123話 武辺者の家臣、井戸を掘る・4
フェルナドの厚意で、村の寄合所を寝泊まりや道具置き場として使わせてもらえることとなった。しかも馬の飼葉も分けてくれるという。こうした便宜を受けられるのはマイリスやテンフィの人柄によるところも大きいだろうし、ヴァルトア様からの手土産──質のいい海塩や甘いお菓子など――が功を奏したのだろう。きっと俺一人だったなら、協力を得られず村の外で野宿だったに違いない。
翌朝。
赤土の路面に朝露がまだ残っているうちから、俺たちは井戸掘りの準備に取り掛かった。
盛夏の農閑期に入ったのだろう。フェルナドが広場の片隅に腰を下ろしてこちらを見ながら煙管を吹かしており、昨日の子どもはマイリスの傍で荷物を運ぶ手伝いをしていた。子ども好きのマイリスは手伝ったお礼にとポケットからキャンディを出している。
「その井戸の近くに新しく掘っていただければ助かります。やはり井戸あってこその広場なんで」
フェルナドはそう言ってちらりと古井戸の方を見やる。確かに村のほぼ中心にこの広場があるのだ、そこに井戸があれば村人からの不平も出ないだろう。
そして井戸周囲の赤土は今日もじっとり湿ってる。テンフィがしゃがみ込み、土を指先でつまんで鼻に近づけた。
「……やはりこの井戸周りの土、異様に水分を含んでますよね、他の広場の土と乾き方が違いますし。恐らく浅い層に帯水が残っているかと」
「たぶんな。かなりの浅井戸だったから帯水層の乱高下と孔壁の地震損傷でだめになっただけかもしれねぇ」と俺は言った。「なんならすこし深めに掘ってみるってのはどうだ? あくまで開発実験って側面もあるんだし」
「そうですね、とりあえず深く掘ってみて、ダメなら出てきた水脈から採水すればいいんですよ」
と、マイリスがあっさり言い放つ。理にかなってるし、実に“彼女らしい”答えだ。
「じゃあマイリスの方針でいこう。位置は──古井戸の東側、ここから少し下がって、赤土がやや締まってるこの辺だな」
テンフィが麻紐とスタフ棒で簡易な方眼を張り、俺が小石で印をつけてゆく。少年が横から「ここを掘るの?」と訊いてきたので、俺は「半分正解」と答えた。俺たちは井戸掘りの拠点となる櫓の場所を決めていたのだ。
陽が徐々に頭をもたげて日差しが徐々に強くなってくる頃。広場近くの畑を世話するフェルナドに声を掛けた。
「そこに櫓を組んで井戸を掘る予定なんだが、木材や支柱になるようなものは、この村で調達できるか? もちろんそれ相応の礼はする」
「そうですなあ……その奥に村の入会地の竹林があります。今は手入れすらされておりませんので良ければ好きに切り出して使ってください」
願ってもない申し出だった。竹材は木材より軽いし、比較的丈夫なので簡易的な櫓づくりには好都合だ。特にバネ構造のハネギには撓りが出せる竹材が向いている。
俺とテンフィとで竹材を切り出し、マイリスはそれらを肩に担いで涼しい顔で広場まで運んでいく。先ほどの子どもも見よう見まねでせっせと手伝ってくれた。
前々から思っていた事だが、マイリスはかなりの力持ちだ。プリスカを片手で軽々と持ち上げ、酒樽すら平然とした顔で運ぶ。しかもそれを無理している様子もなく涼しい顔をしてやってのけるから驚きだ。
あまりにも自然にこなすのでどんな育ちをしてきたのかと尋ねたことがある。
「ただの小作農の娘ですよぉ」
そう言って笑っていた。背が高いのは玉に瑕かもだが、こんな可愛らしくてパワフルな娘なら嫁の貰い手には困らなかったろう。だがよりにもよって理屈屋の学者先生と結婚するとは──いやはや、世の中面白い。
村の若い女たちはというと、テンフィのもとへと白湯や漬け物といった差し入れを持っていく。中には手ぬぐいで汗を拭く若い乙女もいたが。──やはりイケメンは得をするらしい。
マイリスに「妬かないのか?」と訊ねると、「妬いてますっ!」と声をひそませる。「私の旦那に手を出すな!」と下手に威嚇して協力関係が崩れるのを避けたようだ。
準備が整い、そろそろ櫓づくりの杭打ちをしようという頃、スミセが再び現れた。今日は香と木皿をお盆に載せてきた。
「そこに杭を打ち込むのなら、少しだけ拝ませておくれ。月の精霊に声をかけ忘れると工事が止まるっていうからさ」
