108話 武辺者の若き家臣、実家の危機・1
盛夏の夕刻頃。文官執務室にトマファ宛の大きな木箱が届いた。
「……何でしょ、これ」
相当に重かったのだろう、メイドのロゼットとクイラがワゴンに載せ、二人がかりで押してきたのだ。木箱はしっかりと縄とむしろで角を保護するために縛られており、あちこちに「ワレモノ注意」の朱文字で書かれていた。そして差出人は――「チャック」だった。トマファの弟ドロテア・フォーレンの通名である。
「弟から届け物? なんだろう」
訝しげながらもクイラに頼んでバールで開封してもらうと、詰め物の藁の中から整然と並んだ六本の茶瓶。ラベルも貼られていない、なんの変哲もない茶瓶が入っていた。二人のメイドは荷物を届けると静かに執務室を出ていった。
木箱の蓋の裏に貼られていた手紙には、弟ドロテアの特徴ある文字が踊る。実家の蒸留所の試作品だろうか。封書を切って便箋を開くと、いつものふざけた筆跡で、こう書かれていた。
『兄さんへ☆ 今年始めに作った蒸留酒が出来ました。……まあ、ちょっと失敗しちゃったみたいだけど、助けてニャン。てへ☆ チャックより』
トマファはしばらく黙ってから、顔を覆った。
「……なんだよこれ」
*
「んで、どうすりゃいいか悩んだ挙げ句にアタシに相談ってわけか」
「いつもトマファ殿にはお世話になってますから、このような相談は嬉しい限りです」
この領主館内で酒好きは多い。
領主ヴァルトアは夕方になれば執務室で火酒を愉しんでいるし、アニリィに至ってはたびたび酒で騒動を起こす。クラーレは泥酔すれば愚痴り出すし、レオナは陽気になる。ただ、彼ら彼女らは『酒が好き』なだけで味や香りの相談にあまり向いては居ない。アニリィに至っては酒っぽい味ならなんでも飲んでしまうので全く役に立たない。かといってスルホンのように体質上飲めない人に相談するわけにも行かない。
そのためトマファは、相談しやすい気安さと酒の知識量を兼ね備えたウタリとオリゴに相談することにしたのだ。
「お二人ともご存知でしょうが、僕の出身地クリル村は火酒の生産が盛んなところでして──」
クリル村。
そこはキュリクス北西に広がる、広大な田園地帯を有する農村だ。トマファの実家・フォーレン家は、そのクリル村を統治する本流である。
もともとフォーレン家は、数百年前のかつての戦乱期に軍功を挙げた小騎士の家柄であった。爵位を得てた時期もあったのだがそれはとっくに返納し、以降は開拓民の筆頭として所領であったこのクリル村一帯を耕し、やがて豊かな田畑と水利を掌握するに至ったという。
特に先々代の頃から蒸留酒の技術と販売に精を出し、販促に力を入れたのだ。おかげで今ではキュリクスだけでなくポルフィリ領やフルヴァン領、そしてルツェル公国にまで酒を出荷する大地主家となったのだ。名目上は平民であってもその発言力と私兵を持つ家柄は近隣の在郷貴族――たとえばルチェッタの実家アンガルゥ家や、アニリィの実家ポルフィリ家――を凌ぐとも噂されるほどだ。
「で、その名門のエンノーラ蒸留所でこのザマってか」
夕鐘が鳴ったのを期にウタリとオリゴは弟チャックから届いた酒、“サーグリッド・フォレアル”を封切りし、一口含んでもらった。ついでにトマファも軽く口にする。──意外な話だがトマファも酒は飲む。ただ、体質上そこまで酒に強いというわけではないので“舐める程度”である。
「ヴァルトア卿の酒の管理もやってるオリゴさんなら、この酒のダメなところは判るか?」
ウタリは香りを確かめてから一口で飲み干し、再びテイスティングカップに酒を注いでから訊いた。
「えぇ。当家にもトマファ殿の実家の酒は何本かあります。もう少し馥郁とした香り、荒々しさの中にも落ち着いた持ち味があるはずですが……これにはすべてが無いですね。ただ荒々しく、焦げ臭いだけです。ですが私も酒の専門家ではありませんから、これをどうすべきかの答えは持ち合わせておりません」
