13話 武辺者、面接をする
トマファの風邪が治るまで一週間も掛かってしまった。本人からは早く出仕したいと申し出はあったのだが、きちんと完治するまで休んでなさいと申し付けた。領主館近くの医師からも往診に来てもらい「養生」とお墨付きを頂いたので休ませた。
ただトマファが休んでいた一週間分の事務仕事は家臣だけでなくオリゴや妻ユリカを動員してまで処理したのはここだけの話。毎日一時間程度の残業をして処理したのをトマファが耳にすれば、復帰してすぐに無理をするかもしれないからな。いち早く文官の募集と採用を進めていきたい。
トマファが出仕して二日ほど経ったある日、俺の執務室にウタリがやってきた。普段はキュリクスに新設する初等学校の開校準備をしたり、作務師のノーム爺と昼間からチェスを打ったり、たまに当家の武官に軍略学を教えたりと、とりあえずは当家預かりの武官だ。俺は、学校が始まればウタリには教師と教官をしていただきたいと思っている。ちなみに彼女は寿退社したマイリスを再雇用するにあたり新郎のテンフィを引き抜いたらついでに付いてきた人材である。
「ヴァルトア様、ひとつ相談ごとがありまして。――文官をお探しですよね」
「あぁ。有能な人材なら積極的に採用したいと思っている、ぶっちゃけトマファが抜けた一週間は大変だったからな」
「ですよね。私は楽しかったですよ。で、私に心当たりが一人いまして。というか文官不足って話を友人に手紙で書いたらキュリクスまでやってきちゃったんですよ」
「そうか、大変だな」
「いまから採用面接ってできますか?」
「え? 今から?」
「えぇ、外で待たせてます。――あ、その恰好でも大丈夫ですよ」
そう言われてもな。
今日は来客の予定が無かったのでラフな格好で執務を行っていた。雨上がりの今日は蒸し暑かったから亜麻のワンピースを腰ひもで縛っただけというラフな格好で仕事をしていたのだ。キュリクスの街では男女ともに風呂上がりといえばこの恰好だ。今更考えたらこんな恰好でウタリとの謁見を許した自分を少し呪いたい。
「少し時間をくれないか? せめて領主としての尊厳をウタリの友人に示さないと」
「あ、わかりました。ではしばし外でお待ちしております」
そう言ってウタリは出て行ってくれたので、俺はすぐに普段の仕事着に替えた。シャツが少しヨレッてる気がするがきっと大丈夫だろう。
「だから普段からきちんとした服装で仕事なさいってオリゴちゃんが言ってたんでしょ?」
「カミラー、ユリカみたいなこと言わんでくれ」
結局着替えに手間取り、オリゴを呼んでプレスしたてのを用意して貰った。彼女が「普段からだらしない恰好で仕事するなって言ったでしょうが」とぷちぷち文句いうのを聞き流すしか出来なかった。そしてトマファとノックスを呼ぶと慌ててウタリと友人との面接となった。
「あ、あの、初めまして。ヴィルフェシス出身のクラーレと申します」
ウタリと共に入ってきた友人はそう名乗った。随分と北の出身なんですねとノックスが漏らす。確かヴィルフェシスと言えばこの国の北部にある、鬱蒼とした針葉樹林の中にある迷宮都市だ。確かスルホンがエルザと新婚旅行で行った先だ。ちなみに何故新婚旅行先がヴィルフェシスなんだと聞いたら「妻が、北を見たいと言いまして」と応え、それ流行りの艶歌かなんかなのかと言った記憶がある。昔、「ヴィルフェ海峡・冬すみれ」って歌が流行ったんだよ。
「あぁ、俺がこの地の領主だ。こちらが執事のノックス、車椅子が文官のトマファだ」
