121話 武辺者の家臣、井戸を掘る・2
──この構造ならいける。
構造も機構も、再現はきっと可能だ。これは──井戸掘削技術の、まさにブレイクスルーになるやもしれん。
翌朝、俺は領立学校の職員室でひとり机に向かっていた。もう夏休みだ、誰もいない静かな学校。剣技道場を使わせてほしいと元気な少女四人が来たぐらいで暇なもんだ。あとは補習授業を受けてる子ぐらいしか学校には居ない。
あと貴重品だと思うから本は返してきた。ランズはというと『どうりで一冊足りないと思ってたんだ』とほざいていたが、絶対に気づいていなかっただろう。だけど公共物を借りパクするほど、俺の倫理観は死んでいない。罪悪感が心を覆って不愉快になる前に返却したのだ。
机の上に広げたのは、昨夜の古文書を写した大ぶりのノート。さすがにもうメモ帳で精緻な設計図は心もとない。墨がまだ乾ききらぬノートに俺は何度も線を重ね、基本構造を描き込んでいく。
「──この部分、もうちっと高めにしたほうが安全か? ……んでハネギの構造は……ああ、こうか」
図解に描かれていた構造を思い出しながら、自分なりに作動を何度も何度もシミュレーションした上で設計図を清書する。原理や構造は随分とシンプルなのだが、形にするのはちと骨が折れる。ハネギの反動を活かして掘鉄管が上下に打ち込まれ、先端が土を砕き、掴み、穴を穿つ。弾性と重力、構造と原理、論理と実際。全てが合わさって掘削する。
気がつけば陽はもう高く、蝉の声が耳に入ってこなくなってきた。むしろ魔導冷風機の作動音がやけに間のびして聞こえてくる。
「──おや、珍しいですね。こんな時間にオキサミル先生が校内にいるなんて」
振り向けばテンフィ・スレイツが扉の影から顔を覗かせてた。手には数学の教科書、いつもの眼鏡に、黒インクと白墨で汚れた指先。きっと今まで補習授業を望む子たちに勉強を教えていたのだろう。もうそろそろアビトゥアが近いからな。
「おっ、学者先生か。すまん散らかしっぱなしでな。今ちょっと図面を描いてるとこでな」
「ふむ、何をです?」
俺はノートをくるりと回して差し出した。テンフィの眉がぴくりと上がる。
「これは……掘削機構? いえ、これは井戸掘りですか? 頭上部のバネの反動を利用して……えっ、何ですこれ、すごい!」
予想以上の食いつきに、俺はちょっと笑ってしまった。
「昨夜な、古文書から拾ってきたんだ。構造としては簡単、だが再現するとなると材料と技術が要る。木材と鉄管、それにハネギ構造を支える櫓なんかもな」
「ハネギって言うんですね、この反動装置……で、基本的に自重と重力エネルギーで掘削し、この大型リールで地中に落とし込んだ掘削管を巻き上げるって機構なのかな?」
「こんな落書き程度の図を見てよう解ったな、さすがは理論屋」
俺は図面を指でなぞりながら、再現法の見立てを語る。テンフィは熱心に聞き入り、何度も頷く。
「これ……是非とも試してみたいですね。僕の補習授業も明後日までですし、それが終われば一ヶ月は暇ですからね」
「だろう? だが実験するとなれば領主様の許可がいる」
「そういえばヴァルトア様、今夜、酔虎亭にいらっしゃるかと。夏の主神祭で振る舞う酒の試飲をするらしくトマファ様と一緒に“お忍び”で行くみたいですよ」
「“お忍び”って言いながら全然忍んでねぇよな、あの領主様」
俺がそう言うとテンフィがふふと笑った。そのとき背後から声が飛んでくる。
「お二人ともこんなところで晩酌の相談かしら?」
振り返ればマイリスがジョウロ片手に立っていた。夏用メイド隊の制服に白いエプロン、それに夏らしい麦わら帽子までかぶっている。どうやら学校の花壇へ水やりに来たらしい。
「オキサミル先生、まさかまた珍妙な実験を……?」
「珍妙ってなんだよ! 画期的な井戸掘り工法だ。この人魔時代の技術を復元すりゃ、村落の水問題は根本から──」
そこまで言いかけて、俺は一旦咳払いを入れた。
「──つまり、試してみる価値はある」
「試すって、どこでです?」
マイリスが訊ねる。どこの世でも、試したいからって勝手に行動すればどこかで角が立つってもんだ。
「西の森に俺が養蜂とキャンプをするために領主様から借りてる土地がある、そこででもいいんじゃないか? 水場があれば俺の活動拠点にもなるし、櫓を組むにも木材はいるだろうからな」
「オッキさん、森から帰ってこなくなりそうですね」
そう言うとテンフィは笑う。まぁなんだ、人間は不思議と田舎でスローライフを望むもんだ。キュリクス赴任する時なんか、エラールの喧騒から離れて田舎へ行けるって喜び勇んで行ったはずだったが、意外とキュリクスは都会だった。
休みになると本を図書館で何冊か借りて、西の森で一杯やりながら月明かりの下で読書──それが俺の何よりの愉しみだ。去年からその場所で養蜂を始めたところ、蜂蜜や蜜蝋のお陰でそこそこの稼ぎとなっている。養蜂半分、休暇半分で森に分け入ってるのだ。
