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116話 武辺者の若き家臣、実家の危機 =後日談3=

 オレはぶつぶつとつぶやいていた。


『……遊びに行こうって言われてもなあ。ほんとに行くのかな、オレ』


 頭の中で『やっぱ辞めときます』って断るシミュレーションは何度もやってみたんだが、結局そのミッションは果たせずついに約束の日になってしまった。階段を下りる足がなんだか重い。


 階下の店舗を覗き見ると今朝の酔虎亭は少しだけ違っていた。母ちゃんはいつも通りモップ片手にステップを踏みながら鼻歌まじりに床を拭いている。ただ、今日は早めのリズムでモップ掛けをしていた。不思議とテンション上がってるみたいだ。父ちゃんはというと厨房で市場から仕入れてきた食材をちゃっちゃと下ごしらえしてた。ザンッザンッと小気味良い音を立てて野菜も鳥も切ってゆく。あの手つきはもう芸の域だと思う、喋り方は雑でぶっきらぼうだけど。


 オレはあの時、トマファ様の提案を「考えときます」と言って断ろうと思っていた。だが父ちゃんも母ちゃんもオレの意志なんか関係なく「行ってらっしゃい」と即答してしまう。すると「では来週行きましょう」とトマファ様はそう言ったのだ。まあ、特に予定もなかったし、幼馴染のところへ遊びに行くにもみんなもう結婚してて、行くだけでも迷惑だ。博打して過ごす趣味もない。家でゴロゴロしてても落ち着かないだろう。それなら酔虎亭の厨房で父ちゃんの手伝いをしてるしかない。だけど両親とも「行ってらっしゃい」と言ってるのに、厨房で仕事しますっていうのも変な話だ。

 

 厨房に入るなり母ちゃんがちらりとこっちを見るなりこう言った。


「ねえ、せっかくなんだし、もうちょっと気合い入れてメイクしてみたら?」

「う……」


 言い返せなくて思わず目をそらす。蒸留所や厨房での仕事では汗をかくから最低限のメイクに留めてた。いつもの癖でぱっぱっとメイクしただけだったけど、母ちゃんからしたら『気合が入ってない』みたい。――その“気合が入ってない”って、ときどきやってくる領主軍のちびっ子ギャルちゃんの口癖だよね。


 何か言い返しても母ちゃんのことだ、二倍にも三倍にもなって言い返してくるし、最後には椅子に縛り付けてでもメイクしてくると思う。あとでやるよとだけ伝えた。

 親父はというとザッザッと小気味いい音を立てながら野菜を刻み、こちらを見ること無くぽつりと呟いた。


「こっちの事は気にせず楽しんでこい」


 その一言にオレはちょっとだけ気を楽にした。


「そうだな。サーグリッド・フォレアル一杯分くらいは楽しんでくるよ」


 そう言うとお手洗いにある洗面台でほんの少しだけ化粧を足す。頬に赤みを入れて、眉を整えて、口紅も施す。でも白のベレーコック帽だけは変えない。これは職人だった――オレの証みたいなもんだ。


 と、ちょうどそのとき。


「お姉ちゃん、迎えに来たよー!」


 プリスカが弾けるような声でお手洗いの扉を開けて入ってきた。まぶしいくらいの笑顔だ、朝から全開すぎる。


「お前さぁ、人がトイレにいるのに入ってくるか、普通?」


「母ちゃんが『う●こじゃないから大丈夫だと思う』って言ってたから入ってきた!」


「そういう問題か? ──てか、お前、迎えに来たってどういう事だ?」


「ほら、トマファ君ってどうしても介助が必要な時ってあるでしょ? マイリス副長だけじゃ大変でしょうってオリゴ様が仰るんで、私も同行することになったんだ!」


 彼女が敬語をきちんと使っていた事に驚いた。オレですら『仰るんで』なんて言葉、すっと言える自信がない。父ちゃんたちが敬語を使うってシチュエーションも想像できない。これも領主館で働いてるからなのかな。


「あとお姉ちゃん、頬に差す紅はもう少し頬骨あたりに入れないと。オテモヤンになってるよ?」


 そう言うとプリスカは肩から下げてたポシェットを開け、メイク道具をいくつか取り出した。──少なくとも化粧筆やファンデーションなんかは、私が使っているやつよりも高くて質のいいものだ。


「トマファ君には”乙女には時間がかかる”って伝えておくから、いったんメイクを落としておいてね」


 そう言うとプリスカはお手洗いを飛び出していった。そしてこんな声が耳に飛び込んできたのだった。


「今ねぇ、お姉ちゃんう●こだって!」


 ──違ぇよバカぁ! "乙女には時間がかかる"って話はどこ行ったんだよ!