俺が二人を紹介すると、クラーレは一礼して俺に履歴書を俺に手渡した。それを開いて見ると、ミニヨのかわいらしい字とは違い代筆屋が書いたのかと思うほどの達筆が目に飛び込んだ。今までさまざまな履歴書を読んできたつもりだったが、その中でも群を抜いて秀美な文字だと思う。トマファもノックスも字の綺麗さに感嘆する。その履歴書を読むと経歴欄にはエラール上級学校を出て農業研究所に五年務めていたと書かれていた。
「では最初の質問です。わざわざキュリクスまで来ていただいたって事ですが、当家に仕官したい理由はなんでしょう?」
と、ノックスが聞く。
このような採用面接で誰かが必ず訊くセリフだが、これに正当解はあるのだろうか? 模範解答は『私が志望した理由は――』と美辞麗句を並べるが本音は仕事と金をくれだろう。たまに『辛い仕事は要らん、ただし金よこせ』と心の中で叫んでいるのが態度で判ってしまう志望者も居るが。
「はい、私は農業の研究をもっとしたかったのです。ですが勤めていた研究所、王宮からの補助金が削られついに人員整理が行われました。私は若いって理由で整理解雇の対象となって現在無職です。退職金は無いと言われました。時間外給は未払いです。しかもエラールは王政の迷走で不景気みたいでなかなか次が見つからないんです。それなら故郷ヴィルフェシスへ帰ればって人には言われましたが七人兄妹の六番目が帰ったところで邪魔者確定です。それならエラールから離れた場所で気心知れた方が居る地で仕事があるなら飛びつきたい、あと温泉大好き、そう思って夜行馬車を乗り継いで参りました。ですから仕事をください!」
クラーレは話していくにつれ熱を帯びていき、しまいには身を乗り出していた。クラーレの向かいに座るノックスは少しのけぞっているし、隣のウタリが落ち着けと小声で言いながら彼女を引っ張っていた。そうか、エラールは大変な事になってるとジェルスからの報告があったが、そこまで酷いとは。あと素直な本音が少し漏れてるぞ。
「ではクラーレさん。農業研究をなさっていたあなたが文官をしたいという事ですが、複式帳簿の記入方法は判りますか?」
「あ、はい。期末の原価計算を求める方法ぐらいなら判りますよ」
ノックスの質問にクラーレは涼しい顔で応える。それを聞いたトマファとノックスがごくりと顔を見合わせると生唾を呑んだ。どうした、俺は置いてきぼりか。ノックスがさらに続ける。
「えと、原価計算の求め方が判るって事は工業簿記が判るって事ですよね?」
「農業簿記ならわかります。前期末在庫に期首から材料人件費などを積み上げ、期末に出荷額と未収穫農産物や肥育豚、そして在庫から原価計算するんですよね?」
「――大丈夫、その通りですノックス殿。きっとクラーレさんは主に農作物の原価計算をされていたので勘定科目の違いがあるのかもしれません」
あとあと知ったのだが、クラーレが言った未収穫農産物や肥育豚はトマファやノックスが言う工業簿記では仕掛品と呼ぶらしい。
「あと仕事は農業ばかりでなく工業系ギルドと折衝をしたり猥雑な事務作業を行っていただく事になりますが大丈夫ですか?」
「大丈夫です! てっぺん過ぎても働けます!」
「「「てっぺん?」」」
俺たち三人が思わずハモッてしまった。そんな言葉、最近聞かないぞ。トマファやノックスのような若い子ならまず知らない単語だろう。
「えぇてっぺんです。午前様って言ったほうがわかります?」
「俺は判るぞ、うん。――てか、クラーレさん。若いのにそんな夜遅くまで働くのかね?」
「はい、それが普通ですよね? しかも時間外手当も出さないくせに結果は出せとはよく言われましたから」
俺の問いかけにクラーレはまたも涼しい顔で応えた。そんなに夜遅くまで働いて何の意味がある、しかもそれは普通とは言わない。というか働いた分の賃金はちゃんと出せ。