「ですよね。──ですが、僕もオリゴ殿と同じ感想です。楢材の樽に詰めて数年寝かせれば荒々しさがもう少し落ち着くとは思うのですが、これを"サーグリッド"の名を冠して販売するのは反対ですね」
トマファはふぅと溜息をついた。サーグリッドとは『土地の守護者』という意味で、小騎士の家柄だった誇りを冠して先々代の当主が名付け、実家のエンノーラ蒸留所から“サーグリッド・フォレアル”として販売しているのだ。フォレアルはトマファの家名・フォーレンの古い読み方である。
しかしこの味では『小悪党・盗賊』だ。
「良ければこの酒瓶一本、お譲り頂けませんか? 私の知りうる伝を使って善後策を考えてみます。あと、トマファ殿はずっと帰郷してませんからいったん実家に帰ってみて、父上と弟君に元気な顔を見せ、このお酒が出来た経緯を聞いてみるのも良いかもしれません」
テイスティングカップを机に置くとオリゴはそう言った。
「そうですね。僕も1年以上父や弟、それに世話になった老メイドのポントの顔を見ていませんから、一旦帰郷してみようかと思います」
「でもさ、トマファっちの身体で一人旅はキツいだろ? アタシ、一緒に行こうか? クリル村ってキュリクス経済圏の一部なんだし、──有給も余ってるし、ちょうどいい機会だ」
「それでしたらメイド隊からもプリスカも付けましょう。トマファ殿の身の回りの世話や介助に使ってあげてください」
ウタリだけでなくオリゴの協力もあって、トマファは一旦帰郷することにしたのだった。
*
翌日。
トマファは急ぎの書類を一通り処理すると、隣席のクラーレに声をかけた。
「実は明日から一週間、休暇を取って実家に帰省します。急ぎの案件はないと思いますが、この部屋のことはお願いしますね」
その言葉に、驚いたのはクラーレだった。いつも楽しげに仕事をこなしている彼の姿を見るだけで心が和んでいた。しかも話しかければ優しく応えてくれるし、愚痴っても静かに聞いてくれる。彼女にとってトマファは心のオアシスである。それが、明日から見られなくなる。しかも実家へ帰省──。
「ちょ、ちょっと待ってください! まさか一人で行かれるんですか?」
「いえ。クリル村を視察してみたいとウタリ殿が同行して頂けることになりまして。それと僕らの身の回りの世話係としてプリスカ君も一緒です」
クラーレにとって『プリスカも一緒』、それは聞き捨てならない話だった。プリスカのことだ、トマファの家族に会わせるなんて到底容認できない。彼女の調子なら「私、トマファ君の彼女です!」などと平然と言いかねない──それだけは、それだけはなんとしても阻止せねば!
「ちょ、ちょっと! 私、今からヴァルトア様のところへ行ってきます!」
「は? なにかありましたか?」
「休暇申請です! 私も行きますから!」
「……は?」
こうして翌日、トマファはクリル村へと向かうことになった。同行者は、ウタリ、プリスカ、そして勢いで休暇を勝ち取ったクラーレである。
*
一行がフォーレン家の母屋に着いたのは、昼過ぎだった。
門扉の前に立つと、すぐに父ニルベと弟ドロテア(通名チャック)が出迎えに現れる。
「やぁカリエル。……おかえり、息子よ」
「兄さん、おかえりー」
「父さん、チャック。ただいま戻りました」
御者席にいたウタリと、幌馬車に乗っていたプリスカとクラーレと三人がかりでトマファを降ろし、何も言わずに車椅子に乗せた。クラーレは帽子を取って深く一礼し、プリスカは元気よく飛び降りる。
「……ふむ、久しぶりの里帰りだからって、三人も連れ帰ってきたのか?」
「職場の同僚ですよ」
トマファのその言葉を遮るように、前に出たのはプリスカだった。真剣な表情、そして清らかな声で名乗りを上げる。
「お父様! お初にお目にかかります。領主館でメイドをしております、プリスカ・ティグレと申します──婚約者です!」
その宣言に、一瞬場の空気が凍る。
「……えっ?」
