111話 武辺者の若き家臣、実家の危機・4
ロバスティア王国、クモートの街。
広場では『子どもたちと貧困層への救済支援』と銘打たれた月信教慈善団体の催しが開催されていた。主催は、多くの月信教徒が属するキュリクス系商家とクモート月信教教会。そして未亡人風の装いに身を包んだミレ夫人、ハラスの姿もあった。会場に華やかさを添えていたのは猫耳をつけたメイドたち。彼女たちは小さな酒樽を背負い、にこやかに酒を注ぎ回るという、来場者の目を引くサービスを展開していた。
広場には司祭たちによる主神の教えを説く声が響き渡り、炊き出しの香りが立ち込め、信者たちが穏やかに催しを楽しんでいた。他宗教の人々にも分け隔てなく酒や食事が格安で振る舞われたため、まるでお祭り騒ぎの賑わいを見せていたという。
猫耳メイド隊の殆どはロバスティアの踊り子たちだ。普段は際どい恰好で踊っている彼女たちにとって、仕立ての良いメイド服を着て猫耳を付けて酒を注ぎ歩くなんて大した仕事ではない。笑顔と酒を振舞いながら催しに花を添えていた。その中でぎこちない笑顔を振りまきながら背負い樽を操作して酒を注ぎ配り歩いていたのはロゼットであった。猫耳を指摘されれば赤面し、羞恥に顔を歪めるその姿を見て客たちは虜になっていったという。一方プリスカはというと樽を背負って広場のあちこちを駆け回り、『アラベスク、アチチュード、デベロッペ』と華麗な足技を見せつつ、子どもたちにも真似しやすいよう考え抜かれた『猫ネコダンス』を見せては人気を博していった。
プリスカと同じく幼少期にダンス教室に通っていたロゼットも踊りは上手い。独特なリズムのロバスティア民謡に併せて二人は即興でパ・ド・ドゥを舞い、ヴィシニャクを注ぎ歩くといった暴挙に出たのだ。この様子はクモートの新聞にも好意的に書かれていたという。
なお、踊り子を本業としていた彼女たちから見ても、『あの猫耳メイドは何者なんだ』と噂になったという。ちなみにロゼットもプリスカも自分たちはキュリクス人であることは言っていない。
この会に合わせてプリスカ達猫耳メイド隊が背負っていた酒樽は工夫が施されていた。樽内はあらかじめ空気圧で加圧されており、右手の小さな蛇口を操作すればスムーズに酒が注がれるのだ。空気圧が足りなくなれば左側のハンドルを上下させれば加圧され、右手の蛇口から注ぐことが出来る。重い樽をいちいち降ろすことなく注ぎ歩けるため、このような催しや販売に非常に適していたのだ。しかも背負子には激しく踊ってもずれないような工夫まで施されている。なおこれはクラーレの実験農場で実際に使われていた農薬散布器をヒントに作られている。
ミレ夫人はというと、この慈善団体の催しを見に来た富裕層たちに陶器瓶入りのヴィシニャクを積極的に売り込んでいた。彼らにはリターナブル瓶や樽での量り売りなんて安さのメリットは響かない。むしろ彼らには『希少さ』を売りにしたのだ。
「このアンフォラのヴィシニャクには北方の上級酒を原料に使ってますの。そしてスミミザクラも限定した原産地のものを使ってますのよ」
なおミレ夫人の言葉に嘘はない。ロバスティアから見てクリル村は北方であるし、失敗作とはいえ“サーグリッド・フォレアル”は元来上級火酒だ。それにスミミザクラも確かにキュリクス周辺からかき集めた原料なのだから嘘はない。ただ、庶民たちがこぞって買い求めるヴィシニャクとアンフォラの中身はまったく同じものだったのだ。
庶民の酒と富裕層の酒の間には歴史的にも文化的にも明確な隔たりが存在する。例えば庶民が日常的に飲用する火酒と、富裕層向けの手間暇をかけて製造される物とでは原料や製造工程に大きな違いがある。つまり高価で質の良い酒を庶民が手に取ることはないし、安価なそれを富裕層は口にすることはない。それぞれの階級が口にする酒は彼らの社会的な地位を示すものであり、両階級間で飲用される酒なんてものは稀である。だから入れ物を変えて“同じ中身を販売する”という手法はミレ夫人なりの皮肉である。
しかしものを売る際に本当のことをただ正直につらつらと利点を言ったところで売れるとは限らない。営業を経験したことがある読者諸氏なら判るだろう。それならどうするか? しょうもない嘘を少し混ぜると不思議と売れるのだ。
