128話 武辺者、冒険者登録をする・2
「やるぞーっ! 初仕事よっ!」
冒険者ギルドの大きな扉が勢いよく開く。ルチェッタの気合いの一声とともに陽気な日差しの下へと四人のチビっ子冒険者たちは飛び出していった。
「気をつけてくださいね」
ギルド受付嬢は半ば困ったような表情を浮かべながら彼女たちを見送り、静かに扉を閉めた。
「西区ってどこだっけ?」
「えっ、ここ東区だっけ? じゃあ領主館は?」
「太陽は今日もげんき、暑いね!」
「ちょっと待って、ちゃんと地図帳を見ようよ!」
暑さに顔をしかめながらエイヴァが慌てて鞄から地図帳を取り出す。木製の冒険者バッジを胸元に提げた子どもたちの影が石畳の上を踊る。
「ここに停車場があるんだから、この道を辿れば東門に繋がってるはずよね?」とルチェッタが胸を張れば、オリヴィアは静かに「ルチェが指してるそっちは西門。夕日はそっちの方向に沈むよ……」と優しく訂正する。「お日様はまだ元気!」とイオシスが嬉しそうに鼻を鳴らした次の瞬間、空腹を誘う匂いに釣られ彼女たちの足がぴくりと止まる。
「……うわぁ……いい匂い」
香ばしい焼き肉の匂い、甘酸っぱい調味液の香り、香辛料の混ざった空気。市場そばの通りには誘惑が溢れていた。しかしイオシスは違う匂いを嗅ぎ分けていたらしい。
「ねぇ……ちょっと、いい匂いしてきたから行ってくる、すぐ戻るから!」
「イオシス!? ちょっと待ってってば!」
いつもふわふわした子が意思を持って駆け出していく。イオシスの姿はあっという間に雑踏の中へと消えていったのだった。
*
市場の喧騒から何本か奥に入った路地裏。屋台の匂いとは違う、ふわりと甘い香りに誘われるままイオシスは一人細い通りをふらふらと進んでいた。裏通りなのに石畳は綺麗に掃き清められており、軒先から吊るされた桃色の提灯がふわりふわりとそよ風に揺れている。
その路地裏の奥にあったのは──朱塗りの門だった。艶やかで妖しげな彫刻が施されており、門の向こうからは柔らかな胡弓と謡の練習をする女声が聞こえてくる。市場で嗅ぎ取った香の匂いはこの朱塗りの門の先から漂ってくるようだった。甘くて、ほんの少し苦くて、胸の奥をくすぐるような香り。
「……わぁ……きれい……」
イオシスは門の前でぽかんと立ち尽くし、提灯の連なる別世界へと一歩、足を踏み入れようとした。
──と、その時。
「こーらっ、だーめ!」
背後からふいに声がして、首根っこをつかまれた感覚にイオシスはびくりと肩を跳ね上げる。振り返るとメイドのロゼットが腰に手を当てて仁王立ちしていた。
「も〜う、ルチェッタ様が探してたのよ? イオシスちゃん、何してたの?」
「え、えへへ……なんか、いい匂いがしてきて……つい……」
「ここは花街。子どもが入っていい場所じゃないの」
「花街……?」
イオシスが小さく首をかしげると、ロゼットはふっと笑って、彼女の頭を優しくぽんと叩いた。
「──大人たちがお酒とともに秘密のおしゃべりをする街。……さ、戻りましょ。冒険の途中でしょ?」
「うん……ありがとう、ロゼットさん」
ロゼットはそのままイオシスの手を握り、雑踏の方へと軽やかに歩き出す。朱門の提灯が夕風に揺れてそっと二人の背を見送っていた。
*
幸いなことにギルドを回って書類配達をしていたロゼットがイオシスを見つけ出してくれたおかげで、彼女はすぐに仲間たちと合流することができた。イオシスは奔放な子だからか、誰も咎めはしなかった。「るちぇごめーん」と謝ってはいたが、ルチェッタは気にする素振りは見せていない。ただ、戻ってきてからはイオシスの左手をしっかり握っていた。小さなリーダーはすごく心配していたのだろう。
市場の通り沿い。青果が並ぶ八百屋の前でエイヴァは皆から少しだけ離れて立ち止まっていた。今一度レオダムの家の場所を確かめようと地図帳を開こうとしたそのとき、いつの間にか市場の女将衆に囲まれていたのだ。
「あらまあ、金穂屋の……エイヴァちゃん、何してるの?」