「うーん、それでしたらシュツ村から井戸枯れの陳情が来てるって、前にトマファ様が言ってたわね」
マイリスがぽつりと言うと、テンフィは職員室の壁に貼ってあるキュリクス周辺地図を見て「ああ」と頷いた。シュツ村はキュリクスから北街道を往き、テイデ山西側を迂回するようカーブしたところにある。旧街道沿いのためか木賃宿も酒場もない。立ち寄る旅人もあまり居ない寂れた村だ。
「じゃあ、そこで実験の申し出をしてみませんか?」
「おぉ、お前ら本気かよ」
「やるなら全力で、ですよ!」
──こうして俺たちの、泥まみれの夏が始まったのだ。
*
酔虎亭に行ったところ、ヴァルトア様と文官長トマファ殿、そして護衛役のメイド長オリゴが既に一杯引っ掛けていた。周りの酔客と歓談しながらなので、本当に忍ぶ気はないらしい。しかも護衛まで飲んでるのだから、この領は本当に大丈夫なのかと不安になる。
一杯引っ掛けてるならということで掘削実験を申し出てみたところ、びっくりするぐらいあっさりと許可が出たのだ。しかも領収書を出してくれれば経費で落としてくれるという。しかし、だ。話は簡単ではなかったが。
「──それでだ、オキサミル殿」
曰く、かつてキュリクス北街道沿いの『陶土村』として知られたシュツ村は、数十年前の鉄砲水で街道の橋が流れてしまったという。前任の領主は氾濫を繰り返す大河から距離を取る形で街道を付け替え、整備をしたようだ。その結果、行商人も旅人も新しい街道を通るようになり、徐々に村は寂れていったという。主要街道を変えたら寂れてしまったという典型例だろう。
シュツ村で採掘された陶土の品質が落ち、さらに整備された街道沿いで良質な陶土層が発見されたこともあって陶土採掘の職人たちはそちらへ転住。あれよという間に村は寂れ、今では先祖伝来の田畑や山林を細々と守る人口五十名ほど者が住む、半ば限界集落となったというわけだ。
問題の井戸はというと、かつての陶土採掘場近くにあったものだ。しかし十数年前の地震をきっかけに枯れてしまう。当時から調査と復旧の陳情は出ていたものの、「限界集落に予算は割けない」と歴代の領主には一蹴されたそうだ。しまいにはどこぞの政治屋よろしく「被害が田舎で済んだのは幸いだった」と当時の文官が口走り、村民からの対領主感情は今もあまり芳しくないという始末である。
現在、村人たちは近くの川水を沸かして飲用しているという。しかし文官長トマファ殿の発案で一度は調査を行うべきだし、もし新たな井戸が湧けば領主感情の慰撫にはなるだろうという話で特別予算が組まれたとのこと。
「──というわけで君たちの実験、シュツ村でやってみたまえ」
「……失敗したら一揆が起きたり、俺たちの馘首を村の門前に掛けられたりする心配はないんですよね?」
「多分な」
ヴァルトア様は笑って両手を広げる。もう既に出来上がってるんじゃえのか? 今日は異様に暑かったから冷えた「生ビール」が美味しいのかもしれんが。
「いや軽ッ!」
俺は思わずぼやいてしまったが、隣でテンフィとマイリス副長が無言のまま頷いている。二人は何だか覚悟を決めた表情をしていた。こりゃ失敗出来ねぇな。
「シュツ村って、陶土採掘で栄えてた村ですよね?」
マイリスの問いにヴァルトア様がうんうんと頷いて答える。
「昔はな。きめ細かい粒度の土が採れたとかで、それを使った“便器”はなかなかの人気だったらしいぞ。だが陶土の品質が落ちてな、ミソがついたんだよ──便器だけに」
「……」
……いや、全然うまくないぞ。ヴァルトア様の横に控えるメイド長オリゴやトマファ殿はピクリとも笑っていなかった。マイリスだけがふふっと鼻を鳴らしていたが。
「──コホン。とはいえ今では吊り橋が一本かかるだけの旧街道沿い。困難はあるだろうが資材の運搬には支障はないはずだし、やってみる価値はあるだろう。水源の確保は人命に関わるし、お前らの言う掘削技術がどこまで通用するかを測るには、格好の機会だと思うぞ」
そう言って、ヴァルトア様は満足そうに微笑んだ。俺は肩をすくめて、ぽつりと呟いた。
「……ではシュツ村に進出、ってか」
その瞬間、テンフィとマイリスだけでない、ヴァルトア様やトマファ殿、オリゴまでもが同時にジト目を寄越してきたのだった。──ヴァルトア様の“ミソ”よりマシだろ、オレのダジャレのほうがッ!
ブクマ、評価はモチベーション維持向上につながります。
現時点でも構いませんので、ページ下部の☆☆☆☆☆から評価して頂けると嬉しいです!
お好きな★を入れてください。
よろしくお願いします。
・作者註
『「被害が田舎で済んだのは幸いだった」と当時の文官が口走り……』
ひどいこと言う人、いるんだなー(棒読み)
びっくりレベルでノンポリなおじま屋、みかんは愛媛に限ると謳い続けます。ぴえん
みかんみかんみかん! 飛んでこーい!