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106話 武辺者の女家臣、農業改革に勤しむ・4

 数日後、クラーレのもとに一通の私信が届けられた。

 見慣れない差出人に不審を覚えつつ彼女が封を開けた瞬間、表情が険しくなった。送り主は錬金術ギルド中央本部の査察官補佐、エラスォ・ヤァナ。文面は事務的ながらも明らかに高圧的な意図が込められていた。



『領主館より提出された報告書には、試薬構成および検証過程に重大な不備が確認された。ついては、現在実施中の農業研究に用いているすべての試薬に関する組成、使用法、効果の検証記録を速やかに文書で提出されたし。次回提出期限までに誠意ある対応が確認されない場合、査察官を直接派遣する』



 メイド長オリゴには、錬金術ギルド中央本部からの手紙があれば止めて欲しいとお願いはしていたのだ。しかしエラールに住む友人からの個人的な手紙と誤解してしまうよう巧妙な体裁が施されていたため、検閲される事なく彼女の目に触れてしまう結果となったのだ。


「……は? 何これ……私、そんな調査報告、聞いてないんだけど! どういうことなのよ!」


 クラーレは怒りと困惑を露わにしながら、手紙を机に叩きつけた。「てかトマファ君、あなた、何をしたの!」


 中央の高圧的な内容の手紙に腹を立てたというよりも、自分に何も知らされてないという不満が一気に噴き出したのだ。トマファはその剣幕を冷静に受け止め、経緯を淡々と説明した。最初は中央本部とのやり取りを伏せていたことへの不満を露わにしていたが、トマファは彼女の研究を政治闘争から守るため、意図的に情報を制限したと素直に詫びたことでクラーレは渋々ながらも理解を示した。

 とはいえギルド中央からの圧力が具体的に動き出した以上、これ以上の隠蔽は限界だ。


「ですが彼らの行動は想定の範囲内です。ただ……こうまでしてクラーレ殿の研究成果をパクろうとは、本当に腹立たしい」


 トマファの声には理知的な怒りが滲んでいた。「この件、ただちにヴァルトア卿に上申しましょう。連中らがその気なら、こちらも動くべきです」


 *


 領主館の会議室にはヴァルトア、スルホン、アニリィ、ウタリ、トマファ、クラーレが揃っていた。

 既に大筋の情報を共有していたスルホンは苦笑交じりに言う。


「……クラーレ殿が研究してる農薬も軍事転用が可能な技術だと聞いている。そんなもん、中央にタダでくれてやるのは虫が良すぎるな」


 クラーレは険しい面持ちで応じた。


「ですが、査察が入れば――無農薬区画との比較、試薬の効果、全てを解析してくると思います」


 トマファが車椅子を前に出すと一礼する。


「私は武官ではありませんがひとつ作戦がございます、お耳汚しをお許しください」


 それを聞いていたアニリィがにやりと笑う。「おっ、文官殿が立てた作戦か。面白そうじゃないか」


 トマファは農地周辺の地図を広げ、ウタリから兵科を模した駒を借りて配置していく。そして兵科がどのような動きをし、敵を誘導するかを説明した。それを聞き終えたヴァルトアがウタリに尋ねる。


「お前さんから聞いて、この作戦を評価してみてくれんか?」


 先程から静かに聞いていた彼女は敵の動きがこうだったらどう対処するのかといくつか質問し、その答えを聞いて唸り声を上げた。


「面白い戦略だと思いますよ。つまるところ"兵は詭道なり"を実践するってわけですよね。やってみる価値は十分にあるかと」


 ヴァルトアは静かに立ち上がり、宣言した。


「よし、スルホン。来る日に備えて領主軍全軍に出動命令を出す」


「承知!」


 スルホンが即座に応じる。皆も姿勢を正した。そしてヴァルトアは厳しい眼差しで言い放つ。


「中央の不逞な錬金術師どもに技術をそう簡単には渡すものか。我々の覚悟を見せてやれ」


 こうして、“農薬技術防衛作戦”が静かに動き始めた。


 *


 クラーレは一通の文書を整え、封蝋を押して静かに息を吐いた。内容はかつてキュリクス錬金術ギルドが中央本部に提出した報告書とほぼ同じ体裁、内容もほぼ同じである。


 そして数日後、領主宛に届いた物は──いかにも気取った書式の封書だった。差出人はあの男――査察官補佐、エラスォ・ヤァナ。その届いた書状にはこう記されていた。



『本部にて検証した結果、前回報告内容には不備および欠落が確認された。よって担当官が現地に赴き、視察および試薬サンプルの受領を行うものとする。日程は下記の通りである。遅延または不在があれば不誠実と見なし、通告をもって本部処分を発動する』