「じゃあ僕から質問宜しいでしょうか。――クラーレさん、キュリクスの地は小麦の収量が安定しません。これが過去30年の収量と耕作農地の広さのデータです。去年と7年前はやや不作だったため前領主が余所から大麦などを買い入れて救貧措置を行ったと記録があります。農業研究をなさっていたあなたならどのような対策が浮かぶか教えて頂けますか?」
トマファがこの部屋に入った時から膝の上に載せていた書類をクラーレに手渡した。過去の徴税記録などを彼なりにまとめたものだろう。それを受け取ったクラーレだが書類にちらりと目を通しただけだった、トマファの目を射抜くかのごとく見つめて言った。
「きっとキュリクスはエラールに比べて温暖ですからきっと中部麦って品種が使われているのでしょう。中部麦ですと連作と酸性土壌に弱い性質ですし、深耕して土壌空気量を増やさないと根が張らなくて減収を起こすって品種です。ですから必要な政策は適切な農法指導と連作障害防止のための輪番輪栽式農業の推進、そして大資本営農です――続けても?」
「えぇどうぞ。さすが専門家、面白そうな話を聞かせてください」
「ありがとうございます――小麦の単一耕作は赤カビ病や赤さび病、うどん粉病などの病害が発生すれば一発で収量ゼロになりかねません。しかし農民は年貢のためと言って小麦ばかりを作り続けるでしょう。ですから土壌が弱り収量落ちる、そして病害が発生するってループを起こします。その対策としては同地区内で区画分けをして小麦、カブ・ダイコン・キャベツ、大麦、芋、クローバーと輪栽させるのです。そうすれば連作障害はクリアできるでしょう。それに病害が発生しても単一耕作と違って拡散は防げます。ただし実施するには問題点があって、耕地の完全な所有と自由な利用、多くの労働力、全ての生産物に充分な販路、大資本営農と設備が必要になるんです。言うだけなら簡単な農法です」
「ふむ、どうしてクローバーを育てるのです? なんなら他に食べられるものを育てたらいいのでは?」
「実はカブやダイコンやキャベツ、それにクローバーは冬越しさせる家畜用の飼料です。本来なら休耕させて地力を回復させるべきなのですが農民たちにここは休耕地と指示しても勝手に何かを植え付けるでしょう。それでは休耕の意味がなくなってしまいます。それなら家畜用飼料としてカブやダイコン、クローバーを育てさせればいいのです。まぁカブやダイコンなどのナタネ科作物は塩漬けにすれば保存も効きますし救荒作物としては優秀です、ただ虫食いには非常に弱いですね」
「その虫食い対策は? まさか人海戦術で捕まえて潰せって言いませんよね?」
「トマファ殿、煙草ってご存じでしょう」
「えぇ。当家で嗜む方は作務師のノーム爺さんですが、それが?」
「煙草を煮出して抽出した物が殺虫剤、忌避剤になるんです。ただ噴霧時に注意を払わないといけないんですが。人間だって煮出した煙草汁を飲んだり噴霧したものを吸いこめば中毒症状を起こしますから」
「なるほど、勉強になります。そうだクラーレさん、少しお茶でもいかがですか?」
トマファがそう言うと部屋の隅に控えていたオリゴがお茶を出す、クラーレは出された茶器を見て感嘆を漏らした。お茶よりも茶器に意識が行ってるのか両手に掲げて下や横やと見回した。おかげでお茶が飛び散りそうで気が気でない。
「これ、木、ですよね?」
「えぇ、キュリクスの北にあるコーラル村の特産品ですよ。とある職人たちが一つ一つ手作りしております」
「ですよね! へぇ素敵。これどこで売っています?」
「モルポ商会です。キュリクスにも支店はございますが、職人の手作りですから物によっては予約販売になっていると伺ってます」