 ※


 街道をぽたぽた往く馬車の御者台では、プリスカが得意げに手綱を握っていた。


「ほら見てマイリスさん! 今、ちゃんと真っすぐ走れてますよね? 右に左とふらついてませんよね!?」


「はいはい、ほんと上達しましたね」


 はしゃぐプリスカを横目にマイリスさんはニコニコと相づちを打ちながら、でもちゃっかり手綱の端を握っている。馬車の操縦はまさに「人馬一体」でなければ危険だ。馬の気分や体調で車体がふらついたりする。だからマイリスさんはプリスカが変な事をしでかさないか気が気でないだろう、ブレーキペダルに右足を載せていたし。しかし補助されてるのに気づいてないな、末妹よ。


 オレは荷台の椅子に腰掛けていた。カタコトと時々揺れる程度で都市間馬車に比べたら乗り心地はかなり良い。その荷台には、安楽椅子に座ったトマファ様。相変わらずきっちりした身なりだが、膝にはかわいい柄のブランケットが乗っかってた。そして横には小さなキャンバス地の鞄。


「お尻が痛むようなら仰ってください。座布団はまだございますから」

「いえ、大丈夫です。道も整っていますし」


 礼儀正しいやり取りのあと、馬車には心地よい沈黙が流れた。鳥のさえずりと車輪の音、そしてたまに聞こえてくる「トロット〜〜!」というプリスカの声。ああ、なんか……思ってたより気が楽だ。


 それにしてもマイリスさんの手弁当がすごかった。


「これ、よかったら食べててください」


と言われ、渡されたバスケットには手作りのスコーンとカップケーキが入っていた。きっと領主館お抱えパティシエにでも作らせたのかと思ってたが、手綱を握るプリスカが「それ、マイリス副長の手作りだよ」と教えてくれた。これをマイリスさんが? ってくらいの完成度だった。


「ところでトマファ様」


「ん、どうかなさいました?」


「オレをエンノーラ蒸留所へ誘った理由、そろそろ教えて頂けません?」


「そうですよね」


 そう言うとトマファ様ははにかんだ。正直、エンノーラ蒸留所のは独特な薫香と味に尽きる。オレが前に居たリフエッツ蒸留所もそうだが、製法やもろみの醸造法や蒸留法については酒蔵によって秘匿としている場合が多い。エンノーラ蒸留所もそうで、クリル村産の大麦麦芽を使用している事と楢材独特のバニラ香、そして荒々しさの中にも落ち着いた持ち味が特徴だ。不思議な雑味が色々混ざり合っているから独特なんだと思う。


「ご存じの通り、実家のエンノーラ蒸留所の父と弟が大チョンボをやらかしまして絶賛建て直し中なんです」


「そりゃ去年と今年蒸留した酒は全部ヴィシニャクに使いましたからね。二年分の在庫を吹き飛ばしたようなもんでしょ」


「実はダンマルクさんから薫香を加えるために樽詰五年モノも出せと言われていくらか出したんです。ですから賞味三年分以上の在庫ですね」


 オレは言葉を失った。つまり増産するか、若い酒を出すか、別の酒を造るかしないと将来的に売上は減少するって事だ。特にサーグリッド・フォレアルは値段と味のバランスがいいのは十二年物だ。つまり十数年後に減少分の打撃が来ること必至だってことだ。


「ですからぶっちゃけ、エミリアさんに助けて欲しいんです」


 オレは目の前の文官長殿は、腹芸が得意で理屈っぽい人だと思い込んでいた。しかし実際はといえば等身大のオレと同年代の青年だった。助けて欲しいって素直に吐露した事に驚きを隠せなかった。


「でもオレ、リフエッツ蒸留所をクビになったんですよ? 労働組合を作ろうとしたって疑われて」


「ダンマルクさんから伺いました。ですが、エミリアさんはより良い酒を造りたいって気持ちで蒸留所内で勉強会を開いたんですよね」


 そうだ。製造工程と衛生管理の標準化を目指し、製造班の仲間たちと仕事上がりに一杯やりながらわいわいとやってたんだ。しかしオレの酒の市場評価はいまいちで受けが良くなかった。それにリフエッツ蒸留所の経営不安から人員整理の話が経営陣で上がっていた時、オレがスケープゴートにされたのだ。


「良い酒を安定的に作るには経験ではなく知識が必要だと思います。ですが実家のエンノーラ蒸留所には知識ある人員は居ません。余所の蒸留所で品質管理や蒸留管理をしてた人も居ません。――そんな逸材、なかなかいませんからね」


 確かに酒造りと言えば農閑期の農民たちの出稼ぎって色合いが強い。リフエッツ蒸留所もそうだったから、きっとエンノーラ蒸留所でもそうなんだろう。だから知識の無い彼らは『経験と勘』で酒造りをするから味や品質にばらつきが出る。現にヴィシニャクづくりをしてた時も樽ごとの品質の差は大きかった。中にはビネガーになってたのも交じってた。これは決して良い傾向ではない。


「エミリアさんに是非とも辣腕を振っていただきたいって訳じゃないんです。まずは僕の実家へ行ってみて、専門家だった方の話を聞いてみたいなと思ったんです」


 真っ直ぐな目でそう言ったのだ。だけどオレは“職人”の夢を捨てた身だ。そんな人間があれこれ言ったところでトマファ様の御家族が耳を傾けるとは思えない。――だって、エンノーラは歴史ある蒸留所だし、サーグリッド・フォレアルなんてキュリクス周辺じゃ鉄板ブランドだ。


「あ、そう言えば父が『五十年モノ』を見るかって話をしてまして」


 それを聞いてちょっと楽しくなってきた。オレはどれだけ現金な人間なんだろうか。

ブクマ、評価はモチベーション維持向上につながります。


現時点でも構いませんので、ページ下部の☆☆☆☆☆から評価して頂けると嬉しいです!


お好きな★を入れてください。




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