先触れによって幌馬車の到着を待ちわびる住民や領主軍の精鋭たちが集まり始めていた。好奇心旺盛な子どもたちが門柱によじ登り、腰の曲がった老女が猫を抱えて佇み、門番である衛兵隊たちはやや緊張した面持ちで住民たちを整理する。そこへミニヨ達が乗った幌馬車がゆっくり近づく。


「ミニヨ様御一行、帰還だーっ!」


 門衛の一人が叫ぶと同時に、備え付けの鐘が鳴らされる。


 馬車が門をくぐると、わっと人々が沸き立った。拍手、歓声、手を振る子どもたち。誰かが花束を投げようとしたところ、控えていた衛兵隊にすんでのところで制止されていた。


 門の内側では、慌ただしく整列を始めるメイド隊の姿がある。


「セーニャ曹長おかえりーっ!」


 ひときわ高く、元気な声が響いた。メイド隊旗を振っていたプリスカだった。隣でロゼットが肘でつつき、「今は式典中!」と小声で窘める。


 そのメイド隊列の少し先、すでに姿勢を正して立っていたのは両親であるヴァルトアとユリカであった。その横にはメイド長のオリゴが控えている。三人は表情一つ動かさず、一行を迎え入れるその姿には威厳すら漂っていた。


 やがて馬車が停車し、最初に降り立ったのはミニヨだった。ヴィオシュラ女学院のスカート裾が風に揺れ、髪が少し乱れる。けれど彼女は気丈に笑って三人に一礼した。


 続いて降りてきたのはラヴィーナとエルゼリアだった。その瞬間、民衆の間にどよめきが走る。 彼女たちがふわりと手を振っただけで空気が変わったのだ。整った顔立ちに、異国情緒溢れる肌艶が美しさをさらに引き立てていた。ゆるやかに揺れる制服のスカート裾、貴族らしい立ち居振る舞い――どれもが見る者の目を惹きつけた。中でも少女たちはうっとりし、大人たちも「誰だ、あの綺麗な子たちは」と囁き合う。ちなみにラヴィーナとエルゼリアは、五日間の旅でしっかり小麦色に日焼けしていただけである。


 そんな中、意外な注目を集めていたのがセーニャだった。もともと背は高い方だったものの、地味な容姿で目立つことの少ない少女だった。だがこの一年、ヴィオシュラで出会った化粧品や立ち居振る舞いの変化が彼女を静かに変えていたのだろう。いまやラヴィーナたちにも引けを取らない凛とした雰囲気をまとい、特に街の少女たちからは憧れの眼差しを向けられていた。


 しかしセーニャは熱視線を気にすること無く、リーディアやシュラウディアと共にミニヨたちの護衛として後方に立つ。


「お帰り、ミニヨ」


「お父様、お母様、無事帰りました」


 *


 ミニヨたち一行は領主ヴァルトア夫妻に迎えられ、ようやく領主館の敷地へと足を踏み入れた。陽射しはすでに傾き、空は茜色に染まっている。エルゼリアやラヴィーナら客人たちは領主館の敷地内にある客舎へ案内されることになったため、幌馬車からはメイドたちがせっせと手荷物を降ろしていた。部屋ごとに荷車に載せられて、客舎に運ばれる。セーニャたち侍女も手伝おうとしたが、メイド隊の面々から「お疲れでしょうからこちらでやりますよ」と笑顔で言われていた。


 その中に一人の見慣れぬ若い女性が混じっていた。濃紺のブラウスに、そして腰に巻いた記録帳入れと黒のキュロット。細く結われた金髪が陽に透けてよく見えた。


「誰だろう、あの人……」 


 シュラウディアが小声でつぶやいた。文官を示す腕章をしているのが見える。幌馬車に乗り込んで手荷物を一つずつ丁寧にメイド達に手渡している。ブラウスから見える腕や首回りで鍛え抜かれた身体だというのは見て取れる。軍属と言うより職人のような身体つきではあったが。だが女性的な丸みもあり、シュラウディアは最初は宦官かと錯覚したが、大陸ではその制度は禁じられている。すぐにその思いを振り払った。


 ミニヨも見慣れぬ彼女に違和感を覚えるが、メイド隊の子たちに指示され笑顔で荷運びしてるので、様子を静かに見守る事にしたのだ。


 そのときだった。


「ねぇ、文官さん」


 それまでミニヨとエルゼリアのそばにいたラヴィーナが、ふいに幌馬車へと歩み寄り、声をかけた。ふいに呼びかけられた文官が彼女に振り返る。額に汗を浮かべ、木箱を抱えたままの姿で。


「あなた──王太子のセルヴェウス様ですよね? エラール王宮の」


 その場の全員が動きを止めた。


 女性文官は目を見開いたまま動かない。周りのメイド達も跪いて頭を下げる。しばらくして、女性文官はゆっくりと馬車から降りるとラヴィーナの前で片膝をついた。


「……いえ、私はキュリクスの文官、レオナ・ドリーヴでございます。ラヴィーナ王女殿下」


 言いながら彼女は礼を取る。洗練された動作、練られた口調だった。


 だがラヴィーナはふっと笑って首を傾けた。


「どうして私が“ラヴィーナ”だって、わかったんですか?」

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