「そうなのですね。きっとろくろを回しで切削して作っているのだと思うんです、そんな風合いですから。ろくろにフライホイールを付ければ回転軸が安定して高速回転できますし、もう少し大量生産出来ると思いますよ」
「へぇ、そうなんですね。クラーレさんて結構博識なんですね――って何ですフライホイールって。トマファ殿知ってます?」
「いえ、でもちょっと興味深いですね」
お茶を飲んでいたノックスがクラーレの言葉に相槌を打つがフライホイールという言葉に反応する。トマファに尋ねるが彼も知らないらしい、もちろん俺も知らん。
「え? 回転軸に取り付ける弾み車の事です。きっとこれを作っている職人さん、左手に回転軸がついたハンドルを手回しして右手で切削鑿を近づけて削っているのだと思うのです。ほら低速回転で切削してるからこういう線跡がつくんです。そのあと手磨き研磨もしているのでしょうがこれみたいに深すぎる切削跡が入れば修復に時間が掛かります。早く大量生産しようとろくろを高速回転させれば回転軸がブレて母材が暴れて削れない。ですから回転軸に大きくて丸い円盤状のフライホイールを組み込むと安定するんです。というより左手でハンドル回して右手で削るって操作も危険ですから足踏みろくろを導入するのもいいかと思うんです」
「ちょ、ちょっとクラーレさん。なんでそんなに詳しいんです?」
「ノックス殿、非常に興味深いです。クラーレさん、もう少し聞かせてください」
「あはい。私の実家、ワイン用素焼き瓶の窯元なんです。粘土を型に押し込んで素地を抜いて成型するのですが、成型時にろくろについたペダルを足踏みしてこのような回転をさせながら少し硬化した粘土の表面を削って外面を整えてゆくんです。その足踏みペダルから得られる回転エネルギーをギア使って高速化して回転軸を地面に水平に出来れば手回し方法より早く綺麗にできるかと思います。まぁ回転が速くなればなるほどろくろへの巻き込み事故や切削具の破損による怪我のリスクは増えますけどね」
「そうですか、わかりました。――ところでウタリさんとクラーレさんとの関係って学生時代からの友人なんですか?」
ノックスがウタリに向き合うとそう聞いた。今まで静かにお茶を啜りながら静かに聞いていたウタリは顔を挙げると俺らの顔を見た。
「履歴書にも書いてあると思いますが、クラーレっち、従軍経験者です。上級学校へ入る前の3年は国王軍のヴァイラ隊に所属しています。まぁ従軍理由はお察しの通り奨学金目当てです。私も北部出身だし国王軍の北方閥だったので北方出身の連中らとは退役しても何人かとは仲良くしてました。その一人がクラーレっちです。年齢もそんなに離れてませんから」
そう言われて俺らは渡された履歴書を今一度読み返した。確かにエラール上級学校入学前に国王軍従軍と記載があり軍属番号も書かれていた。国王軍地方連絡所にでも問い合わせれば突合出来るだろう。
ちなみにこの国には三年期従軍すれば上級学校への学費を免除し五年期従軍すれば奨学金まで付与する制度がありそれ目当てで従軍するってよく聞く話だ。口の悪い人は『経済的徴兵制』と言ったりするがな。とはいえ地方都市は新都エラールと比しても相対的に貧しくて初等学校を出たら働く者は多い。そうなれば基礎教育が足らず職業選択の余地が減ってしまう。だから上級学校へ進学したい地方出身者たちは積極的に国軍や地方領主軍に従軍を希望する。
それにしてもヴァイラ隊か。北方辺境の守りの要のエリート女兵軍団じゃないか。冬の寒さがあまりにも厳しくて脱走兵がしょっちゅう出ると有名な隊でもある。確か近衛兵団に所属する条件の一つが北部方面軍の実務経験があったはずだ。その流れで冬山戦闘訓練が毎年行われている。
