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125話 武辺者の家臣、井戸を掘る・6

 現在の深さは三ヒロ(約4.8m)あたり。


 だがシルト層に突き当たり掘削は止まっていた。ゲオルグに作ってもらった掘鉄管で掘っても孔穴の内部崩壊が起きているのか、ただただ土砂だけが管内から戻ってくる。撞木から伝わる掘鉄管の感触は確かに掘れてると思ってたのだが。


「うまくいったと思ったらまたこれか――もう少し掘りやすい土壌で実験すべきだったかな」


 ずっと陶土と砂層であれば延々と掘れると思ったのだがな。柄杓でドロ水を入れて上澄みを掬うテンフィは「それじゃ実験になりませんよ」とぼやく。彼も日射で疲労が来てるのかけっこうイライラした口調で言い放った。俺はすまんと一つ言うと、再び撞木を掴んだその時だった。


 レオナとマイリスが径の大きな鉄管を担いでやってきたのだ。


「スリーブ、入れてみませんか?」


 この鉄管をどれだけ積み込むかで出発が遅れたのだ。結局、鉄管屋にある同径鉄管を全部積み込んだのだが。この鉄管は鉄にクロームやニッケル、それにミスリルを混ぜた不銹合鋼だ。錆びにくい特性があるが、いかんせん重い。それを数本束で持ってきた二人のパワフルさがよく判るだろう。


 一番最初の鉄管は先端に斜角が付いていた。マイリスは孔穴に先端処理を施した鉄管を差し込むとレオナは掛屋を振り下ろした。ある程度地面に食い込んだ鉄管を今度は二人がかりで叩きつける。そして鉄管にはねじ切りが施されていて、継ぎ足しも簡単にできるようだ。どんどんと二人で叩き込んでは継ぎ足していく。その様子を見ていた子どもたちにレオナは「やってみますか?」と尋ね、片手で掛屋を手渡した。いやいや、掛屋を片手で持つってどんな馬鹿力なんだよと思ったが、マイリスも片手で差し出していた。


 子どもたちはふらつきながらも掛屋を打ち込んでいく。きゃっきゃと楽しそうな様子を見て俺たちは少し休むことにした。やはり疲れは苛立ちを生み、効率を悪くする。


 スリーブを入れた事で孔壁を支え、掘鉄管が安定して掘り出しはじめた。掘ってはスリーブを入れ、また掘っていく。そうして俺たちはついに七ヒロまで掘り進めたのだった。


 *


 七ヒロを越えたあたりで、掘鉄管を上下させる撞木の手応えが変わった。ぐずついた感触はなくなり、代わりに「カツカツ」と何か硬いものを叩くような抵抗がある。


「……ついに砂礫層が出てきたか」


 案の定、掘鉄管を引き上げると中にはこぶし大の砂利が数個転がっていた。ずっと苦心してたシルト層を抜けたようだ。そして次の一突きで孔穴より泥水がじわじわとにじみ出す、底から泉のように。テンフィが口を開いた。


「……間違いなく帯水層です」


 村人たちが歓声を上げた。子どもたちは跳ね回り、フェルナドは帽子を振って「出たか、出たか!」と叫んでいる。


 俺は空を見上げた。


 けど、思ったんだよな。――もっと深く掘ってみたいな、って。


 *


「……フェルさん、相談が」


 昼食の時間、村長のフェルナドに声をかけた。


「もうここで井戸は出た。必要な水量もある。だからここで止めてもいい。でも俺、もう少し深く掘りたいんだ。やらせてもらえませんか」


 フェルナドは飯をかっこみながら俺の顔を見て、口元を拭った。孔穴が帯水層まで届いた今、ポンプを付ければこの実験は成功だ。しかし基礎研究としては途上である。これ以上掘削を続ければせっかくの水が抜けて井戸として使えなくなるかもしれない。つまりは基礎研究の為にこの村には一切必要のない掘削をしたいと申し出たのだ。この先のフェーズについてマイリスの説明を聞いたフェルナドがにやりと笑う。


「必要があってじゃないってのが面白ぇな。この村久しぶりの娯楽だ――やってみな」


「判った、俺たちも楽しませてもらう」


 俺も、にやりと笑い返した。

 娯楽の無い村でこんなに朝から晩まで大騒ぎしていれば、一晩限りの旅芸人の演芸より面白いと思われたのだろう。フェルナドは許可を出してくれた。


 *


 帯水層というのは地上に降った雨やテイデ山・フラズダ川の伏流水が長い年月をかけて地下に流れ込み、やがて砂礫層に溜まってできる“地下の水瓶”だ。ずっと使っていた古井戸もこの帯水層に溜まってた水をくみ上げていたのだろう。