「まぁまぁ、フラウ夫人にそっくりになってきたわねえ〜!」
「こんなに大きくなって……ちょっと前までお母さんのスカート裾、握ってた子だよねえ!」
目を丸くする女将たちに、エイヴァは慌てて深くお辞儀する。
「ご、ごきげんよう……えっと、こんにちは。あの……はい、いつも母がお世話になっております」
右手が自然とスカートの裾へ伸びる。いつものカーテシー——のつもりだった。だがその右手には地図帳が握られていて動きが途中で止まってしまう。一拍おいて、エイヴァは少し引きつった笑顔で会釈した。
「あらあら、小さいのにちゃんと挨拶できて偉いわねえ」
ぎこちない挨拶を見ても女将衆は気に留めない。口々にエイヴァの礼儀正しさを褒めるのだ。
「さすが金穂屋のお嬢様、きちんと躾がされてるわよね」
「こんなかわいい顔して、春祭の剣術大会で3位だったんでしょ? すごいわねえ!」
「うちの孫も見習ってほしいくらい」
エイヴァは困ったように、そしてどこか恥ずかしそうに微笑んだ。女将たちは、きっと彼女の背後にちらつく“金穂屋”を見ているのだ。それを察して彼女は街の大人たちの前では慎み深く振る舞うよう演じている。大人たちが見るエイヴァと、ルチェッタたちが抱く印象が異なるのは、そのせいだろう。
そこへ、お茶を入れた竹杯を盆に載せた女将が現れた。
「暑いでしょ? これ、麦茶。水分補給は大事よ〜。皆んなも飲みましょう」
「えっ……あ、ありがとうございます……っ」
両手で竹杯を受け取った、ひんやりとした感触が手に伝わる。ごくりとひと口飲んでエイヴァは胸をなでおろす。女将の一人が、エイヴァの胸元で揺れる木札を見てぽつりと口にした。
「そういえば、十五年ぐらい前にもいたわよね、木札を首から下げた子たち。よくこの辺りを駆けてたっけ」
「薬草を配り走ってたあの子、今じゃ創薬ギルドで薬の研究やってるんですってよ」
「その妹だったっけ、いつも地図帳を逆に持ってた子……あれは笑ったわ」
女将たちが思い出話に花を咲かせていると、エイヴァがぽつりと口を開く。
「……わたしも、地図帳……よく上下逆に見てる時がありますよ」
一瞬の間のあと、女将たちは顔を見合わせてどっと笑った。
「あらまあ、見習い冒険者はみんな通る道なのかしらねえ!」
「あと数年もすれば、金穂屋の看板娘になる日が来るのかしら〜?」
「まずはいいお婿さんをもらわないと!」
顔を真っ赤にして首をぶんぶん振るエイヴァに、女将衆たちの笑い声がますます弾むのだった。
*
エイヴァが女将さんたちに囲まれているあいだ、オリヴィアも皆と少し離れた場所に立ち止まっていた。涼しげな木陰の石畳。彼女の足元を見ると白い猫が一匹、すりすりと身体を寄せていたのだ。
「……こんにちは」
オリヴィアはすり寄る白猫に小さく囁くように声をかけると、白猫は気持ちよさそうに喉を鳴らしながら、さらに身体を押し付けてきた。どこからともなく毛色も模様もバラバラな猫たちが二匹、三匹と音もなく現れると、まるで包囲するように彼女の足元を取り囲んだ。
「……え、あの……ちょっと」
一匹はスカート裾にじゃれつき、もう一匹はピナフォアのリボンに跳びかかってくる。そして猫たちは一匹また一匹とオリヴィアの周りにやってくる。動こうにも動けない。足元にまとわりついてる感覚もする──
「……あの、タイツ破れちゃいます……」
オリヴィアは涙目になって小さく助けを求める。
「オリヴィア!? 何やってんの!」
まとわりつく猫の群れを見て、駆け寄ってきたルチェッタとイオシスが驚いた。
「うわ、五匹も!? リヴィってマタタビ持ち歩いてるの!?」
「リヴィが猫神様になったぁ! ご利益あるかな!?」
「持ってないよぉルチェぇ! シスは拝んでないで助けてよぉ」
ルチェッタとイオシスは引き剥がそうとするが、彼女らの動きを水の如く除ける猫たちだった。そして気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らし、伸びる手に猫パンチで応戦する。そしてオリヴィアの服に爪を立てて離れてくれない。
