122話 武辺者の家臣、井戸を掘る・3
荷積みを終えた俺たちは、マイリスの操縦で馬車を北へと走らせることになった。
俺が作ってみた掘鉄管、金槌や番線など一通りの工具、マイリスが手配した保存食、簡易な測量道具に巻き尺、筆記具などをぎっしりと縄で締めあげて荷台に積み込んだ。
「旧街道は揺れるかもですから荷崩れが怖いなぁ」
休憩のたびに荷台を見上げて心配そうに尋ねるマイリスに、テンフィが締め上げた縄を引っ張りながら答える。
「積み荷は南京結び(※)で縛りましたし、縄の緩みの確認もしてますから大丈夫ですよ」
「ふふっ、なら安心ですね。――オッキさん、ひとまず分岐点の茶屋跡まで進みましょう」
南京結びというのは、積み荷を縄でしっかりと押さえつけておくための特殊な結び方だ。積み荷がごとごとと元気な音を立てても緩むことはない。ただ“絶対に緩まない”って訳ではないので、時々点検した方が良いらしい。運送業ギルドに居たというヴァシリって爺さんに教えてもらった技だ。
マイリスは荷台の外周を回りながら縄をぐいぐい引っ張って緩みの確認をして回る。彼女の仕事は本当にまめだ、だからメイド長オリゴは彼女を副長として大事にしているのだろう。
キュリクスの街並みが徐々に遠ざかっていく。道中、アニリィ殿の暴走騒ぎで偶然発見されたミスリル鉱口を通り過ぎ、さらに簡易宿泊所付きの物見やぐらを越えたあたりから、道は急に傾斜を増す。すれ違う人影はほとんどなく、静寂のなかに小石を踏む車輪の音だけが響いていた。
「──この先が旧道の分岐だな」
しばらく進むと草に覆われた茶屋跡が見える。街道分岐路の前でマイリスは馬を止めた。
左が整備された新街道、右がかつて陶土運搬に使われていたという旧街道だ。その間にぽつんと佇む茶屋跡は、かつて旅人の癒しとなったのだろう。雨戸で堅く閉ざされたその店が、もう二度と開くことはないと思うと、今は苔むして土に還りつつあるその姿に、少し切なさを感じる。
「オッキさんってこういうの好きでしょ?」
「あぁ。こういう、街道沿いに打ち捨てられた店のファサードを見て、どんなメニュを出してどんな客層だったかなと想像するのは好きだな。マイリスは興味ないか?」
「掃除したくなりますね」
「――マイリスさんは休みになると家の大掃除をしますからね」
「それ、職業病だな」
旧道を馬車で走るとフラズダ川が見えてきた。この川を下った先に木製食器と木炭の街、コーラル村がある。数十年前にこの川が氾濫した結果、街道付け替え整備事業が進んだってヴァルトア様が仰ってたな。
やがて村民の手で付け替えられた吊り橋が現れた。シュツ村へ行くためだけの吊り橋だが、こまめに手入れされているようだ。しかも構造もしっかりしていて荷馬車の通った跡も付いている。きっと行商人が時折やってきているのだろう。ちなみに橋のたもとには「安全のために下車して渡ってください」という看板が掲げてあった。
「本当に大丈夫かしら」
マイリスが少しだけ不安げな声を漏らす。荷台はそこそこ重いはずなので俺も内心では同じことを思っていたが、そこは黙っていた。しかし他を回ってシュツ村へ入る道は整備されていないだろう。俺たちは馬車から降り、マイリスが馬の轡をつかんだ。そしてゆっくりと吊り橋を渡る。
橋を渡りきった先は、しばらくゆるやかな山道が続く。そしてやがて小高い丘に出た。そこから見下ろすようにシュツ村の全景が現れたのだ。
陶土鉱を掘り出し、フラズダ川にかかる水車の動力を用いて砕石・製土していた工場跡も見て取れる。ぽつぽつと並ぶ民家は古びており、煙すら出ていない家も多い。
──俺たちの暑い夏が始まる。
そんな呟きを胸に、俺たちは村の門前まで降りてきた。そして門前に馬を繋ぎ、貴重品だけを持って村の集落へと足を踏み入れた。
俺たちの姿を見て出てきたのは小柄で痩せた白髪の老人だった。編み笠を抱えており、その中には採れたてのお茄子と胡瓜が二つ三つ。俺たちが乗ってきた荷馬車に掲げられた戦乙女の小さな紋章を見て、領主館から来たことを察したのだろう。
「おお……来てくださったか。陳情なんぞ通るとは思っておらなんだ……」