 だが帯水層の水量は一定ではない。フラズダ川の氾濫や地震、テイデ山の活動といった地形変化、数十年から数百年単位の降雨・降雪量の変動によって増減する。また『古今井戸掘図解録集』によれば、時節によっても水脈の活性が変わることが書かれており、たとえば秋の名月の頃に水が増えるとか、井戸の近くで音がするという村人の言葉も間違いではないようだ。


 ただ砂礫層は粒が大きく隙間も多いため、今までの掘鉄管では掘削が困難だった。細かい粘土や砂のようなものであれば管に詰まって持ち上がってくるのだが、砂礫は管の中で保持ができずにすぐに抜け落ちていってしまう。


「大きすぎるんですよね、これ」


 テンフィがたまたま管に引っ掛かった砂礫を眺めながらぼやいた。砂礫といっても握りこぶし大の岩礫や砂利を含む地層だ。また掘鉄管の工夫が必要になる。しかしテンフィが持っていた岩礫を見たゲオルグは泡だて器にも似た先端部を手にしていた。


「なんか試しに作ってみたんだが、これでやってみてくれ」


 ぐるりと螺旋状に湾曲した“爪”構造で岩礫交じりの砂利を回転させながら掬い取る機構だ。掘鉄管内部には返しがついていて、掬い取った石が滑り落ちない仕組みにもなっている。試しにその掘鉄管を落としてみたところ次々と大小の砂礫が引き上げられた。砂礫層もこれで突破口となったのだ。


 *


 十二ヒロ(約22m)。


 突然、落とし込んだ掘鉄管が跳ねた。ぐっと下に踏み込んだはずなのに跳ね返される感触だ。


「岩か?」


「いや、もっといやらしい混成層……粘土礫の圧密層でしょう」


 撞木を持つテンフィが渋い顔をして言った。


「重さが足りないなら、加えればいい」


 ゲオルグがすぐに重錘アタッチメントを追加する。滑車式の鉄塊を掘鉄管の上部に固定し、足場から一定リズムで落とす。『どん、どん、どん』と腹に響く衝撃、俺たちの怒りが地面の下へと叩きつけているみたいだった。その先でやがてぬめるような抵抗感が返ってきた。


「……来たな、砂状粘土層だ」


 次の粘土層は重いだけではダメだった、掘鉄管の中に泥がうまく入っていかず先端でただ押しつぶしてるだけだった。


「斜角型で食い込ませるか」


 ゲオルグが再び工房へ行く。しばらくしてレオナが竹槍の先端の様な掘鉄管を数本担いでやってきた。どうやら鋭利な先端で突いて粘土層を掘鉄管の中に押し込んで掘り進むって考えらしい。しかも先端には硬鋼と軟鋼を織り交ぜたチップが埋められている。


「ところでレオナ嬢、こんな秘密道具、いったい何本作ったんだ?」


「えーっと、もう四十本ぐらいでしょうか? オッキさんの試作案にゲオさんの考えを乗っけた掘鉄管をまだまだ用意してありますから――休憩が終わったらさっそくやってみましょうよ!」


 じりじりと照りつける夏の日差しの下ですっかり陽に焼けた彼女は元気にそういった。ドロ水を注ぎ込んでくれるテンフィも、料理や村人たちの世話をしているマイリスも、すでに首筋も頬も真っ黒で、素肌と衣服の境目がくっきり焼け跡になっていた。きっと俺も、帽子の跡がつくほどの土色の顔になってるだろう。


 竹槍型の掘鉄管はちょっとずつ地面を食い込み、掘り出していく。引き上げた掘鉄管の中に白くて大きないかけらが混じっていた。


「……なんだこれ。貝?」


 たまたま様子を見に来たゲオルグが笑いながら指でつまみあげる。


「誰か海鮮バーベキューでもしてたんか?」


 白ワインで蒸しあげてニンニクパセリと岩塩で味を整えたスープに入っていそうな貝殻が混じり込んでいたのだ。ユナが温暖な港湾都市出身だったから、好きだったな。


「このあたり、かつては海だったという証拠ですよ」


 テンフィも貝殻を摘まみあげ続けて言った。「そうでもなければ説明がつきません。この山奥に海の二枚貝を運んできても、すぐに腐ってしまいますからね」


 その一言に、みんながしばらく黙って遠い空を見上げた。


 そんなとき、マイリスがぽつりと「ボンゴレビアンコが食べたいです」とつぶやいた。すると、タイミングよくレオナのお腹がくぅと大きな音を立て、みんなで爆笑したのだった。


