12話 武辺者、家臣を労わる
「トマファ、ちょっといいかな……。君、ちゃんと休んでいるか?」
「えぇ、卿。安息日にはちゃんと礼拝行っておりますよ」
「いやいや、ちゃんと休んでいるのかと訊いたんだ。というのも君が毎晩遅くまで仕事しているとカミラーから報告を受けておってな」
「あ、いや、その……」
「あと君、体調が整わんだろ」
「いえ、まだ大丈夫です」
トマファは居住まい悪そうに目を逸らすと頭を搔いた。俺はトマファの肩をポンポンと軽く叩いて彼の車椅子を後ろから押す。「え、どこへ?」というのを無視して押し続けた。トマファの執務部屋を出ると廊下を右へ曲がる。途中、バスケットに食材を詰めた料理メイドのステアリンとすれ違った。廊下の隅で首を垂れる彼女に「トマファの為に滋養のある温かい夕飯を頼めるか」と言った。彼女は「御意」と短く応えそのまま厨房へ入っていった。
「あの、僕はどこへ連れていかれるんでしょう。それに自分で車椅子ぐらい転がせますので、卿のお手を煩わせるのは」
「トマファ。当家は残業しないってのがルールだろ? 決まった時間に仕事を終えたら身体を休めて明日への活力にする! もし仕事が終わらないならスルホンやノックスに相談する、俺に相談してもいいんだぞ――ただしアニリィだけはやめとけ、間違いなく手間が増える――それにトマファ、もう終業時間だ。宿舎に帰るぞ」
「え、ですがまだ未決の書類が」
「それは急ぎなのか? 緊急案件か? んな事ないだろ? 意外と一晩寝かせたらうまくなってるかもよ?」
「煮込み料理じゃないんですよ」
「お前さん、赤茄子の煮込みスープみてぇな顔色して何言ってんだ。さぁ休め休め」
俺たちは領主館を出て宿舎との渡り廊下を駆け抜けた。キュリクスに赴任した時はまだまだ肌寒い春先だった。しかし今はもう初夏の空気に変わっておりずいぶんと陽も長くなったな。渡り廊下から見える中庭ではスルホンとアニリィが型稽古の真っ最中だった。武官である二人は終業前にはときどき打ち込み稽古もするがいつも必ず型稽古をしている。二人は俺たちに気付くと納刀し立礼した。
「稽古中すまんな、邪魔をした、通るぞ」
「大丈夫ですヴァルトア様。ところでお二人してどちらへ?」
「あぁスルホン、どうもトマファが熱を出したみたいでな」
「それはいけません。――というかトマファ殿、貴殿は働きすぎですぞ」
「ほらやっぱり、お前は働きすぎなんだよ。今日明日はゆっくり養生しろ。――文官は近いうちになんとかしよう」
「いえ、この程度で養生なんて甘えた事は――」
「馬鹿モン!」
俺の一言にトマファはびくりと身体を震わせる。ちょっと声デカかったかな? アニリィもびくっとしていたし。まぁ声を出してしまった事について一言だけ謝ってから、
「人間って案外脆いもんだ。若くてもちょっとした風邪でコロリと逝くときもあるんだぞ。無理を押して仕事をするのが美徳と思うな。仕事と命を天秤に乗せるぐらいなら軽いうちにさっさと治せ。風邪気味だったとしても確実にだ。――これは俺からの命令だ。トマファ、食って寝ろ」
と言った。――ふぅ嫌だね、年を取ると説教臭くなる。こんなジジイにはなりたくないなと小僧の頃は思ってはいたんだがな。
「――承知です。僕に熱があるってよく気が付きましたね」
「あぁ、カミラーがな。お前さんが夕べから様子がおかしいと進言してきてな」
