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133話 武辺者の侍従、帰郷する・3

 馬車の内部は意外にも広く、後方には簡易テーブルが備えられており、中央に長椅子型のシートが左右に並んでいる。


「私は後ろのテーブル席を使います。帰郷許可証の整理をしたいので」


 ミニヨが手帳とインク壺を抱えて、静かに後方へと歩く。従者のセーニャはそれに付き従い、荷物を丁寧に棚へ収めた。


「私は進行方向の左側がいいですわ。酔いやすいので」


 ラヴィーナの宣言に、シュラウディアが即座に左窓際の座席へハンカチを敷く。まるで手慣れた儀式のような動きであった。


「私は……明るい方が好きだから、右側にしようかな」


 そう言ってダナスは、すでに右側前方の窓側に腰を落ち着けていた。明け方まで飲んでいたせいか、まだ少し頬が赤い。


「先生、ちゃっかりしてるー」


 エルゼリアが笑いながら荷物を抱えて乗り込み、周囲を見渡した。出来る限り右側前方は避けたい。


「じゃあ私は、リーディア様の膝にでも乗って座りますかね!」


 そう言って彼女はリーディアの膝上に腰を下ろそうとしたその時。


「エルゼリア様、体重を考えてください!」


 そう言ってリーディアは彼女のお尻をポンと叩くのだった。


「酷ッ! もぉリーディア嫌い。ミニヨ―、事務仕事手伝うよぉ」


「あ、エルゼリア助かるわ」


「あ、それと皆さんにお菓子配りまーす!」


 エルゼリアはそう言いながらミニヨの向かいに座り、鞄の奥から小瓶を取り出した。喫茶店の知究館でマスターに一時帰郷すると伝えたら、その小瓶に入ったビスケットを分けてくれたのだ。それをみんなの手に回す。


 リーディアとセーニャは期せずして隣同士となったし、その向かいにはラヴィーナとシュラウディアが座っている。目が合うたびにお互い両手をふるふると振り合う。


「ところで、先生の隣って……誰も座らないの?」


 ラヴィーナがひそりと囁くと、エルゼリアが少し申し訳なさそうに首を振る。


「ごめんなさい。私は平気だけど、リーディアがちょっと匂いに弱くて……」


「シュラウディアは?」


「無理無理無理。このまま乗ってたら、こっちが酒気で酔いますって」


 気づけば、馬車内ではダナスの左右後ろだけがぽっかりと空いている。


「……え、ちょっと待って。私、避けられてる? ねえ?」


 ダナスが涙目で訴えるも、誰も目を合わせようとしない。


「先生、夕べほぼ徹夜で飲んでたのなら寝てて大丈夫ですよ」


 と、リーディアがさらっと言えば、セーニャが淡々と付け加える。


「キタロウ袋もお渡ししますので、気持ち悪くなったら遠慮なく使ってくださいね」


「……うむぅ、そんなに酒臭いかぁ」


 馬車はそんな和やかな(?)空気の中、ヴィオシュラの石畳をゆっくりと進み出した。


 なお馬車がヴィオシュラの中心地から離れる頃には、ダナスのいびきが規則正しいリズムを刻み始めていた。


 *


 ヴィオシュラの街を離れ、石畳から押し固められた土の道へと変わる頃。幌馬車の中では、馬のひづめが土を叩く音と車輪の軋む音だけが静かに響いていた。


「出発からドタバタだったけど、一体どんな珍道中になるのかしらね……」


 ミニヨはインク壺にペン先を浸しつつ、幌をめくって流れゆく景色を眺めながら、ふとつぶやいた。


「まだ始まったばかりですからねぇ」


 幌馬車の木枠に頬杖をついて、セーニャは遠くの森を眺めながら応じた。ダナスの吐息に混じった甘い酒の匂いが車内に漂っていたが、風に乗ってすぐに外へと抜けていった。


「旅って不思議よね。出発する前と、した後で……なんだか世界の見え方が変わるような気がするの」


 エルゼリアがぽつりと呟くと、隣のリーディアがさらりと応えた。


「ご主人、それが人生経験ってやつですよ」


「人生……経験?」


「はい。人間の厚みや幅ってのは、経験で決まると父が申しておりました。どれだけ本で読もうが、人から聞き及ぼうが、自分で経験した事に勝るものはありません。それが人の厚みや幅になる──つまり、成長すれば世界の見え方も変わるということですね」


「……ねぇリーディア」


「いかがしました、ご主人」


 気がつけば、ダナス以外の面々がリーディアを見ていた。ラヴィーナやシュラウディアはきらきらとした目で、ミニヨやセーニャは納得したように頷き、御者までもが優しい眼差しを向けていたのだ。


