132話 武辺者の侍従、帰郷する・2
夏休みに入った。
ヴィオシュラの街中あちこちにある学生寮では、例年どおりのざわめきが起きていた。帰省に向けた荷造り、出発の段取り、土産や申請書忘れによる悲鳴。ただ、今年はいつもより少しだけ静かだった。
申請書と旅券を持って一人、また一人と帰郷していく。乗合馬車で帰るもの、お迎えの馬車がやってくるもの、徒歩で帰るもの。こうしてヴィオシュラの街は少しずつ静かになっていくのだった。そのぶん、国境の町は今頃出国ラッシュで忙しいのだろうが。
キュリクス帰郷への申請が一段落した、特別領事ミニヨ・ヴィンターガルテンの部屋。
彼女は小さな丸机に文書を広げ、ペン先にインクを浸しながら最後の一筆を記していた。自身も友人を伴って帰郷するため、留守中の窓口対応を信頼できる寮母に託すだけ。そして「各種申請については、寮母ダルギンさんが代理応対いたします」と署名入りで書き加えると、羊皮紙をくるりと丸めて封をした。そして、自室ドアの外側に貼り紙を一枚。
『首席領事は帰郷のため不在です。各種申請は寮母ダルギン様まで』
張り紙を読み上げてから、ミニヨは息をひとつ吐いた。キュリクスからこのヴィオシュラまで留学に来ている学生は三十人程度、そのうち二十五人の出国手続きを済ませたのだ。レニエが持ってきた『出入国審査マニュアル』を見て、申請書に誤りがないかを再三確認した上で署名と捺印をするだけである。そこまで大変な業務では無いが、初めての事なので緊張が続いたのだった。
「……これでいい、はず」
「万全です」
ミニヨの背後から落ち着いた声が返ってくる。声の主、セーニャは床に置かれたトートバッグを確認しながら荷物の整理を終えていた。
「それにしても、セーニャ……荷物ってそれだけなの?」
ミニヨが驚いたように指差した。「着替えとか、洗面具とか、お化粧道具とか……」
「全部入ってますよ」
さらりと返されて、ミニヨは「まさか」と言いたげに眉をひそめた。しかしキュリクスからヴィオシュラに来た時も彼女の手荷物は小さな革のトランクが一つだったのだ。セーニャは不思議そうにのぞき込むミニヨのためにトートバッグから丁寧にパッキングされた下着類や化粧道具を取り出した。
「こうして下着類をまとめておけば荷物が圧縮できるんですよ」
「お洋服はどうするの?」
「キュリクスに戻ってもオフになるわけじゃないんで、メイド服のままですよ?」
「てかセーニャ、一つ聞いていい? いま、私服は何枚持ってるの?」
「この寝間着だけです」
堂々と胸を張るセーニャを見て、ミニヨは苦笑しながら『帰ったら服を仕立ててあげようかな』と思ったのだった。
ミニヨ達が住む寮より少し離れた屋敷。こちらでも荷造りでひと悶着だ。
「ねえ見てシュラウディア! このドレスも持っていこうかしら!」
そう言って胸元に朱色のドレスを宛がっているのは下着姿のラヴィーナだった。ベッドやらサイドボードの上にカラフルなドレスが放り投げられている。
「ラヴィーナ様、赤系統のドレスは既に四着もトランクに仕舞ったんですよ! せめてそちらに置いてある淡い青系か黄系統がよろしいかと」
「えぇー、そっちは少しデザインが古めかしいんだもの――あ、それなら今から仕立てましょう!」
「出発は明日なんですよ!? 間に合う訳ないじゃないですか!」
手荷物がトートバッグだけのセーニャと違い、ラヴィーナの場合は持っていきたい荷物が多すぎて大混乱に至っている。ラヴィーナもシュラウディアもため息まじりに座り込むと、ラヴィーナがしょんぼりと呟いた。
「あぁ、このドレスもあのドレスも持っていきたい。せっかくお友達のところへ行くんだもの、いっぱいおしゃれしたいじゃない」
「ラヴィーナ様。――いっそ制服でお過ごしになられては? というかこれだけドレス持って行っても、どうせ三着程度しか着ませんから」
さすがラヴィーナの侍従として仕えるシュラウディアである、冷静にツッコミを入れていた。
「ところで、あなたはそれ全部……手土産?」
ラヴィーナが指差した箱の山に目を向ける。
「はい! こちらは領主ヴァルトア卿、こちらはその妻ユリカ様、これはキュリクスの文官の方々、そしてこれは——」
「むしろ、ヴァルトア卿の方が気を遣いますよ」とラヴィーナが返した。
そのとき、ひとつの包みの中から、ゴソッと何かが動いたような音がした。
「……動いた?」
「気のせいじゃないんですか? はいはいラヴィーナ様、そろそろおやすみのお時間ですのでドレスをお片付けくださいませ」
シュラウディアはベッドに放り投げられたドレスを掴むとハンガーに掛けてクローゼットに掛けていくのだった。
