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105話 武辺者の女家臣、農業改革に勤しむ・3

 文官執務室。

 いくつかの木箱と、各種薬品の説明書が積まれている。クラーレが錬金術ギルドに頼んで作ってもらった農薬たちだ。トマファは先程彼女から手渡された1枚の説明書をぼんやりと目で追った。


 そこには薬液の濃度、散布量、予測できる効果、作物別の影響、風向きと散布範囲の相関……それらが事細かに記されていた。


 やがてトマファはメモ帳を静かに閉じて、ふと顔を上げる。


「……これ、悪意を持って使えば軍事転用できますよね」


 クラーレは答えずに数秒間、ただ沈黙する。そして机の端に座りなおし、視線を落としたまま小さく呟いた。


「否定はしません。単品ですら毒性が強かったり害悪なものも含まれますし、混ぜれば毒ガスを撒き散らすのもあります。敵陣地や塹壕に投げ込んだだけでも充分な効果はあるでしょうね」


 それでも、とクラーレは言葉を継ぐ。


「それでも、キュリクスの農業生産力の増強は喫緊の課題です。……生産力の違いが将来的な国力の差や脅威となると思います」


 それを聞いてもトマファは柔和な表情を崩さずに居た。


「大丈夫、クラーレ殿の考えや気持ちは理解してるつもりです。僕も生産力増強が良い未来に繋がると思ってますから。――交易の不均等の結果、戦争の良い口実にされるのは歴史的事実ですからね」


 トマファは笑顔のままそう言った。先ほど渡された農薬ごとの取扱書を膝の上にそっと置き、両手を組む。


「ただし、管理だけはしっかりお願いします。どんなに素晴らしい研究でも、扱い方ひとつで害にも益にもなります。それを他国が嗅ぎつけたら、きっと碌な事は置きないでしょうからね」


 クラーレは小さくうなずいた。 そして何かを吐き出すように呟いた。


「……それならトマファ君ならご存じの話でしょうけど。――今の錬金術ギルドのエラール中央本部の話、知ってますか?」


 その声は静かで、どこか遠くを見つめるようだった。


「えぇ、まぁ」


 クラーレはひとつ息を吐き、机の端に置かれた観察記録の紙を指先で撫でながら言った。


「有史以前より人間は錬金術を通して様々な研究を行ってきました。鉱物から効率良い金銀の抽出法、物質のあり方に関する研究法、そして美味しいエールの醸造法も……。幾万の人間が、知恵と工夫と経験で育ててきた分野です。でも、その中で為政者が特に好んだ研究は昔も今も変わりません」


 クラーレはゆっくりと息を吸い込んで吐き出した。


「金の作り方、不老不死、そして――人の殺し方ですよね」


 トマファはその言葉に頷きもせず、ただ静かに耳を傾けていた。


「これらは長らく、錬金術ギルドや魔導ギルドが担ってきた研究分野です。今では“金の生成”は『労力と生産が釣り合わない』として一部の変人しか手を出してません……が、その過程で得られた知見、技術は今の化学や工業の種になりました。だから未だに“化学”のことを“錬金術”って呼んでいる」


 しかも実績を積み上げれば女性でもどんどん活躍できる分野として研究の裾野を広げた結果、女学校に錬金術科が設置されることが増えた。昔から『なんだか怪しいギルド』と噂された錬金術ギルドも女性研究者が増えた事で明るいイメージが着いたという話もある。


「不老不死も同じですよね。『無駄に長生きされても迷惑』とか『老害と言われる前に隠居せよ』ってあちこちで言われるようになったから積極的に研究されなくなったけど、“若さを保ちたい”、"嫁から介護受けたくない"、"逝くならぽっくり"って願いは誰にでもある。だから数年ごとに眉唾な長寿薬が流行る。――水素水とかパワーストーンとか」


 クラーレは小さく肩をすくめた。


「そして為政者にとって好ましい投資先、それは人殺しです。殺すためじゃなく、“相手国から攻められないため”に。抑止としての殺しの技術が特に好まれますね」


 少しだけ間を置いて、声のトーンが落ちた。


「……今のエラールの中央ギルド、実はそれが原因で内部分裂が起きていると聞いてます。平和利用の薬品作りを志す一派と、それを軍事転用して王宮に重用されたい人たちとの対立です。後者は“王宮に認められれば予算も地位も安泰”という考え方で、実際にかなりの有力者もいるそうですよ」


 トマファは目を細めたが、口を挟まない。


「私達農薬研究者は錬金術ギルドのどちらの派閥にも与する気はありません。むしろいかに効率のいい農薬を開発し、農作物を生産するかしか考えてません。ただ、その技術が軍事転用されると考えただけで夜寝られなくなることもあるんです……変ですよね。」