 ──高圧的というより、もはや挑発である。処分するといってギルドが領主相手に何をする気なのか? 意図の読めない書状を呼んでオリゴは『痛々しい』と辛辣な感想を漏らしていた。



 視察日当日。

 領主館前には中央本部からの視察官、エラスォ・ヤァナが予定時刻ぴったりに現れた。無駄に艶のある靴と、初夏の汗ばむ日なのに風になびく黒い長コート。肩で風を切るその様子に、付き添いの三人、ウタリとロゼット、そしてプリスカはげんなりしていた。しかしその中にクラーレはいない。


「クラーレ殿が……“諸処の事情”で立ち会えないとは、どういうことですか?」


 エラスォの鋭い目が、同行の武官ウタリへと向けられた。ウタリは気だるげに頭をかきながら応じた。


「……あぁー、アレっすよアレ。なんか“重い日”らしいんで。あ、男には分からんですよね?」


「──っ」


 ロゼットがすかさず追撃を入れる。


「なんなら連れてきます? 真っ青な顔して倒れそうでしたけど。あっ、連れ回す趣味とかあったりするんです?」


 プリスカもにっこり笑って言った。


「デリカシーないのはモテないっすよ?」


 エラスォはわずかに顔をしかめたが、黙って手元の手帳を閉じた。ただ、ウタリは申し訳なさそうに頭を下げる。


「ですんで彼女の代わりに一応は理系畑の私が査察の立会をします。──言うても専門は弾道学ですがね」


 ウタリは士官学校で砲術専科を修了しているから一応は理系である。なお錬金学や薬学は赤点だったらしい。


「……では、試薬の提出をお願いします。前回報告書には、硫黄系の化合物が記載されていましたね?」


「こちらです、どうぞお納めください」


 ロゼットが木箱を両手で差し出した。


「めっちゃ臭いんで気をつけてくださいね。たまに臭いが漏れて気持ち悪くなるんで」


 プリスカがにこにこしながら続ける。「ついでに中身の確認と受領書のサインもお願いします」


 エラスォは茶色いガラス瓶がずらりと並ぶ木箱を開けると中身を確認した。ラベルも品番もきちんと貼ってあり、箱の外側には『取扱注意』の注意書きまで貼られていた。


「ふん、当たり前だ」


 エラスォはそう言いながら手にしたマニフェストを見ながら木箱から瓶を一つずつ覗き込む。



 その背後でロゼットが声をひそめる。


『ねぇこいつ、名前が態度に出てない?』


『“()()()()()”ってか?』とプリスカ。


『やめてくれ、思い出し笑いするだろうが!』とウタリが小声で突っ込んだ。



 領主館から西へしばらく歩いた先、郊外の一角に『実験農園』と手描きの木製看板が掲げられていた。案内役の三人に連れられ、エラスォはその畑の前に立った。しかし、そこには白く粉を吹いたような葉のキュウリやナス、虫喰いの目立つキャベツなどの野菜が整然と並んでいた。とはいえ雑草は丁寧に抜かれ、肥料も撒かれた跡がある。それに支柱もしっかり組まれており、決して放置されているわけではない。


「なんだ……ここだけか?」


 エラスォが訝しげに尋ねる。


「えぇ、実験農園は()()()()()()っすよ」


 キュリクス周辺の地図を見せながらウタリはさらりと答えた。街の東側は広大な麦畑が広がっているし、南北は平原の中に街道が突っ切っている。しかも地図には『領主館実験農地(予定)』と記載もされていた。


