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109話 武辺者の若き家臣、実家の危機・2

 夕刻。キュリクス領、領主館前。


 幌馬車がごとごとと石畳を進み、領主館の門前で静かに止まった。御者台にはウタリ、荷台にはトマファとクラーレ。酒樽の上にはプリスカが揺れに合わせて器用にバランスを取って座っていた。


「着いたぞー、降りるぞー」


 ウタリが呼びかけると、クラーレとプリスカがさっと馬車から降り、荷台のトマファの元へ向かう。


「行きますよ、トマファ様」

「よっこらせっ……っと」


 三人がかりでトマファを丁寧に抱え下ろし、用意していた車椅子にそっと座らせる。


 玄関前で待っていたオリゴが、涼やかな声で迎えた。


「――あら、お帰りなさいませ」


「「「ただいま戻りました」」」


「よぉ! 件の蒸留酒の失敗、どうだった?」


 声をかけてきたのは、なぜか玄関の石畳を竹箒で掃いているアニリィだった。


 トマファは下ろしてくれた三人にお礼を言うと、車椅子のひじ掛けに手を添えたまま、静かに答えた。


「原料を変えたことによる大麦モルトの糖度のばらつき、発酵不良、熟成用の容器の劣化……すべてが重なった、品質管理の不備です」


「あらまあ……蒸留所でそれは大事故じゃねぇか」


 クラーレが眉をひそめながらアニリィを見やり、問いかける。


「ところでアニリィさん。なんで玄関を掃除してるんです?」


「このバカ。ヴァルトア様のお酒を一本、飲んじゃったのよ」


 すかさずオリゴが返す。相変わらず目元は笑っていなかった。アニリィの事だ、月末が近いから給金が心許なくなったせいで酒を買う金がない、だから物品庫で埃をかぶっていた酒瓶を一本拝借したのがバレたってのが真相らしい。彼女らしいと言えばそうだが、玄関の掃き清めだけで許されているのもどうかと思う。


「いやぁ、クセ強なリキュールだったけどさ、柑橘を絞ってみたら意外と旨くてな!」


 アニリィは悪びれずに笑う。というか酒絡みの失敗で彼女は深刻に考える事などほとんど無い。反省文書いて、懲罰受けて、あっけらかんとしているのだ。トマファは何度か反省を促すための面接をした事があるが、その場で「終わった? じゃあ一緒に飲みに行こうよ」と誘ってくるほどである。しかし、アニリィのセリフがトマファの耳にすっと入ったきり、頭から離れなかった。


 オリゴが手帳を開きながら言った。


「そういえば今日の午前、酒場ギルドの方々が領主館にいらっしゃいまして。お酒の相談をしてみたんです」


「ど、どうでした?」


 クラーレが身を乗り出す。


「詳しい話を聞きたいから、今夜、酔虎亭にいらしてくださいとのことです。ちょうど今日は週中日で酒場が休みですから、ギルドの寄合をやるんですって」


  ◆


 夜、酔虎亭。


 カウンターの奥、木目の年季が入ったテーブル席には、いかにも“職人”という面構えの男たちがずらりと並んでいた。中央にはプリスカの父である酔虎亭の店主、ダンマルク(通称ダンちゃん)がふんぞり返っている。


「父ちゃん、これが加水処理したもの。で、こっちが原酒」


 服務中ということもあってプリスカが領主館のメイド服姿でやってきた。袖を通してようやく一年、少しは様になってきているせいか、“職人”たちは一部口笛を吹いていた。冗談半分、親心半分といったところだが、本人は至って真面目に給仕準備をしている。


「なるほど、ではカスクストレングスから頂こう」


 ダンマルクは娘プリスカから小さなテイスティングカップに原酒を注いでもらい、匂いと味をしずかに聞いた。他の“職人たち”も原酒を舐めてみたり、一口で流し込んだりと自分たちのスタイルで味を聞こうとしている。