老人は掠れた声でそう言うとフェルナドと名乗った。どうやらこの人が村長らしい。
「テンフィ・スレイツです。領主ヴァルトア卿の命を受け、衛生調査と枯れ井戸の様子を伺いに参りました」
「マイリス・スレイツです。記録員として同行しております。本日はよろしくお願いいたします」
マイリスがぴしりと礼を取り、テンフィが命令書を広げる。俺は……まあ、いつも通り“現場の物理屋”ってことで通すことにした。フェルナドはひとつ頷くと、俺たちを村の中心にある広場へと案内してくれた。
「現在の村の生活の様子を教えて頂けますか?」とマイリスが尋ねると、老人は黙って広場の隅にある井戸を見やった。
「ここから上流には誰も住んでおらんはずですから飲み水は川水を煮沸して使ってます。けど、雨が続くと川も濁りますからな。その時は一晩置いた水を沸かして使うようにしとります。……何かおかしなことをしてるつもりはないんだが、子どもがよく熱を出すんですよ」
「熱ですか……」とテンフィが頷きつつ、記録帳に書き留める。 フラズダ川まで毎日汲みに行くのも大変だろうし、煮沸消毒してあるとはいえ川水を飲むのは好ましい事ではない。もし源流に獣の死骸でも沈んでいれば衛生としては最悪だ。そうでなくても糞害リスクもあるから改善は急務だ。
「井戸は?」とマイリスが訊くと、フェルナドは頷いて広場の隅にある崩れかけた四阿へと案内してくれた。その中に石組みの古井戸がぽっかりと口を開けている。
「……地震の影響、ですかね」
俺が斥候隊から借りた魔導カンテラで古井戸を照らすと、テンフィがぽつりと呟いた。俺も思わず頷く。そもそもこの村は柔らかい陶土地盤の上に乗っかっているようなものだ。地震の影響で井戸の孔壁が崩れ落ち、底には濁った泥水がわずかに残っているのが見えた。崩壊で埋まってしまったのか、それとも地震で枯れてしまったのか、もしくは両方が理由で枯れたのかは判らない。ただ井戸というものは地震によって帯水層が歪んだり、地盤そのものがわずかにずれた場合に水脈が断たれてしまうこともある。そうなればこのような浅井戸の水脈は案外あっけなく抜け枯れてしまう。
とはいえ井戸が壊れたから直せばいいだろと思うが、実は酸欠作業の知識が要る。しかもキュリクスでは廃坑井の工事については作業主任者を立てたうえで行うようにとお触れが出ているから、井戸の中に勝手に飛び込んで土の掘り起こしなんかしようものなら懲戒処分モノだ。そのための監視役としてマイリスが付いてきてるのだ、――旦那愛おしすぎて付いてきたってのが本当のところだろうが。
十数年も使っていない井戸が相手だ。湧水が腐って硫化水素が湧いてたら井戸底に入った途端、主神の下へ導かれる。しかも孔壁が崩れたら井戸を破壊しての大がかりな救出劇が開幕だ。――まぁ助からんわな。せっかくだがこの井戸は埋める方向で考えよう。
「フェルナド村長。井戸の深さはどれぐらいだったか覚えてますか?」
「確か8ヒロ(約14.4m)ぐらいって聞いてます」とフェルナドが応える。その程度ならかなりの浅井戸だ。マイリスが馬車から巻き尺を持ってくると先に分銅をつけて井戸へと投げ込んだ。水面はおおよそ6ヒロ(約10.8m)ほど。やわらかい陶土層の土が2ヒロも埋まってるようだな。それを人力で掘り出すって考えたら勇気や蛮行ではない、ただの死にたがりだ。残念だけど、この井戸のカミサマには長いお休みを取ってもらう事にしよう。
ただ、この古井戸の周りの土が異様に湿っぽいのが気になっていた。ここ一週間ほどまとまった雨なんか降っていないのに、黒っぽくて靴跡がしっかりつくのだ。つまり地下水脈は上がったり下がったりと変動しているのかもしれない。この古井戸の横あたりで櫓を組んで掘削するのがいいのかもしれん。
「フェルナド村長、実は――」
と、この古井戸の横で掘削する段取りで話を進める事にした。――そんな話をしていると、近くの民家から年老いた女がゆっくりと歩み寄ってきた。片手に月桂樹の枝を持ち、もう片方には石皿を抱えている。その石皿の中には抹香と香草らしきものが乗せられていた。