一方、エルゼリアとリーディアの部屋では主従が静かに過ごしていた。
「……みんな今頃、荷造りで大騒ぎかしら」
「ですね。私たちは、もう三日前に準備終わりましたし」
「……早く寝ましょ。明日は早いもの」
「かしこまりました」
「いえーい、明日から休暇ワッショーイ!」
そしてダナスはというと、近所の酒場で派手に飲んでたのだった。
*
そして翌朝。
「じゃあ、行ってらっしゃい。こっちは任しときな」
寮母ダルギンは、玄関扉の脇に貼られた『首席領事不在につき〜』の紙をぽんぽんと軽く叩いて、いつもの笑顔で送り出した。
*
学院前の広場に貸切馬車が到着した。
手配したのは近所の貸馬車業者で、契約内容は「八人乗りの貸切馬車」だった。が、やってきたのはどう見てもそれより二回りは大きな幌馬車である。しかも幌の色はところどころ日焼けしており、あちこちに補修の痕がある。にもかかわらず車体の側面には、『キュリクス領事館 公用馬車』と書かれた木札がぶら下がっていた。
「……えっ、これ? まさか、これが私たちの馬車?」
「幌馬車って、初めてなんですよ!」
ラヴィーナが興味津々に声を上げ、エルゼリアも「言われてみれば私も」と頷いた。貴族家の令嬢が幌馬車に乗るなんて機会、そうそうないだろう。もちろんミニヨも幌馬車には乗ったことが無い。
「セーニャは乗ったことあるよね?」とリーディアが訊く。
「あー。幌馬車って言ったら野営訓練を思い出します。今も夢に出てくるんですよ、笑顔でムチャクチャな事を言い放つ小隊長の顔が」
「私も軍属だったからセーニャのその気持ち、めっちゃわかる。野営訓練の前の幌馬車って“放り込まれる”ってのが正解よねー」
二人はそろって遠い目になった。
「二人が遠い目してる!」
と、シュラウディアが突っ込んだ。二人と違ってシュラウディアは軍属経験が無い、そのため幌馬車が初体験らしい。
「ところでシュラウディア、ラヴィーナ様の手荷物がとんでもない量になってるけど、ここまでどうやって持ってきたの?」
「それが聞いてよ、セーニャ。ラヴィーナ様ったらドレスが決まらないからって、全部持ってくって言って聞かなくて。だから箱詰めしてヴィオシュラ冒険者ギルドの方に緊急依頼かけてここまで持って来てもらったわよ」
流石王族、やることが豪快だとセーニャもリーディアも舌を巻く。しかしリーディアがふとした疑問をシュラウディアに尋ねた。
「もしさぁ、手荷物が馬車に乗りきらなかったらどうするつもりだったの?」
「運送業ギルドに頼んで運ぶつもりだったわよ」
この帰郷、一番楽しみにしてるのはラヴィーナなのかもしれないとセーニャもリーディアも思ったのだった。
「ところでさぁ、ダナス先生、まだ来てないんですけど」
広場中央に設置されている置時計は集合時間より二十分すぎている。しかしダナスが来る様子が見えないのだ。思わずリーディアが呟いた。
「寝坊、してるんじゃない? キュリクス行きを二番目に楽しみにしていたの、先生だもん」
「じゃあ先生のところを訪ねてみます?」
「ごめーん、寝坊した!」
ボサボサ髪のダナスがボストンバッグを手にし頭を抱えながら走ってきた。
「先生、遅ぉーい……って、うわっ、くさッ!」
「先生お酒臭い!」
「いやぁ、楽しみ過ぎて――飲み過ぎちゃった」
ふらふらのダナスに対してセーニャが「どうぞ」と静かにカップを差しだした。それを遠慮なく手にするダナス。
「いやー、ミニヨちゃんの侍女さんは気が利くねぇ――ブッ!」」
「酒での遅刻は、当家なら営倉入りですよ」
セーニャが差し出したのは、彼女の直属上司・オリゴ特製の車酔いに効く『苦いお茶』だった。酔いの胃のムカつきや食欲不振には効くのだが、とてつもなく苦い。馬車に酔いやすいミニヨのために用意しておいたのだ。まさかいきなり活躍するとはミニヨも驚いていた。
広場の前でこんなに盛り上がっていたら学院の生徒や教員も、遠巻きにちらちらとこちらを見ていた。
「あれ、え、ラヴィーナ様たちじゃん。今から帰省するのかな?」
「あれ錬金術のダナス先生じゃない?」
そんなひそひそ声が広場に漂う中、ラヴィーナはきらびやかな笑顔で堂々と手を振る。
「ラヴィーナ様、振りすぎです。あちら、通りがかりの一般生徒ですので……」
シュラウディアが小声で注意すると、ラヴィーナは「まあまあ、挨拶は礼儀ですわ」と返しながらも、やや控えめに手を下ろした。
旅立ちの準備はいよいよ整い、荷物も乗った馬車はゆっくりと動き出した。
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