 トマファは静かに首を振った。「僕と同じ考えで助かります」と静かに付け加えた。


「ですから、せっかく試験段階に入った農薬をどうやって領内に広げていくかが悩みなんです。技術は簡単に盗まれるし、劣化コピーは粗雑なまま出回って事故の元になる。しかも“儲かりそうだ”とか“武器に転用できる”といった理由で悪意ある者が寄ってくる。そうなれば本来守るべき人の命を、間接的にでも脅かしてしまう。……私は、そんな未来の片棒を担ぎたくないんです。安全性も管理方法もきちんと整備してからじゃなければ、この研究を広める資格なんてないとすら思ってしまうんですよ。植物の命をどう育てるかを考えたいのに……どうしても“殺すための技術”が、隣に並んでくる」


 クラーレの目は、まっすぐ試験畑の方向を見据えていた。土を起こされ、若麦が僅かに生える地面が見えた。それを取り囲むかのように植生前の畝立てが終わった野菜畑が広がっている。


「だからトマファ君にアドバイスが欲しかったんです。……私、どうすれば良いと思う?」


 クラーレの吐息がひとつ落ちる。それでも背筋は曲げないまま、彼女はトマファの方を見ていた。トマファは膝の上に載せていたメモ帳を開き、指の上でペンを回す。


「クラーレ殿のこの農薬の技術。うまくいくのなら是非ともキュリクスだけで独占したいですね。生産性が向上するのなら、悪意ある物が悲劇を生み出さないためにも」


 彼は小さく笑って付け加える。クラーレはわずかに頷いた。それは同意というよりも覚悟を定める仕草だった。


「もし他が欲しがったら――売ってやりましょう! 希釈したやつをね」


 クラーレが小さく吹き出した。だが、その表情にはまだ緊張が残っていた。


「希釈したやつって……ただ薄めただけならすぐコピーされますよ?」


 するとトマファはメモ帳にいくつかの物質名を書き込んでゆく。


「擬似成分を混ぜて、分析者の判断を混乱させるんです。たとえば、不安定な銅キレート剤を仕込めば、毒物扱いで報告される可能性があります。酢酸エステルを混ぜれば、香料成分に見せかけて意図を読みにくくできますし、光分解性の過酸化物質やフェノール金属塩を含ませれば、検査に手間取っている間に成分が崩壊して何がなんだか判らなくなる。最悪、ラベンダー香油でも混ぜておけば、“薬剤のフリをした何か”になるでしょう。──要は、化かし合いですよ」


 トマファの目が細くなる。そして一つ鼻を鳴らすと彼は静かに続けた。「普段から錬金術ギルドや創薬ギルドとは仲良くしておくものです。──こういう時こそ信頼に勝る戦略はありませんから」


 クラーレは目を細めて、静かにうなずいた。その視線の先には窓の外に広がる試験畑があった。


「この基礎研究は、キュリクスの将来を握ってます。是非とも完成させましょう!」


「はいッ!」


 * * *


 初夏の朝日が実験農園の畝を斜めに照らしていた。クラーレとプリスカは麦藁帽子を片手に並んで畑の通路を歩いていた。最近では二人とロゼットの3人でこの農園の管理をやっている。普段は領主館のメイドとして綺麗な制服に身を包んでいるが、作業着姿も随分と様になっている。


