112話 武辺者を追い出したあとの新都エラール・8 =幕間=
新都エラールの空は今日も青く晴れ渡っていた。王宮の執務室には、その空とは裏腹にどこかピリついた緊張が漂っている。だが──その中心にいる男だけは違っていた。
「ふふ、ふふふふっ……はーーっはっはっは!」
執務室の大振りな革張りの椅子にどっかり腰掛けたレピソフォンは、笑いながら身体を揺らし脚を組み替える。
「ついに国民の声は俺に届いた! 減税令、司法刷新、愚物どもの一掃。見よ、この民の歓喜を!」
──たしかに。
レピソフォンが主導した政策は民衆には劇的な変化として歓迎された。税を軽くし、王宮に蔓延っていたノクシィ一派の貴族派官吏たちを次々と解任。旧弊の法律を改め、不都合な裁きを明朗なものと演出したのだ。……本来ならば正式な裁判として終結していた“痛ましい事故”を「悪徳貴族による罪だ」と仕立て、三代にも亘って広場での公開処刑としたのだ。レピソフォンにとっては「民衆の喝采」こそが政治の正しさだったのだ。
しかし熱狂する民衆を冷ややかに見る者もいた。それはノクシィ一派でも、レピソフォンに楯突いて解散させられた弁護士ギルドでもない。──なんと一般の民衆である。
レピソフォンの司法介入は民衆の思いに寄り添った形で判決を捻じ曲げた行為にほかならない。しかも刑法典に定められた量刑を遥かに超える処断まで行ったのだ。たしかにそれは一部の民衆にとっては“望んだ裁き”であり、熱狂と喝采を呼んだ。
だが正当な判決を下した判事が罷免され、次にその席に就いた者はレピソフォンの顔色をうかがいながら裁きを下す。
さらに司法の独立を守ろうとした弁護士ギルドまでもが解散させられた。──“正しすぎる正義”は、ときに独裁よりも恐ろしい。誰の声が次に消されるのか、ひそかな恐れが人々の胸に芽生え始めていた。つまり、その『法の刃』がいつ自分たちに向けられるか分からない──そう感じた者もまた、民衆の中にいたのだ。
――少々真面目な話をするが、刑事裁判の決定は社会の平和と秩序を維持する上で重要な役割を果たすものであり、『被害者感情』はあくまでもオプションだ。刑罰は犯罪行為に対する責任を明確にし、再犯を防ぐ抑止力として機能すべきものであり、そこに民衆の感情を加味する余地は本来存在しない。法の下に平等な裁きがあってこそ、真に正義と呼べる秩序が保たれるのだ。
ただ、市井の庶民たちはそんな事には誰も気づかなかった。
*
「……そういえばレピちゃん、そろそろ結婚とか考えないの?」
控えの間から聞こえた柔らかな声にレピソフォンはピタリと動きを止めた。
──レピソフォンの母ポンパイヤだ。
元は聖心教の巫女であったが前王との間にレピソフォンが出来たのだが、王后より側室として認められなかったため不遇な時代を過ごしていた。しかし彼が王太子を名乗るようになってからは王宮に隠棲している。しかし彼女のその問いかけはまさに王宮の誰もが“口にできなかった声”だった。
「けっ、結婚だと? そんなもの王政を立て直してから──」
「でももう25でしょう? 相応の王女様、どこかにいるんじゃない?」
レピソフォンは鼻で笑った。
「そうだな! 俺様に釣り合う女など王族以外に居るわけがない!――よし、カルビン。各国の王宮に書状を送れ!」
レピソフォン王子の号令を受けたその瞬間、王宮筆頭官房のカルビンは目を見開いた。
「か、各国……でございますか?」
だが反論など許される空気ではなかった。母を前にしてレピソフォンはすでに次なる「俺様外交」へと鼻息を荒くしていたのだ。
カルビンの背筋に冷たい汗が伝う。各国と太いパイプを持っていた貴族や外交官たちはすでにレピソフォン自身の手で左遷・更迭されて久しい。今や王宮に残るのはカルビンと同じく「はい」としか言えない腰巾着ばかりである。だが命令は命令だ。その混乱の中でふとカルビンの脳裏に浮かんだのはかつて同じ学舎で机を並べた少女のことであった。
この周辺国では近年めきめきと頭角を現している若手官僚、ハルセリア・ルコック。退学の事情は複雑だったがカルビンにとって彼女こそ隣国ルツェル公国との唯一の“繋がり”だった。――だとすれば他国より先に、まずは彼女だ。
そうしてカルビンはほとんど自棄とも言える勢いで一通の手紙をしたためた。貴族外交も格式もそっちのけの不躾極まりない文面。だがそれこそがのちに「地獄の追伸」として王宮に返ってくることになるとはこの時のカルビンには想像もつかなかった。
*
宛先:ルツェル公国大公閣下 ならびに ハルセリア・ルコック殿
王政の健全なる回復と民意を背負った新時代の到来を祝し、かつてヴィオシュラ学院にて共に学んだ旧友として心からの挨拶を贈る。
このたび我が王国においては政敵の排除および法秩序の刷新が実現し、いまや我が治世に疑念を持つ声はほとんどない。これに伴い外交的な安定と栄誉、そして王統の継続を目的として我が家系に相応しき妃を迎えることとした。
よって貴国におかれては王族もしくは大公直系の姫君を栄誉ある我が正妃候補として推薦されたい。貴国の威信を保つためにも格調と血筋を備えた女性が望ましい。
なお便宜上、貴殿、ハルセリア嬢も適齢であることは承知している。旧交を踏まえ貴殿を側妃の栄誉も選択肢のひとつとして考慮しているゆえ、然るべき返答を速やかに示されたい。
レピソフォン・ド・エラール
*
そして、一週間後。