「実はこれ、酸味が薬草の働きをして悪酔いしにくいらしいの。……仮に酔ったとしてもすぐに酒気が抜けると聞くわ」
この『らしい、聞くわ』は魔法の言葉である。なにせ伝聞を装っているので、例え嘘だとバレても「そう言われましても、ねぇ?」と追求を交わすことが出来るのだから。もちろん賢明なる読者諸氏は真似しないように。
プリスカやロゼット、ミレ夫人たちの働きによってヴィシニャクは違和感なくクモート市場に受け入れられ、流通の足がかりを築くことに成功したのだった。
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“猫耳メイドがくれた甘い酒”というキャッチーな逸話はクモートだけでなくあちこちの新聞で取り上げられた。するとあっという間にクモート周辺地区で話題となったそうだ。広場での催しに参加できなかった者たちも友人や家族の話の中でヴィシニャクの存在を知り、自然と関心が高まっていったという。
話題が上がるようになれば、あちこちの街の月信教教会が『こちらでも貧民救済の催しを考えてるので是非とも力を貸してほしい』と声を掛けてくる。そうなればプリスカたち一行が街々を巡っては酒を注ぎ廻り、ハラスはミレ夫人になりきって社交界でアンフォラ瓶片手にヴィシニャクを売りさばく。そしてホラスはキュリクスからどんどんヴィシニャクを運び込むということが続いたという。
ヴィシニャクが浸透した街では、特に庶民層・貧民層においてリターナブル瓶と量り売りを組み合わせた販売スタイルが新鮮かつ“お得で便利”だと受け入れられていった。それらを『環境配慮』として銘打ち、専用瓶を返却すれば小銭が戻るという仕組みは実質的な値引きと映り割安感を強く演出した。なお回収された瓶は再び酒とともにクモートへ戻され、孤児院で選別・洗浄・消毒を経て、再びボトリングされて出荷されるという循環的な流通システムも確立しておいたのだ。
しかしリターナブル瓶の人気は早々に廃れていった。手元に適当な酒瓶があれば量り売りで安く買える、それならわざわざ瓶詰めされたものなんか買わず、適当な瓶を持ち込んでは量り売りで買っていったのだ。
やがて「ヴィシニャクだと泥酔しない」「翌朝の二日酔いが起きづらい」といった出所不明の噂が流れ始める。それに加えて「二日酔いになっても朝もう一杯飲めば気分スッキリ」といういい加減な噂も付け加えられたため、朝から晩までヴィシニャクを引っ掛ける者が増えたことで、昼間の街にふわりと甘い香りが漂うようになったのだ。
このヴィシニャク文化を持ち込んだのが”猫耳メイド”だったので、猫耳”を模した飾りや衣装を取り入れる店が続出。ついには“猫耳酒場”という新業態まで誕生するに至ったのだ。もちろん味や意匠を真似てインチキなヴィシニャクを販売する者も現れた。しかし香り高くて甘い味を再現出来るものはおらず、市場に出てはすぐに淘汰されていったという。こういう業界は先駆者が強いもんである。
こうして甘いヴィシニャクはロバスティアの生活と文化に自然と根を下ろしていくのだった。もちろん甘い話ばかりではない。
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月信教が貧民救済といってヴィシニャクを振舞っていたのを見て面白くないのは聖心教だ。
そのため聖心教会の一部司祭たちは広場で演説を行い、「甘き果実酒が民の節度を奪う、節制こそ神の教えだ」と非難の声を上げ始めたのだ。だが聖心教には“禁酒”の教義がなく民衆の多くはその言葉を誰も真に受けることはない。むしろ「節制こそ神の教え」と言われても、「仕事帰りの一杯くらい、神も許してくれるだろ」と受け流される。それに「教会の宴でワインが出てくるのに、なぜヴィシニャクは駄目なのか」と疑問の声が上がり説教は空転する。それどころか「主神はそこまで狭量なのか」と声を上げる者まで出てくるから司祭たちは反論できなくなったという。
月信教の神官たちも、吹っ掛けられた喧嘩に黙っている訳がない。