『トマファ殿はちょっと働き過ぎよ?』と最初に言い出したのは領主館に無事住み着いてくれたアルラウネのカミラーだった。カマラーと同じく彼女にも領主館に侵入する間者への監視をお願いしている。が、家臣の勤務状況についての監視は依頼していない。そんなことまでお願いしたら、
『スルホンとグレイヴが兵士の前で剣技見本と言いながら本気で打ち合っている』
『オリゴが新人メイドに礼儀指導と称してナイフの投げ方ばかり教えている』
『ウタリとノール爺は仕事もせず昼間からチェスばかり打っている』
なんて碌でもない報告を毎日逐一報告されるだろう。
しかしアルラウネという種族は動物から発する体温には鋭敏らしい。というのもアルラウネは、動物が発する体温に反応して蔓や根を使って摂食する肉食種族だと昔から言われている。とはいえカマラーたちに聞いたところアルラウネは光合成をして栄養分を合成もすることが出来るし、根から水分も栄養分も吸い上げているそうだ。つまりアルラウネだからといって摂食行動で栄養を取り込んでいるわけではない。ただ、元気になったカマラーは摂食行動に走りたくなった時は屋根裏に潜むネズミを食っていたというし、結婚退職直前のマイリスから漂う異性の精気をも摂食していたという。カミラーの場合は、普段はマイリスが世話をしているせいもあるだろうが、摂食欲求が非常に弱いらしく人や動物を食おうなんて特に思わないそうだ。それならばと家臣らの勤務の監視ではなく体調の監視を命じていたのだが。――今まで上がってきた報告は「アニリィが二日酔い」ばかりだった。
宿舎の通用口に着き、俺らの横に控えたアニリィが木扉を開けてくれた。ちょうど宿舎の廊下をパルチミンがモップ掛けしており、俺に気付くとモップを納刀して目礼した。
「トマファはちょっとお疲れのようでな、ステアリンには少し滋養のあるものを用意して貰っている。届いたら熱々のうちに彼の部屋まで運んでやってくれ。――くれぐれも宿舎を抜け出して領主館に戻ることがないよう見張っていてくれ」
「御意にございます」
パルチミンは持っていたモップを壁に掛けると恭しく頭を下げそう言ってくれたので俺はトマファを彼女に預けた。出来る事ならトマファの部屋まで送ってやりたいのだが、宿舎は家臣たちのプライベート、俺は足を踏み入れないようにしている。とはいえこいつらに宿舎を任せておくと散らかり放題のゴミ屋敷になるのは目に見えているので、廊下などの共用部はメイドたちに手当を支払って掃除をお願いしている。そこまで広くない掃除場所と少し色がついた手当のおかげで若いメイドたちは喜んでやってくれている。なおパルチミンは一つの仕事をお願いすると他の仕事を忘れてしまうことが多いので、さっきのモップは明日の朝まで壁に立て掛けられたままになっているだろうがな。
「ヴァルトア様。私、ヨクナルを買ってまいりましょうか」
「アニリィ、頼めるか?」
「えぇ、ですが少しお願いが」
「なんだ」
「あの、私にも滋養のある夕飯を……、ちょっと金欠でして」
「直属上司のスルホンが目の前にいるじゃないか、そいつに頼め」
「じゃあお願い――」「お断りします」
アニリィよ、給料日まで随分先なのに大丈夫なのか? まぁ俺が気にする話ではないが。というかアニリィならしぶとく生き抜くだろうし本当に食うに困っているならスルホンが助けてくれるはずだ。はずだよね?