「そか、わかった。ウタリもクラーレも今日はお疲れ様、結果は追って連絡するからしばらくはキュリクスでゆっくりするがよい。飯や宿の事は心配しなくていいぞ」
俺がそう言うとウタリとクラーレを下がらせた。来客用にと一室押さえてある宿に女性客が来るから丁重に扱ってほしいという旨をオリゴに言い付けた。きっと他のメイドがすぐに宿屋へ走るだろう。そして改めて三人で達筆な履歴書を見た。
「ノックス、クラーレについて思うところはあったか?」
「この前やってきた鼻持ちならない高位文官様に比べるのなら彼女を採用した方がいいかと思います。トマファ殿は?」
「政務はチームワークだと思うんです。僕やノックス殿、他の武官の方々と仕事を連携してやっていく訳ですが彼女とならうまくやっていけると思います」
「そうだな。――とはいえまだまだ当家で政務を取り扱う文官が少ないのは変わりない。広く募集を掛けたいと思うのだが、何か案はあるか?」
宮廷政務腐敗による混乱は意外な形で辺境キュリクスに伝わってきた。かつては宮廷で顔を合わせていた貴族達から子飼い文官の紹介文が毎日のように届くようなったのだ。ノクシィ一派の失政で逃げ出した文官に泣きつかれた寄木の貴族が出しているのだろう。これでもかと袖の下を押し付けられた寄木共は自分の権威を示すためにもあちこちに紹介文を書きまくっているのだろうと想像がつく。俺としては優秀な文官なら何人でも雇い入れたいのだが宮廷で会っても挨拶すらしてくれない連中らの紹介文なんか貰っても正直な感想としては嬉しくはない、むしろ扱いに困る。
「一つ思うのですが、在野から優秀なクラーレ殿を厚待遇で雇い入れたと宣伝するのはいかがでしょうか? 文官実績のない彼女を厚遇すれば広く人材は集まるでしょう」
「ですがそれでつまらない人が来ても困るでしょう。この前来た高位文官様には辟易としましたよ」
先ほどからノックスが言う高位文官様とは、宮廷で会った記憶もない貴族からの紹介文を持ってわざわざキュリクスにやってきた中年男だった。アポイントもなく履歴書も持たず乗り込んできては雇い入れろと言い、その面接に立ち会ったトマファやノックスを見て「このような凡百の文官をこの場に置くなんて礼節が無いのかこの家は」とも言ってくれたのだ。だから俺は愛想笑いを浮かべて常識磨いて出直してこいと言って追い出してやった。どれだけ高位貴族の紹介文を持っていたとしてもあれはないなと思っている。
「つまらない人かどうかは面接時に見抜くしかありません。この人は当家にとって有益か有害か、無益か無害かを見極める必要はありますね」
「トマファ殿、その四択なら有益な者しか当家には要らないのでは?」
「えぇ理想論なら。ですが圧倒的に人材不足の当家では無益で無害な者をこき使わないと仕事が回っていかないのは事実です。僕は正直、人罪となる方でなければと思います。――この間の方は協調性というより他者攻撃性を考えたら無いかなと愚考します。相当有能な方であったとしても他者攻撃性が強く自己愛が強すぎる方は有害です。常識が無くても有害でない方は使いようがありますが」
有能だが常識がない、それを聞いて俺は思わず二人の顔が思い浮かんでしまった。金があるだけ酒を飲む女武官と休日はナイフを投げるか研ぐかが趣味のメイド長の事だ。トマファの分析通り彼女らは有能で常識は無いが他者攻撃性もない。時には厳しく時には優しくの二人は部下から慕われている。常識は無いと思うが。
「じゃあ今すぐクラーレを採用するか? 是非ともすぐにでも当家で頑張っていただきたいからな」