俺は頷き、全員が一歩下がって見守った。スミセは香を焚くと月桂樹の葉を一枚、杭を打つ予定の場所にそっと添える。そして「主神と月と精霊の御名に感謝」と唱えてから、ゆっくりと頭を垂れた。
周りの村人やテンフィ、マイリスも聖句を唱える。俺は……まあ、形だけやっておくことにした。ユナなら「リーダーのあなたもやっておきなさい」と笑って言うだろうって思ったから。
「よし、それじゃあ基礎杭を打つぞ。今日は“第一打ち込み”だ」
俺は両手で掛屋を構え、狙いを定めた。カン……という乾いた音が広場に響く。
井戸掘りがいま始まった。
いくつも杭を打ち込んだあと、いよいよ櫓の組み立てだ。俺とテンフィがノートに書き込んだ設計図を元に柱や足場を組み立ててゆく。様子をふらりと見に来た老人たちが「おや、これは……」と、その設計図が書かれたノートに集まりだした。
「ここの部分、昔、陶土の土練機でも似た構造を使ってたよなあ」
「これ、手回しか?」
「麻縄は水を吸うとすぐ切れる、竹ひごが良い」
「杭と柱は荷重が大きい。番線で括っておこう」
最初はあれこれと口出すだけだったが、マイリスが手作りの焼き菓子を配りながら笑顔で応対していると誰からともなく手斧や小刀、削り道具を自宅から持ってきた。そして「よし、ちょっと手伝うか」という空気になっていく。きっと彼女の笑顔に絆され助平心が働いたのだろう。時々尻を触る老人もいるようで、そのたび「もぉ!」と声を上げていた。
竹を支柱に組み、回し車を掛け、滑車を吊り下げ、ハネギ(撓り棒)を組み込むと立派な“井戸櫓もどき”が広場に姿を現した。見た目設計図どおりとは言わないが、構造としては間違いない。ここから不都合があれば修正していこう。
俺は作業台に腰を下ろし自作の掘鉄管を手に取った。……正直、これでどこまで掘れるかは賭けだった。領主館の倉庫に打ち捨てられていた鉄柱を切って削って作っただけの安普請だ。
「よし、テンフィ、いくぞ!」
「お願いします──」
俺が撞木を持ち上げると、頭上に設けた一本目のハネギが撓って上昇を助け、手を離すとその反動と二本目のハネギの撓りによって、撞木が勢いよく振り下ろされる。その衝撃が掘削孔深くにある掘鉄管へと伝わり、地中へと打ち込まれていく。撓りと反発はこの掘削法の基本原理だ。
そしてその掘削孔にテンフィが粘土を溶かしたドロ水を注ぐ。こうすることで孔壁の崩壊を防ぐのだ。
掘鉄管が表層の赤土をさくさくと食い破ると陶土と砂混じりの層へと移る。これらの地層では掘鉄管の刃は思いのほかよく噛んでくれた。最初の半ヒロ、さらにもう半ヒロ。俺の口元も自然と緩む。初期段階は予想以上に快調だった。
「これ、予想以上に順調だな! おいテンフィ、これ見てみろ、削り屑の粒度!」
「はい。どうやらしばらくは陶土と細砂の混合層みたいですね。粘性はありますが刃の角度と掘鉄管の自重でよく貫通してると思いますよ」
「な? 俺、やっぱ天才かもしれん」
「……でも、ここから先は大変だと思います」
テンフィはそう言うと、巻き上げた掘鉄管の中に詰まった土をサンプルとしてシャーレに移しながら呟いた。
「井戸の孔壁を見た時もそうでしたが、たぶん3ヒロ越えたあたりから粘性の高いシルト層に入ります。掘鉄管が軽すぎるかもしれません」
「まあ、行けるところまで行ってみようさ」
笑いながら俺はそう言ったが、やがて撞木を通じて伝わる感触がはっきりと変化した。とにかく重い。跳ね返りが鈍くなり、手応えがまるでパン生地を叩いているようだった。掘鉄管はまったく食っていかず、何本か替えてみてもすぐに先端が潰れて使い物にはならなくなる。
──これがテンフィの言っていたシルト層か。
細粒で水と粘土を多く含むこの層は、掘鉄管の衝撃を分散させてしまうようだ。まるで“打っても逃げる地面”。しかも地盤としても緩いので、掘っても孔壁が崩れてゆくようで進まない。ここで初めて俺は素人仕事に限界を感じたのだ。
本職の道具と本職の手が要る──そんな考えが首筋を汗と共に流れ落ちた。
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・作者註
掛屋とは……でっかい木のハンマーのこと。
「CR大工の源さん」の主人公が持ってるアレ……といって通じる人はいるだろうか?
なおおじま屋は「玉ちゃんファイト」と「サメざんす」、「CR松浦亜弥」しか打ったことがない。