★ ★ ★
(スルホン視点)
「――んはぁー、今日初めてまともな食事にありつけましたよ!」
「お前なぁ、給与管理も仕事のうちだぞ。お前のオカンじゃねぇから貯金しろ資産形成を考えろとか言わんがもう少し考えて生きろよ。ってかお前、朝、パン粥と肉を食ってなかったか」
「あれですか? 砂糖水で戻した乾パンと干肉を庭に生えてたキノコと共に炊いただけです。賞味期限が切れた兵糧食ですから元手はかかってませんよ」
「お前なぁ、じきに腹壊すぞ」
「この時期に庭に生えるキノコは七月茸ですから大丈夫ですよ! ただ見た目そっくりな毒キノコが近くに生えていますからスルホン様は決して手を出さないでくださいね?」
「お前も手を出すなよ! あと拾い食いもするな」
アニリィに解熱剤を買いに走らせたあと、ヴァルトア様から「これをアニリィへの駄賃にしてやってくれ、あともう一つ頼む」と俺に言われ、いくらかの小遣いを頂いた。そのお金をこのままアニリィに渡せばすぐに酒代に費やすだろう、しかし本当に腹が減ってるであろうアリニィを見て仕方なく我が家に連れ帰ってきた。小遣いは、まぁ、この食事代として貰っておこうかな?
ちなみに我が家は単身用宿舎の横にあり、ひとまず帰宅して妻に夕飯をあと一人分増やせるかと訊いてみた。「ひょっとしてアニリィちゃんが来るの? それなら腕によりをかけないとね」と妻は笑顔でそう言うと台所へ入っていった。妻はアニリィを妹か何かと思っているふしがあり、「あの子はちゃんとご飯を食べてるのかしら」と心配そうにときどき質問はされてたからな。
しばらくして息せき切らせてやってきたアリニィに「せっかくならかいた汗でも流してこい」と言うと彼女は「ではお風呂お借りしますね」とそのまま入っていった。
このキュリクスって地は湯浴みの文化があり、この妻帯用宿舎にも風呂場があった。単身用宿舎には風呂は無いが街のあちこちに銭湯があり、朝鐘から晩鐘まで営業している。純粋に温浴を愉しむところから温熱を愉しむ風呂屋、露天の風呂屋や長期逗留用風呂屋など様々だ。なかには「浴室できれいな女性とばったり出会い即日婚姻状を書き、出る時に離縁状を書く」って不思議な温浴風呂もあるらしい。辺境の田舎だと思っていたキュリクスだったが湯浴み温浴療法の地だったらしく、清らかな温水があちこち湧き出るこの街はにぎやかだ。若い頃は惰弱だと思っていた入浴だが、今では俺も毎日入らないと気持ち悪い。
「ふぃー、汗を流してまいりました」
「あらら、アニリィちゃんったらもうお風呂から出ちゃったの? 年ごろの乙女なんだからもう少し珠のお肌を磨いておいでよ」
「いえいえ。磨きすぎて目減りしたら大変ですから」
「あらまぁ面白いこと言うのね。さぁ座って座って、たくさん食べていってね」
妻が椅子を勧めるとアニリィはちょこんと座る。そしてスプーンを右手に持ち目をキラキラ輝かせていた。「食べる前にまずは主神への感謝をしなさいな」と妻から窘められてアニリィは両手を合わせた。妻も椅子に座ったのを見計らって俺は聖句を垂れる。
「んじゃ、アニリィちゃん、あなた。美味しく食べちゃいましょう」
妻がそう言い終わるや否や再びアニリィは再びスプーンを持つと麦粥に手を付けた。食事をするときこいつはいつも麦粥から食べるよなぁ。そして近所のパン屋で売れ残っていたであったろうパンをちぎり口に放り込む。次は青物野菜のバター炒め、和え物、芋スープと手を付けて行った。アニリィは本当によく食べる。
「アニリィちゃん、遠慮しなくていいのよ? どんどん食べなさい」
「おいエルザ、こいつを甘やかすな」
「なんかスルホちゃんが言ってるけど、気にしちゃだめよ。それにそんな腹ペコならいつでもウチに来てもいいのよ? ほらほら、あなた達は若いんだからたくさん食べなさい」
妻はアニリィちゃんに簡単なものを追加で作ってくるわと言い席を立つ。そして台所に籠ってすぐに料理を三品目作ってきた。