ルツェル公国から速達で返答が来た。しかしそれは王宮を通した正式な文書ではなくハルセリア・ルコックからの極めて私的な返答だった。
宛先:レピソフォン殿下(および王宮宛)
差出人:ハルセリア・ルコック
身分:ルツェル公国 内政局補佐
拝啓 短夜の候、貴国のご繁栄と殿下のご健勝を、遠きルツェルの地よりお祈り申し上げます。
さて、先般貴殿よりお届けいただきました書状ならびに王族縁組に関するご提案、確かに拝読いたしました。
書状に記された「貴国の王統に相応しき姫君を推挙されたい」とのご趣旨について、あいにく我が公国には、そのような推挙制度も法的根拠も存在せず、貴意を汲み取る手立ては持ち合わせておりません。
これは制度的な不一致に留まらず、王統の継続と外交儀礼の尊重を混同されているかのようなご発言は、当国において“重大な非礼”として受け止められるおそれがあることを、ここに慎んで申し添えます。
また、書状中に拙名を名指しの上「側妃でもよい」と記された一文について、当国は月信教の教義を尊び、婚姻において一対一の誓約を重んじております。よって、かかるお申し出は文化的・宗教的にも受け入れ難いことをご理解ください。
なお、本書状は貴国王宮にお届けする以前に、我が国の報道各社に「儀礼的文書の事例資料」として提供済みであることを付記しておきます。
最後に、貴殿の書状において繰り返された「栄誉をくれてやる」との表現につきましては、以下の語をもって返答とさせていただきます。
――控えめに言って、バカなんじゃねお前
追伸
貴殿およびカルビン卿がヴィオシュラ学院に在籍していた頃、私と共に学んでいた“カリエル君”に対して複数名で木剣による暴行を加え、重篤な障害を負わせた件については今なお腸が煮えくり返る思いです。またその後、貴殿の働きかけにより加害者側である貴殿らではなく、被害者であるカリエル君と私がともに退学処分を受けた経緯についてもしっかりと記憶しております。貴殿はもうお忘れでしょうか?
それとも、あれを“スベらない美談”として酒席の肴にしておられるのでしょうか。
*
さらに追い打ちをかけるようルツェルの王立新聞社が『エラール王宮からこのような無礼な求婚状が届きました』──と全文を暴露したのだ。しかもハルセリアの返事付きでだ。
新聞が報じた“無礼な王書”の全文に、ルツェル国民は言葉を失った。
特に、書簡の中にあった「姫君を推挙せよ」との一文は多くの市民にとって笑い事では済まされない代物だった。──というのもルツェル公国は、千年の昔にグロウスヘル公が大公位を与えられて以来の由緒を誇る国である。そのため公国民はどんなことがあっても自国の事を必ず『栄光あるルツェル』と呼ぶのだ。それに対してエラール王宮の歴史はわずか二十余年に過ぎぬ新興の王政国家である。そんな『できたて国家』が格式も信義も踏みにじる書簡を寄越したのだ。怒りが湧かぬ者などいるはずがなかった。
「……おいおい、栄光あるルツェルを何だと思ってるんだ?」
「姫君を“推挙しろ”だぁ? 何様のつもりだエラール王宮は!」
「これが“隣国の知性”ってわけだ、笑わせる!」
市民の憤慨はルツェル王宮にも届き、内政局には抗議と皮肉が入り混じった投書が殺到した。
ある酒場では、見知らぬ者同士が顔を見合わせて言った。
「あのハルセリア嬢にどのツラ下げて“側妃でもいい”とかほざいたんだろうな」
「ま、あれだ。頭の中まで王冠被ってるんじゃね?」
そして、ある年配の職人がぽつりと呟いた言葉が、翌日の新聞の見出しになった。
『“栄誉”? 我々にとって外交文書を受け取った時点で恥辱だ』
*
このような報道がされれば、ルツェル公国で外交大使として駐在する高位貴族たちはすぐに自国へ報告へ走った。もちろん自国の王宮にも似たような『非礼文章』は届いているのだ。他国の反応は早かった。
まず、ヴィオシュラ学院を擁するシェーリング公国から届いたのはたった一文の返書だった。
「本件について王宮としての正式回答は見送らせていただく所存です」
──この文面は、エラール王宮に衝撃をもって受け止められた。
かつてヴィオシュラ学院での暴行事件に関して、シェーリング公国は裏金の受け取りを含めて隠ぺいに協力した“共犯関係”にあった。その関係性ゆえレピソフォンたちは「いざとなれば話が通じる」と信じて疑わなかった。しかし、その“友好国”ですら今回は沈黙を選んだのだ。
ついでビルビディア王国からはやや婉曲ながら明確な拒絶が示された。
「貴国との外交的信義は尊重しておりますが、王宮間における儀礼的接触の方法について再考の余地があると考えております」
つまり、「もうちょっと付き合い方を考えたい」という遠回しな絶縁宣言だ。
エラール王宮は慌てて情報統制に走った。市井の新聞差し押さえ、口止め、異国書簡の閲覧制限などだ。しかし“口”は封じられても“耳”と“目”は残る。そして人は交流する。酒場では脇目も憚らず囁き合い、王宮のメイドたちは壁際で風刺画を回し読み、やがて──王母ポンパイヤの耳にも届く事になったのだ。
彼女は静かに椅子から立ち上がり、控えの間にひとことだけ残した。
「まず謝りなさい。それができないならもう何も言わないで」
それが、この件に関する彼女の最初で最後の言葉だった。そしてこの日を境にレピソフォン政権の歯車はわずかにきしみはじめたのだった。
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