 *


  粘土層を越えた先には、ふたたび陶土層やシルト層が交互に現れる。


 だがもう慌てることはなかった。俺たちはそのたびに、何を使えば、どうすれば突破できるかを理解していたのだ。かつては五ヒロを超えたと大騒ぎし、十ヒロ達成に歓声を上げていた俺たちが、今では「どれだけ安全に、どれだけ効率よく掘れるか」を競うようになっていた。


 最初に立てた小さな櫓では力不足となった。大型の櫓を新たに組み、ハネギも太く強化された。岩盤層に備えて滑車付きの落下錘も導入し、掘鉄管を巻き上げる糸車も人ひとりが中に入って踏んで回すほどの大きさに改良された。もう手回しで巻き取れる深さではない。


 俺が最初に手に取った『古今井戸掘図解録集』に描かれていたものとは形も規模もまるで違う。だが間違いなくこれも“深井戸を掘る”という改良の末の完成形なのだと思う。しかも他の地でも深井戸掘りの実験をしてみて最良の形を絞り込むのも面白いのかもしれないが。


 最初の掘削から三週間。鉄管屋に頼んでおいた新たな管も届き、掘鉄管の工夫も百を超えていた。既に百ヒロを越え、いよいよ二百ヒロ(約360m)に届こうかというその時だった。


 掘鉄管の先端からぬるりとした手応えが返ってくる。いやに重い。だが泥の感触とも違う。


 引き上げた掘鉄管や孔穴からふわりと湯気が立ちのぼる。管内には泥ではなく熱湯が満ちていたのだ。掘鉄管の表面に触れた瞬間、あまりの熱さに思わず手を引っ込めてしまう。その直後だった。ごろごろと地下から雷鳴のような低く重い音が響く。孔穴の奥で何かが膨れ、うねり、噴き上がろうとしていると感じたのだ。


「お前ら、逃げろ!」


 誰かの叫びが耳に届く。そして孔穴が呻くような音を立てた、次の瞬間——


 ゴボッと鈍い破裂音が響いたかと思うと熱湯が地を裂いて噴き上がった。まるで龍が吼えるように蒸気と湯が空へ向かって一気に立ちのぼったのだ。圧力に押し出された泥水が地面を叩き、噴煙のような湯気が一帯を覆う。


 だがその勢いは長くは続かなかった。


 十数秒ほど轟音とともに吹き上がったのち、泉のように湧き出していた湯は徐々に落ち着いていく。孔穴の縁に溜まった湯はなお熱をたたえているが、もはや暴れるような噴出はない。時折ボコッと勢いを増すことはあるが、今はどぼどぼと溢れ出るだけだ。


 テンフィが「地圧とガス圧の影響でしょう。地中に封じられていた熱水とガスが圧を逃がす道を得て噴いた……そんなところでしょう」と説明した。そして彼は孔穴近くに溜まる熱湯を柄杓で掬い、匂いを嗅ぎ、そして舐めて——温度を測る。


「約六十二度。……弱い酸味と硫黄臭があります。これは間違いありません」


 レオナが思わず「わあ……」と息を呑む。マイリスも、顔をほころばせて「やりましたね」とつぶやいた。


 俺たちは井戸を掘っていただけだった。だが掘り当てたのは地の底で眠っていたもうひとつの恵み——温泉だったのだ。


 *


 村の広場はちょっとしたお祭り騒ぎだった。


「湯が出たぞー!」

「あったかい水が出た!」

「たまに熱いなこれ!」


 子どもたちは桶を持って走り回り、湯をすくっては湯気を上げる手のひらに歓声を上る。大人たちは桶に掬ったそのお湯で顔を洗っては気持ちいいなと笑っていた。この広場に俺たち用の湯治小屋でも建てるかとフェルナドが冗談交じりに言うと周囲は大いに沸く。ゲオルグは笑いながら腕を組み、他の深井戸掘りはどうするかと次のステップを考え始めていた。