「ちょっとあんたたち、リヴィから離れなさい!」
「誰かッ、助けてぇくださぁい!」
「はいはーい、三人とも動いちゃだめよぉ」
通りの向こうから軽やかな声が響く。人込みの波を縫うかのようにホワイトブリムが踊って見える。
「まったくもう、あんたたち、またここでゴロゴロしてるの〜?」
三人の前にぴょこんと現れたのは軽やかスカートをひらめかせた少女、メイド服姿のプリスカだった。ロゼットと一緒にお使い業務の途中だったのだ。
「ほらほら、悪い子ちゃんはメッでしょ~」
プリスカがオリヴィアの足元にしゃがみ込むと、猫たちは不思議なくらいおとなしくなっていく。彼女はその猫たちを優しく抱きかかえたため、オリヴィアはやっとで自由になった。
「……ありがとう、プリスカさん」
「いーえ、どういたしましてっ♪ それよりタイツ無事? ……あっ、それよりスカートがちょびっと裂けてるわ」
「……うぅ……」
オリヴィアは顔を伏せ、空色のスカートをそっと押さえる。
「すぐそこに腕のいい繕い屋があるから、依頼終わったら直してもらったら? ――今はこうやって、ちょっと誤魔化しちゃえ」
プリスカはピナフォアの胸ポケットから安全ピンを取り出すと、鉤裂き部分を縫うように留める。
「じゃあ冒険者諸君、ご安全に!」
プリスカは猫を片手に抱き上げたまま、大げさに一礼してスカートをひるがえし、ロゼットと共に走り去っていった。
「もう、こんなとこで猫まみれにならないでよね!」
ルチェッタが半ば呆れながらも笑ってそう言い、イオシスが「猫かわいかったね〜」と調子よくつけ加えた。
*
女将衆から解放されたエイヴァと合流できた四人は、目指すレオダムの家へと歩き出した。
「……はあ、やっと揃ったわね」
ルチェッタは小さくため息をつきながらも、ホッとしたように微笑んだ。四人の胸元には冒険者見習いの木札がしっかりと揺れている。とはいえレオダムの家探しはここからが本番だった。
「レオダムさんのお宅? あぁ、うちの裏手」
どれだけ探しても見つからない。結局、近くの酔虎亭で仕込み中の大将・ダンマルクに訊ねたところ、あっさり教えてくれたのだった。しかも冒険者ギルドから歩いて三分もかからないほどの場所──すぐ目と鼻の先だったのだ。しかも厨房を通っても良いと言ってくれたため裏へと出る。そこは大通りの喧噪が小さく聞こえる、人通りもなく、住宅街の静けさが漂っている裏通りだった。
そして四人が足を止めた先に──それはあった。
レンガ造りの壁に蔦が這い玄関先には古びた植木鉢が一つ。錬金術の実験道具と思しきガラス瓶や乳鉢が庭先に置かれたその家からは、不思議なほど“人の気配”が感じられなかった。
「空き家っぽいけど……」
エイヴァが家の外壁を見上げ困ったように言う。
「留守かしら……?」
ルチェッタが玄関の扉をこんこんとノックしてみる。だが返事はない。何度叩いても沈黙だけが返ってくる。
「……どうしよう、レオダムさんいない……?」
少女たちが玄関先で顔を見合わせて困っていると、箒を持った安眠館の女将・アクウィリアが声をかけてきた。
「やあ、チビちゃんたち、レオダムさん家に何か御用?」
「お届け物を持ってきたんですけど……」
ルチェッタが胸元に揺れる冒険者の証を見せる。
「レオダムさんならお仕事に行ったんじゃない? 錬金術ギルドに」
「錬金術ギルド!?」
「東区のはずれ。市場通りをずーっと東に歩いたらあるわよ。白くてボロっちぃ建物で、ほら、ながーい煙突がちょっとだけ出てる、あれ」
アクウィリアは手をかざして、街並みの向こうを指さした。
「ありがとうございます! 行ってみますっ!」
ルチェッタが元気よく頭を下げ、四人は再び街道へと駆け出していく。駆けていく背中に、アクウィリアはくすっと笑って声をかけた。
「気をつけてね、冒険者さんたち♪」
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