クラーレは目を見開いた。戸惑いの表情を一瞬だけ浮かべ、すぐに慌てて前に出る。
「お、お父様! お初にお目にかかります。クラーレ・サルヴィリナと申します。トマファ様と同じ机で、日々政務を──こ、こ、こ……こんにゃくですっ!」
「こんにゃく……?」とドロテアがつぶやいた。
それを聞いて「おいおい」とウタリが吹き出して漏らす。「あいつ、相変わらずヘタれだな……」
ドロテアの横に立つ老メイド、ポントが両手を頬に当てて「まぁまぁ」と微笑む。
「こりゃまた、面白いお連れ様ですねぇ。……若いっていいことです」
ニルベは頷きながら苦笑いしていた。きっと何かの冗談だと聞き流す事にしたのだ。
「お前も、なんだ、楽しそうな職場で頑張ってるようだな」
「こんな冗談言い合える仲間がいるって、いいよね」とチャックがしみじみ呟いた。
だが──
「冗談ではありません!」とプリスカが即座に否定。
「ほ、本気です……!」とクラーレも頬を染めて訴えた。
静寂が流れる。
ポントが一歩前に出て、柔らかい声で訊ねる。
「で、本命はどちらさまですか? カリエル様?」
「どちらでもありませんよ」
その瞬間、空気が凍りついた。ぴしっ、と音が聞こえたような気さえする。
「……僕、何かおかしいこと言いましたか?」
ポカンとするトマファに、ニルベがぽつりと呟く。
「──お前が鈍いのは相変わらず治ってないみたいだな」
「まぁ兄さんですから」とドロテアも肩をすくめていた。
*
昼食後、居間に集まった一行とフォーレン家の家族。テーブルの上には問題の──“サーグリッド・フォレアル”の瓶が置かれていた。今朝しがた、ニルベの手で樽から直接瓶詰めされた原酒である。領主館に届いたものと違って加水調整はされてない。
「今年の春先に樽詰めした新酒だ、ちょっと飲んでみてくれ。――今朝、酒精計で調べたら65%だった」
クラーレはノートとインク壺を取り出し、慎重にラベルのない瓶を眺めると、コルクを抜いて匂いを嗅ぎ取った。隣のウタリやクラーレにコルクを差し出すと二人も香りを嗅ぐ。プリスカはものすごく嫌そうな表情を浮かべる。
「……焦げたような。いえ、それだけじゃありませんね。酢酸臭とエチル臭が鼻につきますね。そのくせ香りが全くありません。香りの輪郭が崩れていて、酸味も妙に鋭い」
クラーレがするするとテイスティングした感想を漏らす。「──これは、おそらく発酵の過程で失調があったか、原料に不安があったか……」
「さすが。――原料の大麦が問題です」
声を上げたのはドロテアだった。気まずそうに頬を掻きながらも、観念したかのように言う。
「今年から、父さんが新しい商会から大麦を仕入れたんだよ。ほら、“サーグリッド・フォレアル”がこれだけ人気が出てきたんだから、増産しようと、ね」
「だが、“サーグリッド・フォレアル”は、クリル村産大麦100%が自慢だったんじゃ?」
ウタリが眼鏡をずり上げ、睨むようにニルベとドロテアを見た。二人は小さく身を屈ませる。サーグリッド・フォレアルはこのクリル村で生産される大麦を原料で作られた火酒だ。というかクリル村は、この酒のためだけに広大な土地で大麦を作っており、主食用の小麦などはキュリクスや南方ビルビディア王国から買っている。
「おいおい。父さん、チャック、それただの原材料偽装じゃないかよ」
トマファは頭を抱える。だがニルベもチャックも同じく頭を抱えていた。
「いやぁ、やっぱ条件が違う大麦を混ぜたら発酵が立ち遅れてさ、蒸留のタイミングもズレたのよ。使ってる樽も増産したら足りなくなっちゃって、使い古しをかき集めて、さ……」
クラーレはうんうんと頷き、手帳にメモを取る。
「つまり原料の変更、発酵不良、熟成容器の劣化。この三つが原因ですね。ですけど──」
「ですけど?」とニルベが身を乗り出す。
代わって口を開いたのは、ウタリだった。グラスを回しながら、わざとらしく鼻で笑う。