 するとダンマルクたち職人らは脇からスポイトを取り出すと、一滴また一滴加水し、テイスティングカップからの声を静かに聞いていた。


「プリスカちゃん、いま何やって――?」


「しッ! 今、父ちゃんたちは暴れ馬の原酒にどれだけ加水して調製すれば美味しく飲めるかって調べてるんです。」


「これは……香りの輪郭がぼやけてるからエチル臭が目立つな」


「熟成が足りないって言っても、これ以上熟成しても癖強すぎて、いろんなものを破壊しますね」


「――アニリィ様みたいですね」


 誰かの一言で静寂が訪れる。そしてギルドのみんなが大声で笑いだした。


「あはは、確かに“キュリクスの狂犬”は言い得て妙だな!」「酒のタイトルは“アニリィ”で良いんじゃね?」


「いやいや、冗談はそこまでにしよう。――もしアニリィ様の名を冠にするなら、販売量よりもアニリィ様に供出する量の方が多くなるぞ」


 試飲用のグラスを傾けた店主が、短くそう評した。どこまで冗談かは判らないが、彼らは本気でどうしようか悩み始めていた。


「味も香りも“輪郭がぼやけている”な。度数が高いのは面白いが、これじゃ一気飲みですぐ潰れてしまう。飲み方を知らん若造には猛毒だ。もうちょっとまろやかに希釈した方がいい」


「飲用以外だったなら、もう一度蒸留して酒精度を上げて消毒用が良いんじゃねえか?」


「このまま“喉で飲む酒”として売るか、香り酒として薄めて流すか、路線次第だな」


 トマファは黙って頷きながら、持参した酒瓶を一本ずつ並べていく。


「……ところでこのラベル、誰が作ったんだ?」


 ダンマルクがそう言って掲げた瓶には、猫耳ツインテールの少女が右手でフィグサインを作りながら、たわわな胸元で「夏のオトナ味♡」と書かれた下品なラベルが貼られていた。


「えっ!? な、なにこれ!?」

 プリスカが絶句する。


「似てるな。プリスカ、お前に」


「似てないっ! 胸とか特に、ぜんっぜん! てか胸見んな!」


 プリスカが胸を隠すようにして強く言った。年ごろの娘が父親から胸を凝視されたらこんな反応してしまうだろう。


「で、文官殿は“プリティ”なの、“キュート”なの、どっちが好きなの?」


 ダンマルクの弟、プリスカの叔父がやってる『山猫庵』の大将がトマファに声掛けてきた。さりげなく肩に手を回してくるため、そちら側の方かとどぎまぎしてしまうが、ノーマルらしい。ちなみに安くわいわい飲みたいなら酔虎亭だが、酒を飲みながらゆっくり食事を楽しみたいなら『山猫庵』がお勧めだ。


 そう言って笑う大将に、トマファも思わず微笑んだ。


「あはは、セクシーに解決して頂ければ」


 トマファはそう応えるだけに留めておいた。きっと山猫庵の大将も何かを理解した上で“プリティかキュートか”と聞いているのだから。


「ねぇねぇ荒くれ共! 話も煮詰まってるんじゃないかなって思って、いくつかアントルメやデセールを用意したわよ!」


 奥からはプリスカの母トトメス、バイト給仕のアルセスがお盆に乗せられた小さなカップトルテが出されてきた。この時期に採れるスミミザクラという酸っぱいチェリーをふんだんに使っている。赤紫のソースにしずる感ある果肉。そして酸味と甘みのバランスが取れたトルテはこの夏よく食べられる。


「はいよー、空酒は身体に毒だから食べなっし」


「トトさんいつもありがとう」「ごちそうさまです!」


 トトメスから甘味を渡されて職人たちは嬉しそうに受け取っていた。ちなみにトトメスの「ス」の発音記号が「θ」だから聞き取れない事が多い。だから街の人は『トトメさん』と呼ぶし、親しくなると『トトさん』になってしまう。きっと死んだあと、墓石に「トトメス」と書かれてみんなが初めて気付くだろうと彼女はそう思っている節がある。


「そう言えばトマファ君はさくらんぼが苦手だったんだよね――そっちのチーズケーキカップとってきたよ」


「あぁ、ありがとうございます」


 プリスカがお皿に乗せて渡してくれたのだが、トマファはふと気になった言葉を思い出していた。


『いやぁ、クセ強なリキュールだったけどさ、柑橘を絞ってみたら意外と旨くてな!』


 先ほどのアニリィのセリフだ。柑橘の爽やかさが先に香れば味も輪郭もボケてるこのお酒になら合うのではないか。他にもスミミザクラの酸味も加えれば、クラーレが言ってた酢酸臭やエチル臭が打ち消せるのかもしれない。ふとそう思ったのだ。


