114話 武辺者の若き家臣、実家の危機 =後日談1=
中の人が夏バテ中のため、縮小営業です。
西区の立ち飲み酒場『酔虎亭』には、今夜も変わらず酒の香りと笑い声が満ちていた。
「でさぁ、あのひでぇ火酒をスミミザクラに漬けたって発想よ!」
「あんな酸っぱい実、ふつうジャムかソースだろ? それを火酒に漬け込んでロバスティアを“酔い潰した”んだぜ!」
「もともと喧嘩売ってきたのはクモートの領主だったけどさ──まさかこんな形でザマァ返しするとはよ!」
「さっすがダンさん、西区の酔神様だ!」
どんちゃん騒ぎの渦中で褒められている張本人、ダンマルクはというと厨房に鎮座する機械のスイッチを切った。がたがたと音を立て、回る銅鍋が静かに止まる。ダンマルクが若造だった頃に近所の錬金術師レオダムが作った『からくり鍋』だ。その銅鍋から青菜とズッキーニの炒め物をトングでつまみ、手際よく小皿に盛っていた。厨房から立ちのぼる香りに一瞬だけ客の笑い声が止まる。
「炒めもん欲しいヤツ、手ぇ上げろ!」
ダンマルクが声を上げるとすぐさま数人の手が挙がる。挙がる手を見て、他の何人かも手を挙げた。ダンマルクはふんと鼻を鳴らすと、
「アルセスさん、トトメちゃん、お願いな」
とホールで給仕する二人に声を掛ける。
「はいよ、ダンさん」
「あなたも適当なところで休憩してね」
料理を乗せた盆を持ち、バイト給仕のアルセスとダンマルクの妻で女将のトトメスが軽やかに客席を回っていく。手を挙げる男たちの間を縫いながら、二人は小皿を置き、銅貨をエプロンのポケットに放り込んでいった。
「父ちゃんってマジ天才じゃん! そういった発想、どこから湧いてくるの?」
ダンマルクの末娘プリスカがカウンター越しに叫ぶ。
「さぁな。……頭の中で、おぼろげながら浮かんできたってことにしておけ」
「なにそれ! インチキ大臣の答弁かよ! あ、そういえばヴァルトア様がね……」
一方厨房の奥で、末妹プリスカの声をなんとなく聞き流しながら、オレ──エミリアが果実を煮詰めていた。
火を弱め、ビネガーを軽くふりかけて香りの立ち上がりを確かめる。そして焦げ付かないよう木べらでかき混ぜつつ、少し味見してみる。──うん、親父が作るソースの味だ。指先でエプロンの端をつまみ、指をぬぐった。
「よぉエミィ、今日の鳥焼きのソース美味かったな。……いま仕込んでるのもソースだろ?」
声をかけてきたのは、金属加工ギルドのモグラット師だ。彼はいつも厨房を覗けるところを陣取り、若い技師と話をしつつこちらにも声をかけてきてくれる方だ。
「……まぁね」
だけど私は気の抜けた返事をした、きっとその顔に笑みはなかったと思う。ソースが揺れる鍋を木べらで無言で混ぜていた。あの時からずっと私はふてくされているのだ。
私は失敗作の"サーグリッド・フォレアル"を試飲した時、こんなまずい酒はもう一度蒸留して消毒用アルコールに仕立てるか廃棄するしか案は思い浮かばなかった。きっと他の酒場ギルドのメンバーも同じ事を思っただろう。
だけど『スミミザクラと氷砂糖を漬けて酸味を柑橘で整えりゃ──ロバスティア人の好みにぴったりだ』……って、まるで当たり前のように父ちゃんは言った。確かにロバスティア人は甘い果実酒を好む。理屈のうえでは合ってる。だけど、あんなまずい酒で仕立ててもどうせ飲まれるわけがない──私はそう思ってた。……いやそう思いたかったのかもしれない。
猫耳メイドだの、月信教のチャリティだの、売り方が派手だったからだ──そうやって理由を探してた。でも現に売れた。市場を席巻した。ロバスティアの商人たちが、金持ちたちが金を出して買っていったのだ。そして領主と父ちゃんは、かつての通商封鎖にきっちりと“酔い潰し”の意趣返しまでやってのけたのだ。
……オレには、そこまで読めなかった。ブレンダーとしても、蒸留技術者としても。どれだけ頭で考えても──あの一手は浮かばなかった。
かつてのオレは、エラール郊外の蒸留所で火酒造りに携わってた。蒸留前のもろみの管理だって任されてたし、原酒のブレンドでもそれなりに名を上げたつもりだった。
だけど、色々あってキュリクスに帰ってきて、今はこうして実家の立ち飲み屋で黙々とソースを煮てるだけ。
末妹のプリスカはフリフリの可愛いメイド服を着て、ホールで踊ったり客とじゃれ合ったりして青春を謳歌してる。オレがエラールの醸造学校で徹夜して勉強してた頃、あいつはまだおしめしてたってのに──。
「──なぁエミィ、聞こえてるか? この鳥焼きに合う火酒、何ンかあるか?」
モグラット師だった。……その穏やかな声にオレは木べらを動かす手をぴたりと止めた。そして、さっきまで胸の中で渦巻いてたグズグズした思考をまとめて鍋の中に放り込んだ。
──鳥肉の香ばしさ、ソースに利かせた酸味とスパイス。
それに合う火酒の輪郭を頭の奥から必死で引っ張り出そうとする。
(パルジリオの五年か? いや、渋みが強すぎる。じゃあ……ピーニャック七年? ……あれもクセが……)
店に置いてある火酒の在庫は全部把握してる。どの棚に、どんな火酒があるかも分かってる。
それでも決め手が浮かばない──声が出ない。
「やぁモグラット師。ポルフィリ領のブルゲラ三年物なら銅貨四枚、フルヴァン領のクリストル八年物なら銅貨六枚だ」
気づけば父ちゃんがオレの隣に立っていた。そしておすすめの火酒と価格をモグラット師に伝えている。
「じゃあブルゲラをもらおう、あとお茄子の糠漬けもほしいかな」
「はいよ、すぐ出す──エミリア、お前も休憩しとけ」
「……はい」
鍋を火から下ろし、静かに鍋敷きの上へ置く。そしてふらりとコンロ台から離れると厨房の奥の椅子に腰掛けた。
なんなんだよ。どうして、あんな一瞬でお勧めが出てくるんだよ。
……オレは、惨めで、情けなくて、悔しくて──どうしようもなかった。
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・作者註
質問来てた。『ヴィシニャクって何?』
サワーチェリーのヴィシュニャ(和名・スミミザクラ)を使ったクロアチア地方で飲まれる果実酒『Višnjevac』のこと。製法については火酒とスミミザクラと氷砂糖。――ざっくりいえば梅酒と作り方は同じ。家庭で作る機会が多いため市販されてない。楽天にも売ってない。
(てかヴィシニャクでググると自分の小説が出てくる事に驚いた)
なおクロアチア人はストレートで飲む。朝から飲む。
ザグレブ(首都)って、モビルスーツの名前みたいだよね