「まじめか!」


 エルゼリアの一言で笑いが弾け、軽やかな空気が車内に満ちた。


「わたくし、なんだかもうわくわくが止まらなくなってきましたわ! シュラウディア、もっとお菓子をお出ししなさい」


「ちょっとつまめるものを探してみますね」


 ラヴィーナの声に応え、シュラウディアが嬉しそうに鞄をごそごそと探る。と、その横に置かれていた紙袋がゴトリと倒れ、白い影がひらりと飛び出してきた。


「にゃーん♪」


「え、シュールトゥじゃない! あなた、ペットホテルに行ったんじゃないの?」


「──にゃーん?」


 ふわふわの白毛猫・シュールトゥは、すぐにシュラウディアの腕に飛び込んで喉をゴロゴロと鳴らし始めた。


「彼女ってラヴィーナの飼い猫ですよね?」


 リーディアの問いにラヴィーナは短く頷き、続けた。


「そうなんですけど……懐いているのは私じゃなくて、シュラウディアなのよ」


 ラヴィーナが頭を撫でようと手を伸ばすと、シュールトゥはぷいとそっぽを向き、かわいらしい猫パンチをお見舞いしてきた。ラヴィーナは涙目で手を引っ込める。


「ひょっとしてあんた、ペットホテルから逃げ出して荷物に紛れてついてきちゃったの?」


「にゃーん♡」


 シュラウディアの問いかけに彼女のその鳴き声はまるで肯定のようだった。


「ところでミニヨ、出入国の手荷物に猫の申請はしてなかったけれど、大丈夫かしら……?」


 ラヴィーナは青ざめて尋ねる。もし未申請物品とみなされれば、最悪の場合はシュールトゥが没収される可能性もあるのだ。


「猫の持ち込み申請は……あった、これね。ラヴィーナ、必要事項を書いてくれれば大丈夫よ」


 ミニヨは書類束から『出入国時手荷物検査表(追加)』と記された羊皮紙を取り出し、羽ペンを手渡した。


「でも……猫ちゃんのご飯とか、おトイレの準備はしてないのよね」


 ラヴィーナは羽ペンで書類を書き終えると、困ったようにシュラウディアの腕に収まるシュールトゥの額を指で突いた。彼女は再び猫パンチで応戦する。


「御者殿、この辺りで猫の餌が買える村はありますか?」


 リーディアが尋ねると、御者はにっこりと笑って答えた。


「途中で立ち寄る村に雑貨屋がありますから、そこで調達できるはずですよ」


 御者はシュラウディアの腕の中にちょこんと居座る白い彼女を笑顔で見ながら続けた。


「いやぁ、たまにいるんですよ。荷物に紛れて飼い主についてきちゃう猫ちゃん。国境の村には一応預かり所もあるんですよ……料金ちょっとお高めですが」


「そ、そうなんですね、……はぁ」


 安心したラヴィーナは席に戻り、大きく息をついた。


「はぁ……シュールトゥには本当に手を焼くわ。初めてのお茶会でも、散々だったし」


「でもそのあと、みんなで掃除して、次のお茶会に彼女も呼んであげたら大人しくしてたじゃない。拗ねてたんだよ、きっと」


 エルゼリアが笑って言うと、一同はあの日の出来事を思い出した。シュールトゥがティーカップを割って暴れた後、皆で笑いながら片付けた、にぎやかな午後の事を。


「ねぇリーディア、お菓子か何かお願いできる?」


「はい、ございますとも。バタークッキーに、レモンパイ、それと……」


「果物の砂糖漬けと干し肉、ピクルスもありますけど、出しましょうか?」


 セーニャの提案に、ダナスが即座に手を挙げた。


「干し肉とピクルス、ぜひお願い。一杯やる楽しみも旅には必要でしょ?」


 にこやかに言うダナスの一言に誰も同調するものは居なかった。彼女を冷ややかに見つめる少女たちはただただ冷たい一言を浴びせたのだった。


「え、まだ飲むんですか?」


「引率の大人が飲んでていいんですか」


「お酒くさーい……」


「迎え酒って、先生が授業でやらない方がいいって言ってたのに」


「はい、諦めて寝てください」


「おやすみなさい、先生」


「……むぅ」


 ダナスはむくれた顔で座席に沈み、目を閉じる。そしてしばらくして再びいびきをかき始めた。


 それを見て、誰かがくすっと笑い、誰かが吹き出し、やがて幌馬車の中は笑いの渦に包まれていった。


 馬車はゆっくりと森沿いの街道を進んでいく。ひとつの笑いと、ひとつの夢を乗せながら──こうして、八人と一匹の“旅”が本格的に始まった。

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