「ダンさん、一つ訊いても良いですか?」


「おぅ、トマ公、何が聞きたい。――プリスカの最後のおねしょか? あれは確か――」


「父ちゃん! まじ辞めて」


「このお酒なんですが、スミミザクラや柑橘で味を調えたベース酒には向きませんか?」


 トマファの一言に“職人”の連中らの動きが止まる。そして彼らなりのお酒の方程式が脳みそで計算を始めていた。


「ねぇトトメちゃん、生のスミミザクラって厨房にある?」


「あなた――すぐ持ってくるわ」


 トトメスが持ってきたのは、採れたてつやつやのスミミザクラだ。この時期はキュリクスで大量に採れる果実の一つだが、焼き菓子などの加熱料理に加工されることが多い。その果実をダンマルクが口に放り込む。しかし生で食べるには異様に酸っぱいのだ。


「いや、トマ公よ。――ヴィシニャクはキュリクス周辺ではあまり好まれんのよ」


「ヴィシニャク、ですか」


 スミミザクラと砂糖、そして蜂蜜を濃厚な蒸留酒で漬け込んだ、甘くて香り高い食後酒だ。とろりとした飲み口でデザート代わりにもなる酒だ。キュリクスへやってきてそれを好んで飲むのは主にロバスティア人だとプリスカの母・トトメスが教えてくれた。


「ではダンさん、他の職人様にも、一つ真面目な相談をさせてください。――ロバスティア人の口になじむヴィシニャクは、作れますか?」


 しんと静まり返る。しかし一人が口を開いた。


「出来るっちゃあ出来るぜ? 俺ら酒場の男は、客の喜ぶ酒を造るのが使命だしな! ただ、販路もないし、国境封鎖されてるから売り先が無いもんを作るのは、骨が折れるし、気力が続かねぇよ」


「大丈夫です。酒造ギルドが生産したものは領主館が全て買い上げて販売します――通商に限り国境封鎖は一部解除する予定なんで」


 トマファの言葉を聞いて、クラーレはグラスを置いて口を開いた。


「つまり、ヴィシニャクをロバスティアに流通させる、と――しかも領主館主導って事は、もう……」


 場の空気が止まった。


「……冗談じゃないんだな?」とダンマルク。


「はい。強くて甘くて、安い。けれど中毒性が高い。果実の香りと甘さでごまかせば、底辺の暮らしにまで浸透するでしょう。じわじわと、ゆっくりと、人の働く力も、暮らしの秩序も、壊れていきます」


 酒場の男たちが互いに顔を見合わせた。


「……戦争に、酒を使う時代か」


「とはいえ、こちらがやられっぱなしなのも腹立つからな」


「金属加工やガラス加工の連中らが大暴れしてた、あの一件な」


「やるなら協力するさ。なあ」


「おうとも。腐っても俺たちは酒場人だ。“顧客を喜ばせる”のも仕事のうちさ!」


 そう言ったあと、ダンマルクはわざとらしく咳払いを一つした。


「――ただで、とはいかんぞ?」


 トマファが、グラスを置いてダンマルクを見た。


「"サーグリッド・フォレアル"の販売量を増やしてくれ。クリル村はキュリクスの経済圏だ。それなのに他地域にもエンノーラ蒸留所の酒を出荷してるのなら、少なくともキュリクスへの販売量は増やしてもらいたい。これが条件だ!」


「判りました。こちらも全面協力をお願いしてますので、実家には最大限便宜を図るよう伝えます。ですが、もしダメなら――別の条件で飲んでいただきたい。例えばポルフィリ領からのワインの仕入れ量を増やしてもらうとか」


 しばし場が静まり返る。だが次の瞬間、ダンマルクが歯を見せて笑った。


「いいじゃねえか。そういう勝負、嫌いじゃねえよ。ようしトマ公――この戦、乗った!」

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