「エルザ姉さんいつもごちそうさまです。こんなおいしいのなら近くに小料理屋を出してくれれば通うのに」
「あら、アニリィちゃんが来てくれるならいつでもサービスするわよ?」
妻はそういうとまた台所に入り、すぐに料理を出してくる。最初は嬉しさと美味しさでがつがつ食べていたアニリィだったが、徐々に動かす手の速度が落ちる。咀嚼するのも時間が掛かってきた。きっと腹が膨れてきたのだろうな。妻はこの大陸南部の穀倉地帯出身だ。何世代に渡って食に困らない生活をしていたせいか、人の腹を満たす事に喜びを感じる人が多いと聞く。妻もそんな一人で、特に若い子にたくさん食べてもらう事に喜びを感じているのだ。
妻の「たくさん食べなさい攻撃」がようやく一段落した。油断しているときっと第二波がくるので仕事の話をして抑えている。武官の妻とはいえ仕事の話をしている最中に食事を出すなんて無礼はしない。もちろん口を挟むこともしない。
「ところでスルホン様、新しい文官を招くってヴァルトア様が仰ってましたが、それって」
「あぁ。今までトマファ殿の細腕でキュリクスの統治をしていたからな。彼が過労で熱を出してしまうほど負担を強いていたとすれば俺らの落ち度だ」
「判りました! では私も明日から書類にいっぱいサインします!」
「やめてくれまじで。お前が考えなしに書類を通すと当家もエラール王宮のようになってしまうぞ」
「あ、王宮でまた何があったんです?」
「ジェルス殿からの情報でな――」
文官貴族のノクシオス卿。
彼が前王に取り立てられてもう既に十数年だ。元々は能吏だったが王の下で辣腕を振るうようになった結果、少しずつ彼と回りが狂っていったのだろう。老齢と健康問題から前王が政務をノクシオス卿に任せるようになればそんな彼をただひたすら阿るような凡百の文官が集まってくる。いつしか彼らは一つの派閥となって宮廷を、王宮を牛耳るようになっていく。いつしか『王宮にノクシィ一派あり』と言われる程の勢力となっていった。前王にそれらを改め諫めようとする高位文官もいたが届くことはなかったと聞く、それほどまでに衰えていたのだろう。
いつしか王宮ではノクシィ一派でなければ出世もしないと言われるようになった。しかも一派にいても安泰ではない、いかに周りに献金して自身の地位を保持するかに忙しいとも聞く。そんな中でも国の為に尽くそうとする文官も居た、例えばロテノン卿がそうだろう。しかしノクシィ一派があらかじめ筋道を立てた案件も朝議で疑義を示すような人間はただただ目障りでしかない。そのためロテノン卿は閑職に追いやられ今はどこかへ左遷されたと聞く。
「え、あの頭でっかち、左遷されたの?」
「ジェルス殿の話では、な」
「ヴァルトア様に田舎者と罵っていたからですよ! ざまぁですね」
「だがロテノン卿らが地方に飛ばされてからノクシィ一派が暴走を始めたんだよ。――ブレーキ無くなっちゃったからな」
例えば王城門の修理事業があったとしよう。今までだと担当文官がどのように修理するか見積額を見定める。それを朝議に掛けて認められてから入札、工事事業主を選定ってプロセスがあった。朝議がスムーズに行われるよう『根回し』はあるだろう、そのため関係部署にちょっと心づけを渡すのは変な事ではない。しかし今ではギルドから渡された袖の下の軽重で修理事業を審議するようになった。見積額を推定したり入札なんかしない、一部のギルドのいうなりにただ仕事を投げるようになったという。そうなれば修理金額もいいかげんで一貫性はない。資材高騰などと理由を付ければ誰でも横から抜けるようになっているしギルドからもキックバックはある。王城門を綺麗に治せてもその内情はドロドロに腐りきっていたわけだ。
血税を使って佞臣が互いに金をばら撒いていれば国庫はいつか枯渇する。それが今年になってようやく顕著となってきたのだ。特に去年は南部穀倉地帯を中心にそこそこ不作だったため国庫への歳入が減った。そうなれば事業をしたくても元手がない。それでも私服を肥やしたい者たちはどうするか?