「あぁ、スミセさん」
「……水の精霊は、月の影を通して降りてこられます。だからね、井戸をいじる前には……」
スミセという老婆はそっと井戸の端に香を焚いた。
「こうして煙を立てて、“おわします方”に許しを乞うのさ。形式だけのもんだけどね……昔の人は、そうやって水の神さまに許可を願ったんだよ」
老婆は香を焚き、月桂樹の枝を地面に差して額と胸と肩を右手で触れながら「主神と月と精霊の御名に感謝」と聖句を唱えた。すると村人たちも同じ仕草をして聖句を唱える。どうやらこの村は月信教徒が多いらしい。古井戸を埋めたり新たに掘ったりすると主神の怒りを買うと昔から聞く。きっとスミセはその怒りを慰撫するために儀式を執り行ったのだろう。
しかしテンフィが小声で「月信教の体系にはこのような儀式は聞いたことありませんが……民間信仰というやつでしょうか」と呟くと、マイリスが「宗教も生活の中で土着した信仰と重なるって聞きますよ」と静かに言う。俺は神なんてぇ俗なもんは信じていない。だが生活に根付く信仰をバカにするほど冷めてもいねぇ。俺も見様見真似で聖句を唱えた。――ユナが死んだとき以来かもな、聖句を唱えたなんて。
お香を焚き始めた頃だったか。古びた月桂の香りに誘われるようにして村人たちがぽつぽつと広場に集まり始めた。老婆が聖句を唱え、井戸の傍らに月桂樹の枝を立てたころには、その輪は自然と広がっていた。
「……昔は“月影の頃”に水が湧いたそうですよ」
ぽつりとスミセが言うと、それをきっかけに井戸についての記憶が次々と語られ始めた。
「そうそう、秋の名月の頃になるとなぜか水が増えるんだ。あの頃はなあ……井戸から、ぽこ、ぽこと音がしなかったか?」
「夜は近づくなって婆ちゃんに叱られたもんさ。井戸に引きずり込まれるぞ、ってな」
「精霊だか狐火だか知らねぇが……秋の夜になるとこの井戸の周りに変な音や火の玉が見えたよな」
誰からともなく始まった語らいは井戸を囲んで自然と連なり、まるでそこに水脈が通い始めたかのようだった。その言葉をテンフィとマイリスは静かにメモを取る。中には「昔さ、この井戸でスイカを冷やしたら歯が滲みるほど冷たくてよ」と懐かしむ声もある。浅井戸なのに冷泉だったのかと思えば、別の声が「でも、たまにぬるい時もあったよな」と返す。日によって違ったというのだから、単なる浅井戸の温度変化か、それとも地下の水脈が複雑だったのかもしれない。もしくは冷たい水とぬるい水の層が重なっていた可能性もある。浅い地層を通じて異なる地下水源が入り混じっていたなら、冷泉と温泉の“端っこ”が交わる不思議な井戸だったのかもしれない。
前領主時代、地震被害の視察に来た文官が「被害がこんな田舎だけで済んで良かった」と言い放ったらしく、それが原因で村の領主感情は最悪になったと聞いていた。だがこうして俺たちを迎え入れてくれた様子を見るにそこまで酷いって訳でもなさそうである。本当に信頼が失われていたのなら陳情すら出なかっただろうし。
その輪の外で、ひとりの子どもが俺たちをじっと見ていた。髪はくしゃくしゃで頬には泥がついている。だけど、目はきらきらしていた。
「……ねぇ、井戸は治りそう?」
子どもがそう訊ねると、「夏休みの思い出として手伝ってくれるかな」とテンフィが優しく応えた。子どもはこくりと頷いた。
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・作者註
『南京結び』
南京縛りとも。
昭和生まれの中の人は『ドカタ結び』って習いました。ただご時世ですからあえてその名称は避けましたが、建設作業界隈ならドカタ結びで通じるかと思います。
なおモノタロウHPに『南京結び』と書かれているので結び方の名称はそちらにあわせました。
・作者註その2
ドラクエ4で王宮戦士ライアンが謎の声に導かれて古井戸に飛び込むってのがありましたが、まぁおじま屋も幼少期は「そこそこアホの子」だったんで、近所の古井戸に飛び込んだことがあります。
ホイミンはいませんでしたが、30分ぐらいで救出された挙句にばっちくそ叱られました。