 農園に広がるのは病虫害が出始める季節とは思えないほど健康な作物の姿だった。


 支柱に巻き付いたキュウリのつるは旺盛に伸び、黄色い花を咲かせている。うどんこ病がでてもおかしくない時期だが、葉の緑は濃く、虫食いも目立たない。


 赤茄子は茎が太くしっかり立ち、葉は厚くて艶があり、いくつかの株では青い実がふくらみ始めていた。もうじき赤変が始まり、熟れてくるだろう。


 キャベツの巻きも密で外葉の端まで瑞々しい。一部に虫食いこそあれど、こんなにきれいなキャベツもなかなかに珍しい。


 イモの葉は厚く青々と立っていた。時折白い花が咲いてるが、見つけ次第クラーレ達は摘んでいる。種のつけない花に栄養を回す必要はない、摘花も一つの農法だ。


 そしてこの地の主食である小麦の葉には病斑がなく、丈は腰まで伸び、穂が重そうに風に揺れていた。


 クラーレは足を止め、観察記録簿に記帳を終えるとじっと畑の様子を見つめた。


「……すごいわ。ここまで目に見えて差が出るなんて」


 自分の言葉にどこか自分で驚いているような口調だった。プリスカが後ろで首をかしげる。


「クラーレさん、これ全部……“あのくっさい液体”の成果なんです?」


「ええ。タバコ液、石灰硫黄、木酢液……全部が少しずつ効いてるのよ。でもねぇ」


 クラーレは畝の先を見つめながら、ぽつりと続けた。「ちゃんと効くとは思ってたけど。──けど、ここまでとは。正直、薬が効きすぎてるんじゃないかと思うぐらいよ」


 プリスカは眼の前に成る小指ぐらいのキュウリを見ながら言った。


「効いてるなら良いんじゃないんですか?」


「なんかね人間の力で自然をねじ伏せてるような感覚がして。これって道理から外れてるのかなって悩む時はあるのよ?」


 プリスカはぴょんと一歩跳ねて、クラーレの隣に並んだ。


「でも散布する時、あれだけ臭いんですから、効かなかったら逆に私とロゼットが暴動起こしますよ!」


 その言葉にクラーレは吹き出しそうになりながらも肩の力を少し抜いた。思い返せばこの畑を守るためにいろいろな失敗と騒動があった。特にプリスカとロゼットの協力あってこその成果だ。


「そういえば、魔導エンジン式の噴霧器、初回で暴走したわよね……」


「急にヴォワアアアアって音して、クラーレさんと私、顔面に喰らいましたよね!?」


 試運転のために井戸水を入れて稼働させたところ噴霧器の元栓が抜けてあちこちに水を撒き散らしたのだ。中身が水だと言ってなかったため、プリスカは畑を転げ回っていたのだが。──むしろ、あれが薬剤だった日には、大変なことになっていただろう。しかしプリスカはそんなこと気にする素振りも見せずケラケラ笑いながら指を折って数え始める。


「あと、唐辛子液! あれアブラムシによく効いたけど、調子乗って噴霧したら、ロゼットが“鼻がぁ〜!”って倒れて」

「あの子、汚れた手で顔なんか触るから。マジ泣いてたもんね……」


 防護服に防毒マスク、そして安全眼鏡をした上で噴霧していたのだ。しかし作業中にどうしても鼻の中が痒くなってしまったロゼットは、思わず鼻の穴に指を突っ込んでしまったのだ。そこから彼女の悲劇が始まる。鼻の痛みに苦しむ彼女は今度は安全眼鏡まで外してしまい、目も痛めてしまったのだ。洗顔用の汲み置き井戸水に顔をしばらく突っ込んでても痛みが引かず、結局医官を呼んで治療してもらうことになったのだ。


……これで安全マニュアルに『鼻くそほじるな』と書かれることになったのだが、ロゼットは頑なに「私は鼻くそなんかほじってません!」と言っていたが。


「でも、そのロゼットさんが言い出した、“唐辛子液に石鹸水を混ぜたら良くないですか?”は、本当にヒントになったわ。確かに効果は高まったもの」


 植物につく害虫の表面には毛が生えてるものが多い。アブラムシにしろ毛虫にしろ、噴霧しても表面の毛で弾かれ邪魔して薬剤の効果が鈍かったのだ。しかしロゼットの発想で石鹸水を少し添加すると毛で弾かれることなく効くようになったのだ。


「でも石鹸水の濃度間違えて、一部のキャベツがしなしなになって」


「そうそう、赤茄子やキュウリの葉っぱが黄色く変色しちゃったのよね」


 クラーレは苦笑しつつ、最後の出来事を思い出して小さく溜息をついた。


「極めつけは、防毒マスク代わりにスターライトキッドの覆面持ってきたあなた」


「やるならとことんやってやる! そう思って持ってきたのに」


「あれ見た時、『この子本当にバカなんじゃない?』って思ったわよ」


「それをたまたまみてたオリゴ様からめちゃくちゃ叱られたんですよー? オリゴ様って前世は絶対に上谷沙弥ですよ!──こわかったぁ〜」


「まだ生きてるし、オリゴ様は小柄ですから」


 二人で笑いあいながら改めて畑を見渡した。そこには、確かな“成果”が広がっていた。

ブクマ、評価はモチベーション維持向上につながります。


現時点でも構いませんので、ページ下部の☆☆☆☆☆から評価して頂けると嬉しいです!


お好きな★を入れてください。




よろしくお願いします。


・作者註

『防毒マスクの代わりにスターライトキッドの覆面』

中の人の友人の実話。

学生時代、農薬散布の実習で獣神サンダーライガーの覆面をしてやってきたのが友人。もちろん教授からばちくそに叱られていた。


なお、中の人はスターダム大好きデス。

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