なんと今まで縁が薄かったところだけでなくズブズブの関係だったギルドへの特別徴収を打診し始めたと聞く。そうなれば金をばら撒いてきたギルドにとっては溜まったものではない。いままで仕事を融通してもらうために袖の下を通していたのに、見返りがあるかどうかわからない徴収を打診されたのだから。今まで袖が千切れそうなほど渡されていたものが無くなり、今では佞臣たちに近づこうとする輩は怪しげな者ばかりと聞く。
「そこに王太子様が御病気で奥宮に引っ込んでからさぁ大変ってところだ」
「今度は何があったんです?」
「レピソフォン様だよ」
「――うわぁ、アレですよね。バカ王子」
「ばかよせ、滅多な事をいうな」
アニリィが漏らした「バカ王子」は間違いでない。係わると碌な事にならない、名前を出すことすら憚れる無能な御尽だから心の中でそう呼んでいても問題はない。しかし「バカ王子」だなんて口にしたことを聞かれでもしたら不敬罪でしょっ引かれる。とはいえノクシィ一派の汚職と失政で宮廷内ではパワーバランスが崩れた。そこにレピソフォン様とその取り巻きが不穏な動きをしていると聞く。
「だからな、俺としちゃ文官募集の時期が悪いなぁって心配があってだな」
「それなら募集にやってきた奴の身辺調査って難しいんですか?」
「いや、出来るぞ。ただなぁ、あとあとになってお前はノクシィ一派だったから辞めてくれって言えないんだよ」
「え? そんなもんお前はクビだって言えばいいんですよ」
「お前も当家では一隊を率いる武官なんだぞ。解雇権についてはきちんと覚えているんだろうな?」
俺がそういうとアニリィは目を泳がせ、「えっと、確かごーりてきできゃっかんで」などと口走っていた。きっと当家への仕官した時、頭に無理やりねじ込んだ知識を引き出そうとしているのだろう。俺はしばらくアニリィの顔を見つめてどんな答えが出てくるか見守ることにした。もちろん応えなんか出てくるはずはない。アニリィはぶつぶつと何かを吐きだしたが言葉にはなっていなかった。
「客観的かつ合理的な理由を欠き社会通念上相当でないと解雇は出来ない、じゃないか?」
「そうそう! それですよそれ! んもぉ私が思っていた通りですよ」
「お前、目ががっつりとクロール泳法だったぞ」
「ま、まだ平泳ぎです!」
泳いでいた事は認めるんだな。まぁアニリィの良いところはとにかく素直なところだ。ちなみに俺も若い頃、執事のジェルスに解雇権について詰められたことがある。武官だからって国が定めた法令の基礎ぐらいきちんと覚えてくださいと嫌味の一つも言われたな。
「人をクビにするって簡単な事じゃないんだよ。ってか雇用って使用者と労働者との契約なんだ」
「それぐらい判ります」
「よく飲み屋で冒険者パーティが『お前はクビだー!』って騒いでいるのをたまに見かけるけど、あいつらは契約って何だと思っているんだろうな」
「口約束だと思っているんじゃないんですか?」
「口約束も立派な契約だぞ。――そういえばこの前、『お前は前衛で戦う、俺は非戦闘員の斥候職だから戦わなくてもいいって話だったじゃないか』って飲み屋で叫んでいた奴がいてな」
前衛職が切った貼ったの戦闘をしていても斥候職は護身程度の剣技しか出来ない奴らばかりだ、それだと後々分け前で揉める。それこそ方向性が違うから揉めるわな。しかし若い奴って他人の努力より自分らの成果、仕事量、領分で物事を計ろうとするから質が悪い。斥候職が居なきゃ迷宮で迷子だろうし、落とし穴にはまって奈落の底ってのもあるだろう。迷宮内でばったり魔獣と遭遇戦なんて想像するだけでも恐ろしい。遭遇した相手が例えゴブリンだったとしても、疲労で敢えなく命を落とす事もある。もし仮に、俺が冒険者をやる事になったなら戦闘回数を減らすために斥候職には給金を弾むだろうな。しかし若いとそういう事になかなか気付かない、気付けない。
「冒険者パーティがどのような形の労使契約を結んでいるかは知らん。しかしパーティなんて命を預け合う仲だ、それ相応の契約があるはずだぜ。それなのに軽々しくクビだーなんて叫ぶバカの下で誰が背中預けられるよ? ――アニリィがもし、ヴァルトア様が癇癪持ちですぐにブチギレるような御尽だったとしたら、その人ために命を掛けて戦えるか?」