「主神は酒は禁じていない、節制を心掛けよと説くが、それは心の均衡である」と、聖心教司祭をあてこするかのような一言を冷ややかに投げかけた。すると聖心教徒から「お前ら免罪符売ってたじゃん。それで心の均衡を買ってたの?」と返す者も現れ、口論は泥仕合に。ちなみに聖心教側もかつて“贖宥状”を販売していた過去があり、どちらにも後ろ暗さがあるという皮肉な構図である。
一方拝星宗の神官が「これは主神への信仰心の話ではなく、単なる人気への嫉妬では?」と述べたことで聖心教側はさらに立場を悪くしていった。
なお聖心教からも『クモートで貧民救済やりたいんですけど』と、ポーイヤック商会やキュリクス系商会にこっそり打診があったのはここだけの話である。
あと一部の貴族夫人たちは宗教的モラルを盾に“猫耳文化”を糾弾しようとしたが、「貴婦人たちの仮面舞踏会って、性的娯楽だよね? それこそ主神の教えに反してません?」というドストレートな一撃を浴び、返り討ちに遭ったという。
他にもヴィシニャクに噛みついてきたところがある。クモート領主館、厳密には領主不在のためロバスティア王宮から派遣された政務官だ。
「近頃、昼間から酒気を帯びてる者が増え、作業事故や転倒事故、暴力等の虞犯が増えている」
と発表し、新種の中毒性がある毒物が混入してる可能性もあるとしてヴィシニャクの成分調査を錬金術ギルドに依頼したと報道したのだ。
しかし結果は明快だった――「ただの果実酒、毒性なし」
領主館は困惑した。
てっきりヴィシニャクから依存性の高い毒物が発見され、流通停止措置がとれると踏んでいたのだ。しかし錬金術ギルド側から返ってきた返答は「美味すぎるだけ」としかできなかったのだ。こうなれば禁止させる論拠も市場から締め出す術も無い。
結局は「やめよう深酒」などという情けない啓発ポスターを街に貼るしかできなかったという。
しかし効果はゼロだった。
ヴィシニャクは生活の一部と化していた。宗教的禁酒は教義上不可能、啓発も効かない。そうなればクモート領主館は強硬策に出る事にした。
「キュリクス経由の果実酒に対し、十倍の関税を課す」
さらに、「迂回流入も禁止し、軍に摘発させる」と通告した。
だがその政策に怒り出したのはキュリクス領主館ではなくロバスティアの民衆だった。
「俺たちの酒を奪うな!」「癒しを奪ってどうする!」――
怒号と共に暴徒が領主館が焼き討ちしたのだ。つい最近、鉱物市場の買参権問題で暴動が発生したばかりである。統治回復が途上だったのに完全な悪手であった。そして酒の密売や「希釈酒」が売られるようになり、いくつかの街区では酒をめぐる私闘やギャング同士の争いまで起きはじめたのである。完全に統治の失敗だ。
この混乱を受け、キュリクス領主館はロバスティア王宮に書状を送る。
――クモート市における治安悪化に伴い、キュリクス系商会および交易関係者の保護を目的として、自衛的措置としての限定的出兵を予定しております。
事実上の軍事介入通告である。
さすがにロバスティア王宮も体裁を保てなくなり、高官を派遣してこう通達する。
「関税の即時撤廃、および鉱物資源とヴィシニャク取引の再開を認める。なお今後の輸送・市場・販売管理については貴領の商会に一任する」
まさに土下座である。
こうしてキュリクス側がクモートの市場を事実的支配権を得ることとなったという。
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領主館の執務室。作戦会議が終わったあと、ヴァルトアが腕を組みながら苦い顔で言う。
「なあ……これって本当に“売られた喧嘩”の落とし前なのか?」
その問いにトマファはわずかに眉を上げて帳面を閉じた。
「ちょっと――やりすぎたかもしれません」
ヴァルトアの皮肉混じりの疑問には誰も反論しなかったという。
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この一件で、ロバスティア王宮の中枢は辺境の一領主キュリクスに面子を潰されたのだ。
そして、その怒りの行き先は別の国に向けられることになる――。
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