124話 武辺者の家臣、井戸を掘る・5
シルト層では掘鉄管がまったく歯が立たない。何本もの掘鉄管の先端は潰れ、孔壁は崩れ、これ以上手の施しようがなかった。なんとかならないかとマイリスが砥石で先端を削ってくれた。しかし効果はなく、作戦を練り直さない限り先に進めない。
焦りもあるが、それ以上に自分の道具が“おもちゃ”だったという現実が堪えた。陶土層をさくさく破っていた頃の自分を思い出すと、あの調子に乗っていた俺に「馬鹿野郎」と言ってやりたくなる。
俺たちはフェルナドに事情を説明し、一度キュリクスへ戻ることにした。彼も村人たちも、作業が停滞しており、一旦戻る事に理解を示してくれた。寄合所に荷物を残して俺たち三人は馬車で街へと向かう。
道中、テンフィが「専門家の力を借りましょう」と提案し、俺は素直に頷いた。好事魔多しとはよく言ったもので、順調なときほど落とし穴はある。だからこそ歩みを止めて考えることもまた勇気だし、イライラして無理に押し通るのと失敗を顧みず突っ走るのは若造と馬鹿の特権でしかない。
金属のことなら専門家、俺たちは金属加工ギルドへと向かった。賑やかな声と槌音を響かせているギルドの入口をくぐると、受付嬢のクラメラが帳簿に向かって腕を組みながら眉間に皺を寄せていた。月末が近いせいか伝票と帳票の山が机を埋め尽くし、忙殺されているのが一目でわかる。机の上には空いたティーカップや昼ごはんが乗ってたであろう皿が無造作に置かれていた。そんな様子に声をかけるのも躊躇われるほどだった。だが俺らの気配を察してか顔を挙げると元気な声を掛けてきた。
「やぁオッキさん! どうしたの、今日はいつにも増して辛気臭い顔して」
「“いつにも増して”ってことは、俺は普段から辛気臭いってことか……? ──ちょっと井戸掘りしててな、硬い地層にぶつかったみたいなんだ。鍛冶屋か鉄工屋に相談できればと思って」
先端の潰れた掘鉄管を見せると、クラメラは興味深そうにそれを手に取って虫眼鏡でじっくり観察する。彼女は受付嬢でありながら技術の知見もあり、小さな真鍮製ハンマーでこつこつ叩きながら「地金が甘いわねぇ」と呟いていた。
「だったら、ゲオさんとレオナさんに頼んでみたら? この時期の鍛冶屋なんてヒマなのよ。きっと昼寝してるわよ」
この暑さならエール一杯ひっかけて寝てた方が賢明だ。
「ねえクラメラさん、少し日焼けした?」とマイリスが声をかける。
「ああ、製塩の研究で外に出ててね」
たしかにクラメラの首筋が少し焼けていた。指で頬をこりこり掻きながら、「分かるか?」と笑う。その時、彼女の右薬指にきらり光るものが見えた。
「クラメラさん、それ……もしかして?」
マイリスが自身の右薬指を指差すと、クラメラは焼けて赤い顔をさらに赤く染める。
「ん、まあ……あれだ、私もヤキが回ったってことよ。あはは」
「おめでとうございます!」
創薬ギルドの若き技師アルディとの仲がうまくいっているようだ。若いっていいものだ。だが俺が何かを言えばセクハラ認定されかねないので、そそくさゲオルグの工房へ向かうことにした。
扉を開けると、入口近くの机にレオナが一人座っていた。すらりとした長身に金髪を束ね、作業着姿で算盤を弾きながら帳簿に向かっている。午前中は領主館で文官業務、午後はここで鍛冶業務の帳簿管理──彼女は技術系文官だ。
「あら、オッキさんにテンフィ先生、どうしたんです?」
「ちょっと鍛冶屋の力が欲しくてな」
レオナは立ち上がると、隅におかれた小さな丸太椅子を三つ引っ張ってきた。そして水さしからお茶を注ぐと俺たちに渡してくれた。俺は麻布でくるんでいた掘鉄管を数本渡すと、彼女は先端部や内部構造を一本一本じっくり観察し、作業台にそっと置く。
「なるほど、井戸掘りしてたんですね。道理で皆さんから汗の匂いがすると思いました」
え、そんなに臭ったか? テンフィも自分の身体の匂いを確認していた。それを見たマイリスは「旦那様のいい香りがしますわよ」と笑っていた。レオナは微笑みながら、工房の奥でぐうぐう寝ている男の肩をぺしぺしと叩く。
「ゲオさーん、起きてください。オファーが来ましたよー」
「ん〜……なんだ、客か」
ゲオルグはむくりと起き上がり、俺たちを一瞥した。この男、鍛冶中は職人そのものだがそれ以外はひたすらにだらしない。せめてもの救いは酒席で乱れないことくらいか。股間をぼりぼり掻きながら作業台に置かれた老眼鏡をかけ、掘鉄管を見ながら彼は呟いた。
「なるほど、地面を掘る道具か。オッキさんはこれを作って直せる暇な職人を探してるってわけだな?」
「まあ、そういうことだ」
「暑いしヒマだし、現場の方が涼しいかもしれん。いいぜ任せとけ」
ゲオルグはそう言って口元のよだれを拭い、ステテコパンツをずり上げると腹巻きを直した。なお上半身は裸だ。
「ゲオさん、昼間っから昼寝とはいいご身分っすね」