「いえ、採用通知は最低三日は寝かしましょう。面接に来て当日に採用したなんて周りが聞いたら当家は余程な人員不足だと喧伝してまわるようなものです。熟慮した結果が周りにも伝われば、つまらない人は寄り付かなくなりますよ。ほら、卿も一晩寝かせたらうまくなるって仰ってましたでしょう?」
なるほど、トマファの言い分には納得だ。しかもこの前体調を崩した時に俺が言った事を言い返してくるとは憎たらしい小僧だな、と思わずふと笑みが漏れた。
★ ★ ★
(とある新任女兵士、ネリスの日記)
私には時計技師という夢があった。
小さな筐体に小さな歯車たちが動き、そして時を刻むって事に私はロマンを感じていた。
しかし女で学歴が無い私を雇いたいといってくれた工房は残念ながら無かった。工業学校を出ていたならねぇと言う工房は一か所だけあったが。
結局私は、親が決めてきた商家への行儀見習いに入り、そこで年季が明けたらお見合いして結婚するって人生しか無いんだなと思っていた。面白くないよね、学歴と性別で決められるってそんな人生。
しかしそんな風にふてくされていた私に事件が起きた。その奉公先の商家が卒業間近になってキュリクスから消えた。歴史と伝統を誇ると看板に書かれていた商家だったが商店主の言動や行動が小売業ギルドの怒りを買い追放処分となったと聞いた。つまり私の人生、初等学校を終えた先で引かれた道が消えてしまったのだ。
そんな私に学校の先生がなんとか見つけてくれた就職先、それが新任領主家の任期制兵士だった。そういえば春先に新しい領主様が赴任してきたっけ。この街全体で派手に入城パレードまでやってお祭り騒ぎをしたのは今も覚えている。その領主家の兵士として働けば毎日三食きっちり食べられるし誕生日に鳥肉も出してくれると聞いた。しかも三年間働けば工業学校や上級学校への学費を工面してくれ、五年間も働けば相当な慰労金まで出してくれると聞いた。武術や剣術の覚えが無くても構わないと聞いたので私は兵士として雇用される事にした。
親からは女のくせに兵士なんてできるはずがないと言われ反対された。しかしそんな話を耳にした先生を通じて領主家に伝わったらしい。わざわざ領主家から女性士官がやってきて両親を説得しにきたのだ。その女性士官は背が高く色白でお肌が綺麗な方だった。学校できれいな年上女性を『お姉さま』と呼ぶ子が居たけど、あぁ、こういう方がお姉さまって呼ばれるのかなと思った。私の親に見せた言葉遣いや立ち振る舞いはまさにお姉さまだった。こんな人の部下になれるのなら三年間はあっという間かなと思えてしまった。
で、兵士として雇用されて90日間は『訓練生』と呼ばれ、女子は女子組だけで基礎訓練を女性古参兵班の皆さんと受けさせられるそうだ。そこで私はこいつとはきっと一生仲良くなれそうにはないなって奴と訓練初日に出会ってしまった。
「何よ、私の相棒ってこんなちんちくりんなの?」
メリーナ小隊長が午後からの基礎訓練を前に私の相棒をクイラに決めた。90日間、その女と共に訓練するらしい。その女は私を見るなりそう吐き捨てた。こんなご機嫌な事を言われても私は何も言い返さなかった。きっと言い返しても面倒くさいだけだ。黙っていれば向こうが勝手に黙る。
「あのぉメリーナ小隊長、相棒の変更お願いします」
「ん、どうしたのクイラ訓練生?」
「こんなちんちくりんと相棒になったら体格差で私が苦労します。相棒を替えてください」
相当ご機嫌な女だな、相棒の変更をわざわざメリーナ小隊長に言いに行きやがった。面倒くさい女だと思ったら厄介な面倒くささを持つ女だと判った、あぁ嫌だなぁ本当。それにしてもメリーナ小隊長って私より小柄だし幼そうに見える。この家は児童に兵士をさせているって訳じゃないよね?