「嫌です。ってかそれでも使われる立場に甘んじるのなら、ただの奴隷労働ですよね」
「つまりそういう事だ。そんな人間の下には人は集まらん。しかも人を雇い入れたなら解雇権は濫用できない。それでももし解雇権を行使するなら客観的かつ合理的で社会通念上相当な理由がなきゃ、だ」
「解雇の理由ってどんなのがあるんでしょうか」
「そうだな――毎晩飲み歩いて二日酔いででも平気な顔して出勤して、午前中は眠気眼で仕事に身が入ってない奴じゃね? まあそんな奴だったなら労働時間半分、賃金も半分にしてやればいいかもだがな」
「それって私の事じゃないですか!」
「判っているなら少しは酒を控えろ!」
小遣いをもらった時、ヴァルトア様から時々酒臭い状態で出勤してくるアニリィに指導しろとも言われたのだ。これでもダメなら創薬ギルドのアルディさんに酒が嫌いになる薬でも開発して貰わんとな。
★ ★ ★
熱を出したトマファを預け、領主館に戻った俺は執事のノックスに明日はトマファを休ませると伝えて自分の執務室に戻った。さて、事務仕事をとっとと始末して俺も休もう。執務机に置かれた未決書類に目を通して許可印を押す。その未決書類はトマファから上がってきたものばかりだが、中には将兵からの要望も入っている。例えば古参兵小隊のメリーナから武器の更新についての願いだ。これは軍略教官のウタリと相談して決めていかないとな。そんな未決書類の中からかわいらしい文字の羊皮紙が一片挿し込まれていた。俺はまず他の書類を決裁してからソファに座ると酒を出す。かわいらしい文字の羊皮紙を何度も読んで思案する。
「ねぇヴァルトア様、私も一杯よろしいかしら?」
この領主館に根付いたカミラーがそう言った。先ほどまで窓際に佇んでいた彼女だったが、いつしか音もなく足を這わせてやってきた。そして彼女はソファに腰掛け、蔓のような足を組む。「お前も母親に似て酒が好きなんだな」と俺は応えてグラスに酒を注いでやる。
「カマラーは母親じゃないわよ。――ところで何を読んでるのかしら」
「陳情書だ」
「あら、それなら早く決裁しなきゃね」
「だから少し飲んで考えているところなんだよ」
しばらく二人で飲んでいたら酒がなくなった。「ちょっと取ってくるわ」と言って俺は席を立ち執務室の隣にある物品庫へ取りに入った。そこにはオリゴが一人で庫棚に収められた消耗品を数えていた。「お前もあとで飲むか」と誘うとすぐ行くわと応える。俺はいつもの酒を棚から抜くと執務室へ戻った。
ソファに戻ってから陳情書を読みつつしばしカミラーと飲んでいたらオリゴが執務室に入ってきた。
「さて、私も終業っと。じゃあ一杯頂くわ――あら、ようやくミニヨ様からの陳情書をお読みになられたんですね」
「なんだ、オリゴは知っていたのか。さて、これの返答をどうしようかな」
「えぇ、私が未決書類に差し込みましたんで」
「やっぱりそうか」
かわいらしい文字で書かれた陳情書には『錬金術師になりたいのです。ですから今度入学するエラール礼節学校へは進学したくないのです』とだけ書かれていたのだ。
俺は今までミニヨと向き合って彼女の将来について話をしたことはない。ときどきミニヨを嫁に欲しいと言ってくる貴族共はいたが、まだ12、3の娘をどうぞと差し出すって考えは俺には無かったし、ミニヨの将来について何も考えていなかった。きっと礼節学校に入って花嫁修業をし、どこかの貴族と見合いをして結婚し、いつかは家を出てゆくんだろうなとは漠然と考えていたが。
「さてと、オリゴはどう考える?」
「縁あって私は幼い頃のミニヨ様の養育も担当致しました。その立場から言わせていただければミニヨ様の人生はヴァルトア様のものではございません」
「それは判っているよ、判っているけど……んー」
突然に降って湧いた娘の将来。俺はどうすればいい? トマファに相談か? それとも妻のユリカか? オリゴの言う事が当たり前すぎて考えがまとまらない。さてどうすれば?