「この出来で他の原酒と混ぜて味を似させて“サーグリッド・フォレアル”の名前出すのはやめといた方がいい。せっかく何代もかけて築き上げてきたブランドーー死ぬぞ」
ウタリの言葉にピシリと空気が引き締まる、それでも彼女は言葉を続けた。
「原材料を誤魔化し、熟成でもインチキし、味まで偽れば、それはもう別の酒だ。荒っぽくても“フォレアル”、一族の名には誇りがある。フォーレン家の先々代が苦労して残した伝統──。これを『別の酒』で穢すのはさすがに、な?」
それを聞いてニルベが深く頷いた。「ああ、確かに……。それはその通りだ」
「もしウタリさんの言うように、この原酒をこのまま“サーグリッド・フォレアル”として調製して出荷すれば間違いなく失敗します。そして失墜した信頼は一生帰ってきませんよ。──破棄するか、試作として再構成するか、もしくはグレーン原酒とブレンドとして全くの別名義で流通させるか」
クラーレは静かに言った。癖が強い酒でもブレンドすれば幾分か飲めるように調整できるだろう。しかし量が莫大だ、消費するにも難渋しそうである。
「ブランドは強いですが、何かあれば吹き飛ぶのは一瞬ですからね」とトマファは呟いた。「ただ、この原酒、どうするか……ですよね」
「なぁ兄さん、ちょっと考えがあるんだよ」
と、ドロテアが急に元気になり、手元に一枚のラベル案を持ってくる。
そこには、猫耳ツインテールの爆乳メイドが「夏のオトナ味♡」と笑いかける下品なイラストが描かれていた。
その場全員が凍りつく。
「……なんだこれ?」トマファの声が震えていた。
「ほらほら、なんか兄さんの“婚約者たち”のイメージに合わせて作ってみた!」
「どのへんが!?」「どこを!?」「どの層に向けて!?」「胸でかッ!」
ニルベ、トマファ、ウタリ、プリスカの四人がほぼ同時に異なる方向からツッコミが飛ぶ。しかもウタリとプリスカは不快なものを見るような目で見ていた。ドロテアが言うには、いたずらっぽく笑うプリスカと豊かな胸のクラーレを足して2で割ったイラストだという。ただし、下品である。
ただし、ひとりだけ──クラーレは妙に真剣な表情でそのラベルを見つめていた。
「これ、どうして一部にモザイクが掛かってるんですか?」
「クラーレさん!? そこはだめ!」
フィグサインに違和感のない人の反応はこんなものである。
・今回のボツネタ
あまりにも一生懸命書いたけど、「やっぱりなんか違くね?」となってボツにした。
――どれほど圧倒的なブランド力があったとしても、原料や味、レシピを大幅に変更すれば、消費者から猛反発を受けることがある。1985年の「ニューコーク騒動」がその典型例だ。マーケティングの教科書にも必ず登場するこの事件では、既存のコカ・コーラの味を一新した新商品『ニューコーク』が販売され、旧製品は一旦終売した。(※ただし、旧製品は“クラシック・コーク”として再販する予定だった)
しかし消費者から「昔の味を返せ」と抗議が殺到し、デモまで起き、わずか数ヶ月で旧製品の復活を余儀なくされたのだ。(※そしてニューコークを“クラシック・コーク”として販売された)
ただし皮肉なことに、この騒動の結果としてコカ・コーラ社の市場シェアはむしろ増加することになったのだが。
一生懸命調べて書いたのだが、ボツにした。
ニューコーク騒動は原料の偽装ではない。マーケティングの失敗だ。
でも悔しい。供養をしなければ!
もったいないおばけが出てしまう!
・「夏のオトナ味♡」
元ネタは紋舞らんの「あややっちゃおうかな2」である。知ってる人は居ないとおもう。
知らない方は「ふぅ~ん」で流せばいい。決してググッてはいけない。
カリグラ効果で調べたくなるだろうが、決して調べてはいけない。(戒め)
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よろしくお願いします。
※あとがきが鬱陶しいという方いらっしゃいましたらお知らせください
伏してお詫びします