「お前な、鍛冶場は冬ですら灼熱地獄だっていうのに夏だと命がけなんだぞ? 朝一番で叩いて、昼は寝る。ギルドの決まりで朝早くと夕鐘以降は作業自粛だしな」
普段は槌音がせわしなく鳴るこの下町だが、あまりの暑さのせいか工房周辺は静まり返っていた。他の鍛冶職人たちも急ぎの仕事がないせいか昼寝中なのだろう。
「ところで、現場はどこだ?」とゲオルグは訊く。
「北部のシュツ村だ」
「──なんだ、俺の故郷じゃねぇか! って事は広場の井戸の件てことか。よし、村には親父が使ってた工房もある。明日までには準備するよ」
「助かるよ、ゲオさん」
「この前鍛えた鋼鉄と軟鉄、多めに持っていったほうがいいですよね」と、炉近くの道具箱を整理しながらレオナは訊く。ゲオルグは「だな」と小さく応える。
「なんだ、レオナさんもシュツ村に来てくれるのか?」
俺が訊くと、彼女は当然のように頷いた。
「鍛冶をするなら、相槌を打てる人間がいたほうがいいでしょう? ニコラさんも今は法事でルツェルに出向いてますから、私が頑張ります!」
「あぁそうそう、アゴとマクラは別、日当は白銅貨三枚ずつな!」
ゲオルグが笑顔で言う。「それ、ボッタクリじゃないですか!」とレオナが鋭くツッコんでいた。
*
朝一番に出る予定だったが、あれこれ積んで行こうと言い出した結果、結局出発は昼前になってしまった。 そのせいでシュツ村が見える丘に到着したのは夕方を過ぎた頃だった。
金色に染まるその風景を見て、レオナが「懐かしいですね」と呟く。 テンフィは「お嬢はここ出身じゃないでしょ」と苦笑する。 荷車の上に寝転がっていたゲオルグがむっくりと身を起こした。
「……懐かしい風景だ」
そう言って伸びをすると、御者席へとやってきた。
「全然変わっちゃいねぇ。あそこはモーリスの家だし、あれはマラサの家だ。そして信心深いスミセのおっかさんの家も健在だな」
「スミセさんは、井戸掘りの前に聖句を唱えさせてくださいって言ってましたよ」
マイリスは手綱を握りながら笑顔で応えていた。 ゲオルグは懐からスキットルを取り出して一口飲み、笑いながら言う。
「それで手詰まりになるったぁ、主神とやらもなかなかに根性が悪いな」
神様なんてそんなもんだ。 性根の良い奴だったらどれだけ世界がハッピーになれるだろうか。 戦争も貧困もないユートピアが生まれるに違いねぇ。 ――幼稚な者も裏切者もいない、厳格な唯物論的倫理観を持つ者だけが蔓延る世界。 でも、それはそれでつまらねぇし、下らねぇ。
そんなことをぼんやり考えていると、ひとりの男が村から駆け寄ってきた。
「よぉ、ゲオ! 本当にお前か!」
「え、フェルさん!? うわっ、親父さんと同じ顔じゃねぇか!」
「おめぇもヨハンおじさんとそっくりじゃねぇか。――お互い、立派なおっさんになったってもんだ!」
シュツ村の村長、フェルナドだ。 ゲオルグは御者台から飛び降りると遠慮もなく抱き合い、笑って背中を叩き合った。
「まさかお前が村に戻ってくるとはなあ。井戸掘りの手伝いか?」
「ああ、弟子連れて故郷に凱旋だよ!」
「なんだそりゃ」
笑いながら振り返ったゲオルグにすかさず荷台から飛び降りたレオナが、かぶりを振って一礼する。 夕陽に反射して彼女の煌びやかな金髪がさらに輝きを増した。 それを見てふたりは一瞬言葉を失う。
「おめぇの娘っこか?」
「違ぇよ! 領主館の技術文官殿だよ」
「だよな、不細工なお前に全然似てねぇもんな」
「うるせぇ!」
こうして、ゲオルグ含む俺たちはシュツ村に無事招かれた。 久しぶりに帰ってきた彼を村の連中も温かく迎え入れてくれたのだった。
翌朝早く。
ゲオルグの家の古い鍛冶場の煙突から久しぶりに煙が上がった。 火床にはコーラル炭が赤々と焚かれ、レオナがふいごで風を強く送り込む。 ゲオルグは煤だらけになりながら、白変した鉄を叩いて形成していた。
俺とテンフィは図面を広げて道具の改良案を検討していた。 目指すは俺たちでは歯が立たなかったシルト層の突破だ。
その傍らでマイリスがサンドイッチをそっと置いてから、天秤棒と桶を持って水汲みに出ていった。
「この掘鉄管の中に弁を入れて、土壌をホールドしてみますか?」
「それとも、掘鉄管にひねりを入れてみるとか……」
俺たちは出せる案を一つずつ箇条書きにして書き出しながら、
叩き出した鉄片を回転研磨機で鋭く尖らせているゲオルグに訊いてみた。
彼は「やってみる」と一言だけ言い、手にした先端部を俺に差し出した。
「その鉄棒に差し込めるよう作ってある。今からお前らの案を一つずつ形にしていく。まずは掘ってこい」
渡された先端部は俺が作ったやつよりも明らかに鋭利で丈夫そうだった。 しかも掘鉄管に差し替えが出来るよう工夫が施されている。俺が作ったのは城壁修理で使ってた鉄片をロウ付けしただけの安普請だしな。
そして、いよいよ――試掘の再挑戦の日を迎える。
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