「んー? ネリス訓練生はボクより背ェ大っきいから大丈夫! てかねクイラ訓練生さぁ、――あんた上官が決めた事にナニ文句垂れてンの?」
「え? ――いや、そのぉ」
クイラの申し出を聞いていた時はにこにこ笑顔のメリーナ小隊長だったが、途中でクイラを見る目ががらりと変わった。というか醸し出す空気が変わったといった方が判りやすいかもしれない。メリーナ小隊長を見てぞぞっと私の背筋が凍った、これが殺気なのかなと思えた。メリーナ小隊長はくるりと振り向き私達を見渡すと笑顔でこう言った。
「はいはーい、全員起立! まず教育訓練隊に入って早々だけど皆さん腕立て伏せ20回ね! クイラ訓練生とネリス訓練生は気を付けの姿勢で黙ってじっくり見学しててね」
「え、ちょ、ちょっと!」
「部下の責任はボクの責任でもあるからね。ボクもやるよ!」
メリーナ小隊長の命令に古参兵班全員はすぐに反応してサッと地面に臥せた。他の訓練生たちはあちこちきょろきょろするが周りを見て慌てて地面に臥せはじめた。私もやろうかと地面に伏せたら隣にいた古参兵から「君は見ているだけでいいよ」と笑顔で言われた。しかし目は一切笑っていなかったが。
「はいイーッチ! ――ニィー!」
腕立て伏せが始まった。古参兵班の皆さんの腕立て伏せは慣れているのかキレがあった。訓練生らとの違いが立って見ているとよくわかる。ちなみに私は腕立て伏せなんか10回もやったことがない。
「あ、あの、もうおやめになってください!」
「はいクイラ訓練生、黙って見学しててねって言ったでしょ? ほら全員あと10回追加、ボクの掛け声に全員併せて声を出してね! 失敗したり掛け声が小さかったらどんどんとやる回数増えてゆくから気を付けてねぇ? はいゴォー、――ロック!」
入隊して早々私はとんでもないものを見せつけられた。回数が増えてゆくにつれ表情が強張ってゆく訓練生たち。涼しい表情だったり笑顔を見せながらいつもの事かと思ってるかのように腕立て伏せをする古参兵班の皆さん。そして徐々に表情が真っ青になってゆくクイラ。きっと私もクイラと同じく真っ青だったと思う。
「はいみんなお疲れ様! みんなすごいね、100回も腕立て伏せ出来ちゃったんだから! 自分で自分を褒めてあげてね!」
メリーナ小隊長がそういうと掌をパンパンと打ち合って砂を落とす。古参兵班の皆さんは辛そうな表情を一つも見せず気を付けの姿勢だった。訓練生たちは疲れたと言って地面に座り込みたかったかもしれない。しかし古参兵班を見て同じく気を付けの姿勢を取る。またもメリーナ小隊長から何か命令されたら溜まったもんじゃないからだと思う。私も気を付けの姿勢を取った。背中の筋肉がぷるぷる言うほど背筋を伸ばしていたと思う。
「これは軍隊での基本だから絶対忘れないで。――軍に入ったのなら上官の言う事は絶対にきちんと聞く、そして何かあったら連帯責任だからね。――あとボクが隊員を組んでいくのだから気に食わない奴と相棒になるかもしれないけどさ、ボクはあんたらの心情慮ってペアづくりなんかしてたら日が暮れるって事ぐらい判るでしょ、だから文句言うな。あと今日の連帯責任についてクイラ訓練生とネリス訓練生に腹立ったかもだけど訓練生諸君は絶対に二人に文句を垂れるな。明日は自分のミスで連帯責任飛ぶかもしンないンだからね。訓練生たちは自分の背中を守ってくれるのは私が決めた相棒であり、この訓練隊全員なのは覚えておくこと、いいね!」
他にもメリーナ小隊長からの言葉はしばらく続いた、そして重かった。
軍隊は武器があるだけでは戦えない、きちんとした規律や士気と訓練が要る。その規律と訓練を三か月で叩き込むと。三年働けば奨学金が貰えると軽く考えていたけど初日からその考えは甘々だったと思い知らされた。きっと他の訓練生も同じことを思っていたのかもしれない。
「――以上、それでは爾後の行動にかかれ! 移れ!」
「「移ります!」」
「ねぇ訓練生さぁ、ボクが移れって言ったらきちんと復唱する! ――以上、それでは爾後の行動にかかれ! 移れ!」
「「「移ります!」」」
古参兵班の皆さんに併せて私達もそう叫んだ。いや、何度も叫ばされた。メリーナ小隊長は誰が復唱してないか聞き分けて何度も注意して確認していた。そしたらちょうど訓練場に夕刻の鐘が鳴った。ひょっとしてメリーナ小隊長、この鐘の合図を調整するため何度も復唱させたのかな。ちなみに夕飯はお腹が痛くなるほど食べた、食べさせられた。
『とある新任女兵士、ネリスの日記』はしばらく巻末に載せる予定です。
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