「ところでお二方。錬金術って事は本当に金が作れるのかしら?」
「カミラー様。――金はきっと作れないと思います。それでも金を作ろうと先達は古くから実験研究を繰り返し、何かを発見したらその都度発表してきました。そして私達はその発表を元に様々な発見発明を利用して糧し、金ではなく財を生み出してきたんです。そういう者たちを昔から錬金術師と呼んでいますが、ようは実験屋化学屋です。ちなみに一昨日いらしたテルメ様はギルド所属の国家錬金術師ですよ」
「ふぅん、相変わらず人間の世界って難しいのね」
カミラーの思いがけないその一言に俺は思わず頷いてしまった。そんなテルメに触発されたのか、もともと錬金術に興味があったのか、ミニヨの陳情には早く応えなきゃなと俺は思った。
★ ★ ★
新都エラールでこのような裁判が行われた。
原告は20代の斥候職で、迷宮内でパーティーリーダーの男ら(被告)より一方的に解雇を宣告され、深層階にいたにも係わらず持っていた武器防具類を回収されて放置されたと主張。原告は労働契約法16条における解雇権濫用であり、かつ、労働契約法5条における労働者安全配慮義務違反だとして被告らに地位確認を含む訴訟を起こしたもの。他にも回収された武器類についてもそれらは仮に貸与品であったとしても日々の手入れは自費で行われており、深層階で回収されて放置されれば生命の危機にも晒される事は想定できるとして、返還を求むのなら迷宮を出てからするべきとも主張している。
一方被告であるパーティーリーダーの男剣士(20代)とその仲間の女治癒師(20代)、女魔導士(年齢不詳・自称永遠の17歳)は、冒険者職は自由業であり個人事業主の集団であるから労働基準法にそぐわないし、戦闘にも参加せず専ら家事使用人のような仕事しかしていないために労働基準法第116条第2項の規定より労働基準法適用除外だと主張した。
それに対しエラール地方裁判所では
・解雇とは、従業員の同意なく使用者側からの一方的な通知により雇用契約を終了させることであり、今回の事案では被告が行ったのは解雇宣言であること。
・その解雇について客観的かつ合理的な理由を欠いており社会通念上相当でないと認められることから、その解雇は無効であること。
・被告の主張通りに家事使用人のような仕事しかしていないという主張があったとしても、原告は迷宮で斥候として労務を提供し迷宮で得た収奪物の売却額を被告の男剣士が原告に渡していることから、原告は労働契約法第2条での「使用者に使用されて労働し、賃金を支払われる者」として労使契約があったとみなすことが出来ること。
・むしろ原告に弁明の機会が与えず具体的な事案の検討もせず迷宮に放置するのは保護責任者遺棄罪に当たるとし別審議すべき
と、判断を下した。
なお別件で審議されていた「解雇された暗黒兵士事件」は、原告は魔王国の領土や国民を守るという特殊な任務を担っている、階級や定年などが勤務の特殊性を考慮されていることから特別職国家公務員として労働基準法は適応しないと判断を下したという。
(エラールスポーツWebより転載)
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