「見た目はアレですけど、ちゃんと手入れはしてますよ。たまに出来た野菜は頂きますが、まあまあ食べられますよ?」


 ロゼットが肩をすくめながら言い、プリスカが補足する。


「私はキュウリのピクルスが好きかな。よければお土産にどうです? エラールも暑いでしょうから、夏バテ防止に……」


「要らん」


 エラスォは鼻白んだ声で拒否し、手帳に何やら走り書きをした。そしていくつかの作物を軽く見てから、農園の奥を取り囲むように立ち並ぶ灰色の布幕に目を向けた。幾本もの支柱に渡された軍用の陣幕。兵の姿がちらつき、時折号令の声と土煙が上がる。


「あれは……?」


 エラスォが眉をひそめる。


「月イチの軍事教練っすね」


 ウタリが即答する。「ほら、ここ最近ロバスティアが怪しい動きをしてるじゃないですか。ですから予備役も含めた総合訓練を月に一度やってるんですよ。その野外訓練用地の隅に領主ヴァルトア卿の好意で実験農園を作ったんです。──見学していきます?」


 エラスォは小さく舌打ちし、そっぽを向いた。


「……結構だ」


 その日のうちに、エラスォ・ヤァナは静かにキュリクスを後にした。


 *


「いやぁ、"偉そうなヤツ"だっけ? あいつ、バカで良かったー」


 彼が馬車に乗ってエラール方面への街道を走り去ってゆくのをしっかり見送ったあと、ロゼットがそう呟いた。


「エラスォ・ヤナな。まぁそのあだ名付けは間違っていないが」


 ウタリはエラスォから受け取った名刺をビリビリにちぎり、スカートのポケットに仕舞った。


「でもウタリさん、あいつが軍事教練を見たいって言ったらどうする気だったんですか?」


 大きく伸びをしながらプリスカが訊く。「実験農園を布幕と土嚢袋で囲んで見えなくしただけ、全軍で大声上げて訓練してるフリしてただけじゃないですか」


「ん? あの畑からだったら屈強な衛兵隊のオッチャンたちが立ってたろ? 私らが近づいたら『武官立会いとはいえ極秘訓練中なのでご遠慮願いたい』と言ってもらうよう言い伝えてあったんだよ」


 要するに、クラーレが農薬を用いて効果を実証していた農地は布幕で覆って隠したのだ。しかも本当に訓練しているフリをするため、キュリクスの街には最低限の衛兵だけ残して農地に兵たちを全員集めた。例え布幕で覆って隠してあったとしてもたくさんの人が居るのは気配で察する事が出来る。それも狙いだったのだ。伏兵の逆……と言えばわかりやすいかもしれない。


「てかウタリ様。クラーレさんを表に出さなかったのはなんでなんですか?」


 プリスカが背負い袋から弁当箱を取り出しながら訊いた。その弁当箱の中にはクラーレから頂いた野菜で作った漬物が並ぶ。プリスカの母が漬けたもので、先ほどエラスォに訊いた時に欲しいと言われたら渡すつもりで用意されたものだったのだ。


「クラーレっちは昔っから素直過ぎて隠し事が出来ない性格なんだよ。だからこの作戦では引っ込んでもらった。しかも──生理痛で出てこれないっていうのも作戦もトマファっちの立案だ」


 ウタリは突き出された弁当箱から赤茄子の漬物をつまみ、口に放り込んだ。酸味と塩味が汗ばむこの時期にちょうどいい。


「あぁー。それ、男には未知の領域ですもんね」


 ロゼットも弁当箱に指を伸ばす。彼女はお茄子の漬物が好みらしい。二つばかりぽいぽいと口に放り込む。「プリスカの母ちゃんの漬物、相変わらず美味いよね」


「いま時期は、この漬物で酔客から金を巻き上げてるんだもの。美味いに決まってるでしょ?」


「その酔虎亭で稼いだ給金を落としてる私の前でそんなこと言うなよ」


 ウタリは静かに笑い、キュウリの漬物に手を伸ばす。


「でもさぁウタリ様、それなら私と二人で立ち合いができるはずなのに、どうしてプリスカなんかも一緒に連れて回したんですか?」


「ちょっと待て、”私なんか”ってどういう意味よ」


 ロゼットが赤茄子に手を伸ばそうとした瞬間、プリスカは持ってた弁当箱を引っ込める。


「これもトマファっちの発案。具合が悪くても『クラーレっちを出せ』って言ってきたらクラーレっちには出てきてもらうつもりだったの。だけど、農園へ行く途中で具合が悪くなって倒れてもらうってト書きも出来てたから、その時の救助を呼ぶための要員なのよ」