 レオナが俺の隣で頬を赤らめながら言った。


「キュリクスに続く『温泉資源』がもう一つできましたね」


 俺は湯気を立てながらこんこんと湧く温泉孔を見つめたまま、ひとことだけ返す。


「その資源の使い先は村が決めるこったな」


 マイリスはそんな俺の言葉に、どこか嬉しそうにほほ笑んだ。


「子どもたちやお年寄りの癒しになりますね。あの、足湯とかいいかもしれませんよ」


 夏の陽はもう落ちかけていた。けれど孔穴の周りに集った人々の声と笑いが空の色よりも明るく聞こえたのだった。


 *


 それから数日経った。


 孔穴から相変わらずこんこんと湧き出していた。ただ、湧き出る湯は非常に熱くてそのまま湯舟に貯めての使用には無理があった。とはいえ加水して冷ますのは勿体ない。あれこれどうするかと考えた末、レオナが「むしろに掛けて冷ますのはどうですか?」っていう案を採用した。


 スリーブを高く伸ばし、湯樋から立てかけたむしろに湯を掛け流し、湯冷まし用の湯船に貯めるシステムを組み立てた。するとわずかに熱い湯にまで冷ますことが出来たのだ。


 その湯舟から男女別の湯舟に流せば適温になり、じんわりとした温かさが疲れた身体によく沁みた。フェルナドたちは簡単な屋根と囲いをこしらえたおかげで、村の者たちが湯浴みに通う姿も見られるようになった。子どもたちは足湯の縁に腰をかけ、老人たちは湯気の中で顔をほころばせている。


 温泉を掘り当てたのは良いが俺たちは今もシュツ村にとどまっている。「飲水用」の浅井戸を掘るためだ。


 * * *


「で、オッキさんの基礎研究がいきなり成果を出した、と」


 ヴァルトアが執務室で報告書を片手にお茶を飲んだ。


「温泉ですよ! ですから是非ともシュツ村への出張を命じてください! 出来れば一週間ぐらい!」


 リネン麻ワンピース姿のクラーレが熱く語っていた。ただリネン麻生地は非常に薄くほんのりと下着が透けているため男性陣は目のやり場に困っている。


「あなた、温泉入りたいだけでしょ?」


 オリゴが扇を閉じ、冷ややかに言い放った。クラーレが着てるリネン麻のワンピースは、キュリクスでは一般的な「湯浴み姿」である。仕事明けにシュツ村での温泉湧出の噂を聞いてヴァルトアの元へ飛び込んできたのだ。


「い、いや……ちゃんと現地調査も……します……よ?」


 きっと調査はするんだと思う。一週間かけて温泉に入り、入って、入り浸るしか想像は出来ない。というのもクラーレの休日と言えばキュリクスの温泉巡りである。ともあれ大の温泉好きが冷静に視察できるのだろうか。


「我がキュリクス領内の資源保護という観点から、源泉保全と所有権使用権を明記した地域条例の整備が必要かと思います」


 渋い顔で言ったのは文官長トマファだった。彼の膝上にはすでに“シュツ村温泉保護条例”の試案が三案ほど置かれている。


「シュツ村周辺の村々から『うちにも温泉を掘ってくれ』という要望が寄せられる可能性がありますので源泉保護は重要かと。無闇に掘削すればせっかくの源泉が枯れる可能性もありますので」


「それなら、周りから陳情が来ないうちに法案をまとめて公布する準備を取ってくれ」


「――御意」


 * * *


 オキサミルの井戸掘り研究は論文形式にまとめられ、キュリクスの図書館に収められることになったそうだ。


『新古今井戸掘図解録集』


 司書長ランズから、もう少しタイトルひねったらどうだと苦言を呈されたのだという。


 *


「マイリス副長、何があったんですか!?」


 マイリスをみた瞬間、メイド隊の皆から驚かれたのだった。


「ちょっと、暑い夏を過ごしてました!」


 日に焼けて真っ黒になった彼女に驚いたのではない。袖から見える腕が、スカート裾から見える足が、そして首筋や肩幅が逞しくなってて驚かれたのだった。

ブクマ、評価はモチベーション維持向上につながります。


現時点でも構いませんので、ページ下部の☆☆☆☆☆から評価して頂けると嬉しいです!


お好きな★を入れてください。




よろしくお願いします。



・作者註

『スリーブ、入れますか?』


「ケーシング・ストリング工法」のこと。

現在の井戸掘りでも使われている。


個人的には「ニンニクいれますか」って質問が好き。



※作者註その2

「湯冷ましの方法にむしろを使う」

執筆後に調べたら似たような実用新案があって驚いた

・竹製温泉冷却装置「湯雨竹」(実用新案第3112971号)

別府鉄輪のひょうたん温泉にあるそうです

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