 つまりこういう事だ。もしウタリとロゼットとクラーレの三人でエラスォと回っていたとしても、農園近くでクラーレは倒れる事になっている。そうなればウタリとロゼットの二人で彼女の介抱に入るとエラスォ一人だけになり、査察妨害がうまくいかなくなる。そのためにプリスカを介助要因役として入れておいたのだ。あとは妨害工作の“舞台回し”の役割も持っていたのだが。


「――何があってもエラスォにディフェンスが付くって寸法なのよ」


 他にも、ロゼットは『実験農園は()()()()()()』と言ったが、それは嘘ではない。布幕の内側含めてここ一帯が実験農園なのである。


 ではなぜ、視察では病気が蔓延してる畑があったのか?

 クラーレは農薬の効果を測定するため、施肥や添え木といった条件が一緒の無農薬農地を用意していたのだ。



「あとねぇ、先ほど渡した薬瓶についても細工がしてあったんだよ?」


 プリスカは瓜の漬物をつまみ一つ口に放り込んでから続けた。「中身を確認して貰ったのも、それなのよねぇ」


 *


 エラスォが箱馬車に乗って一昼夜経った頃、突然に御者から声を掛けられた。


「お客さん。後ろからなんか匂うんですが、大丈夫なんですかねぇ?」


「え?」


 箱馬車の後ろ、荷物置き場から特異な刺激臭が辺りに撒き散らせていた。エラスォは受け取った木箱を慌てて開けると、薬瓶二本が割れて異臭を漂わせていたのだ。


「お客さん。木箱に入っただけの瓶なんてすぐに割れてしまいますよ。どうして養生しなかったんですか?」


 液体物が入った薬瓶は衝撃には非常に弱い。かちゃかちゃと何度もぶつかっているとすぐに割れてしまうのだ。しかも割れた破片が他の瓶に当たると簡単に割れてしまう。本来ならボロ布などで一本ずつ包み、あちこち動かないように養生し、仮に割れても破片が飛び散らないようにする。それが出来ないなら木枠などでパーティション分けして瓶同士が当たらないよう手当すべきである。


 後にエラスォから「薬剤の再提出を求む」と書状が届いたのだが、


『既に引き渡した受領書にサインを頂いてるのに“おかわり要求”とか意味不明。そちらのケツを拭う理由は無い。それでも文句があるならキュリクス錬金術ギルドはルツェル公国錬金術ギルド連盟に移籍しますよ!』


と、領主ヴァルトア名義で中央本部長宛に強い言葉で抗議文を送りつけたところ、菓子折りと詫び状が届いたそうだ。そしてそれ以降何も言ってこなくなったという。



 ちなみにトマファはクラーレに強くお願いしてたことが一つだけあった。


 それは「実験農園で作った野菜を決して販売しないこと」であった。


 人に無料で配り歩いていたら、誰に、どれだけの量を渡していたかなんて記憶には残るかもしれないが記録には残らない。どれだけマメに家計簿を付けてる人だって、誰彼から野菜をどれだけ貰ったかまで記帳してる人はそう居ないだろう。だが仮に市場に流せば売買記録として残ってしまう。そうすれば生産性や効率性についてすぐにバレてしまう。


「なぁトマファ、それを見越した上で売買禁止を言ってたのか?」


 クラーレの実験農園で出来た『ズッキーニと赤茄子、ピーマンの野菜炒め』をつまみながらヴァルトアはトマファに訊いた。


「きっと彼らは前調査として小売業ギルドなどから売上データの裏付けを取ったでしょう。ですがデータが無ければ裏も表もありません。仮に出せと言ってきたなら、『ないものを証明すればいいのか?』と開き直ればいいんですよ」


 トマファは美味しそうにズッキーニのピクルスを口に放り込んだのだった。

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